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縁の管理人  作者: 春江紗奈
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第二章 八

「ありがとう、ございました!」

「じゃあ、私たちはここにいるから、何かあったら呼んでね。いってらっしゃい」

「はい! いってきますっ!」


 儀式を終えて暫く。早崎様と私は、遥の運転する車に乗って早崎様のご自宅を訪れた。

 依頼の結果を最後まで見届けることが、神子に課せられた使命。とはいえ、家にまであがって邪魔をするわけにはいかないため、 彼女を車から降ろすと、近くに車を停め、外から様子を伺うことにした。


「ねぇ、遥」

「なに?」


 意気揚々と自宅へ駆け込んでいく彼女の姿は、見ていてとても微笑ましいものだった。しかし、上手く行っていることを願いながらも、胸にはやはり一抹の不安が渦巻いている。


「……確認なんだけどさ、人の魂は亡くなったらすぐに常世に向かうよね? 現世に留まることってないよね?」


 素朴な疑問だった。もしお母様が既に亡くなっていて、それでもご自宅にいらっしゃるのだとすれば、魂だけがご自宅にある状態になる。糸手繰りの儀が探知したのがもしその魂なのであれば、〝視えない〟早崎様にはお母様の姿は視認できないはずだ。


「うーん、ないとは言えないわね。ほら、地縛霊とか浮遊霊とか言うじゃない。現世に未練がある魂は常世に辿り着けない、とか。そういう魂は、死後も現世に留まることになるんじゃないかしら」

「……ってことは、もしかしたら」

「可能性はあるわね。でも、そうと決まったわけじゃないんだし、ご存命ならとても不謹慎よ。可能性の話をするのはやめなさい」

「それもそうだね」

(大丈夫、だよね……)


 早崎様がお母様と出会えるか出会えないか。どちらにせよ、彼女にとって良い方向に進むことを祈り、固唾を飲んでご自宅を見守った。




 

  早崎美央は自宅の前で車を降りると、すぐさま玄関へと駆け寄った。腕には思い出のテディベアを抱き、期待に胸を膨らませ、扉を開く。


(あ……!)


 玄関には、見慣れない女物の赤い靴が転がっていた。それを見て、美央は確信した。母は本当にここにいるのだと。


(お母さん、お母さん……!!)


 ずっと会いたかった人がこの先にいる。きっと自分を待ってくれている。美央はこれ以上ないほどにドキドキと胸が高鳴っているのを感じていた。

 急いで脱いだせいで靴が散らかる。これではきっと祖母に怒られてしまうだろう。けれど、今日ばかりは許してほしい。だって、やっとあの人と会えるのだから。

 飛び込んだ先のリビングには、祖父母と見慣れない女性が一人立っていた。


「お母さん!」


 そう大きな声で叫べば、女性はゆっくりとこちらを振り返り――美央ちゃん、とにこりと優しく微笑んだ。


 ――ように見えたのは、一瞬だった。


「……お母、さん?」


 目の前の女性は笑っている。そのはずなのに。どうしてだろう。その笑顔は異常と呼べる程の恐怖心を、美央の中に植え付けた。


「あら、そのぬいぐるみ。まだ持っていたのね。うふふふふ……」

「あ……」


 腕からテディベアが滑り落ちる。けれど、それに気付いたのはトスンッと床に着く音が聞こえてからだった。


「はい、美央ちゃん」


 母がテディベアを拾い上げたその瞬間。美央の中で、いつかの光景がフラッシュバックした。


 ――激しく振り回されるテディベア。腕の付け根から飛び出す綿。落ちるボタンの目。眼前に迫る、テディベアの顔。


「遅くなってごめんね、美央。さぁ、行きましょう」


 柔らかな声音とともに、体がふわりと宙に浮くのを感じながら、美央は受け取ったはずのテディベアを手放した。





「あっ、誰か出てきた」


 外から家の様子を伺っていると、玄関から勢いよく誰かが飛び出した。それは若い女性――先程糸手繰りの儀で見た人物だった。そして、その女性の腕の中には、早崎様の姿がある。


「会えたのかな?」

「……待って。なんだか様子がおかしいわ」


 女性は家の前で左右を一瞥すると、私たちがいるのとは逆の方向へと走っていく。なんだかとても焦っているように見える。さらによく見れば、抱き抱えられた早崎様はなぜか靴を履いていなかった。


「……どういうこと?」

「……さぁ」


 その異様な光景に呆気に取られていると、遅れて玄関から五十代くらいの男女が飛び出した。なにやら必死な様子だ。


「……行くわよ、結衣」

「う、うん」


 これはただ事ではないと判断した遥が車を走らせ、老夫婦の傍へと車を寄せた。


「失礼、何事ですか?」

「あ、あぁ……! あの女が、孫をさらっていったんです……!」

「えぇ!?」


 一体何がどうなった。あの女性は早崎様のお母様ではなかったのか。


「……お二人とも、乗ってください。追いかけます」


 どうやら事態は急を要するらしい。遥は車の後部座席を指さすと、二人にそう提案した。二人は一瞬呆気にとられたような顔をした。


「そんな! 通りすがりの方に、申し訳が立ちません!」

「いえ、今はそんな悠長なことを言っている場合ではありません。さぁ、早く!」

「……、なぜお嬢さんたちが力を貸してくれているのかはわからんが……、すまないお嬢さん。申し訳ないが甘えさせてもらってもいいだろうか」

「もちろんです。さぁ、後ろへ」


 二人が車に乗り込んだのを確認すると、遥は車を勢いよく走らせる。女性の姿は遥か先にある。が、子どもを抱っこして走る人間が自動車に適うはずもなく、ものの数秒で追いつくと、彼女の前に回り込むように停車させた。


