#01 殺気のせいで就職が!
「ねえ、私って実は神様なんじゃないかしら」
403通目の不採用メールを開いた瞬間、そんな言葉が口から零れ落ちた。東京都江東区、大島の女性専用マンション403号室。奇しくも同じ数字が並ぶ、私の部屋だ。
もう泣けない。「またか」という感想と「やっぱり」という諦めが、いつもどおり胸の底に澱んでいくのを、私はぼんやり眺める。403通。数えるのも馬鹿らしい、でも数えずにいられない。この夏だけで私のお祈りカウンターは37も進んだ。
「はぁ? 唐突に何を言い出すの。内定出なさすぎて妄想癖にでもなった?」
私の部屋の冷蔵庫から麦茶を勝手に取り出しながら、紗栄子が振り向いた。小学校の頃からの親友で、今はこのマンションの402号室に住んでいる。彼女が私の隣に住んでいる理由は後で話す。
「だってさ、これまでに403社の採用担当者が私の今後のご活躍をお祈りしてくれているんだよ。403人もの人にお祈りされるって凄くない? 神様に違いないでしょ」
「皐月。辛いのは判るけど現実見な。ちゃんと対策して、次の面接行き」
「対策はやってるよ。自己分析も企業分析も、業界動向もSPIも。人一倍やってる」
「あんたがちゃんと頑張ってるのは横で見てて知ってる。でも、あんたがやんなくちゃいけない対策はそこじゃないと思うんだ」
「……うん」
判っている。判ってはいるのだ。
◇◆◇
殺気というものを、実際に感じたことがある人はいるだろうか。
人の気配の中で最大級のもの。すなわち敵意。すなわち殺意。それをバリバリに撒き散らしながら普通の顔で渋谷の交差点を歩いている人間がいたとして、そんな人間を採用する企業が果たして存在するだろうか。
否。断じて否。
残念なことに私は、どういうわけか常日頃から、その殺気を周囲にダダ漏れで撒き散らしているらしい。
気配というのは多分、目配り、足さばき、姿勢、表情、呼吸、体臭、毛の逆立ち、話し方、そういったものの組み合わせだ。私の場合、それらの組み合わせがちょうどぴったり、人が殺気を感じる点で安定してしまっているらしい。紗栄子がそう言っていた。
誰かを殺したいわけじゃない、これだけは言っておきたい。東京に出てきたばかりの頃、都営新宿線で4日連続痴漢に遭った時は確かにそいつを殺したいと思ったけれど、あの男は私の目を見た瞬間に心臓がどうにかなって森下の駅で担架で運ばれていったのだから、もう十分お釣りが来ている。
そんな体質だから、他人と関わることではうまくいったためしがない。
教育学部を出て小学校の先生になりたかった。その夢は教育実習であっけなく砕けた。低学年を担当した初日、恐怖で5人の子供がひきつけを起こしたのだ。なんとか高学年にスライドして単位と教員免許はぎりぎり確保できたが、採用試験は撃沈。並行して出しまくっていた一般企業のエントリーシートも、面接という名の現場検証の場で全部落とされた。その戦績が、件のお祈りメール403通というわけだ。
最近では壁越しに私の殺気を感じる、という人も出てきた。もはや非科学的な領域に突入しつつある。
「皐月にはいいところもたくさんあるんだから、自己否定しすぎだよ。あたし、皐月がいなくなったらチョー困るもん」
紗栄子はとっくに私の殺気に慣れてしまっている。慣れればどうということはないらしい。空気を読むのが苦手な人や鈍感な人も、私の殺気にはあまり気付かないようだ。
「そりゃあ、あんたはね……」
このマンションで私の部屋の両隣は、私が入居した数ヶ月後から目まぐるしく住人が入れ替わった。更新時に不動産屋に確認したら、出ていった人たちは皆「異様な心理的圧迫感があり耐えられなくなった」らしい。短期サイクルで退去が続くものだから、ついには両隣が心理的瑕疵物件扱いとなり、紗栄子はそこに破格の安値で住み着いた。
それでも紗栄子の存在がありがたい。何もしなくてもそばにいてくれる。嫌わずにいてくれる。その事実は何者にも代えられない。
『次のニュースです。江戸川区で起きた連続殺人事件の新たな被害者が出た模様です』
「ケーサツは何してんだろうね。怖くて夜にコンビニにも行けないよ」
「ほんとよね」
殺された若い女性たちのことは気の毒だと思う。でも画面を眺める私の心は上の空だった。
私はこれからどうなるんだろう。彼氏も欲しい。社会参加もしたい。大きく言えば幸せになりたい。だけどこのままでは、それが凄く難しい。引きこもってでもできる仕事ってなんだ。小説家?
……ダメだ。泣けてきた。
その時、ぽすん、と紗栄子が私の頭を手刀で叩いた。
「しょうがないなあ。この紗栄子様が良い知恵を授けてやるから、心して聞きなさい」
捨てる神あれば拾う神あり。ここにもう一人、神がいた。
少なくとも私にはそう見えた。




