第18話 その感情は(レオ視点)
――ねえレオ、どうして私の気持ちに応えてくれないの?
そう言いながら、聖女シルヴィアは俺を鎖でつるし上げて鞭で打つ。
そしてミミズ腫れになった跡を指でなぞって、俺の体に抱きついて頬ずりして熱いため息をつく。
身長差がかなりあったから口にキスされるのだけは免れたが。
聖女がベタベタ俺に触っている間にも、俺はどうやったらこの牢から出られるかを考えていた。
そんなことが日常になりつつあったが。
その日は違っていた。
――レオ、愛してるわ、私を一人にしないで! 一人は嫌!
そう言いながら、聖女が俺の背をいつもとは違う拷問用の鞭で打つ。
苛烈な鞭打ちに、背中の皮膚が裂けてダラダラと血が流れているのがわかった。
だが苦痛の声なんてあげてやるものか。
身勝手に俺をこんなところに閉じ込め、鞭で打ち、狂った愛を囁く。
そんな女に屈することはプライドが許さない。
意識が遠のいたところで、聖女が牢の外に出る。そして神官長が魔法で鍵をかけていった。
ガシャンというレバーを操作する音とともに、俺を吊るしていた鎖が緩んで俺は地面に倒れこんだ。
背中が燃えるように熱い。
このままずっと放置されていると、死ぬかもしれない。
上体を起こして憎しみを込めて聖女を見ると、悪趣味な真っ赤な口紅を塗りたくった口が、笑みの形をつくった。
――ずっと一緒よ、レオ。
聖女が階段を上がって出ていく。
それからどれくらい経ったのか。
一日? 二日? 三日か? だんだんと寒気がしてきた。
息をするだけでも背中が痛むし、寒気はどんどんひどくなる。
血を失いすぎたか、あるいは傷口が化膿したか。
次第に食べ物も喉を通らなくなり、水だけをなんとか飲み下す日が何日か続いたところで、とうとう体に力が入らなくなって倒れこんだ。
傷が熱い。
寒い。寒い。
騎士になった以上死ぬのは覚悟しているが、こんな形でこんなところで? 冗談じゃない。
だがおそらく助けなんて来ないだろう。
ミリア様。
俺は死んだらあなたの側にいけるのだろうか。
誰かが俺に触れた気がして目を開けると、見慣れない白い天井が目に入った。
視線を横に向けると、立ち去ろうとしている女……聖女の衣装!
――ずっと一緒よ、レオ。
そんな聖女の言葉がよみがえってきて、俺はわけもわからず目の前の女を引き倒した。
誰だ。
聖女の衣装?
見たことがない女。
俺を責め苛むのか。
ここはどこだ。
頭の中がうるさい。
「あなたを苦しめていた聖女は死にました。わたくしはリーリアよ」
死んだ。あの聖女が死んだ?
リーリアって誰だ。
放せば説明すると言われていつのまにか首にかけていた手を離す。
徐々に頭がはっきりとしてくる。
どうやら俺はまったく関係のないあの女の次の聖女を押し倒してしまっていたらしい。
何やってんだ俺は。
話してみると、あの聖女と違って、理知的で優しそうな方だ。
しかも俺を助けてくれたようだ。たしかにまったく背中が痛まない。
あのひどい裂傷をきれいに治せるほどの力なのか。
ならばダメ元でと、紋章の復活をお願いしてみた。
紋章がなくても騎士として不足はないが、あったほうがいいのは間違いない。
彼女は快く引き受けてくれ、そして治してくれた。
彼女には大きな借りができた。
その後すぐに俺は団に復帰した。
行方不明だった理由と復帰理由は突っ込みどころ満載だったが、王様のお取り計らいもあってあまり詳しく聞いてくるやつはいなかった。
そんな折、魔獣討伐隊の重傷者が王立病院に運び込まれたという情報が入った。
死亡者のリストには名前がなかったが、討伐隊にセティウスが参加していたと知って気が気じゃなかった。
あんな虚弱体質でなぜ選ばれたのか。
ランス団長も討伐隊を率いる隊長として行ったというし、一番親交があるグレンも選ばれていた。
