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縁の管理人  作者: 春江紗奈
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第二章 三

 氏家紫乃うじけ しの。私の幼馴染で、二つ上、十八歳の男性だ。そして、幼少の頃から東京へ引っ越すまで、私の従者をしてくれていた。

 氏家の一族は、代々私たち紬喜家本家に仕えることになっているらしく、紫乃も例外ではなかった。物心ついた時から傍にいて、遊び相手になるのはもちろんのこと、身の回りの世話、怪我の手当てや病気の看病、学校での勉学のフォロー、ありとあらゆる面で紫乃は私を支えてくれていたのだ。


「はぁ……」


 そんな彼は現在、離れの居間で盛大な溜息を吐いていた。


「何の知らせもなく夜分に訪れた挙句、湯までいただいてしまうなど、私は側仕え失格でございます」


 汚れていた体は綺麗に洗われ、服も浴衣に着替えている。また、ぐしゃぐしゃだった髪は遥の手により綺麗に整えられている。

 遥曰く、〝従者たるもの、主人の前では常に清潔で美しくなければならない〟とのことらしく、見かねた遥が入浴後の短い時間で、紫乃の見た目を最低限よくしようと見立ててくれたらしい。紫乃は遥より背が高いため遥の服が着られず、代わりに身に着けているのは、父の浴衣だ。何の味気もないそれさえも、着こなし術や小物使いの効果か、洒落たものに見える。流石は現役モデル。見目の整え方には目を見張るものがある。

 そんな遥は紫乃と入れ替わるように風呂へと消え、今ここにいるのは私と紫乃の二人だけだ。


「そういうのいいから。体も服も大分汚れてたし、そのまま上がってもらうわけにはいかなかったからね。いきなりお風呂に追いやるなんてこっちの方が失礼だったでしょ。ごめんね」

「お嬢様……! ううっ……久方ぶりだというのに、変わらずお優しくて私は嬉しい限りでございます……! その上、かつての面影はそのままに美しゅうなられて、なんと感無量なことでございましょう!」

「あぁ、うん。紫乃もすぐ感極まるところは変わらないね」


 紫乃は浴衣の袖で目元を拭っている。このオーバーすぎる表現もなんだか懐かしい。


「それより紫乃、今までどこで何をしていたの? てっきりおばあちゃんかお父さんの補佐をしてたんだろうと思ってたのに、補佐どころか神社にもいないんだもん。びっくりしたよ」

「驚かせてしまい、申し訳ございません。結衣お嬢様のおっしゃるとおり、お嬢様がこの地を離れられた頃より、私はこの紬喜神社のお勤めのお手伝いをさせていただいておりました。しかし、ここ数ヶ月ほどはお嬢様の従者たるべく必要な能力を身に着けるため、神社を離れ山篭りの修行に励んでおりました」

「山篭りって、紬喜山に篭ってたの? にしては、紫乃の気配がしなかったけど……」


 紬喜山の中であれば、誰かが入山してくれば精霊を通して私たちにその情報が伝わってくるし、それだけではなく、気を静めて地脈を辿れば、私たちでもその人物が持つ霊力を探知することができる。

 まして、近頃行っていた修行では術の発動練習の他に、霊力探知の修行も行っていたのだ。紫乃がそのときに紬喜山にいたのであれば、察知できていたはずだ。


「いいえ。私が過ごしていたのは慄山おののきやまでございます。あの山は磁場がとても強く、霊力を扱う修行にうってつけなのです」

「そうだったんだ。……じゃあもしかして、紫乃から伝わってくる霊力がこの地のものと違うのは、慄山の強い磁力の影響によるものなの?」


 まだ紫乃だとわからなかったとき、神社に現れた気配の持つ霊力は、この地のものとは異質なものであった。磁場の強い場所にいたというのであれば、その地の霊力が紫乃に染み込んでいた可能性が高い。


「さようでございます。先の場では、私のこの極小の霊力を増幅させる修行も行っておりましたので、影響はかなりのものであると考えられます。ですが、じきに私自身の霊力やこの地の霊力と溶け合うはずですので、暫くの間は違和感を覚えられるかと思いますが、どうかご容赦願います」

「なるほどねー、だから紫乃の気配が独特だったんだ。うん、わかった。紫乃こそ、馴染むまで窮屈かもしれないけど、辛抱してね」


 環境が変われば、それが故郷であっても馴染むのには多少の時間を要する。異なる霊力の空間であればそれは顕著であろうし、修行を明けたばかりでは疲労も溜まっていることだろう。

 紫乃は従者である以前に、幼馴染なのだ。大切な存在である紫乃には大きな負担をかけたくない。


「あぁ……、本当に結衣お嬢様はお優しい。私のような者にまで気を配ってくださるなど……ありがたき幸せにございます。修行に明け暮れる日々を送る中、お嬢様からの霊力を感知したときの喜びといったら……! 結衣お嬢様がこの地に戻ってこられたのだと思うと、いても立ってもいられず急ぎ戻ってしまいました」

「え? 私の霊力を感知したって、どういうこと? 紫乃は慄山にいたんだよね?」


 慄山はこの紬喜山から山を二つ挟んだ向こうにある。よほどの感知能力がない限り、そんな距離を感知することはできないはずだ。


「はい、慄山にてお嬢様の霊力を感知いたしました。お嬢様が何か術式を展開されたのではございませんか? お嬢様の霊力の一端より、何かの術式を察知したのですが……」

「術式……、ってもしかして、糸手繰りの儀?」


 心当たりがあるとすれば、今日行った儀式くらいだ。広範囲に縁の糸を張り辿る術式の糸手繰りの儀であれば、確かに私の霊力が遠くまで流れていてもおかしくはない。


「そういえば、どこかの山で途切れた糸があったような……。もしかして、その先に居たのが紫乃なの?」

「おそらくそのとおりかと思われます。お嬢様と私の間にまだしっかりと縁の糸は結ばれていたのですね……。ほっといたしました」

「……って、ちょっと待って。私が糸手繰りの儀をしたのは、今日の昼過ぎだよ!? そのときに感知して、それからここまで来たの!? 山二つ越えて帰ってきたってこと!?」

「はい。そのとおりでございます。休まず駆け抜けて参りましたので、あのようなみすぼらしい格好に……。大変申し訳ございませんでした」


 山篭り修行の直後から休みなく山を越えてきたのであれば、確かに体も服も汚れていて当然だ。しかし、それ以上に気がかりなのは――


(この距離を休みなく帰ってくるなんて何を考えてるの……)


 主人の帰還に気付き、即駆けつけたこと自体は、従者として優秀といえるだろう。けれど、距離が距離だ。限度というものがある。


「私としたことが、修行に没頭した挙句、お嬢様のご帰還に間に合わず出迎えを怠るなど……なんたる失態! 従者にあるまじき行為、この氏家紫乃、一生の不覚にございます! 自分があまりにも情けなく、目も当てられぬほど……。お嬢様になんとお詫び申し上げればよいか……」

「……もっと自分に気を配りなさい、このバカ!」

「あぁ、なんということでしょう。お嬢様から直々にお叱りをいただいてしまうとは……! 恐悦至極にございます!」

「……はぁ」


 紫乃の無謀加減に溜息が漏れる。私の知る限り、従者として紫乃は優秀――であったはずだ。一体どこからここまで歪んでしまったのだろう。紫乃の行く末が心配になったのは、心のうちに秘めておいた。

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