サブカルチャー崩壊論~某海賊漫画から
他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。
こんな引用の出だしで、"神様"と称された老大家を痛烈に批判した、当時中堅の……今では文豪と呼ばれる作家がいたが、その頃と比べても世の中の本質はちっとも変わってない。むしろひどくなったんじゃないか……とさえ思う。
それにしても、知恵・知識・経験なぞ大して持たず、短気で粗暴で、どうしようもない馬鹿者の私であるが、ずいぶんと長く耐えてきたものだ。――いや、耐えたのではない。そんな肯定的なことを言うものではない。言う資格など無い。
ただ単に、怯えていた。怖かったんだ。
(コレを否定したら、そのファン・信者たちに石を投げられる。あるいは利害関係者に骨も残らず焼かれる)
そんなことを考えて、怯懦にふるえていた。または――
(書いていじめられるの怖い。私がする必要はないさ。なにせ私程度が気付くんだ。きっと誰かが指摘して火中に突っ込むだろうさ。私は後ろをコソコソとついていけばいい)
こんな甘ったれ、他力本願、保身、翹望と言ったものに身を任せていた。私はそんな卑怯者だ。
それを書き始めた当初は、書くことで否定してやろう。ないし、センセーショナルな事をしてやろうと、多少の野心と虚栄心を持っていたことは否めぬ……。
ともかく、若気の至りと評するしか無い。勢い息巻いて書いた二次創作の一話目。投稿日付は、2012年08月。なんと5年以上も前。5年以上も怯え、現れることのない人を待っていたというわけか……。なんて無為。なんと情けないやつだ。
今でも頭の中でプロット・想定したセリフを忘れていないし、そもそもが二次創作なのだから、ストーリーもキャラクターも練る必要が大してない。書こうと思えば書けるはずだ。
しかし、書いた結果に怯えるばかり。批判対象は、名声がものすごいから、とても金持ちだから、恫喝訴訟などされたら、なんの対抗手段もないから……書けない。
そんな臆病者が、路端で身を小さく潜めながら、ボソボソと情けなく呟く、卑屈で惨めな様をどうぞ嗤っておくれ。
ことさらそんなつもりは無いが、人の楽しみに水を差す、冷やかし。愉快犯。あるいは、たわけ・うつけと見做すならば、それでも良い。蔑んでくれてかまわぬ。
私は別に、違背・アンチなんてことをしたいわけじゃない。むしろ、たくさんの夢や世界、知識、経験を見せてくれるあの業界が大好きで仕方がない。様々な話、表現を描き出す方々に敬意を持つばかりだ。だからこそやりたくない。
本来、私があのマンガを否定する。そんな必要はなかったはずだ。誰かが……そう、あの業界の第一線の方々、あるいは大御所、老大家……業界の誰かが、マトモな感覚を真実持っていて目を向ければ、それを否定するのが自然であるはずだと、今でも思っている。
例えば、胸に7つの傷をつけられた、怪鳥音を発すると共に攻撃する流浪の拳法家を描いた漫画。
主人公の彼は、第1話以前に許嫁を取られている。恋人を奪った。奪いに来た横恋慕男に対して、彼は『親の言いつけ、流派の掟がある。だから戦わない』だのと、文明が崩壊した無法の荒野において、力こそが法たる場に置いて、その場に居ない者の決めごとで戦いから逃れようとした。
結果、彼は胸に7つの傷をつけられ、婚約者を奪われた。それを知る者からは「女を奪われた情けない奴だ」と蔑まれることとなる。
悲惨であるが、この結果に異を唱えるだろうか?執り成し等をして、文明の中ルールを持ち出して助けるべきか?
あるいは、一度死んで、生き返った少年が、お化けや妖怪が跋扈する、オカルトな世界で活躍する漫画。
主人公である少年が、裏の武術大会の決勝戦。そこで絶体絶命なほどに追い込まれた時、周囲に評価されてる潜在能力を発揮出来ずに藻掻いている時、死んだ師匠が現れ、冷徹に、弟子の対戦相手に「目を覚まさせるために、コイツ(弟子)の仲間を殺せ」と助言を送った。
それに対し「見損なった」と、異議を唱える弟子の頭を叩き、このようなことを冷徹に言い放つ――
「これがお前が首を突っ込んだ世界なんだよ。弱いものは何をされても文句は言えない」
師が言葉を口にする前、少年:弟子は、師に対して何を求めたか?
