#03 殺気の単位はSKD!
「とりあえず、サングラスには一定の効果があることが分かったよ。まだ検証段階だけどね。回数を重ねるごとに鳩が殺気に馴れちゃってた分の算出ができてないのがもどかしいわ。次は1回目にサングラスをして計測しないとね」
久しぶりによく眠れた気持ち良い朝、私は紗栄子のノートパソコンの画面に表示されたグラフを見ていた。昨日の効果測定の結果だ。縦軸の単位はSKD。グラフはサングラスのあるなし、香水のあるなしでSKD値がどれくらい変化があったかがよく分かるように描かれていた。
「サングラスにはちゃんと効果があるわけね! すごい!」
私は声を上げて喜んだ。これを見る限りサングラスによる効き目は相当なものだ。周囲に与える殺気が 24.5SKD も減衰している。控えめに言っても凄い数字だ。
むしろ、どうしてこんな簡単なことすら今までやってこなかったのか? 1年前にタイムスリップして自分を叱り飛ばしたくなってしまう。小一時間ほど正座させて。
「うん。これで可能性が見えてきたよね。面接官が多少鈍ければって話だけど」
「可能性が全く無いのと、少しでもあるのとじゃ大違いだからね!」
紗栄子は自説の証明に鼻高々。私は開きつつある自分の未来に希望が持てて目がうるうるしてきた。
チキショー。まだまだ捨てたもんじゃないな人生ってのも!
「サングラスがダメなら散瞳薬って手もあるんだよ。瞳孔が開く薬。眼底検査をする時に使う薬だけど、こういうのでも随分印象が変わるんじゃないかな。視界がぼやけたり普通の照明でもやけに眩しく感じたりするからずっとは無理だけど面接中だけならなんとかなるでしょ」
「ふぇぇ……なんでそんな事知ってるの?」
「大学の近くにものすごく大きな眼科があるんだよ。そこから出てくる人達を駅で見ることが結構あるんだけど、何人かフラフラして瞳孔が開いてんのよね。それで一時期付き合ってた医科歯科の男の子に聞いてみたんだ。問題は散瞳薬の入手方法なんだよねえ。何かいい手を考えないと」
御茶ノ水界隈で全部帰結した話だな……って、え? 彼氏? いたの? 紗栄子に?
「ちょっと! 彼氏がいたとか聞いてないよ?」
「ここには連れてこれないからね。それに以前付き合ってただけだよ」
そうだ。ここは女性専用マンション。男子は親兄弟でない限り入り口のロビーまでしか入れない。ってそんなことじゃない。報連相はどうした報連相は? 随分薄いな女の友情!
いや……まあ、紗栄子に彼氏がいたかどうか、知ったところで私に何か出来ることはないな。紗栄子は私との付き合いはずっと大事にしてくれてるし、たぶん何かと考えた結果なんだろう。
うん、そうだ。今は殺気対策だ。不必要なことを考えるのはやめよう。紗栄子は一文の得にもならないことを私のために頑張ってくれているのに、私がつまらないことに拘ってああだこうだ言うのは筋が通らない。
私も女だ。筋は通す!
「それでさ、匂いの方はどうしようかなあと思ってるんだけど……。木場にドッグランがあるんだよね。興味ある?」
「え……ドッグラン?」
紗栄子が何を考えてるのかはよく分かる。効果測定の匂いバージョンを、より匂いに敏感な動物相手にやってみようということなんだろう。しかし……
「やめとこうよ……昨日動物園であんなこともあったんだし。それに体臭の殺気に及ぼす影響は予測値でも 5SKD くらいなんでしょう? 最後の詰めくらいで十分だよ」
昨日、上野公園に行ったついでと言うことで私達は観光気分で動物園に寄ったのだが、そこで結構酷いパニックを起こしてしまった。私がパニックになったのではない。パニックを起こしたのは動物たちだ。
そこで私達は知ってしまった。私の殺気を感じてただ怯える動物ばかりではないということを。殺気を感じ取り、戦闘態勢に入る動物 ――主に大型肉食獣だが―― が一定数いたのだ。
怯んでいては生き残れない。敵意を持って近寄るヤツを観察し、弱そうなら殺す。そういう覚悟を持って生きている動物たちに不用意には近寄ってはいけない。
スマトラトラの、ニシゴリラの檻に近寄った時に私はそれを心に刻んだ。
ドッグランに行ったとして、軍用にもなる大型犬や怖いもの知らずの小型犬が一斉に私に襲いかかってきたらどうなるか? 考えただけでも恐ろしい。
「お。SKD単位系に馴れてきたね。じゃあ、次なんだけど…今度は所作っていうかさ。体の動きで作る雰囲気みたいなものについて考えてきたんだ」
単位系ってなんだ。単位系って。
「う……うん」
「嫌なら止めるけど?」
「いや、是非お願いします」
乗りかかった船な上に、たった2日で十分な成果が出ているんだし、ここで降りる手はない。心理的負担はあるもののこれだけのプラスがあるのなら十分我慢の範囲内だ。
拾った神なんて言ってごめんなさい。
神様、仏様、紗栄子様、今はそんな気持ち。ただちょっと、何を言い出すか分からなすぎて怖いだけなの。