第14話 大好きな聖女様と憎い聖女(セティウス視点)
僕はいつからそこにいたのか。
正確にはわからない。
あの頃の記憶をたどっても、地下室以外の部屋が出てこない。
そこが僕の世界の全てだった。
地上部分にわずかに顔を出した窓から漏れる光以外、太陽の存在を実感できるものもない。
夜はランプの明かりがひとつ。
時々、母が地下に様子を見に来た。
機嫌がいい時は、ごくたまに撫でてくれることがあった。
それが嬉しくてたまらなかった。
けれど機嫌が悪いと理由もなく僕を引っぱたいた。
それで泣いたりすると、さらに叩かれた。
怒ったり泣いたりは、何歳までしていたのか。
たぶん三歳になるかならないかあたり。
感情が高ぶると魔力が自分の意思と関係なく暴れ始めるから、感情を表に出すと母に叱られた。というか叩かれた。
母がいないところで意地悪な侍女に怒ったりしても、それを告げ口されてやっぱり僕が叱られた。
いい子にしていれば時々母に優しくしてもらえるから、感情は出さないようになった。
そのうち家庭教師もくるようになって、遅れがちだった知識や言葉も年齢に追いついた。
家庭教師は物の感触や方向感覚などを身に着けさせるために、時折夜の庭園に連れ出してくれた。
庭園は広く、初めて見たときは驚いたものだ。
絵本でしか見たことがないものがたくさんあって、新鮮でうれしかった。
昼間にも出てみたいと言ったことががあったけれど、叱られただけだった。
侍女も家庭教師も、僕には冷たかった。
特に侍女は僕をあからさまに蔑んだ。
僕のせいでこんな地下に配属されて、と逆恨みしていたんだろう。
地下は魔力に強い材質でできているから、あなたもとばっちりの私もここでしか過ごせないんです、と侍女は言っていた。
そういえば一度だけ別の優しい侍女が配属されたことがある。
僕はうれしかった。
けれどわずか三日でもとの侍女に戻ってしまった。
母が優しい侍女をクビにしたらしい。
自分は子供に優しくしない、関心もないくせに、他人が僕に優しくするのが気に入らないというのか。
歪んでいる。
顔立ちだけでなく、自分のこの歪んだ性格も母譲りなのだろうなと妙に納得した。
初めて昼間に外に出たのは、四歳を迎えて間もない頃。
初めての昼の世界のまぶしさと色鮮やかさに驚いた。
しばらく目が開けられなかったほどだった。
葉っぱはこんな色をしていたのか。お花ってこんなにきれいなんだ。馬ってこんなに大きいものなんだ。
そんなことを考えながらキョロキョロしている僕を、執事だという男はなかば無理やり馬車に乗せた。
嫌悪感を隠そうともしない執事が一緒に馬車に乗り込み、聞いてもいないことを教えてくれた。
僕はとある貴族の娘の婚外子であること。
誰の子なのか母は頑なに言わなかったこと。
母は出産以降ずっと精神的に不安定であること。
母の父は僕を孫だと認めていないこと。
これから行くのは城壁の内側にある神殿で、そこで聖女様に魔力を封じてもらうということ。
自分の出自はどうでもよかった。
その時はまだたいして理解もできなかったし。
それよりも窓の外の景色がきれいでうれしかった。
そして、聖女様ってどんな人だろうと久しぶりに心が躍った。
神殿で神官長に僕を預けたあと、執事は後日迎えに来ますと大きな袋を神官長に渡して帰っていった。
ジャラジャラいってたあれは当然金の袋だろう。
お会いした聖女様……ミリア様は、母のように際立った美人ではなかったけど、とても優しそうな人だった。
さっき見た葉っぱのような優しい色の目だと思ったことをおぼえている。
優しく声をかけて、そっと触れて。そんな風に扱ってくれることが嬉しかった。
そうして聖印を施してもらい、客室に通され食事などを与えられた。
客室で待って、翌日になっても翌々日になっても、さらにその次の日になっても、迎えはこなかった。
ああ僕は捨てられたんだな、とすぐにわかった。
新鮮だった外の世界も色あせていく。
僕はあてもなく神殿をうろついた。
だって何をしていいかわからなかったから。
無表情にふらふら歩く子供は不気味だったようで、みんな僕を気味が悪いものを見る目で見た。
同時に、僕が存在しないかのように構うことも咎めることもしなかった。
神官長に何か言われてたのかもしれない。
そうしてよくわからないままうろついているうちに、教会にたどりついた。
誰もいない教会で椅子に座り、赤ん坊を抱く女神像を見る。
僕もあんなふうに母に抱っこされていた時期があるんだろうか、と考えていた。
