第11話 幼きセティウス
レオを引き取って半年ほど経ったある日。
神官長が、私のもとに突然小さな男の子を連れてきた。
「神官長、その子は?」
「とある貴族の子でして。今日は聖女様にお願いがあって参りました」
なるほど。
私のお願いはまったくかなえてくれない神官長が、私にお願いがあると。
なるほどなるほど。
ハゲればいいのに。
神官長はどうでもいいけれど、小さな男の子が気にかかる。
年齢は四歳になるかならないかくらいかしら。
ふわふわの銀色の髪に、つるつるのほっぺ。なんてかわいい子。顔立ちもすごくきれいだわ。
けれど、きれいな緑色のその瞳には、何も映っていないかのようだった。
ただじっと前を見て、おおよそ感情というものが感じられない。
子供にしてはぷっくりお腹でもなく、痩せている。
「その子に関するお願いでしょうか」
「はい。この子に聖印を施していただきたいのです」
「聖印を……?」
こんな小さな子の魔力を封じろと?
けれど、たしかにこの子の中に子供とは思えないほどの魔力を感じる。
「この子は感情が高ぶるたびに魔力を暴走させましてな。身の危険を感じた保護者から聖印を施していただけないかと依頼があったのです」
どうしようかと、迷う。
魔力の強い人間というのは、魔法を使うか、体から余剰な魔力を放出することで体に魔力が溜まりすぎないようにしている。
聖印を最も強力に施せば、魔法が使えない上に魔力の放出もできず、出口のない魔力が体を蝕む。
けれど適度に弱めた聖印なら、魔法は封じるけれど魔力の放出は阻害しない。
だから、聖印の強さを加減すれば体に悪いわけではないのだけど。
こんな小さな子供に施すというのが躊躇われる。
魔力暴走も一種の魔法だから、聖印で抑えることはできるだろうけど……。
「おねがいします。せいいんをしてください。そうしたら、お母さまがこまらないから」
男の子が視線を合わせないまま言う。
感情が見えなかったその瞳が悲しそうに揺れて、胸が痛んだ。
この子はいったいどういう環境で育ってきたんだろう。
「わかったわ。あなたがそう言うのなら。痛くないから、心配しないでね」
男の子がこくりとうなずく。
彼の元にしゃがみこみ、胸にそっと手を当てる。
効果を弱めた聖印を、ゆっくりと施していく。
「おお、さすがですな。ありがとうございます聖女様」
「いいえ」
あなたのためじゃありませんから。
「体に害を与えない程度に施しているので、三か月前後しかもたないと思います」
「承知しました。ではその頃にまた」
神官長は男の子を連れて出ていった。
―――そうしたら、お母さまがこまらないから。
男の子のあの言葉が気にかかる。
魔力暴走を恐れるあまり、難しい親子関係になっていたのかもしれない。
聖印で暴走を抑えたことで、いい関係になるといいのだけど。
それから三日ほど経って。
おやつを食べ終わったレオが、そういえばさ、と切り出した。
「この神殿にへんなチビがいたぞ」
「えっ?」
「なんか暗い顔した銀髪のチビが、そこらへんをボーッとうろうろしてた。神官の子供とかなのか?」
「……!」
レオに出かけてくると言い残し、私は慌てて神官長の部屋に向かった。
「どういうことですか?」
神官長の執務室に入るなり詰問する私に、神官長が面倒くさそうな顔を向ける。
「何がですかな?」
「先日聖印を施したあの子は神殿にいるのですか?」
「ああそれですか。聖印を施したあとに引き取りに来るはずが来ませんでな。連絡を取ったら、神官見習いとしてしばらく置いてほしいと」
「……!」
引き取りに来なかったですって!?
じゃああの子は……。
「それであなたはあの子を神殿の中に放置していたのですか」
「放置とは人聞きが悪いですな。個室も与えましたし食事も着替えも用意しています」
「それだけ? あんな小さい子に。面倒を見る人間は? 神官見習いというのなら、教え導く人は?」
「なにぶん急なことでして。そんなに気になるのなら聖女様が面倒を見て差し上げても構いませんよ」
さも面倒くさそうに言う。
グーで殴りたい。本気で。
「そうですか。ではそうします。その代わり生活面であの子が困らないようにしてくださいね。貴族であるあの子の家から十分な寄付金をもらっているのでしょう」
「!! な、なぜそのような」
「面倒を見ていないとはいえ、あなたがタダで引き取るわけがない。細かいことは追及しませんから、あの子が困ることがないよう。お願いしますね」
「……承知しました」
これ以上の問答は自分が不利になると思ったのか、神官長は引き下がった。
私はドアを蹴飛ばして開け、そのままドアを閉めもせずに立ち去った。
神官長が驚いた声を出していたけど、もうどう思われても知るか!
