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縁の管理人  作者: 春江紗奈
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第一章 五

「結衣」


 遥の声に、体がぴくりと反応した。丸めていた体から力を抜いて顔を上げると、扉から差し込む光に目がくらむ。遥は一つ息を吐くと、この薄暗い本殿の明かりをつけ、私の傍の壁にもたれかかった。


「落ち着いた?」

「少し。……あの子は?」

「ちゃんと送り届けたわよ」

「……そっか」


 気がかりが無事片付いたと知って安心したのか、自然と乾いた笑いが零れた。それと同時に、何か重たいものが胸にのしかかる。


「……悪いことしちゃったな」


 連はあの雪の中、願いを叶えてほしくてここまでやってきたと言っていた。きっと心から叶えてほしい願いがあったのだろう。そうでなければ、雪が酷くなる前に引き返し、決して遭難などしなくて済んだはずだ。


「連の目、真剣だった。顔は笑ってた癖に。……本当に困ってたのかも」

「そう思うなら、話だけでも聞いてあげたらよかったのに。……まぁ、そう思う前に〝ああ〟なっちゃったのかもしれないけど」

「……聞いたところで、私には何もできないよ」


 私の吐き出すような呟きに、遥は、そうね、と短く答えた。そう、私には何もできない。話を聞いて力を貸すことも、神子として務めを果たすことも、何も。

 私が〝ああ〟なるのは今に始まったことではない。時折、ふとした拍子に〝声〟が聞こえるのだ。自分を非難する声が、拒絶するような言葉が。そうなると私は、考えることも、身動きを取ることもできなくなってしまう。


「……」


 遥は何も言わず、ただ腕を組んでどこかを見つめている。何か考え事でもしているのだろうか。

 遥は私の〝あれ〟の原因を知らない。訊かれたこともない。遠慮されているのか、はたまた興味がないのか。遥は、日常生活において注意を受けることはあっても、触れてほしくない部分に干渉してくることはほとんどない。そしてそんな遥の対応に、私も少なからず助けられている。

 だが、深くまで干渉されないということは、今のように気分が沈んでいる時にも励ましてもらえないということ。 だからこうして黙って、私の出方を見ているのだろう。


「ねぇ、遥」

「なに?」

「……どうしたら、いいと思う?」

「結衣はどうしたいの?」


 どうしたらいいのか、遥はきっと知っている。だが遥は自ら答えを教えてはくれない。甘やかしてはくれないのだ。

 けれど、 こうして傍にはいてくれる。突き放しはしないが、救いの手を差し伸べもしない。 自分で考え、自力で立ち直るよう促す。それがきっと、遥の教育論だ。


「……困っているなら、助けてあげたい」

「そう。それには、まず何をしたらいいと思う?」

「急に飛び出したことを謝って……、それからどんなお願いをするつもりだったのか、聞く」

「……聞いてどうするの? 何もできないんじゃなかったの?」

「神子としては……できることは、少ないと思う。でも、私個人としてなら、何かできることが、あるかもしれない」

「何かって? あんた個人ができることも、たかが知れてるんじゃない?」

「それは、……願いを聞いてみないことにはわからないし、聞いてもできることはないかもしれないけど、……なんだか放っておけない」

「それはどうして? あんたと連くんは今日会ったばかりじゃない。あんたが力を尽くす必要なんてある? 倒れまでしてここまで来た連くんに、同情でもした?」

「そんな言い方――!」


 座った姿勢のまま、顔だけを遥の方に向けると、遥は楽しそうに笑っていた。

 そこでようやく気がついた。――遥は私を試しているのだということに。


「同情する必要なんてないのよ。連くんが倒れたのはただの自業自得。いかに尊い目的があったとしても、目標だけに目を向けて足元が疎かになっていては、叶うものも叶わない。そんな人間のために手を差し伸べてあげる義理は、初対面のあんたにはないんだから」

「……そうだね」


 遥は連のことをバッサリと切り捨てる。確かに遥の言うことは正しい。目標があっても、道半ばで倒れては意味がない。全てに言えることではないが、ことによっては、達成できないだけでなく、それまでの努力までも水の泡と化すこともあるだろう。そういう意味では、連は自力では神社へ辿り着けなかったものの、途中まで来ていたおかげでこの場所に到達できたため、努力が報われたと言える。


「確かに、私が連を助けてあげる義理は、ないと思う。でも、でもね」


 自分の手首へと視線を落とす。この本殿は時期も相まって少々肌寒い。部屋を飛び出してからというもの、両腕は血の気が引いてすっかり白くなっていた。そしてその白い手首には、くっきりと赤い手の痕が残っている。

 これは、連に願いを叶えてほしいと懇願された時についたものだ。まだ痕が残っているとは、一体どれほどの力で握っていたのだろう。

 ――だがその痕のおかげで、決心がついた。


「助けを求めてここまで来てくれた人を、見捨てることなんてできないよ。……後悔、したくない」


 どうしても叶えてほしいと告げた連の姿を思い浮かべる。元々明るい性格なのか、顔は笑っていたけれど、瞳は笑わず至って真剣だった。あの姿を見て、見て見ぬふりをするということは、私にはできそうになかった。


「……、そう」


 私の返答を聞いた遥の顔は、小さく笑っていた。


(……あれ?)


 遥の姿に違和感を覚える。が、それも一瞬のこと。遥は唇の笑みを深くすると、両手をパンッと叩いた。


「さて、 今日はもう日が暮れるから、これ以上は明日ね。やることは決まったし、少し早いけどお夕飯の支度始めよう。手伝ってくれる?」

「あ、うん。今日は何にするの?」

「今日はねー、いいお肉が入ったからとんかつにしようかなーって」

「お、とんかつかー。いいね、食べたい」

「そ。明日は頑張らないといけないしね。体力つけないと!」

「あはは、考え方が体育会系だよ」


 今日の夕飯について話しながら、遥は楽しそうに笑う。


(……気のせい、かな? さっき、寂しそうに見えたんだけど)


 小さく笑った遥の表情。笑っていたはずなのに、その瞳はなぜだか寂しそうに揺れているように見えたのだ。

 けれどこうして改めて見ても、そんな様子は一切感じられない。一瞬抱いた違和感は、やはり勘違いだったのだろうか。


(ま、いいか。笑ってるし)


 わざわざこの楽しい空気に水を差すようなことを聞く必要はないだろう。深く考えることをやめると、足取り軽くキッチンへと向かった。

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