そもそも抱っこってどんな感じなんだろう、と。
そこにミリア様がやってきた。
隣に座るミリア様の優しい声に、ついに涙があふれた。
聖印で魔力を封じれば地下から出られるんじゃないだろうか、母ももっと優しくしてくれるんじゃないだろうか。
そんな淡い期待は砕け散って。
ただ子供らしくみっともなく泣いた。
そんな僕を優しく抱きしめてくれたぬくもりは、今でも忘れない。
それからは、僕の人生の中で一番幸せな時間だった。
ミリア様が僕の面倒をみてくれることになり、一緒に過ごすことができたから。
ミリア様は優しかった。僕に色んなことを教えてくれた。
絵本の面白さ、人肌の温かさ、食事やおやつの美味しさ、ピクニックの楽しさ。
レオは最初鬱陶しいだけだったけど、なんとなく慣れてきて、一緒の部屋で眠ると不思議と安心できた。
一生のうちで、あんなに笑顔で過ごした時期はない。
けれどそれは唐突に終わりを告げた。
あれはミリア様に引き取られて二年半くらいの時だった。
その日、僕はささいなことでレオに嫉妬してミリア様にたしなめられた。
その時素直に反省すればいいものを、よりにもよって「ミリア様なんかきらいだ!」と言って部屋を飛び出した。
もちろん本気でそう思ったわけじゃない。
追いかけてきてくれるんじゃないかと期待しながら、二時間も神殿の庭園で過ごしただろうか。
急に辺りが慌ただしくなり……ミリア様が倒れたと知った。
目を閉じたままのミリア様にすがりついて死ぬほど泣きじゃくった。
お願いだから目を覚ましてと。
けれどその願いもむなしく、ミリア様はそのまま目を覚ますこともなく旅立った。
もうそこからは記憶が曖昧だ。
暴走しかけてレオに聖印を消す気かと言われたのは覚えている。
気が付けばひっそりとした葬儀が執り行われていて。
当時副団長だったランス団長が、ミリア様を連れて行くなと棺にすがる僕たちを、棺から引き離した。
そして気づいたときには、ミリア様はちいさな箱におさまっていた。
土葬が一般的なこの国なのに、聖女は火葬されるのだという。
僕は倒れて、何日も目を覚まさなかったらしい。あとで遺骨は聖女廟に納骨されたと聞いた。
僕はからっぽになってしまった。
ただ流されるように空虚な日々を過ごしていたある日。
神殿の教会で、何故か母に会った。
貴族だから城壁の内側に出入りできてもおかしくはないけれど、なぜその日そんなところにいたのか。
ほんの一瞬、希望がわいてしまった。
僕に会いにきてくれたのかと。
けれど母は僕を見た瞬間、ヒステリックに怒鳴り散らした。
お前なんか生まなければよかった、お前なんか死んでしまえ、なんでお前なんかが存在するんだと。泣きながらわめいていた。
何故そこにいたのか、何故そんなことを言ったのか。
それすらわからないまま、僕は逃げた。
悪魔のような形相で追いかけてくる母を止めてくれたのはレオだった。
母に向かって何かを言っていたようだったが、おぼえていない。僕はただひたすら逃げたから。
以来、母には会っていない。
全てがどうでもよくなった。
何もない僕は、聖印にすがって生きるようになった。
聖印が消えないうちは、ミリア様もそばにいてくれるような気がして。
「魔力があっても魔法が使えないなら神官にはなれない」と神官長に神官見習の地位をはく奪されたのは十二歳の頃。
体力もなく魔法も使えない役に立たない僕を、ランス団長が騎士見習いとして拾ってくれた。
おそらくレオが口利きしてくれたんだろう。
騎士修行をしたけれど、めきめきと頭角をあらわしていくレオと違って僕はたいした腕にはならなかった。
剣の腕は騎士団の中で下から数えたほうが早いくらいだ。
まず体力と腕力がない。
聖印を守るため魔力を体内に押し込むという行為は、子供のころはそれほど辛いものではなかったけれど、大人になるにつれ体への負担が大きくなってきた。
魔力が強くなったせいだろう。
ここ数年は特にひどく、立派な虚弱体質になった。
ほとんど眠れない、食べられない。
たぶんそろそろ死ぬな、と思った。
レオは何度となく僕の説得を試みた。
聖印を消せと。
けれど応じなかった。
本当は僕もわかっている。大事なのは聖印じゃない。
聖印があってもミリア様がそばにいてくれるわけじゃないし、聖印のために死んだとあってはミリア様は悲しむだろう。
けれど、どうしても消すことができなかった。
消せばミリア様を忘れようとしているようで。
