第10話 思わぬ再会
無事裏門を通り、私は目深にかぶっていたフードを外す。
私の負担にならないようにしているのか、レオは馬を比較的ゆっくりと進めていた。
「ふう……危ないところでしたわね」
「そうですね」
不機嫌そうな声が頭のすぐ後ろから聞こえる。
仕方ないわね。脅して脱走の協力をさせたのだから。
「レオは顔が広いんですのね」
「まあ、日ごろの行いですよ」
「日ごろ……レオは日ごろから女性を連れて外に出たりするのかしら」
「……さあ」
はっきりいいえと言わないということは、そういうこともあるのかしら。
レオももう二十六歳だもの、大人すぎるほど大人なのよね。
結婚していてもおかしくないくらいだけど、さっきの門番の言いようだとまだ独身みたいね。
「それにしても、この国のセキュリティは大丈夫なのかしら」
「聖女が窓から脱走する国ですからね。全般的に平和ボケしているというのは否定できません」
「そうですわね。でもこの国は平和ボケしているくらいが丁度よいのです。女神様は平和を愛するのですから」
この国にのみ、聖女の卵である光属性の魔力を持った女性が生まれるのは、この国が最後まで中立を貫いたためと言われている。
はるか昔、大陸に小さな国々が点在していた頃には、大陸のあちこちに聖なる力や光の魔力を持った女性が生まれていたという。
けれど西帝国と東帝国が同時期に周囲の国々を併呑し始めたと同時に、そういった女性はぱったりと生まれなくなった。
さらには、戦争が続くほど瘴気が濃くなっていき、魔獣が跋扈する地になったため戦争どころではなくなったという。
その瘴気を鎮めたのが、この国に生まれた「初代聖女」だと言われている。
二つの大国に挟まれた吹けば飛ぶような神聖王国は、唯一女神の加護を失わなかった国と言われ、今も攻め滅ぼされずに済んでいる。
そしてその恩恵を周辺の小国も受けている。
東西の帝国も、今は領土拡大は止め内政に力を注いでいるとか。
「女神、ね。本当にいるんでしょうか」
「わたくしの力がその証拠でしょう。けれど、女神様は別の次元にいらっしゃると言われています。姿を見せたり人々の祈りに対して直接力を貸したりはなさいません」
「あなたのお力は疑うべくもありませんが、誰も見たことないんじゃ女神の存在は怪しいですね」
「人が魂のみの存在になった時、女神様がいらっしゃる世界に行くと言われていますが……」
ほとんど聞こえないくらいの声で、レオが「ミリア様も……」とつぶやいた。
彼はまだ、ミリアの死を引きずっているのかしら。もう十六年も経つというのに。
ミリアは生まれ変わって目の前にいると知ったら、彼はどうするのだろう。喜ぶかしら。
でも、その生まれ変わりがまた目の前で死んでしまったら?
それに、私はミリアの生まれ変わりではあるけど、ミリアそのものではないわ。
容姿はもちろんのこと、内面もやはり少し違うと感じている。
その違いが、彼を傷つけるかもしれない。
彼にとってのミリアは、もう彼の心の中にしか存在しない。
前を向いて生きていくのに、“生まれ変わったミリア”は邪魔な存在になってしまうかもしれない。
「聖女様」
「はい」
「死んだ人間は、女神のそばで安らいでいるのでしょうか。それとも……無になってしまったのか」
「白き世界で安らいでいるのか、……生まれ変わっているのか。でもきっとどこかにはいますわ」
「……」
手綱を握る彼の手に、力が入る。
その手に自分の手を重ねてしまいそうになるのを、私はかろうじてこらえた。
「女神がいるのは、白き世界とやらなんですね」
何かをごまかすように、レオがつぶやく。
「そうですね。一面温かな白い光に包まれた……」
あれ?
私、何を言っているのかしら。
白い光? なぜそんなことが口をついたの?
