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縁の管理人  作者: 春江紗奈
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第一章 一

清ノ原(さやのはら)町に来たのなら、紬喜(つむぎ)神社へ行き、土地神様にご挨拶をしなさい』


 これは、この清ノ原町で古くからある言い伝えだ。この町の面積の大半を占める紬喜山の奥に、紬喜神社は存在する。縁結びの神社の総本社として構えるその神社には、〝縁〟を司る土地神がおり、町全体を見守っていると言われている。

 全国各地に神霊を分けた分社が存在するが、総本社である紬喜神社は特にその力が強く、土地神と縁を結ぶことが出来れば、町に住まう限り健やかに過ごすことが出来るとされている。

 そして今日もまた、若い夫婦が新たな命と清ノ原町との間に、縁を結ぼうと神社を訪れていた。


「――糸結びの儀」


 神社の神子が若い女性の膨らんだお腹にそっと触れると、神子の手の内が淡く光った。暫くそうしていると、緊張した面持ちの夫婦が見守る中、神子はゆっくりと手を離す。


「これでお腹の子と土地神様は、縁の糸で結ばれました。きっと無事、元気な子が生まれますよ」

「ありがとうございます、(むすび)様。これで安心して出産日を迎えられます」


 儀式を終えると、夫婦は笑顔で神社を去っていった。神子もまた穏やかな笑顔で彼らを見送ると、くるりと体を反転させた。


結衣(ゆい)、また来てたのかい?」

「うん! おばあちゃんのじゅつ、みてた!」


 襖の影から姿を現したのは、幼い少女。結衣と呼ばれたその少女は、とたとたと足音を立てながら祖母である結のもとへ駆け寄る。


「あのね! おばあちゃんのじゅつはー、すっごく、すごーく! きれいなの! きらきらしてて、みてるのすきなの!」

「そうかい。結衣もいつかはおばあちゃんと同じことが出来るようになるさ」


 結がやや乱暴に結衣の頭を撫でてやると、結衣は嬉しそうに瞳を輝かせた。


「ほんとう? わたしもできるようになる?」

「もちろんさ。でも、ちゃーんと修行しないと駄目だからね」

「うん! わたし、がんばる!」

「その意気さね。おばあちゃんは結衣の成長が今から楽しみだよ」


 仲睦まじい祖母と孫のやりとり。それは見ているものには微笑ましく、二人にとっては何者にも変えがたい幸せな時間であった。

 それから結衣は数年の修行の末、結の跡を継いで紬喜神社の神子となる。


 ――はずだった。




「結衣、いつまで寝てるつもりなの! 早く起きなさーい!」


 大きな音を立てて自室の扉が開かれる。騒々しい声に目を覚ますと、部屋の明るさに目が眩んだ。カーテンで遮光されているはずなのに、瞼の裏と比べると随分と照度に差を感じる。


「えぇぇ……春休みなんだし、別にいいじゃん」


 無理矢理に覚醒させられた苛立ちから、突然の来訪者に反抗するように背を向ける。反論はしてみるものの、寝起きでかすれた声では聞こえなかったかもしれない。けれどそんなことよりも、とにかくこの温かく穏やかな寝具の中から出たくない一心で、毛布を頭まですっぽりと被る。すると、目に優しい暗い光景が再び広がってきた。


「まったく……結衣!」

「っ~! あぁああ……」


 けれど無慈悲なことに、毛布はあっさりと引き剥がされる。冬場特有の冷えた空気に体が晒され、悲痛な叫びが口から漏れた。最後の悪あがきとばかりに体を丸めてみるけれど、返ってきたのは呆れたような溜め息一つ。


「いい訳ないでしょう! 今日みたいな天気がいい日にこそ、みっちり修行をができるってものよ」

「……私は別にしたくて修行してるわけじゃないし」

「何か言った?」

「なんでもないー」


 極めて小声でぼやいたつもりだったのに、耳ざとく聞かれてしまう。さらに繰り返せば、相手の機嫌を損ねることは明白だ。流石に喧嘩を売るほどの度胸は私にはない。そんなことをすれば、長々としたお説教が待っていることは確実なのだから。


「……(はるか)

「なに?」


 ゆっくりと重い瞼を持ち上げ振り返れば、来訪者の長い金色の髪が目に入る。きっちりと化粧で綺麗に彩られた顔を見ると、自堕落な自分との落差に再び溜め息が漏れた。


「……はぁ。着替えるから、早く出て」

「はいはい。朝ご飯、出来てるからね」


 出来うる限りの抵抗を続けてみたけれど、 結局こちらが折れるしかないらしい。毛布のない寝具では、外気に体の熱を奪われるなど一瞬のこと。寒さに加えて、こうも対話を繰り返せば、否応なしに頭も動き出してしまうというものだ。渋々体を起こすと、ようやく納得したように訪問者は部屋を出ていった。


(……懐かしい夢を見たな)


