平凡だけど幸せだったわ
私の生まれた所はここより西にある小さな島よ、本当に何もない所だけど私は好きだったな。
まあそういう風に自覚するのは大分あとの事だけど。
島の教会にある広場には古木があるのだけど、
その幹には赤ちゃんが寝れるくらいの洞があってね、聖母の腕と呼ばれていたわ。
島の言い伝えでは聖母の腕に置かれた赤ちゃんは幸せな人生を送れるという言われていて、島で生まれた多くの赤ちゃんは聖母の腕に置かれるの。
もちろん私も置かれたわ。
それも一晩中ね。
そう私は聖母の腕に捨てられていたの。
……不思議ね、とっくに乗り越えたと思っていたのに口にすると今でも心が痛むなんて。
でも、私は幸運だった。
大好きなお母さんに出会えたんだもの。
お母さんは教会のシスターだったけど、私を育てる為にシスターを辞めて、一所懸命育ててくれた。
お母さんはうどん工場で働き始めたのだけど、まだ若くて美人だったからすごくモテたんですって。
お父さんとなってくれた人はいつ誰かと結婚するんじゃないかと思ってヤキモキしていたと言っていたわ。
妹と弟が産まれたくれた。
その二人を聖母の腕に置いたのは私なの。
二人ともとっても可愛いかった。
本当楽しかったな。
高校を卒業して看護学校に入る為、島を離れたの。
もっとも島のほとんどの子は進学や就職の為に島を離れるのだけど。
不安だし寂しかったけど、希望にも満ちていた。
働きながら勉強していたからとても大変だったけど充実していたわ。
看護師として働き初めてあっという間に月日がたっていた。
一所懸命に頑張っていたのね。
気づけば家と職場の往復だけでもう年齢も30手前になっていたわ。
そんな時ね、あの人に出会ったのは。
正確には同じ医療法人の看護師で施設も同じ地区にあったから、どこかですれ違っていたのかもしれないけど。
ただお互いに意識したのはその頃ね。
不器用だけどとても優しい人だった。
不思議と会話するだけでとても幸せな気分になったわ。
気づいたらお互いかけがえのないパートナーになっていた。
人を好きになるって凄く幸せな事なんだと改めて思ったわ。
そして結婚したの。
とても幸せだった。
式は島に帰って挙げたわ。
聖母の腕がある樹の前で挙げるのが夢だったから。
家族はすごく喜んでくれた。
お母さんなんかずっと泣きじゃくって大変だったわね。
そうそう私達の式の後、その樹の前で結婚式を挙げるのが島の定番になったのよ。
その樹はもともと聖母の樹と呼ばれていたけど、いつのまにか信頼の樹とか絆の樹とも呼ばれるようになっていたわね。
最近だと何故かその樹の元でプロポーズするのが流行っているんですって。
主人は何故か島が気に入ってくれてね、そのまま島に住む事になったの。
そして子供達も生まれてくれた。
長女の遥香はのんびりしているけど芯が強い子よ。
次女の由衣は気が弱いけど頑張り屋さんね。
長男の涼介は頑固だけど誠実に育ってくれた。
三人とも自慢の子供達、私の宝よ。
まだ遥香が小学生くらいの時だったわね。
産みの親が現れたのは。
いろいろ言い訳を言っていたけどよく覚えていないわ。
会いに来た理由もお金を借りに来ただけだったしね。
もちろん追い出した。
ものすごく怒って追い出した。
ものすごく悲しくて追い出した。
お母さんは何も言わずギュッと抱きしめてくれた。
ただ抱きしめてくれた。
その日は久しぶりお母さんと同じ部屋で寝た、ただそれだけで安らかに眠れたわ。
産みの親とはそれからもう二度と会う事はなかったわね。
慌ただしい日々が続いた。
島には給食がなくてね、学校のある日はずっとお弁当を作っていたの。
とても大変だけどとても幸せだった。
運動会で子供達が頑張る姿は微笑ましかった。
日頃物静かな主人が張り切ってカメラマンになっていたのも微笑ましかった。
文化祭の出し物なんかは感心したものね。
勉強しない時、叱るのは大変だったわ。
私自身は『まあいいか』という気持ちがあったから。
本当は叱りたくなんてなかった。
だけど母親としは子供を導かなければならないと思ったの。
子供達を愛してから。
今でも育て方の正解なんて分からない。
けど子供達は素直にスクスク育ってくれた。
本当に良かった。
そして進学の為、三人とも島から巣立っていった。
そのままむこうで就職してそれぞれ生活を作っていったわ。
主人はただ私に寄り添ってくれた。
とても穏やかな時間を二人で過ごしたわ。
最初に結婚したのは次女の由衣だった。
次いで涼介が、最後に遥香が結婚したわ。
それぞれ子供をつくって孫にも恵まれた。
お母さんが亡くなった。
本当は私がちゃんとしなければいけなかったのだけど、茫然自失となった私の代わりに主人が仕切ってくれた。
ただただ私は泣くだけだった。
自分がこんなにも弱い人間なんて思わなかった。
この時ほど主人に感謝した事はなかった。
同時に主人を亡くした時はどうなってしまうんだろうと思ったわ。
恐れていたいた時が来た。
主人が亡くなってしまった。
この時から私はおかしくなっていったのね。
ただ子供達には迷惑かけたくなかった。
完全にダメになってしまう前に介護施設に入所したわ。
正気を保っている時間はそれほどない。
だけどずっとボケている分けではないの。
きちんと理解している時もあるの。
介護士のトドハナさん、あなたがしてきた事はちゃんと理解しているわ。
私にできた不自然なアザを見て子供達がボイスレコーダーを仕込んでくれた事が分かったわ。
だから私はメッセージを残します。
そして知ってほしい。
あなたが暴力を振るった人達。
あなたが突き落としてきた人達は人間なの。
それぞれ人生があった人間なの。
あなたはいつも物を見るような目で私達を見ていたわね。
私達はけして物じゃない。
感情のある人間なの。
人生の最後あなたが私に何しようが私の人生は幸せだったと言い切るわ。
あなたが何しようが私の人生は揺るがない。
これは私の勝利宣言よ。
この肉体をどんなに痛めつけようが、私の精神は揺るがない。
幸せな人生だったと言い切れるわ。
遥香、由衣、涼介、生まれてきてくれてありがとう。
私は本当に幸せだった。
取り調べ室でそのボイスレコーダーは流された。
介護施設にて五人の入所者を殺害したとされる容疑者トドハナは不貞腐れながらそれを聞いていた。
「お前はこれを聞いて何も思わないのか?」
取調官は努めて冷静に聞いた。
「ふん、くだらない」
トドハナは心底バカバカしいといった態度でそう吐き捨てた。
取調官はただ哀れにトドハナを見るだけだった。
すでに隠しカメラ等、揺るがない証拠は固めている。
取調官はただ最後にトドハナの良心に知ってほしかった。
自分が何をしたかという事を。
トドハナは死刑になるその時まで反省する事はなかった。
懸命に生きた女性の墓には今でも子供や孫達が花を添えている。
島の高台にある墓には安らかな風が吹いていた。