俺に近しい人物が討伐隊に入るよう、あのクソハゲ神官長が手を回していたのかもしれない。
病院に行く準備をしようとしたその時、聖女リーリア様が声をかけてきた。
レオ卿なんて呼ばれて、あまりにも俺に不似合いだからレオと呼んでくださいと言うと。
まるで愛しい者でも呼ぶような笑顔と声で、俺の名前を呼んだ。
不覚にも、ドキリとした。
いやいや待ておかしいぞ俺。
もちろん美人は嫌いじゃないが俺は特別面食いなわけでもないし、彼女は十六歳だと聞いた。若すぎるだろう。俺より十歳も下。
ましてや聖女だ。
そんな相手に心が騒ぐなんて、まだまだ修行が足りてないな。
いずれにしろそう何度も関わることはないだろうと思っていた矢先、彼女は俺を脅して病院に連れて行かせるという大胆な行動にでた。
くそ……窓から脱走するわ脅すわ、思ったほど清らかでおしとやかな女性ではないらしい。
病院に着くと、彼女は信じられないほどの圧倒的な力で重傷者を次々に治していく。
そして最後に、セティウスも治した。強引に。
なぜ初対面の男相手に、恨まれてまでそんなことをするのかと思った。
その圧倒的な力に酔っているのか? という意地悪な考えすら浮かんだ。
いや、それは違う。
セティウスにとっていかに聖印が大事だったか話しても、恨まれるだろうということを話しても、あの方は恐怖も動揺も見せなかった。
恨まれるのをわかっていて治療したのか。とんでもなく肝が据わっている。
ただ、そこまでする理由はよくわからなかった。
なんにしろ、彼女によって四人の男の人生が救われた。
聖女として浄化の力さえ使っていれば、神殿でふんぞり返って人に命令していても誰にも文句は言われない立場だというのに、わざわざ脱走してまで、さらには恨まれてまで治療を施すとは。
この人こそ、ミリア様以来の本物の“聖女”なのかもしれない。
心の中に、リーリア様に対する尊敬の念と騎士としてあるまじき感情がじわりと根付くのを感じた。
帰り道、聖なる力を使い切ったリーリア様は、疲労困憊の様子だった。
何度も眠りに落ちそうになるので、下手したら落馬をするなと思い腰を片腕で支えた。
嫌がられるかと思ったが、安心しきった様子で俺に背中を預けてきた。
また心がざわつく。
おてんばでしたたかで年齢の割に飄々とした聖女だと思っていたが、こうして弱っているとひどく頼りなげで、妙な色気すら感じられる。
自分でも心拍数が上がるのがわかった。
ここ数年の清らかすぎる生活のせいなのか。女性に触れるのが久しぶりとはいえ、いい歳して少女相手に情けない。
髪から香る甘い香りや細い腰を意識しないよう軽口を叩けば、彼女の回答にさらに心を乱される。
なぜ彼女は俺をこんなに信用するんだ。
会ったばかりだというのに。
お人よしで世間知らずにもほどがある。
イラついて悪い男ぶって忠告してもその最中に寝るし。
なんで振り回されてるんだ俺は。クソッ。
とにかくセティウスが何をしてくるかわからないので、夜間は俺が部屋の外の警備についた。
別に一人でもよかったんだが、良からぬ噂が立たないよう常にもう一人を交代で置くことにした。噂というのは怖いからな。
何か妙な気配がした気がして、夜中だったがノックする。
なかなか返事が来ずにあせっていると、夜着に身を包んだリーリア様がドアから出てきた。
さすがにぎょっとする。
そんな薄手の寝衣のまま出てくるなんて。せめて一枚何か羽織ってくれと思いながら、もう一人の騎士から見えないよう自分の体で彼女を隠す。
こんな姿、ほかの騎士になんて見せられない。……見せたくない。
異常はないとのことだったのでおとなしく引き下がり、その後も何事もない日々が続いた。
セティウスがあきらめたのか?