僕はミリア様を忘れてはいけないんだ。
あの時嫌いだなんて暴言を吐いて飛び出さなければ、倒れたミリア様をすぐに医者に診せることができただろうに。
そうしたら、もしかしたら、今でも生きていてくれたんじゃないかと。
そんな思いにずっととらわれている。
でもそれすら疲れてきた。
死にたいわけじゃないけれど、生きたいとも思えない。
聖印を胸に抱いて死ねるなら、それもいいかと思うようになってきた。
我ながらまともじゃない。
自分の体の中で淀んでいる魔力が精神にも悪影響を与えていることには気づいていた。
それでも、聖印を消そうとは思えなかった。
そんな折、魔獣討伐隊のメンバーに選ばれた。
神聖騎士団・第一騎士団・第二騎士団から一定人数選出するとはいえ、フラフラで弱い僕がなぜ、と思ったけれど。
案の定、ドジを踏んで巨大なカマキリみたいなやつに腕を切り落とされてしまった。
団長が応急処置をしてくれたおかげで死なずには済んだが。
あの戦いはひどかったな。何人か死んだ。
僕が腕を失った翌日、凄まじいまでの聖なる波動が国中を包んで、魔物は消えるか弱体化した。
その後なんとか王都にたどり着き、王立病院に入院したけれど。
血を多く失ったし、体力がさらに落ちていると感じていた。
そろそろ命が尽きそうだな、やっと終われる、と思っていた。
――それなのに。
治療師とか名乗っていた新しい聖女が、聖印を強引に消し去った。
許せない、と思った。
いったい何の権限があってそんな真似をするのか。
まったく関係ない、なんの事情も知らない他人が土足で僕の聖域を汚した。
目の前にいるけが人を治せればそれで満足なのか。聖女として優秀だと、己に酔っているのか。
思い知らせてやりたい、と思った。
病院ではずっと意識のないふりをして団長の油断を誘った。
古い手だが、勝手に病院を出る際は枕やクッションをベッドに詰めて発見を遅らせた。
騎士の身分証で閉門時間ギリギリに城門内に入り、聖女の部屋の近くの木の上で窓の下の見張りのスキをうかがう。
幸いなことに団長はいろいろと事後処理に追われてあちこち奔走していて、まだ城に帰ってきていない。
チャンスはすぐに訪れた。
聖女の部屋の下の警備をしていたトムが、木の下で寝はじめた。
真面目そうな顔して堂々とさぼってんのかよ。こいつは居眠りトムと名付けよう。
トムが寝くさってる隙に風と土の複合魔法で足場を作って、聖女の部屋に侵入する。
僕の存在に気付いても余裕なその様子に腹が立って、辱めると言った。
その時彼女は初めて恐怖の色を見せた。
別に本気でそうしようと思っていたわけじゃない。女を力ずくで、なんて趣味はないし。
彼女が怯えて泣いて許しを請えばそれで溜飲を下げるつもりだった。
それが歪んだ考え方であることは自覚している。
強引に聖印を消したとはいえ、それが僕の命を助けたことは事実だし、気絶している間に腕までつないでもらった。
本来なら感謝こそすれ恨みをぶつけていいはずはない。
わかっている。わかっているが、やっぱり許せなかった。
良いことをしたと悦に入っているであろう聖女に、その傲慢さを自覚させ、僕の怒りと苦しみを知らしめたかった。
だが、次第に彼女の表情から恐怖が消え、ふてぶてしい態度になった。
そして僕はみっともなく彼女にボコボコにされた。
情けない。
腕がついたばかりだとはいえ、体力がないとこんな有様なのか……。
負けたことが悔しくて、その三日後に再度侵入した。
窓の下の警備はもちろん居眠りトム。また寝てた。終わってるなこいつ。
月明りだけの暗い室内にそっと侵入する。
大きなベッドの上に横たわる影。シーツの上に艶めかしく流れる淡い金色の髪。
静かに近づく。今日は起きる様子がない。
「壁どん」(ネーミングむかつく)は手を前に出す動作が必要になるから、近づいて腕さえ押さえてしまえばこっちのものだ。
押さえた後どうするか……怖がらないんじゃ意味がないんだけど。
いや、さすがにベッドの上で押さえつけられればあんな余裕な態度はとれないだろう。
まあ成功してから考えるか。
「夜這いは困りますわね」
聖女の声がベッドからではなく後ろから聞こえ、驚いて振り返る。
笑顔の聖女が何かを僕に向かって投げつけたと思ったときには、目の前に何か広がっていた。
「網!?」
網にからまって身動きがとれなくなる。
風の魔法で切り裂こうと思ったそのとき、聖女が僕に聖印を施した。
「く……!」
投網が得意な聖女なんていていいのか!?
