宣戦布告
「誰が撃った」
烈しくも、どこか静かなシュラの怒号が響く。
誰もがその声に身を竦ませていると、どこからか女の笑い声が聞こえてきた。
全員が武器を構え、ベイトはすぐさまシュラを庇うように前に立つ。
「ゼルのお気に入りだというから依頼しましたのに…使えない駒でしたか」
呆れの混じったその声と共に、するりと地面から現れたのは、黒いマントを纏った女だった。
フードで顔はよく見えないが、口元に笑みを浮かべている。
ベイトが即座に足を狙い発砲するが、弾丸はその人物をすり抜けた。
「なっ…」
絶句するベイトには目もくれず、女は跪く。
「ヴェリスト家現当主。貴方様と取引をする為に参りました」
シュラはその言葉を受け、剣呑に目を細める。
「…なるほど。貴様がジデルの言っていた依頼主か。俺を迎えに来たとでも言うつもりか?」
「ふふ、いいえ。もう貴方に用はありませんわ。その男のおかげでいいものが手に入ったので」
女はしばらく楽しそうに笑っていたが、すっと唇を引き結んだ。
「単刀直入に申し上げます。貴方には今後一切、我々の邪魔をしないで頂きたい。そして我々は、貴方の管轄であるこの北部では何もしないことをお約束致しますわ。もちろん我々の傘下の組織にも手は出させません。貴方は今より平穏な日々が過ごせる。悪い話ではないでしょう?」
使用人たちがざわつく。
それは命を賭ける場面が減るということであり、メリットなのかもしれないが、戦力は間違いなく落ちる。
組織の強さを維持するためには、戦場での経験は欠かせない。
この女はいつか必ず仕掛けてくる。その時に対抗する力が無ければ終わりだ。
「…つまらんな。あいにく俺は平穏な日々というものに興味がない」
シュラは当たらない事を承知の上で、女の眉間を狙い発砲した。
案の定、弾はすり抜けてしまう。
「俺たちは善人じゃない。だが社会を脅かす存在を見過ごすことは出来ない」
その言葉で、使用人たちの空気が変わった。
彼らは一様に不敵な笑みを浮かべており、女は嘆息を漏らして立ち上がる。
「…揃いも揃って、まるで戦闘狂ですわね。まあ…そうでなければ面白くない」
薄ら笑いを浮かべながらそう言い残すと、彼女の姿は黒い霧に包まれ跡形もなく消えてしまった。
「…思念体か。本体はもういないな」
シュラはそう呟くと膝をつき、事切れたジデルの目を閉じさせる。
そして彼のスーツのポケットから鍵を取り出しベイトに渡した。
「この鍵で全ての商品を回収できるだろう。フェイグの班は商品一覧の作成と入手ルートの追跡を頼む。他は敵の拘束にあたれ。外はミータたちが上手くやっているだろう」
シュラはベイトたちに指示を出すと自分のジャケットをジデルの亡骸に掛け、ユガンの方へと向かった。
「シュラ様。立派な宣戦布告でございました」
恭しく頭を下げるユガンの後ろには、壁にもたれ掛かりながら眠るシャーロットの姿があった。
こんな場所ですやすやと幸せそうな寝息を立てている姿を見ていると、肩の力が抜ける。
「ユガン、おまえはあの女の提案に賛成だったんじゃないか?」
「…平和というのは尊く儚いもの。私には先程の客人が約束を守るとは思えません。我々が争いから離れ戦力を失った後に、この北部にも手を出してくる気がいたします。そうなれば我々の敗北は必至でございましょう」
それは自分の考えと全く同じだった。
分かっていたからこそ、確認したかったのかもしれない。
自分の選択が間違っていないことを。
(たとえ一時的でも、平穏を望む人間もいるのだろうか)
ヴェリスト家は力自慢が揃う組織だ。
だが万が一その中に戦闘から離れたいと思う人間がいれば、面倒なことになる。
「シュラ様。我々は善人ではございません。場合によっては最も残忍な悪人となる。ですが恨まれても裏切られても、それらをねじ伏せる力を振り翳す。それが貴方様であり、貴方様のヴェリスト家だと思います」
シュラはふっと息を吐くと、僅かに口角を上げた。
「さすが、長く仕えているだけのことはある」
ユガンが微笑むと、眠っていたシャーロットが身じろぎをし、ゆっくりと目を開けた。
「…んにゃ…?」
「シャーロット・カルファ。居眠りとはいい度胸だな」
この時の彼女の仮面の下の表情は容易に想像ができた。
間抜け面から一変、百面相をしていることだろう。
本当はミータの懇願の末にユガンが眠らせたのだが、このまま黙っている方が面白そうだ。
(…もしこいつが全てを見ていたら)
ふと、そんなことが気になった。
彼女は自分たちの行動や言動にどんな反応を見せただろうか。
(俺は、何を…)
他人からの評価に興味はないというのに、そんなことを考えてしまったことにシュラは驚いた。
(どうやら疲れているらしい)
***
目が覚めたはずなのに、悪夢を見ていると思った。
(…わたしあの状況で寝てた!?)