 パジャマを脱ぎながら、先程見たばかりの夢を思い出す。夢なんて普段ならば目を覚ませばすぐに忘れてしまうものだけれど、今日の夢は過去の出来事が大半であったからか、起床して暫く経った今でも鮮明に思い出せた。


(おばあちゃんと……私、か)


 あれは一体いくつの頃だっただろうか。幼い姿の私は、大好きな祖母の近くをいつもついて回っていた。実際祖母は孫の自分を可愛がってくれていたし、自分も神子として仕える祖母のことを尊敬していた。


(……ずっと、あんな生活を続けられると思ってた)


 温かく、平和で、優しい世界。それは確かにあったはずの時間なのに、今となっては遠い昔のようだ。実際、過去を夢に見て懐かしいと思えるほどに、月日が流れたのは確かだろう。

 幼かった私――紬喜結衣は、十六歳となった。祖母は二か月前に病で倒れ、それまで母のいる東京にいた私はこの町へ呼び戻された。――紬喜神社の正当後継者として、だ。

 そして今。母の代わりに私の傍にいるのは、先程私を叩き……もとい、起こしに来た〝彼〟――鷲宮遥(わしみやはるか)だ。


「あぁ、やっと来た。ほら早く。 ご飯冷めちゃうじゃない」

「おはよ、ねぼすけ結衣」

「おはよう、(さや)


 居間へ向かうと、唇を尖らせた遥と、人の姿をした小さな生き物が待っていた。手に乗るくらいの大きさの彼女は、この神社に住み着いている精霊だ。からかうような口調で私の周りをふわりと一周すると、私の茶碗からお米をつまみ食いした。朝食の準備は既に整っているらしい。


「先に食べててくれていいのに。いただきます」

「まったく……。いただきます」


 いつも通り遥からの小言を受けながら、箸を手に取る。冷めるとは言われたものの、まだご飯もお味噌汁もほわほわと湯気が立っていて、私が到着するタイミングを見計らって、よそってくれたのだろうと想像がついた。


「そうだ。今日はこの後雑誌の撮影があるから、一人で修行しておいてね」

「ん、わかった」


 教育係として私とともに生活している彼は、どう見ても女性にしか見えないが、れっきとした男性だ。遥曰く女装は趣味らしいが、毎日長く伸ばした髪を整え化粧をして、言動さえも一貫して女性らしく振舞う様子は、すっかり様になっている。高身長ですらりとした体形に加えて、元々端整な顔立ちをしていることもあり、その抜群のプロポーションを活かしてモデルの仕事もこなしている。――もちろん、女装姿で、だ。


「天気がいいから、走り込みも出来そうね」

「えー、走り込みー?」

「体力づくりも立派な修行の一つよ。術の練習だけが修行じゃないんだから。ようやく道が凍結することもなくなってきたんだし、これまで休んでた分をしっかり取り戻しなさい」


 苦手な練習プランを提案されて思わず不満を漏らしたが、対して遥は気にする様子もない。

 三月となり、この神社のある紬喜山からも、ようやく雪が融け始めたところだ。遥の言うように、怪我の可能性を考慮し休止していた走り込みのトレーニングも、再開するにはちょうどいい頃合いではあるだろう。けれどあまり体を動かすことが得意ではない私にとっては、あまり嬉しくない状況だ。


「はぁ……」

「返事は?」

「……はい」

「クスクスッ、相変わらず結衣は遥には勝てないね」


 清は楽しそうに笑う。後継者として腕を磨かなければならない身としては、いかに嫌がろうとも、逃げられるものでもない。渋々返事をすると、遥は満足そうに頷き、お味噌汁に口を付けた。


(修行……ね)


 温かいお味噌汁で喉を潤しながら、改めて今日の夢について思い返す。

 祖母が神子の仕事をこなし、私はそれを傍で眺めている――今となっては遠い昔の光景だ。

 神子の務めをこなせる者がいないこの神社は、その役目を休止せざるを得なく、今は急ぎ後継者を育てている状態だ。

 そして、その後継者とは、本家直属の跡取り――私ということになっている。 速やかに神子としてのお務めをこなせるようになるためには、日々の修行が必須条件だ。


(……ってことは、わかってるんだけど……)


 修行の必要性も重要性も重々承知している。けれど、早く祖母のような神子になれと言われても、私には自分が跡取りとしてお務めに励む姿が全く想像できないのだ。後継者の実感が未だに持てない。


(それに私は別に、後を継ぎたいわけじゃないし……)


 今日の夢のように、幼い頃であれば、神子の祖母に憧れもしたし、祖母のようになりたいとも思っていた。

 けれどそれはあくまで、幼少の頃の話だ。今の私は違う。憧れていた姿には、もうなりたいと思えない。


(私、は……)


 この家の状況を考えれば、早く技量を身に着けて後を継がなければ、とは考えている。このまま遥に世話を焼いてもらい、言われるままに漫然と修行をするだけの、堕落した生活を送っていていいわけがない。 変わらなければならない。

 けれど、そうは思っても体が動かない。心が付いていかないのだ。頭だけが急いていて、何も出来ていない。それが現状だ。

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