#04 殺気を抑えるお薬が!
「心療内科までいかなくてもいいから、かかりつけのお医者さんに行って、抗不安薬みたいなのをもらってくればいいと思う」
「はあ?」
紗栄子は私の所作が生み出す殺気対策として、思っても見なかった方向から提案をブッ込んで来た。
サングラスも石鹸も香水も解るよ。でも、抗不安薬って……?
「紗栄子……あんた、私のこの殺気はおクスリで治るって言ってる?」
「まあ、言ってる意味わかんないよね。資料作ってきたんだ。見てみてよ」
紗栄子はノートPCでさっきまで表示していたグラフのウィンドウを閉じ、用意して来たという動画を再生し始めた。
「ホラー映画か。こういうの苦手なんだよね」
サイコホラー映画の一部を編集した動画だ。一人になった主人公を探して殺人鬼が屋敷を歩き回るシーン。隠れながら移動する主人公、それを追う殺人鬼。緊迫したシーンが1分ほど続いた後、ついに主人公が物音を立ててしまい殺人鬼がそれを聞いて振り向く。
「ひぃぃ怖い!」
「あんたと付き合ってると多少は馴れるけどやっぱ怖いよね、じゃ、次はこれ」
「あれ?あまり怖くない」
同じシーンだ。だが何かが少し違う。何が違うんだろう? 私は紗栄子に解答をねだった。
「これはね、私が頑張って一部再生速度を遅くしてみたんだ」
「どゆこと?」
「殺人鬼が音に反応するところ。ほらここ、主人公がうっかり物音を立てちゃうでしょ。そこでこの殺人鬼がばっ!とこっちを見るか、ワンテンポ遅れてこっちを見るか、なんだよ」
なるほど。ものすごく早く反応されると、こちらの一挙手一投足を見張られているようで怖い、そういうことか。
「ちなみに一番怖いのはこれ」
一番怖いと言って紗栄子が見せたのは、明らかに物音には反応しているのにしばらく考え込んでゆっくりこちらを見るパターンだった。
「怖い怖い怖い!」
「つまりそういうことだよ。皐月の反応速度は他人に比べ早すぎるかもしれないんだ。考えてみれば声をかけてから振り向くまでの速さとか、あんた尋常じゃないもんね。常在戦場っつーか……いつでも殺し屋の一撃を避けられるような緊張感でビリビリしてる、そんなふうに見えるよ」
うう……。納得できるけど傷つく例えだなあ。
「だからね、この反応速度を落とせばいいと思うんだよ。で、考えついたのがリラックスしてぽやんとする薬。それが抗不安薬なの。私も前に飲んでたんだけど何かとワンテンポ遅れるんだよね」
「でもそんな薬、お医者さんに言えばホイホイもらえるものなの?」
「かかりつけの医者がダメだったら……そうね。錦糸町とか亀戸の繁華街近くのお医者さんならすぐに抗不安薬出してくれるよ。職業的に辛い人も多いからね。就活で落ちまくってちょっと最近眠れないって言えば何の問題も無く処方されるよ、きっと」
いちいち納得できるけど、なんでそんなところに頭が回るんだか。天才かこいつ。
結局、私は錦糸町のクリニックまで行って抗不安薬を30日分出してもらった。就活で400社以上落ちて、不安で眠れないと説明したら割とすんなり処方してもらえたところを見ると、その手の患者さんは多いんだろう。
帰り道、JR錦糸町の駅ビル四階の喫茶店で私は出してもらった薬をお冷で飲んでみた。ただの白い小さなタブレットだけど、効果に対する期待は大きい。
薬を飲んで1時間ほどして、少し頭がぽやんとしてきたところで私は総武線に乗って家路についた。昼間に千葉方面に行く総武線は、幕張でイベントでもない限り座れるくらいには空いている。私はドアにほど近い席に腰掛け、サングラスをかけた目で外を眺めていた。
「ちょっとすいませんね……」
「!!!」
隣の車両から移ってきた初老の男性が軽い会釈をして私の隣に座った。どんなに混んでいる車両でも何故か一人分は必ず空いていた席。そこに人が!
『亀戸、亀戸でございます。東武亀戸線は~』
「ああ、着いちゃった……」
車内アナウンスを聞いて、私は涙が出そうになった。電車を降りたくなかった。私は、たった一駅で降りるのが勿体ないくらいと思えるくらい「自分の隣に人が座った」ただそれだけのことが嬉しかったのだ。
亀戸駅の階段を降りるとき、私の胸は希望に満ちあふれていた。脂肪じゃないよ? 希望だよ? だって、サングラスと抗不安薬作戦で、次の面接こそはそこそこやれるかもしれないんだから。
ドクターストップやコールド負けじゃない、ちゃんと最後まで戦える。まずはそれで十分だ。
ちょっと眠くなったりぽやんとするけど、今までの勉強や面接対策できっとそのへんはカバーできるよ。うん。
その後も紗栄子による、SKD値を減らすための工夫は続いた。表情筋の動きを変えるためにボツリヌス菌を注射したりだとか、相手の注意を逸らすための服装だとか、結構お金もかかったけど背に腹は変えられない。私は在宅でできるバイトや、人と合わずに済む交通量調査なんかのド短期バイトを詰め込んで頑張った。
そんな忙しくも充実したある日、家で卒論の参考文献を読んでいると紗栄子から電話がかかってきた。
「あ、皐月? あんたに会いたいって人がいるの。ちょっと西大島のロイヤルホストまで出てきてくんない? あ、薬は使わないで」
「え?」
藪から棒な紗栄子の呼び出しだが、何やら意味深でもある。呼び出すにしても普通は用件の一つくらいは電話で言っておく間柄なのに。
私がロイヤルホストに到着すると、紗栄子が手を降って私を迎えてくれた。普段と同じ笑顔。いつもと違うところがあるとすれば、紗栄子の対面に私の知らない中年男性の姿があったことだ。
私が紗栄子に促されるまま席に向かうと、その中年男性は名刺を取り出して挨拶をしてくれた。
「はじめまして。私、イベント警備会社で採用を担当しております。浅川と申します」
男はニコニコして私を見ていた。