#02 殺気のせいで鳥たちが!
拾った神、紗栄子はちょっとすました顔をして立ち上がった。心して聞け、と言うからには演説でも始めるつもりなのだろうか。
何だっていい。私をこの苦境から脱出させてくれるヒントが貰えるのなら、紗栄子が今ここで新興宗教を始めたとしてもお布施くらい払ってやる覚悟はできている。
私は居住まいを正して紗栄子を見上げた。うん。私今、真剣だ。
「まず、あんたが出している『殺気』なんだけど、それが具体的に何なんだか、以前考えたことはあったよね?」
「うん」
当たり前だ。私がそれを考えないわけがない。私の人生の節目節目に立ち塞がる大きな障害なのだから。
「だよね。確か高校に入る時にも二人で散々考えたよね。あれから何年か経って多少は知恵もついたでしょう? 皐月、今のところのあんたが考えるあんたの『殺気』ってなんなのか、言ってみ?」
「ええとね、多分私の所作、目の動き、目つき、体臭、毛の逆立ち、姿勢、足さばき、呼吸、表情、話し方の組み合わせ。それによくわかんない壁を突き抜ける何か」
「お、高校入学の時より3つ4つ増えたね。じゃあさ、そのうちのいくつかは対策可能だよね?」
「へ?」
要素を細かく分けて一つ一つ対策するってこと? 風邪をひいたときに薬局で「風邪薬」を買うのではなく、熱には熱冷まし、炎症には抗生物質、咳には咳止めをお医者さんが処方するように?
「例えばこれなんかそうよね」
紗栄子はそう言うと自分のバッグの中から(あろうことか紗栄子は自分の部屋に帰る前に私の家に来ているのだ!)ちょっと派手なサングラスを取り出した。
「サングラスじゃん。ただの」
「そう。ただのサングラス。だけどこれであんたの殺気のうち目の動きと目つきはそんなに目立たなくなるでしょ?」
「わかるけどさぁ。就職の面接の時にサングラスなんかかけられないじゃん」
「そこは嘘も方便ってやつよ。紫外線を浴び続けると視力が落ちる病気なんですとか言えば、ちゃんとしたデザインのサングラスなら許されると私は見ている。ブルーライト対策が良くて紫外線対策が悪いなんてことあるもんか」
「な……なるほど」
確かに、そんな病気があるって何かで聞いたことがある。中学の時に1学年下でそういう娘がいたっけ。
「次に体臭だね。最近はコンビニで、きっつい男性の体臭を抑えるような石鹸とか売ってるのよ。これを何種類か買ってきて実験してみるってのはどう?」
「何種類も?」
「科学の基本は対照実験よ。石鹸Aを使う、ボディソープBを使う、香水Cを使う、どれも使わない、 そんな条件でそれぞれ効果測定して仮説を構築するの」
なるほど。家政学部の紗栄子から科学の基本を聞くことになるとは思いもよらなかったが言ってることは正しそうだ。
「でも、効果測定って? 『殺気』を計る測定器なんて見たことも聞いたこともないよ?」
「そうねえ。皐月、あんたどうせ明日予定なんてないでしょ? だったらちょっと出かけない?」
「何しに?」
「効果測定をしに、だよ」
詳細は現地で話すから、と押し切られた私はその日はそのまま床についた。紗栄子の言うことはなんとなく理にかなっている。もしかしたら対策とやらも上手くいくのでは―― そんな淡い期待を抱きながら……。
◇◆◇
翌日、私と紗栄子は上野公園にやってきた。
「いやあ、晴れたね。ちょっと暑いけどいい散策日和だわ」
「う、うん……」
紗栄子はどこでダウンロードしてきたのか変なカメラアプリを起動している。何が面白いのか良く解らないが、あちこちにスマホのカメラを向けてキャッキャとはしゃぐ紗栄子を見て私は何故かたまらなく不安になった。
「ねえ紗栄子……」
「はい、ここで一旦停止」
パンダ模様の郵便ポストにほど近い小径で私と紗栄子は立ち止まった。訝しげな顔をしている私の不安をよそに紗栄子はスターバックスのテラスに向けてスマートフォンをかざし、先程のカメラアプリをなにやら操作している。
「えーと、認識できたところで鳩が143羽いるね。じゃ、皐月、まずは素のままでここからあそこのスタバに向けて……そうだな、30歩歩いてみてくんない?」
「えー……」
「いいから!やるの!」
ええいままよ。この件はもう紗栄子の言うとおりにやるって決めたんだ。私はそう思って紗栄子の言う方向に歩き出した。
ぐるぽっぽぽぽぽぽぽ ぐるっぽぽっ ぐるっぽ
どばぅっ ばばばばばばばばばっ
「ぎゃぁああああああああああああ!」
「イヤァァァッ!」
私が歩き始めてほんの数秒で、それまで機嫌良く路上の餌や石をついばんでいた鳩や小鳥がすごい勢いで飛び上がり、逃げ出した。まるでハヤブサにでも狙われているかのような必死さで。
そのあまりの勢いに近くを歩いていた観光客達の悲鳴が公園中に響き渡っていた。運良く鳥の嵐から逃れた人達は私を化け物でも見るような目で見ている。
「えーーん紗栄子、いたたまれないよう。私どうしたらいいの?」
おちゃめに言ってみたが、私は本当に泣きそうになっていた。
「よしよし、戻っておいで」
紗栄子は何故か上機嫌だ。カバンの中から小さなノートを取り出してメモを取っている。何をしているのかと戻って覗き込んでいる私に、紗栄子が例のアプリの計測画面を見せて解説を始めた。
「143羽いた鳩のうち、131羽が逃げたよ。これが皐月の『素』の殺気。殺気度だからサツキ・キリング・デグリーということで SKD って名付けよう。えーと、91.6%が逃げたからこれを1.0SKDとしようね」
「いやあ! そんな不名誉な単位発明しないで!」
「まぁまぁ。必要なことなんだからさ。このあと30分ほど待って、また140羽くらい戻ってきたら今度はこのサングラスをかけて歩いていくのよ。それであんたの眼力の影響力が判るわ」
「ま……まだやるの?」
「当たり前よ。少なくともあんたの殺気の中で何が一番大きな影響力を持っているかくらいは特定しなきゃ、対策の立てようもないでしょ」
私達はその後、4回同じような実験をしてみたけど、5回めともなると鳩はすっかり私の殺気に馴れてしまい、あからさまにナメた態度を取るようになっていた。これはこれでなんか悔しい。
紗栄子はその減衰率がどうのと難しい思考を始めてしまいその日はお開きに。
疲れた。科学的なアプローチって、どことなくスパルタで体力勝負だ。でも、正解には近づいている気がする。
私はその日、久しぶりに気分良く眠った。