会話から、師の旧友である対戦相手に手心を加えるように、間に立つように求めた。その様に見える。
ならば師は弟子に対して、冷たい現実を告げるのではなく、弟子の対戦相手である旧友に「手加減してやれ。お前も似たような経験をしているだろう」……とでも言えばいいのか?
または、某野球スタジアムの地下で世界中の強さ自慢。オレこそが最強だ。そんな自負心を抱く男たちが戦う闘技場。
そこで行われたトーナメント戦において、主催者に対して「(敵は戦闘続行を申し出ているが)相手を破壊した。自分の勝利を認めてくれ」などと言って、観戦していた世界最強と評される男に「この腑抜け。敵に勝ちを哀願するとは何事だ。消え失せろ!!」このような言葉、激怒のもとに、肩から心臓に達するまで袈裟斬りの手刀を叩き込まれ、頭皮を剥がされた闘技者。
そんな阿呆の肩を持ち、乱入者を責めるべきなのだろうか?
おそらくは、書き手も、読み手も、皆、口を揃えてこう言うだろう『――そんな事は、ありえない』と。
では―――
「海賊王になる」と、高らかに公言する少年は、目指す対象の海賊王……そう呼ばれた男のライバルとされる祖父を持ちながら、それに対抗・反逆をしようとせず。戦う決意を持つ素振りすらも大して見せず……。
あまつさえ"頂上決戦"と呼ばれる戦争の場において、敵の主戦力の一人で、道を塞ぐ祖父に対して「そこをどいてくれ」と哀願することは、ありなのだろうか?
祖父という身内である前に、敵である者に、いざとなれば助けを求めた輩を、皆、口を揃えて「大したやつ」などという世界。こんなのは、おかしいと言わないのか?
身内だから手心を加える?特殊な能力?血筋だから?――血筋か。なんだ、封建的な世界の頂点で君臨している貴族様と、変わらないじゃないか。
一方で否定しながら、主人公が同じ行動を取った場合は――良しと?バカバカしい。それは、ただの依怙贔屓だろう。
つまり、こういうことか?
例えば、野球狂いの親子の物語……。
主人公が3つ目に編み出した魔球。それはバットを避けるという正しく魔球だが、投げるごとに腕を破壊していく諸刃の剣。ソレを以ってパーフェクトという偉業まであと一息、腕の破壊は刻一刻と迫る。
偉業達成を目前の息子を打倒するに執念を燃やす父親は、その魔球の正体に迫り、刺客を放つ。
主人公――息子は、父親の刺客の状態を見て(いよいよ見抜かれた)と悟る。
その場面で父親に向かって「パーフェクトがもうすぐなんだ。もう、腕が壊れるんだ。刺客を下げてくれ」――そう、哀願するのがありだというわけだ。それが正しいと。
またあるいは、パンチドランカーの症状が明白で、戦えば廃人待ったなしのボクサー。
いよいよ彼が控室からリングに向かおうという時、それまで腐れ縁のお嬢様が想いを告白して「違約金も、その他の処理も全部するから行かないでくれ。好きな人に壊れてほしくない」と言う趣旨で泣きついた時に「わかったそうしよう」と受け入れる。
それだけならまだしも「その金は相手チャンピオンに渡してくれよ。八百長を申し込んで、オレにベルトを頂戴」などと、言うことはありなのか?