ああでも。
はっきりと思い出せないけど、死んでから生まれ変わるまでの間、そこに、いた、ような。
「聖女様。着きましたよ」
レオの言葉にはっとして振り返る。
馬はいつの間にか止まっていて、目の前には重厚なつくりの立派な建物があった。
「そのようですね。行きましょう」
レオの手を借りて馬を降り、フードを被る。
中に入ると、レオが受付で身分証明書を見せて何やら説明していた。
そのまま受付の一人が「こちらへ」と先導してくれる。
幸いにも私についてあれこれ聞かれることはなかった。
案内されて着いた場所は、通常の病棟からは離れたところにあった。
ここに運ばれたのは重傷者だけで、皆個室に入っているという。
案内係が去るのを見届けて、さてどうしたものかと考えていると。
個室の一つから神聖騎士の制服を着た男性が出てきた。
フードを目深にかぶっているせいで長身のその男性の顔はよく見えないけれど、肩章やマントからして、――神聖騎士団長!?
面倒な立場の人に見つかってしまった。
「レオ!?」
「団長」
「お前……駆け落ちなんて聞いていたが、どうしたんだ。探していたんだぞ」
「駆け落ちなんてアホな真似しませんよ。詳しいことは詰所に戻ったらちゃんと話します」
団長と親しげね。
それにしても、この団長の声、どこかで聞いたことがある気がするのだけど。
「そうか。下手したら死んでいるのではと思っていたから、ひとまず無事でよかった。して、そちらの女性は?」
「さ、さすらいの治療師ですわ」
しーん。
痛い沈黙が下りる。
レオが小さく吹き出した。
「……さすらいの治療師殿は何故ここへ?」
「重傷者の治療をしに」
「身元の不確かな方を重症の騎士に近づけるわけにはいかないのですが」
「そうですわね。けれど重症の騎士にこれ以上悪いことは起こりえないでしょう」
「あなたは傷を治療できると?」
「ええ」
「傷を癒せるのは聖なる力を持つ方のみと聞いておりますが」
「聖なる力には及ばなくても、光と水の魔法が使えれば治癒魔法は可能です」
それは本当。
ただし高度な技術がいるから、長年の修業が必要なのだけど。
ミリアとともに聖女候補だった女性のうちの一人が治療師になったはず。
今はどうしているのかしら。
「団長様。問答の時間が惜しいのです」
「……。わかりました。ではまずこの部屋の者を治療していただけますか? これ以上悪くなりようはありませんので……」
今しがた団長が出てきた部屋を指す。
「今最も命の危険がある者です。今夜を越えられないだろうと言われました」
「わかりました」
レオがドアを開けて私に入室を促す。中に入ると、団長も続いた。
広いとは言いがたい部屋のベッドに横たわっているのは、体中を包帯でぐるぐる巻きにされた男性。
あちこちに血がにじんで痛々しい。
意識も無い。
顔もひどく火傷していて、人相がわからないほどだった。
目をそむけたくなるような状態だわ。
「団長。アラン、だよな。危篤者のリストにあった」
「そうだ」
「顔もわからないほどじゃないか……こんなの、家族には見せられないだろう」
「ああ。だから危篤の連絡を躊躇っていたところだ」
「神聖騎士団の騎士でしょうか。火傷と裂傷が……ひどいですね」
「ここまで生きていられたのが奇跡です。“気”の力が強い者でしたし、気力で心臓を動かしているのかもしれません。妻と幼子が待っていますから……」
その言葉に、胸が痛む。なんとしてでも助けなくては。
ベッドに近づき、彼に手をかざす。
手のひらから聖なる力を放ち、彼を覆う。
焼けただれ切り裂かれた皮膚が、徐々に再生していく。
団長が息をのんだ。
皮膚にはもともと再生能力があるから治療はそう難しいものではないけど、こうまで全身に及んでいるとさすがに大きな力が必要になる。
けれど、絶対に彼を治す。彼を待つ家族が、悲しみの涙にくれないように。
そうしてしばらく力を使い続け。
「……終わりました」
一歩後ろに下がると、よろけてしまった。
それをレオが支えてくれる。
「なんという……ここまでのお力とは」
団長が口元を手で覆う。
その手の中で、信じられない、とつぶやいた。
ベッドに横たわる騎士の体からは、古傷らしきものを除いて裂傷も火傷も消えていた。
ひどく苦しげだった呼吸も、今は安定している。
「わたくしができるのはここまでです。傷を癒せても体力の回復まではできません。ですがおそらく命は助かったのではないかと」
「ありがとうございます。心から感謝いたします、聖女様」
「いいえわたくしは……え?」
今、聖女と。
「これほどのお力で、ただの治療師であるはずがありません。もしやと思っていましたが、やはり聖女様だったのですね」
レオを振り返ると、「ばれないわけないだろ」という顔をしていた。
ああもう、ばれたなら仕方がないわ。
これ以上誤魔化す時間も惜しいし。
私はフードを外し、髪にかけていた魔法も解いた。
「リーリアと申します。お察しの通り、聖女で、す……」
団長の顔を初めてはっきりと見て、気づいた。
優しげな青い瞳。整った顔立ち。
この人、ランス卿だ……!
