第一章 八
「おかえり。待ってたぞ~」
車を遥に任せ、先に本殿に入った連と私を出迎えてくれたのは、清だった。だがその清の姿がいつもと少し異なっている。
「……清、大きくなった?」
「お、気が付いたな。お前たちが戻って来るまでの間に、精霊たちから霊力を集めておいたんだよ。そしたらこうなった」
普段は手に乗る程の大きさの清だが、今はその倍くらいの大きさになっている。
「集めておいたって……」
「糸結びの儀、やるんだろ?」
「え?」
なぜ清がそれを知っているのだろう。呆気に取られていると、悪戯が成功した子どものように、清はニヤニヤと笑った。
「私はこの紬喜山の筆頭精霊だぞ。天下の清様が知らないことなんて、あるはずないだろう?」
「でも、儀式を行うって決めたのは連の家でだよ。山から離れてるのに、どうして?」
「山から周辺地域までが私の管轄だ。その範囲では全てが私の管理下にある。それに、そもそも誰がお前とあの子を引き合わせたと思ってるんだ?」
「え?」
「やっぱり気付いてなかったか。昨日、山道を走れと言ったのは誰だった?」
清に言われて昨日の出来事を思い出す。いい天気だから走り込みをしろと言ったのは、遥だった。体力づくりは修行の一環だ。昨日が特別だったわけではない。けれど、いざ走り込みをしようとしたとき、確かに清に訊かれた覚えがある。
――せっかくだから、山道に出たら? 巡回も兼ねてさ。
「でもあれは、木霊に挨拶するためだって……」
「あんなの建前。もちろん挨拶回りも神子の大事な務めだけど。それ以上に、昨日は重要な縁との出会いがあるってわかってたから薦めたんだ」
清がちらりと私の後ろを見た。そこには不思議そうな顔の連がいる。
「つまり、清には全部お見通しだったってことか……。流石は精霊様ですねぇ」
「そ。わかったら私を敬いたまえよ」
「はいはい」
清との話を終えると、連の方を振り返る。彼は何かを探すようにキョロキョロと辺りに視線を向けていた。
「そこに精霊がいるのか?」
「うん。気配がする?」
「あぁ。何かいる、気はする。悪い奴じゃないんだよな?」
「うん、もちろん。これからすることに、清も力を貸してくれるよ」
「そうか。……精霊様、よろしくお願いします」
連は深々と頭を下げる。なんとなく察知しているのか、彼の正面には確かに清がいる。清は満足そうに頷くと、連に向かってニカッと笑った。
「それじゃあ準備してくるから、暫く待ってて」
「あぁ、わかった」
本殿に連を残し、私は自室に戻る。箪笥を開けて取り出したのは、真新しい白衣と緋袴の神子装束だ。神子装束を着るのは、四年ぶりに近いが、今の背丈に合わせて新調されたこれを着るのは初めてだ。
緊張しながら襦袢を身に着け、白衣の袖に腕を通す。滑らかな布地が肌をこする感触が気持ちいい。白衣を着ると、次に緋袴に手を伸ばす。
「よかった、忘れてない」
着替えを終えると、自分の姿を改めて確認する。身に着けるのは久しぶりだが、手間取ることなく着付けることができたようだ。装束を身にまとうと、気が引き締まる心地がした。
「……よし、行こう」
これから私は、神子として儀式を執り行う。深く息を吐くと、再び本殿へと戻った。
「お待たせしました」
本殿に戻ると、その中央で連が座っていた。その傍には、清と藍色の袴姿の遥がいる。どうやら先に着替えを終えて待っていたらしい。彼らの前までやってくると、私は静かに膝をついた。
「それでは、結びの儀を執り行います。媒介を」
「あ、あぁ。これでいいんだよな?」
連は手に持っていたものを差し出して来た。猫の首輪だ。これは、クロちゃんがいなくなる前まで身に着けていたものらしい。この首輪を媒介に、連とクロちゃんの縁を結ぶ。
「お預かりします」
慎重にそれを受け取ると、連と私の間に置いた。
「……始めます」
静かに息を吐くと、両手で首輪に触れた。連の後ろで遥も同じように両手の指を床につけ、清は連の頭上で両手を合わせている。
「……共に刻むは青き時。紬ぎ描くは赤き縁」
祝詞と呼ばれる呪文を唱えると、指先がぽうっと淡い光を発し始めた。うまく霊力を混ぜ込めているらしい。ここまでは順調だ。
「深きに潜む彼の物の、眠る記憶を呼び覚ませ」
光は少しずつ大きくなり、手の内だけだったものが、手首、腕と大きく広がっていく。片手を首輪から離すと、自分の髪を結っていた紐を一気に解いた。
「宿れ、縁。繋げ、縁の糸!」
解いた髪紐を宙に向かって振るった瞬間、今までより強い光が私たちを包みこんだ。
「……!」
そのまばゆさに、思わず目を閉じてしまう。
(いけない……!)
急いで目を開くと、光は少しずつ弱まっていくようだった。
(失敗した……?)
儀式の最中に、まぶしさで目を反らしてしまうなど、あってはならないことだ。恐る恐る手元に目線を落とすと、見慣れないものが目に入った。
「これは……?」
それは赤く細い紐のようなもの。その先に目を向けると、連の右手の小指に繋がっていた。
「ん……?なんだ、これ」
連は小指に巻き付いたその糸を引っ張っている。しかし、どうにも外れそうにない。その糸の逆の終わりを探そうと目で追うと、それは、連の指から部屋の外へと伸びていた。
「……成功だ」
「え?」
「成功だよ! それは縁の糸。連とクロちゃんを繋いでいるの!」
「俺と、クロを……!?」
「うん! ねぇ、遥! 清! これ、成功でしょ!?」
興奮のあまり、声が大きくなる。遥と清を交互に見ると、二人は力強く頷いた。
「えぇ。結様が執り行っていた儀と同じ糸。間違いないわ」
「成功だな。見ろ、お前が私の霊力を使ったおかげでこの通りだ」
言われてみれば、清の体はいつもの大きさに戻っている。私と遥と清の三人の霊力を使って、術式を行えた何よりの証拠だ。
「これを辿っていけば、その先にクロちゃんがいる。会えるよ!」
「あぁ! ……っ、本当に、ありがとう!」
連は今にも泣きだしそうな顔で笑った。
「あぁでも、こんな糸ついてたら、周りから怪しまれないか?」
「大丈夫。その糸は術者と直接術をかけられた者だけに見えるの。繋がれた先のクロちゃんにも見えないよ」
「そうか、ならよかった。こんなものが見えたら、確実に周りから怪しまれるからな。助かる」
「さ、そうと決まれば早速行こう! 遥、車出してくれる?」
「仕方ないわね。……まぁ、急いだ方がいいでしょうし」
「? 遥、何か言った?」
「なんでもないわ。さぁ、飛ばすからついてらっしゃい!」
一瞬遥が何か呟いたような気がするが、遥は何事もなかったかのように笑顔で首を横に振る。
けれど、この後すぐに、私はその笑顔の意味を知ることになる。