第一章 七
「俺には、小さい頃から一緒にいる友達がいるんだ。まぁ、友達って言っても、猫なんだけどな」
連の視線が、写真立てに向けられる。そこには連と思われる小さな男の子と黒猫の姿がある。
「それって、クロちゃんのこと?」
「あぁ、もしかして姉ちゃんから聞いてた? そう、クロ。幼稚園くらいの時だったか、拾ったんだよ。どこかははっきりとは覚えてねぇんだけど、確か川があったから河川敷か? そこで遊んでいたら、見つけたんだ。秋の終わりくらいで冷え込み始めたくらいだったし、寒かったんだろうな。体は震えてたし、ススだらけで真っ黒に汚れてて。家に連れて帰って、嫌がるクロをなんとか風呂に入れたんだけど、クロは真っ黒いままで。まぁ要するに、黒猫だったってことなんだけど、あの時はススのせいだと思っていたから、なかなか汚れ落ちねぇなぁ、なんて思ってたよ」
「ふふふっ、黒猫を見たのは初めてだったのかしら。困った顔の連くん、想像したら可愛いわね」
「か、可愛くなんかないですよ! ただのガキでしたし! ……まぁとにかく。捨て猫だったのか、それとも親や兄弟とはぐれたのか、そこにいたのはクロ一匹だけだったんだ。メシ食えてなかったみたいで、細っこくてやつれてて。そんなあいつを放っておけなくて、結局飼うことに決めたんだ」
懐かしそうに出会いを語る連だったが、その目が悲しげに伏せられた。ただそれだけで、クロちゃんがいかに痛ましく頼りない姿をしていたのか伝わって来る。
「それからは本当に大変だったんだ。なかなか人に慣れなくてメシはほとんど食わねぇし、近付こうとすれば威嚇してくるしで、手に負えなくてさ。引っかかれたり噛まれたりしたことなんか、そりゃあもう何回も」
「うわぁ、それは確かに大変そう……」
「ご両親からすれば、幼いお姉さん、連くんに加えて、もう一人子どもができたようなものだったでしょうし、苦労なされたでしょうね」
「はははっ、それは俺も思っていたみたいです。人に慣れてきた頃には、クロと俺たち姉弟で両親の取り合いなんかもしてたみたいなんで」
「ふふふっ、お子さんとクロちゃんに好かれて、ご両親も幸せな苦労をされていたのね」
「そうかもしれないッスね。まぁそうやって、喧嘩なんかもしつつ過ごしていたわけなんですけど、最近になってクロがちょくちょく姿を消すようになったんです」
「え?」
楽しそうだった連の表情が、寂しげなものに変わっている。どうやらここからが本題らしい。姿勢を正すと、連に向き直る。
「初めは、彼女でもできたのかー? とか思ってたんですけど、日に日に外出する時間が長くなって……。それまで、長くても一日二日で必ず帰ってきていたのが、もう一週間も帰ってきていないんです」
「一週間も!? 警察には届け出たの?」
「あぁ。姉ちゃんに調べてもらって、保健所とか動物愛護センターとか、必要なところには連絡してる。あと、友達や近所の人にも協力してもらって、手分けしてクロが行きそうな場所を探したり、広い範囲でポスターを貼って回ったりもしたんだけど、姿を見るどころか情報もほとんど入ってきてない」
「もしかして、今日も朝から?」
「あぁ。土手の方まで行ってたんだけどな。見つかんなかったよ」
服が泥だらけになっていたのは、どうやらそれが原因らしい。くまなく探し回っていれば、汚れるのも当然だろう。連はきっとこれを、毎日続けているのだ。見つかる保証もないまま駆けずり回る日々で、どれほど神経をすり減らしているのだろう。連の気持ちを思うと、胸の内が苦しくなってくる。
「事故に遭ったんじゃないか、誰かに連れ去られたんじゃないかって不安で仕方なくて。そしたら一昨日、友達が家に来て、紬喜山には〝何でも願いを叶えてくれる神社〟がある、って話を聞いたって教えてくれたんだ」
「それで昨日、クロちゃんを探してほしい、ってお願いしに紬喜山に入った、ってこと?」
「あぁ。まさか雪に降られて倒れるとは思ってなかったけどな」
冗談めかして連は笑う。けれど、その目は明らかに笑っていなかった。
「……そう。大切な家族がいなくなるだなんて、本当に、……、辛かったわね」
「遥さん……、ありがとうございます」
震えたような声に、はたと隣を見れば、遥は悲しそうに顔を伏せていた。自分のことではないはずなのに、辛そうに眉間に皺を寄せている。
(そうだ。大切な人を失くす痛みは、遥だって、私だって知っているじゃない)
二ヶ月前、祖母は病に倒れた。数年会っていなかったとはいえ、遠くにいるときでも大好きな祖母であったことに変わりはない。そして、祖母は遥にとっては仕えていた主人だ。遥にとっても、大切な人なのだ。きっと遥は、連に自分を重ねて悲しんでいる。
(おばあちゃんだったら、こんなときどうする?)
連は既に、自分にできることを全て行っている。友人や知人、公的機関に協力を要請し、自らの足で探し回っている。これからただの高校生である自分が混ざったところで、できることはたかが知れている。
ならば、ただの高校生ではなく、〝神子〟としての自分には何かできないだろうか。
「……遥」
考えろ。神子ならできることを。尊敬する祖母であれば、何をするかを。
「……糸結びの儀」
「え?」
「私にできると思う? 遥」
糸結びの儀とは、その名の通り縁を結ぶための儀式だ。人と人だけでなく、動物や植物、はたまたその土地との間の縁を取り持つ力を持っている。この儀式であれば、連とクロちゃんとの間を繋ぐことが可能なはずだ。
「……! えぇ」
恐る恐る、けれど真っ直ぐに遥を見つめれば、一瞬動揺したような表情をした遥も、しっかりと首を縦に振ってくれる。
「あんた、誰の教育を受けていると思ってるの? こんなときのために、みっちり仕込んできたんだから」
力強い遥の笑みは、不安な私の心を鼓舞してくれた。
「そうと決まれば。連くん、悪いけど今からあなたの時間を少しもらえる?」
「え? それって……」
「連の願いは、私たちが叶えてみせる。……必ず」
「……! ありがとう! よろしく頼む!」
正直を言えば、確実に叶えられる自信はない。けれど、絶対に叶えてあげたい。自分に言い聞かせるようにはっきりと連に伝えると、連は嬉しそうに笑った。