神殿の中をウロウロしているとのことだったのでさんざん探し回った結果、教会で彼を見つけた。
礼拝や懺悔の時間以外は基本的には立ち入り禁止となっている教会の中には他に誰もおらず、小さな銀色のふわふわだけが椅子の背もたれの上から見えた。
彼は何をするでもなく、じっと座って女神像を見ていた。
小さな子供を抱き、やさしく微笑む女神像を。
「こんにちは」
驚かないよう、声をかけてから近づく。
彼はのろのろと振り向いた。
「せいじょさま」
「隣に座ってもいい?」
「……はい」
体が触れない程度の距離をあけて、隣に座る。
彼の視線は、また女神像へと固定された。
「あなたのお名前を聞いてもいいかしら」
「セティウスです」
「そう。綺麗な名前ね」
それ以上は何と言っていいかわからず、黙ってしまう。
どこまで話せばいいものか。
考えを巡らせていると、セティウスがせいじょさま、と話しかけてきた。
「なあに?」
「ぼくは、すてられたんですね」
ぎくりと体が強張る。
なんて答えていいかわからない。
セティウスの視線は、相変わらず女神像に注がれたまま。
「せいいんをすれば、お母さまがむかえにきてくれるって思ってました」
緑色の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
この子は感情が無いわけじゃない。抑えていただけだ。
鼻の奥がつんとする。
思わず、セティウスを抱きしめた。
小さく震えていたセティウスは、私にすがりつきながら大声で泣き始めた。
かわいそうに。こんなに小さいのに。こんなにかわいい子なのに。
たとえこの子の力が恐ろしいものであったとしても、どうして。
私にはわからない苦しみが母親にもあったのかもしれないけど、それでもこの子を迎えに来てあげてほしかった。
セティウスは泣きつかれて眠ってしまうまで、私を離さなかった。
私はセティウスの部屋を自分の部屋の近くに用意してもらった。
その夜は絵本を読み聞かせ、頭を撫でながら寝かしつけた。
眠りが浅く、立ち去ろうとするとすぐに起きてしまうので、結局朝までそこで過ごしてしまった。
また嫌な噂を立てられたらと思ったけれど、さすがにこんなに小さい子相手に言う人はいないだろう……と思いたい。
食堂ビンタ事件からそれほど経っていないから、今は表立ってどうこう言う人もいないでしょう。
セティウスのことは、セティと呼ぶことにした。
そして私が魔法についての基礎知識なども教えることに。
セティはどうやら火土風水すべての属性に適性があるようだった。すごいなんて言葉じゃ表せないわね。
私は四属性の魔法は使えないけれど、力の使い方や知識はどの属性でも同じだから基本的なことを教えることはできる。
私がセティの面倒を見ることになったと知ると、レオは盛大にいじけた。
そっちの小さいののほうがかわいいんだろ! と。
お兄ちゃんになった子ってこういうものなのかしら。いじけるレオもかわいいわ。
セティのいないところでレオを思いっきり甘やかして大好きだと伝えると、そのうちレオもセティを受け入れるようになった。
三人で一緒に食事をし、おやつを食べ。
時々は神殿の裏手にある森にピクニックにも出かけた。さすがに護衛はついたけど。
セティは少しずつ感情を表に出すようになってきた。
初めて笑ってくれた時は本当にうれしかったわ。
不安感が強いのか眠りが浅いのは相変わらずで、時々夜中に私のベッドにもぐりこんできた。
部屋の前にいる警護の騎士には彼がきたら通すように言ってあったし、小さな子供だったからそれを咎める人もいなかった。
そういう時は決まって私に抱きつき、しくしくと泣きながら眠った。
それを知ったレオはずるいぞと怒りながらも、セティと一緒の部屋で寝ると言い出した。
ミリア様と一緒に寝かせるくらいならオレが一緒に寝る、それに誰かいたほうが安心するだろうと。
神聖騎士団の詰所で寝泊まりしていたレオは、簡易ベッドをセティの部屋に持ち込んでそれ以降ずっとそこで眠った。
セティはセティで最初は嫌がっていたけど、私の部屋に夜中に来ることはなくなった。
しかも本当に安心して眠れるようになったようで、顔色も良くなり、食欲も増した。
ほっぺもつるつるのぷくぷくになってかわいいったら。
レオのおかげね。兄弟ってきっとこんな感じなのね。
聖印は消えそうになったら本人の希望もあって再度施してはいたけれど、時々解除して少しずつ魔法の練習も始めた。
身体の未熟さに対して魔力が高すぎたから不安定ではあったけれど、徐々に魔法の使い方も安定していった。
もともと魔力を持つ人間は本能的に魔法の使い方を知っているのよね。
それに、大人になれば魔力のコントロールもより上手になる。
子供が大人になるにつれ感情のコントロールをおぼえるように。
セティの面倒を見始めてから二年と少し。
その間、セティの家から迎えが来ることはなかった。セティももう帰らなくていいと言うようになった。
セティはいつもミリア様大好きと甘えてきた。
表情も豊かになり、髪も肌も輝くようにつやつやなセティは、まるで絵本に出てくる天使のようだった。かわいくて仕方がない。
だんだん男の子らしくなっていくレオとはまた違ったかわいさがある。どっちも大好きでかわいいけど。
けれど、同時に心配にもなった。
セティは、私に懐きすぎている。そして私とレオ以外には一切心を開かない。
―――最近、私の力に陰りが見え始めた。
聖女じゃなくなれば、私はここを出ていかなければならない。
騎士見習いと神官見習いであるレオとセティはここに残る。
それが二人に、どういう影響を与えるか。
セティは特に心配だわ。
できれば、何か仕事をしながら王都に残りたい。貧しくてもいいから。そして時々は二人に会いたい。
年金はいくらでいつまで出るのか。
神官長がのらりくらりとはぐらかすけれど、そろそろ脅してでもはっきりさせなきゃ。
レオ、セティ。
二人を引き取ったのは、私のエゴだったんだろうか。
別れのことを考えもせず、二人の子供に愛情を注いできたのは正しいことだったのか。
じゃあ二人とも引き取らなければ良かったのかといえば、やっぱり過去に戻っても同じことをしてしまうだろう。
何が正しいかわからないまま、それでも少しでも長く二人の側にいられるようにと、ただ祈った。