なんなんだこいつは!
「元気になってからいらしてと言ったのに。せっかちですわね。ああ、防音結界はわたくしが聖なる力で張り直しましたからご心配なく」
なんとか首を動かしてベッドを見る。
そういえば、ベッドの上のふくらみはさっきからぴくりとも動いていない。
「そこに横たわっているのは布団をかぶった枕とかつらです。わたくしの脱走グッズですわ」
脱走グッズ?
なんで聖女がそんなもの。
見た目は儚げなくせに、前回といいなんでこんなにお転婆なんだよ!
「今日もあなたの負けですわ。まずは体力をつけなければお話になりません。ちゃんと食事をしているのかしら?」
「大きなお世話だ」
悔しい話だが、聖印が消えて魔力の流れが正常に戻ってから、空腹を感じるようになった。
睡眠のほうは昔のように何度も目が覚めるけど、それでも眠たいという感覚が戻ってきた。
徐々に健康を取り戻そうとする体。生きたいと主張する体。
それが、恨めしかった。
「何事も体が資本ですわ。わたくしに復讐したいのでしたら、元気になることですわね」
「僕が元気になったらあんたは困ることになると思うけど。後悔するなよ」
そんな憎まれ口を叩いたのに、彼女は全てを受け入れるような優しい微笑を見せた。
ふいにそんな顔を見せられ、なぜか落ち着かない気分になる。
だが、優しい微笑はすぐに影をひそめ、かわりに人を小ばかにするような悪女の微笑が浮かんだ。
「せっかく綺麗な顔をしているのだから、そのこけた頬と目の下のクマをどうにかしなさいな。そうしたらもう少し遊んで差し上げるわ」
聖女が優雅な動作で手を床に向ける。
僕は床どんによってものすごい勢いで窓際まで転がされ、ふらふらになったところで網から解放された。
よろよろと立ち上がったところで、背中から思い切り押される。
窓が開いている。
落ちる。三階から。
ちょっとまて、聖印があるから魔法が……!
と思ったけれど、風の魔法が僕を守るように発動し、一瞬だけ体が浮いて地面についた。
自分の魔力だ。いつの間にか聖印が消えている。
さっき押したときに聖女が消したのか?
「ごきげんよう」
優雅に手を振り、聖女が窓を閉める。
居眠りトムが起きそうな気配を見せたので、僕は慌ててそこを去った。
悔しい。
なんでこんなに軽くあしらわれてるんだ。
復讐どころかゴロゴロ転がされてるだけじゃないか。
どうにかして泣かせてやりたい。
それにしても、何故あの聖女は警備を強化しようとしないんだ。
レオや団長に相談すれば、いくらでも僕の侵入を防げるはず。
……もしかして。まんざらでもないのか?
と思って三度目の侵入を試みた。
警備はもちろんトムだけど、トム率高すぎないか!?
もしかしてここなら居眠りできるからと、自分でここの警備の担当を買って出ているのかもしれない。
この国のセキュリティやばいな。
魔法で窓のカギを開け、そっと窓を開くと。
そこに聖女が笑顔でたたずんでいた。
まさか、やっぱり……。
「今日は眠いので遊んであげられませんわ。壁どん」
魔法で作った不安定な足場にいた僕は、けっこうな距離を吹っ飛ばされた。
風の魔法のおかげで怪我はしなかったけど……くそ、あの女!
こうなったら意地だ。
何がなんでも泣かせてやる……!