好意や情愛に甘えられる場面で、甘えを振り切り。
精神的であれ、肉体的であれ、死ぬことが前提の戦いに潔く向かい、挑む……そんな漫画を見て育った、書いた世代は、どうしてあんな、身内だから甘えるなどという、下衆なマンガを許すんだ。
マンガで例を出すのも飽きてきた。すこし現実のことで話そう。
挙げるならば、そう……30を数えずに亡くなった、今でも時折話題になる将棋指し。
晩年の……タイトル戦ではないが、トーナメント戦の王者という、一つの勲章がかかった決勝戦での対戦相手。七冠王という前人未到の偉業を成し遂げた棋士に「僕は、もうすぐ死ぬんだ。君はタイトルを持ってるじゃないか。だから、今回の勝ちを譲ってくれ」――こんなことを……悲惨な状態を訴え、情に縋り、トーナメント優勝を飾れば良かったのだろうか?
そんなことは絶対に言わないだろう。彼が今際の際において出た言葉は、将棋の指し手と言われている。文字通り、這ってでも、体が死のうとも戦い続けて逝った男なのだから。
だが、あのマンガを認めるのは、そんな誇りを貫いた将棋指しに対して「ああ、君はバカだな。相手に泣きつけばいいじゃないか」そう、嘲笑うことになるのではあるまいか?……勿論、対戦相手も含めて。
これだけ言ってもわからぬならば、経験した人数が世で最も多かろう受験がわかり易いか?
試験官が身内、あるいは知り合いだから、試験の答案を見せてくれ。あるいは特別な配慮をしてもらう。はては親が学校に金銭を渡して、合格する。
……それでいい。ということなのだろうか?
おそらくは9分9厘。いや、ほぼ10割。建前上・経験上『――そんな事は認めない、ありえない』と言うんじゃないのか?
だったら、なんだって、あんな許せぬ行動を……過去から営々と続いてきた中で、醜いと否定し続けたこと。美しくない。そんなことは許さない。そう見做す事を平気で行う。それを称える世界を描く。――そんな邪道マンガを礼賛するんだ。
仕事という世界で言えば、将棋や受験は、それほど関係ないかもしれない(真剣勝負の心構えと言うならば大アリ)。
しかし、漫画という世界で仕事をしている者たちは、過去に積み重ねてきたものを冒涜するマンガをどうしてを称えるのか。
長らくの疑問だったが、私はかの文豪のおかげで、やっと理由を推察する事ができた。まるでその頃と変わらない理由だろう。
家庭だ。女房だ。子供だ。我が身だ。……結局はそれだ。要は、妻子が、身内が、テメエが可愛いと言うだけか。
さてまたは、名誉か収入か……いずれにせよ、地位を、名声を、食い扶持を、死ぬまで失いたくないから、女房や世間に褒められたいから、認められたいから……批判してしまえば自らの利得を脅かす事になるだろう者に、手摺り低頭で「いやあ、君のマンガ素晴らしいねぇ」なんて媚びるのか。
醜い利己心と虚栄心ばかりじゃないか。その行動は自身の過去を否定すること、そのものだろうに……。
廉恥心というモノを彼らはもたないのだろうか?それとも能天気か?不感症か?はてまた無神経か?
ここ10年20年で様々な漫画家……大御所、御大、ベテラン、老大家。果てには無名の新人まで、政治や社会に対してご崇高な精神で『米国からの独立』だの『中国からの独立』、『嫌韓』、『腐敗に立ち向かえ』『政治とはこういうものだ』――などなどと、世の中と権力者など社会的地位を持つ者などに対して、お勇ましいことを賢しらに述べるモノが驚くほど増えていった。
アホウ。順序が違うわ。バカタレ。
お前らが、これまでをぶち壊しにするモノを書いた大馬鹿マンガに忠告、掣肘、諫言をしてこなかったのはなぜだ?
結局、お前らが誰よりも売上だの販売数だので"強いもの"とされる者に対して目を逸らし、かかわらないことで図に乗せて、煽て上げているんじゃねぇか。
腐ってんのは他の誰でもない、自分の関わる世界では戦おうとしないお前らだよ。
世の中を逼塞させているのは間違いなくオマエラだ。破廉恥どもめ。
なにか事が起きたら、ヤツラは自著をひけらかして、こう言うことだろう『それ見たことか、言うことを聞かないお前らのせいだ』――言ってろ。テメエの土俵を掃除してこい。そっくりそのまま言葉を返してやる!!