彼が団長になっていたのね。平民出身なのにすごいわ。
ミリアがこの世を去る少し前に副団長になっていたけれど、それすら異例のことなのに。
太陽のような黄金色だった髪は、少し枯れたような色になっている。
お顔も年齢を重ねて渋みが増しているけれど、正統派美形だったお若い頃よりかえって……って私は何を。
ランス卿は急に言葉に詰まった私に一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐに礼をとった。
「お初にお目にかかります。神聖騎士団長のランスと申します。あらためて、部下を助けていただき心より感謝いたします」
「魔獣による傷なら聖女が癒すのが当然です。重傷者はあと何名でしょうか」
「通常の骨折などいずれ治る者を除けばあと三名です。第一騎士団、第二騎士団、神聖騎士団所属の者が一名ずつになります」
「ではその方たちの部屋にご案内下さい。いずれ治る方たちは、申し訳ないのですが。人目を気にせず使える力ではありませんし、使える力に限りもあります」
「もちろんでございます。むしろ残りの三名もお願いして良いのかどうか……」
「ランス卿。わたくしが助けられる人など、目の前にいるほんの数人に過ぎません。その数人を選んで治療するというのも不平等な自己満足に過ぎないとわかっています。けれど、助けられる人は助けたいのです」
ランス卿が優しい笑みを浮かべる。
ほんの一瞬、自分がミリアに戻ったような錯覚に陥った。
「貴女のような方にお仕えできることを嬉しく思います。まるで……いえ。次の部屋へまいりましょう」
「? はい」
ランス卿は何を言いかけたのかしら。
レオをちらりと見上げると、遠くを見るような目をしていた。
次の部屋は、視力を失った第一騎士団の騎士だった。
目に包帯がぐるぐる巻きにされている。
ぐーすか寝ていたので、そっと入ってそっと治療した。
さらに次の部屋は、片足の膝上を食いちぎられた第二騎士団の騎士だという。骨も一部欠損してしまったとのこと。
骨の欠損は治すのが難しい。けれど、このままでは彼は歩けなくなってしまう。
彼には意識があるので、フードをかぶって入室する。
ランス卿が治療師を連れてきたと説明し、私が治癒の力を施す。目をそむけたくなるような傷が、徐々にふさがっていく。
――そろそろ、きつくなってきた。でも、まだいける!
皮膚や骨が本来持つ再生力を極力利用しながら、治癒を施していく。
次の人のために聖なる力を温存したから皮膚に跡が残ってしまったけれど、傷はなんとかふさがった。
「どう、でしょうか。歩けますか」
頭がくらくらしてきた。
でもまだだめ。あと一人。
騎士はおそるおそるベッドから下りて、立ち上がった。
そして一歩、二歩とゆっくりと歩く。
「あ、歩け……ます……」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、彼はその場で土下座した。
「き、騎士様!」
「ありがとうございます! もう騎士を辞めるしかないかと……故郷に帰って家族の負担になるくらいなら、命を、命を絶とうと……」
嗚咽しながら何度も感謝します、と繰り返す。
もしかしたら彼は貧しい家の出で、稼ぎ頭だったのかもしれない。
平民出身がほとんどの第二騎士団ではそういう事情を抱えた騎士が多いと聞いたことがある。
「どうかお立ちになってください。傷は癒しましたがまだ少しダメージが残っているはずです。無理をしてはいけません」
「ありがとうございます……オレのような者にまさかこのような……ありがとうございます聖女様!」
あ、ばれてた。
傷を癒せる人間は聖女しかいないと皆思っているみたいね。当たらずとも遠からずなのだけど。
ランス卿は騎士を立たせると、他言無用と言い聞かせていた。
騎士は何度もうなずく。
「返しきれない御恩のある聖女様を困らせるような真似はいたしません! ありがとうございます聖女様ぁぁぁ!」
だからその大声で周りにばれるっていうの。
レオが彼の口を力任せにふさいだ。