そんなある日、警備開始時間の少し前、リーリア様がお茶に誘ってくれた。
その気遣いがうれしかったし、懐かしいジャムのクッキーが心を温かくしてくれた。
クッキーを食べるその姿は、優雅でありながらも小動物のようでかわいらしい。
お茶に誘ってくれたからといって彼女にとって自分が特別だなんて思いはしないが、少なくとも他の騎士よりも信頼されている気がして素直にうれしかった。
だから何連勤になろうが疲れなど感じなかった。
けれど。
無理にとらされた休暇の日も落ち着かず、結局神殿付近をうろついていると、庭園のベンチに腰掛けたリーリア様を見つけた。
そして、その前に立つ一人の男。
遠目でも整っている顔立ちだとわかるその男は、セティウスだった。
とっさに剣の柄に手をかけるが、セティウスは気安い様子で笑顔で彼女に話しかけている。
あんな表情は何年も見たことがない。しかも病的な見た目もすっかり影を潜め、誰もが目を奪われるような美形になっている。
リーリア様を見ると、彼女もまた怯えた様子もなくセティウスと話していた。
どういう、ことだ?
二人が病院以降初めて会ったようには見えない。
それどころか、どこか親しげだ。
セティウスのあの手のひらの返しようはなんだ。
……俺の知らないところで、会っていたというのか? しかも、何度も。
彼女が優しい笑顔をセティウスに向ける。
胃のあたりが熱くなる。
何に対して腹が立っているのかもよくわからないまま、ただ怒りが広がっていく。
セティウスがもう彼女に敵意を抱いていないことも知らずに一人でやきもきしていたことか。
警備を担当している自分が蚊帳の外になっていたことか。
それとも、自分の知らないところで彼女がセティウスと仲良くなっていたことか。
ふと、セティウスがこちらを見る。
その綺麗な顔に、一瞬挑発的な笑みを浮かべた。
あの表情は見たことがある。ミリア様に無邪気を装ってベッタリと抱き着きながら俺に向けた笑みと、まったく同じ。
セティウスが去ったあと思わずリーリア様に詰め寄るが、珍しく歯切れが悪い。
ああそうか。
やっぱり会っていたんだな。
いつ会った? 会ってどんな話をしていたんだ。どうやってあのセティウスを懐柔した?
セティウスのあの挑発的な顔。
あいつはリーリア様に執着し始めているのか?
リーリア様は俺に謝るが、俺がセティウスが罪を犯さないか心配してたのに何も言わなかったから怒っていると思っているらしい。
……だから、俺は怒っているのか?
わからない。ただリーリア様がセティウスの話をするほど苛立っていく。
馬鹿げてるな。
聖女の警護はそもそも騎士の役目だし、ましてや大恩のあるリーリア様を守るのは至極当然。
それに、リーリア様に対するセティウスの怒りがおさまったのならそれに越したことはない。
それなのになぜ。
……ああそうか、俺は自惚れていたんだ。
リーリア様にとって俺は少しだけ特別な騎士だと。俺を一番に頼ってくれていると。何を根拠に。ただちょっと他の騎士より関りが多かっただけだというのに。
それだけじゃないな。
俺の知らないところでセティウスと何度も会っていたと知って、腹が立った。
セティウスに向ける優しい瞳も笑顔も、俺だけに向けられるものではなかったとわかって、心が痛んだ。
嫉妬。
ああ、そうだ。ただのみっともない嫉妬だ、これは。
俺はどうやらリーリア様を好きになってしまったようだ。
大きな青い瞳。ちいさな唇。白く滑らかな肌。輝くようなさらさらの髪。
まだ少女の域を出ないとはいえ、美しいと素直に思う。
そしてその外見以上に、内面に、彼女の心に惹かれていた。
だが、そんなのは許されない。彼女は聖女なのだから。
もうこれ以上、心が乱れないようにしなくては。
俺は神聖騎士団の騎士で、リーリア様は聖女だ。
聖女様が誰と仲良くなろうが誰を特別に思おうが関係ない。俺は騎士としての役割を全うするだけだ。
俺は彼女に一礼すると、その場を去った。
これ以上側にいると、決意が鈍って何を言い出すかわからなかったから。
女性の前で自分をコントロールできないとか、思春期のガキかよ。
はぁ……俺かっこわる。




