第二章 五
「二ツ羽神社? えぇ、あるわよ。まだ話していなかったかしら」
始業式が終わると、早々に帰宅となった。昼食を取りながら、今朝聞いたばかりのことについて遥に尋ねてみると、遥は意外そうな顔をして説明してくれた。
「二ツ羽神社はうちの分社の一つよ。うちが縁結びに特化するにあたって、縁切り専門の神社を別に移したの。だから、大元は紬喜神社と同じものよ」
「そうなんだ。佳苗は系統が同じって言ってたけど、まさしくその通りだったのか……。あ、ねぇ、今の二ツ羽神社の家元ってわかる?」
「えーっと、確か……、あら、なんて名前だったかしら」
思い出せないのか、遥はうーんと頭を悩ませている。遥でもすぐに出てこないということは、最近は関わりが少ないのかもしれない。
「……二ツ羽玲くん?」
「そうそう、確かそんな名前だったわ。……ってあんた知ってたの?」
「知ってたと言うか、今日教えてもらったの。佳苗……クラスメイトに垣石家の子がいるんだけど、玲くんは二ツ羽神社の男神子だって言ってて」
「あら、垣石の子までいるの。あんたの同級生、珍しい子ばかりなのね。そういえば確かに、二ツ羽神社は最近代替わりしたって聞いた覚えがあるわ。きっとその子がそうなのね」
やはり同じクラスに術者が複数名いるということは珍しいようだ。特殊な家柄で、ともに家元、もしくはその候補。そんな私たちが同じクラスとは、それこそ何か縁があるのかもしれない。
「同い年で家元かぁ……」
「他人事じゃないわよ。あんたも、じきにそうなるんだから」
「ははっ、そうだね。頑張らないと」
まだ二ツ羽くんとは挨拶もできていないが、同じような立場にいる人が同年代にいるというのは、少なからず安心できる。親しくなれるとよいのだが。
「お食事中、失礼いたします」
「ん、どうぞ」
まだ知らぬ男の子に想いを馳せていると、不意に襖に向こうから声がかかった。襖が開き、膝をついた状態の紫乃が姿を現す。
「どうしたの。何かあった?」
「はっ、お客様がおいでにございます。何やら神子様にたっての願いがあるとのこと。いかがなさいますか」
「神子に、ってことは依頼にいらしたのかな。拝殿にご案内して。準備を整えたら参ります」
「かしこまりました」
指示を受けると、紫乃は襖を閉め足音もなく去っていった。
「依頼、受けるの?」
「うん。私にできることなら、叶えてあげたいから。あっ、でももちろん、依頼人には家元がいないことを説明して、半人前の私でもいい、って思ってくれるなら、だけどね」
「ふふっ、……そうね」
「よし、ごちそうさま! ごめん、後片付け頼んでもいい?」
「えぇ。早く着替えてお客様をお迎えなさい」
「はーい!」
昼食を終え、遥に後を任せると、自室へと走る。私服のままでは格好がつかない。 装束に着替え、乱れた髪を一つに結い直す。
(よし、気合い入れていくぞ!)
そうして目を覚ますように頬を両手でぱちんっと叩くと、 小走りで拝殿へと向かった。
「お待たせしまし……あれ」
拝殿へ入ると、床の座布団に座ったまま神棚を見上げる人影を見つけた。その人は私が入ってきたことに気が付くと、こちらを振り返り立ち上がった。
「神子さん……?」
「えーっと、あなたがご依頼にいらした方でしょうか」
「あっ、えっと、はい。そうです……」
か細く小さな声。緊張しているのか尻すぼみになりながらも返事をしてくれたのは、二つくくりにしたおさげが可愛らしい、小・中学生くらいの女の子だった。
「一人で来た……来られたんですか? えっと、ご両親は……」
思わず砕けた口調になりそうになるのを堪える。これくらいの年代であれば、子ども扱いされることに不快感を覚えてもおかしくないし、それ以前に依頼人に対して敬語を使わないなどもっての外だ。
(……連のときは例外ってことでいいよね)
連は元々依頼人としてではなく、遭難しているところを保護したことからの関わりだ。彼に対しての態度については大目に見てもらいたい。――と、心の中で自分に言い訳をする。
「ひ、一人で、来ました。親は、来てません」
「ってことは……もしかして一人でこの山を登ってきたんですか!?」
「ひっ! は、はい……」
驚きで声が大きくなってしまったが、無理もないと思う。この神社は紬喜山の中腹にある。さほど険しくはないとはいえ、大人の足で三十分はかかるのだ。そんな山道をこんな小さな女の子が一人で登ってきたとなると、大人の倍以上の時間と体力を要したはずだ。
(そこまでして一人でこんなところまで来るなんて……)
小さな少女にこのような苦行を強いるとは、一体何が彼女をここまで突き動かしたのだろう。
「……、紫乃」
「はっ」
気配はなかったが、名前を呼ぶと紫乃はすぐに返事をした。やはり拝殿の外で待機していたらしい。
「椅子を二つ、それから……、オレンジジュース好きですか?」
「へ? あ、はい。好きです……」
「じゃあ、お菓子とオレンジジュースを二つ」
「かしこまりました」
紫乃が去っていくのを見届けると、不思議そうな顔の少女を振り返る。
「ここまで歩いて来て、さぞお疲れでしょう。少し休みましょうか。申し訳ないですが、椅子が届くまでは、座布団でお許しください」
「あ……はい!」
私が床に腰を落とすと、少女は安心したように座布団に座る。溜息を吐いているところを見る限り、やはりかなり疲れていたようだ。
「あの……」
「何でしょう?」
「あれって、何ですか? 鏡?」
おずおずと言った様子で、少女は神棚を指さした。神棚には丸い鏡が置かれている。
「あぁ。あれは、神鏡と言います。鏡より奥には、土地神様がいらっしゃるのですが、あの鏡を通して、土地神様が私たちのことを見てくださっているんですよ」
「神様が、見てる……」
「えぇ。いいことも悪いことも、この清ノ原で生きる人々の行動を全て、ご覧になっています」
立ち上がって神棚から神鏡を下ろすと、少女の前に持ってくる。鏡には興味深そうに覗き込む彼女の顔が映っていた。
「そして神子は、土地神様のお力をお借りして、皆様のお願いにお力添えをさせていただいています。あなたも何かお願いしたいことがあってこられたのでは?」
「……はい」
少女は膝の上で両手の指をいじる。そして小さく溜息を吐くと、鏡に向かって静かに両手を合わせた。
「神様……」
ぎゅっと固く目を閉じて祈りを捧げる少女からは、必死さを感じさせられる。やはり生半可な気持ちでここまで来たわけではなさそうだ。
(……よし)
小さな少女であるからと態度を変えるのは失礼にあたるだろう。神子として、少女の願いを聞き届けてあげたい。改めてそう決意すると、神鏡を握る力を強めた。