癒しの力は浄化の力とともに歴代聖女が持っているものだけど、かなり個人差があると前世の聖女教育で習った。
初代聖女様はかなりのお力だったらしいけれど、ここ数代はちょっとした傷を癒せる程度だったとか。
ミリアもそうだった。
そして皆、癒しの力とはその程度のものだと思っている。
だから、こんな桁外れの治癒力があると多くの人に知られるのは良くない。
まあ、彼は言わないでしょうけど。真面目そうな人でよかった。
「では次の部屋に行きましょう」
ふらつく足をなんとか進めて廊下に出る。
次の部屋に行こうとしたところで、レオが私の前に立ちふさがった。
こうして近くに立つとほんとに大きい。逞しいし、体に威圧感があるわ。
レオを引き取った時はギリギリ抱っこできるくらいの大きさだったけど、今やったら私はつぶれるわね。
「顔色が悪いですよ。後日にしたほうがいい」
「あと一人くらいは平気です。自分の限界は知っていますから。それに今の騎士のように思いつめているかもしれません。ランス卿、次の方はどのような怪我ですか」
「腕の欠損です。左腕を肘の上あたりから切り落とされました」
「ランス卿。そこまで大きな欠損だと……」
治せない。
さっきの治療でもギリギリできるかできないかのラインだったのに、そんな大きなものを再生させることは不可能だわ。
「腕は拾って私の紋章術で凍らせています。切り口もきれいです」
「それでしたら接合して治療することができると思います」
わざわざ腕を拾って凍らせて保存までしていたということは、聖女に治療してもらおうと考えていたのかしら。
たとえ縫い合わせても腕が動くこともないまま腐ってしまうだけだし。
「ただ……」
「ただ?」
「本人が治療を拒否するかもしれません。私は諦めたくないのですが」
「……? どういうことでしょうか」
レオの顔色が変わる。
「団長。まさか腕を切り落とされたのは」
「……。ああ。セティウスだ」
セティウス。
セティ。
前世で一緒に過ごした、もう一人の子。
騎士になっていたの……!?
案内された部屋は、少し離れた場所にあった。
ふらふらとドアに近づき、震える手で開ける。
鼓動がうるさい。
レオが何か言っているようだけれど、聞こえない。
ベッドの上で上体を起こして、窓の向こうを見ている銀色の髪の男性。
その体はひどく痩せている。
そして、包帯が巻かれた左腕は、肘上あたりで途切れている。
男性がこちらを向く。
感情が見えない、緑色の瞳。
濁ったその瞳の下には、ひどいクマがある。
――セティ。
「誰?」
「あ、治療師、です。腕の治療を……」
喉がカラカラに渇いている。
声がうまく出ない。
セティ。どうしてこんなふうに?
傷のせいだけじゃない。明らかに不健康な体。
「治療なんていらないよ」
「おいふざけんな」
レオが室内に入ってくる。
その瞳には怒りと、悲しみ。
「ああレオ。駆け落ちしたんじゃなかったの? フラれたのか。ざまぁ」
「そんなことはどうでもいい。治療を受けろ」
「こんなもげちゃったのくっつかないでしょ。それに別にいいよ、腕なんかなくたって」
「わたくしが……腕をつなげます。だからどうか」
「いらないってば」
どうして頑なに治療を拒むのだろう。
どうしてこの子はこんなふうに。どうして。
「治療を拒否するのはアレのせいか? お前はまだ……! そんな姿を見たら」
「あの方の名前は出すな」
凍り付くような冷たい視線と言葉に、レオが唇をかんだ。
静寂の病室に、ドアを開ける音がやけに響く。
ランス卿が室内に入ってきた。氷漬けの腕を抱えて。
「セティウス。もういいだろう。治療を受けるんだ」
「嫌です」
「その聖印はもう本来の役目を果たしていない。放っておいても何年ももたず自然に消えてしまうはずだ。だから……」
「言うな!」
聖印、ですって?
―――まさか。
私はセティに走り寄り、戸惑う彼のシャツをめくりあげた。
あばらの浮いた胸元の、その中央に咲く花のような紋章。
聖印。
かすかに残る聖なる力の波長は、ミリアのもの。前世の私が施したもの。
けれど聖印が十七年近くも消えずにいるわけがない。
一体どうして……!?