これほど言っても、あの駄作マンガをよしとするならば、老大家や過去にヒット作を産んだ者達は、自分の作品を書き直したらどうか?
自ら臨んだ勝負の場で、いざという時に、何かに対して甘える輩を肯定し、それが正しいと――。
あるいは受験生などに「どんどんカンニングでも何でもしなさい」「裏口入学、替え玉受験。なんでも構いませんよ」と、諸手を挙げて勧めるのは、いかがかな。
……私だって勿論、冒頭に書いたように、我が身が可愛い。はっきり言えば軽薄極まりないクズだ。そのために何年も無為に過ごしてしまった。だが、この一線だけは許せない。という感情を喪うことはなかった。だからこそ、恐縮しながらも書いている。
ああ、それでも、やはり、私の根っこにある卑しさは、アイツラと同じ。五十歩百歩。
だから、アイツラの自分を棚に上げて――人にあれをしろ。こうした方がいい。などと偉そうに言ってる輩を見てると、酒のんで、ゲロ吐いて……口と鼻に残った、胃液と食い物と酒が混じった、汚濁臭を嗅ぐ様な、惨めで、情けない気持ちに成るばかり。
しかし、まったく。サブカルチャーから現実の政まで、ラスコーリニコフの様に『自分だけは特別だから何をやっても許される』などと言い出しかねないウヌボレ屋が増えた様に思う。そんなヤツに限って、どいつもこいつも、自分より強いもの、自分の飯のタネや権勢に関わる者にはヘコヘコ、ペコペコとしていやがる。
それもこれも……。皆さんお待ちかね。そんな決まりきったようなパターンで、いちいちピンチに陥って、そこに都合のいい助けが有って「ドン!」などとやってる某海賊マンガ。それを「友情」だの「絆」だの「感動的」などと言って崇め、褒めちぎる周囲の馬鹿者たち。あるいは"触らぬ神に祟りなし"――とばかりに放置する者。彼らの功績が大きいと思う。
しかも、アレはギネスの記録になっている。世界がそれを認めている。なんとおぞましい。
そんなモノを読んで、そんな中で育った……。おそらく性根の何処かで『なんとなしに、根拠なく、都合のいいことが起きるさ』などという考えが入力されているだろう、阿呆極まりない輩が多かろう世代が、いよいよ40,50の年齢となり、社会の中心として動くわけだ。それらを我が子らに見せる。次世代に引き継がれる。かくして世は腑抜けばかりになっていく――絶望。
間もなく終わる平成という時代は、自らの利得だけを考えるくだらない商売精神と、保身目的で権力者に胡麻擂り媚びを売るのが基本の、醜悪に精神が腐って行く斜陽の時代だったと思う。このままならば次の時代はおそらく、破滅の時代だと予想する。そして、長く積み重なった怠慢ゆえに、この修正は不可能ではなかろうか。
自覚のあるなしにかかわらず、ただひたすら今の身の上がために、諂諛する輩ばかりの現実にはうんざりするばかりだ。保身がために流れに身を任せよう。どうにかなるだろう。そんな考えの者達に、私は軽蔑の感情しか持てなくなっている。
こんな世の中、その中で生きてる私も、すべてが醜い。嫌悪ばかりだ。生きるのが辛い。苦痛だ。皆、惰性で生きるから変わらない。わかっている。それを冷笑しているうちに、疲れ切って、自殺をする気力など、ほぼ失ってしまった。
そうだ、これを読んで腹を立てた者……誰か、私を殺してはくれないか?
あとがき
身を顧みず、"小説の神様"と称される志賀直哉に挑んだ、織田作之助先生、太宰治先生、坂口安吾先生。
特権階級として産まれながら、生命すら捨てて身内・社会に挑もうとした三島由紀夫先生。
道を切り開こうとした先達に感謝と敬意を――愚直に挑んだ皆様がいなければ、書き上げる胆力が私に湧くことはありませんでした。
まるで及びません。迷惑だろうと思いますが、尊敬と共にこれを捧げます。