「ぐっ……! なによ、この車!」


 それでも往生際が悪い女性は、体を反転させ逃げようとする。が、その先では見知らぬ男性が待ち構えていた。スーツ姿のその男性は、全速力でここまで来たのか、その体は汗にまみれ、息があがっていた。


「美央!」

「おっ、お父さ……!」


 女性を逃がすまいと両腕を広げる男性は、早崎様の名前を呼んだ。どうやら彼は、早崎様のお父様らしい。早崎様の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「美央を離せ!」

「嫌よ! この子は私の娘よ! 連れて帰るんだから!!」

「お前はもう美央の母親じゃないだろう! 美央を返せ!」


 対する女性は、腕に抱いた早崎様を離そうとはしない。絶対に離さないという強い意志を感じる。


(やっぱりこの人が早崎様のお母様……。でもこれ、本当にどういう状況?)


 気が付けば、とんでもない修羅場になっている。果たして、何がどうしてこうなったのだろう。


「お前はあの男のところにいるんだろう!? 子どもが欲しいのならそいつに頼めばいいじゃないか! 美央を巻き込むな!」

「うるっさいわね! あんなやつ、とっくに捨てたわよ! 今はもっといい男に出会ったんだから。あんたなんかより、ずーーーーっといい男をね! でもあの人がどうしても私の娘に会いたいって言うものだから、仕方なく迎えに来てやったのよ! あの人を手に入れるためには、この子が必要なんだから!」

「美央が必要って……お前、何を言ってるのかわかっているのか!」

「フンッ! ねぇ、あんたもこんな田舎で冴えない父親と暮らすのは嫌でしょう? ほら、お母さんと一緒に来ればかぁーっこいいお父さんが待ってるんだから。うふふふふふ」


 言いながら、お母様は早崎様の頬を撫でる。その妖艶な目つき、手つきに早崎様は怯えたように体を震わせた。


(うーん、どうやらこれは……想像以上にぶっ飛んだお母さんだったんだな……)


 聞こえてきた話を要約すると、お母様は不倫により離婚、離婚後は不倫相手と結ばれるも破局。そしてまた新たに交際を始めようとしているが、そのためには早崎様が必要になり連れ戻しに来たと言うことらしい。その相手がなぜ早崎様が必要なのかはわからないが。


(予想の斜め上過ぎて付いていけない……)


 ポンッと肩に手が乗せられる。見上げると、遥が生暖かい目で私を見ながら静かに首を振った。『知らない方がいいわ』と言いたげだ。


「ねぇ、美央。あんたも私と暮らしたいわよね? だぁって、『お母さん!』って呼んでくれたもんねぇ~?」

「ヒッ……!」

「お前!!」

「嫌よ! 離さないんだから!」


 とうとう怒りが沸点に達したらしいお父様がお母様のもとへ走り、早崎様を引き剥がそうとする。お母様も必死で抵抗するが、老父が彼女を後ろから羽交い絞めにし、とうとう早崎様は解放された。


「おっ、お父さ……、お父さぁあ!!」

「あぁ、美央……! 怪我はないか? あぁ、無事でよかった」


 早崎様はお父様の腕の中でわんわんと泣きじゃくる。そこにお母様にようやく会えると心から笑っていた影はない。


「チッ、離しなさい! 離しなさいよ、このクソジジイ!」

「離すものか! もう二度とこの家に来られないようにしてやる!」

「ああ゛!? 美央を連れて帰るまではどんな手を使ってでも何度だって来てやるわよ! 私の娘なんだからね!?」

「ならばお前を警察に突き出すまでだ。孫を誘拐しようとしたってな」

「誘拐!? 娘を取り戻そうとしてるだけなのに、どうして誘拐になるのよ!」

「この子の名前は、早崎美央。お前は既に早崎の人間じゃない。お前は、この子の母親じゃないんだ!」

「……チッ。わかったわよ。もう来ない。だから離しなさいよ」

「……」


 悪態をつくお母様の態度に、渋々ながら老父は彼女を解放した。乱れた髪を手ぐしで直しながら、彼女は早崎様へと近付く。


「この子に近付くな!」

「最後なんだから、顔ぐらい見ておいてもいいでしょう? それさえも許されないわけ?」

「……」


 お母様は早崎様に近付くとその頬を撫でた。その間、早崎様もお父様も、彼女に対する警戒を解かないでいる。張り詰めた空気が漂っていた。


「あぁ、やっぱり可愛いわ。さすが私の子。…………ここでお別れなんて、やっぱり惜しいわね」

「え……?」

「うっ!?」


 その瞬間、お母様がお父様の顔を思い切り殴りつけた。不意打ちを食らったお父様はそれをまともに食らってしまう。力が抜けた隙に、お父様の腕から早崎様が引き剥がされる。


「ぐっ……くそっ! 美央!!」

「お父さん!! いやっ、いやぁあ!!」


 殴られた衝撃でか、お父様はなかなか動き出せないらしい。このままでは逃げられてしまう。私も咄嗟に追いかけた。――そのときだった。


「一の型、断切」


 キンッ――という鋭い音がした。

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