第二章 六
紫乃が椅子とお茶菓子、飲み物を運んでくると、私たちは暫く休憩することにした。長い道のりを歩き続けた上に、神社という格式張ったところにいるとあれば、さぞ緊張することだろう。少女が興味を持ったものについて説明してみたり、椅子に座って甘いお菓子を食べたりとするうちに肩の力が抜けて来たのか、来たばかりの頃よりは緊張もほぐれてきたようだった。
「そういえばお嬢さん、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「あっ、はい! 早崎美央です。今、五年生です」
「五年生! しっかりされているので、中学生かと思っていました」
「ふふふっ、まだ小学生です」
大人に見られたい年頃なのか、早崎様は嬉しそうににこりと笑みを浮かべた。
「早崎様、ですね。私は紬喜結衣。この神社で神子をしています」
「じゃあやっぱりお姉さんが神子さん……!」
「はい。……と言いましても、まだ半人前なんです。実を言いますと、家元……長年神子を務めていた者がお休みをいただいておりまして、お話をお伺いできるのは私だけなのです」
「えっ……そう、なんですか? じゃあ、お姉さんが叶えてくれるんですか?」
「えっと……叶えられるかどうかはわかりません。ですが、精一杯努めさせていただくつもりです」
頭を下げると、早崎様が感嘆の声を上げたのがわかった。
「私、お姉さんに叶えてほしいです! 他の人じゃない方がいい!」
早崎様は無邪気に笑う。建前でもなんでもなく、心からそう望んでくれているのがわかる笑みだった。どうやら話をしている間に信頼を得ることができたらしい。
「かしこまりました。それでは改めまして、お願いをお伺いします」
「え? でもさっき、土地神様にお祈りしましたよ」
「お祈りだけでは土地神様にできることは、あくまでも〝見守る〟ことだけです。土地神様自身が自ら氏子……人々に力を貸し与えることはできないのです。お力を借りるには、神子の仲介を経ねばなりません。お話を聞かせていただいた上で、最適な方法を取らせていただきます」
「わかり、ました。よろしくお願いします」
少し難しかっただろうか。早崎様は理解しきれていないような顔をしながら頷いた。
「それでは、早崎様がお願いしたいこととはどういったことでしょう?」
「えっと、それは――」
「それで? さっきの子のご依頼はなんだったの?」
早崎様をご自宅の近くまで送り届けた帰り道。車を運転する遥がそう尋ねてきた。今日は依頼内容を伺うだけにして、次の休みの日に改めて術式を行う予定だ。というのも、術式に必要なもの、霊力や媒介となるものの収集などを準備する時間が要るからだ。
「あぁ、うん。お母さんを探してほしいんだって」
「お母様を?」
「うん」
依頼の内容はこうだ。両親の離婚によって離れ離れになった母親の捜索。離婚したのは、早崎様がまだ小学校に上がる以前で、今は父親とともに暮らしているのだと言う。多忙な父親とはなかなか会えないが、父、父方の祖父母との関係は良好。大きな不自由も不満もないが、母親と別れたのがあまりに幼い頃であったため思い出もほとんどなく、〝母親〟というもの、そして母がどんな人なのかが知りたいのだという。
「唯一覚えているのは、大切なぬいぐるみで一緒に遊んだことなんだって。まだ小学生なのにお母さんと離れ離れなんて寂しいよね……。私もそうだったから気持ちがわかるよ」
実際、私の母も幼い頃から単身赴任で一緒に暮らした時間は非常に短い。長く一緒にいられたのは、私がこの町を離れ母と暮らしていた四年間くらいのものだ。それ以前に母がこの町で暮らしていたこともあるが、私がまだ物心がつく前だったためほとんど記憶にない。
「そうねぇ。……でも、どうしてご両親は離婚することになったのかしら」
「それは早崎様も知らないみたい。ある日突然お父さんから『おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らすことになった』とだけ言われたんだって。詳しいことは教えてもらえなかったみたい」
「そう。何か事情があったんでしょうね。一緒に暮らす中でお互いにすれ違うようになったとか、お母さんが仕事人間で家庭にいられる時間が短くて別れたとか」
「あはは、それならうちみたいだね。……うちは会えなくても仲良しなままだけど、皆がそうってわけじゃないもんね」
どの家庭にも、その家庭の事情というものがある。うちはうち、よそはよそ、というものだ。自分の価値観だけで判断できるものではない。
「そうね。……ところで、その子のお父様はなんておっしゃってるの? 娘様がお母様に会いたがっていることをご存じなのかしら」
「あー、お母さんについて何度も聞いたことがあるって言ってたし、会いたがってるのは知ってるはずだけど、ここに依頼に来たことは知らないと思うよ。一人で山を登ってきたんだし、それに早崎様自身も、お父さんには言わないで、っておっしゃってたし」
「そう、なの。…………」
「どうしたの? 遥」
私の説明に、遥は沈黙した。その表情はどこか険しい。声をかけると、遥は一瞬言いづらそうに視線をそらした後、口を開いた。
「私は直接話を聞いていないから、これは推測でしかないんだけど……、お父様は娘様をお母様に会わせたくないんじゃないかしら?」
「え?」
「もしご両親がただの仲違いで離婚なされたのなら、娘様が会いたがれば会わせるくらいするんじゃないかしら。お父様にとっては元奥様であっても、娘様にとっては今もお母様であることに変わりはないでしょう? それでも会わせないということは、……たとえば、亡くなっているとか」
「――!」
既に亡くなっている。そうであれば、どうあっても会うことなど叶いやしない。それに、縁結びの術式が繋ぐことが出来るのは、魂がこの世にある場合だけだ。死者と繋ぐことはできないのだ。
「会わせられない事情があるか、もしくは、会わせたくないとお父様に思わせる何かがあるか……」
「それは……」
遥に言われて初めて気が付く。私はそこまで早崎様のご家庭の事情について考えていなかった。
「で、でも、早崎様はあんなに会いたそうにしていて……!」
脳裏に浮かぶのは、早崎様の寂しそうなご様子。会いたいのだと訴えてくる必死な姿。その姿に心を打たれ、願いを叶えると決めてしまったのだ。
「どうしよう……」
早崎様の願いを叶えれば、彼女自身も、彼女の父親も傷つけることになるのではないか。願いを叶えることが、本当に彼女のためになるのか。私がやろうとしていることは、正しいことなのか。
「……約束の日まではまだ時間があるわ。どうするか、よく考えなさい」
「……うん」
私はどうしたらいいのか。私は、どうしたいのか。
私はこれから数日間、この依頼について悩み続けることになる。