なんとか弁解しようと仮面を外し、立ち上がろうとしたとき、階段から数十名程の戦闘員を引き連れたステイン兄弟が降りてきた。
二人はシャーロットを見つけると、一直線に駆け寄ってくる。
「やっぱ紛れ込んでたんだな!」
「地味女がドレスとか着てる…!」
ディルがけらけらと笑いながら、ディムはおどけたように言った。
「ディル、ディム…」
その姿を見たら気が抜けたのか、一気に体が重くなる。
生意気二人組の声はいつも聞いているからか、謎の安心感があった。
「あ、あれ…」
「いつもなら一発殴ってくるのに…」
二人は揃って首を傾げた。
(…この子たちもどこかで戦ってたのかしら)
よく見ると、ところどころ怪我をしているようだ。
シャーロットは仮面を置くと、無言で手を伸ばし二人を抱きしめた。
突然のことに、ディルとディムは目を瞬き、暴れ始める。
「なっ…なんだよ!」
「この!地味女!離せー!」
「……よかった」
逃れようとじたばたしていた二人が、ぴたりと大人しくなった。
ここで黙っていてくれたら可愛げがあるのだが、この二人にそんなものは期待していない。
「え、まさか…怖かったとか?」
「あの最恐シュラ様に喧嘩は売るくせに…!?」
シャーロットは二人を解放すると、指で思いきり額を弾いた。
「うるさいわよ」
「ぎゃー!いつも通りの暴力女だー!」
「逃げろー!」
走り去っていくその姿を見つめながら立ち上がろうとしたとき、足に上手く力が入らずよろめく。
「え…」
そのまま前に倒れるかと思ったが、抱きとめられたおかげでそうはならなかった。
「まだ寝惚けているのか」
「シュラ様…!すみません!」
彼はそのまま軽々と、シャーロットを横抱きにする。
「…あ、あの?」
「商品の運び出しがある。ここで倒れられても邪魔だ。上まで運んでやる。あいつらと遊ぶのは後にしろ」
彼の言っていることは正しい。
反論はない。
しかしこれは、世にいうお姫様だっこというものだ。
(…さすがに恥ずかしい)
雑でもいい。いっそのこと米俵のように担いでくれた方が心臓に優しい気がする。
とは言えるはずもなく、シャーロットは前を見据える瞳を近くで眺めながら、ぼんやりと思案した。
(この人たちはとても強い)
それでも彼らは不死身ではない。同じ人間だ。
(…一瞬で命を奪われることもある)
それはいつでも、誰にでも起こりうるのだと考えると怖くなった。
その不安が顔に出ていたのか、シュラが声をかけてくる。
「何を考えている」
「え!?えっと…あの、ジデルって人は…」
気になった問いをぶつけた。
抱き上げられているという状況のせいで周りを見る余裕はなかったが、姿が見えなかった気がする。
「おまえが気にする必要は無い」
「…ですね」
彼がどうなったのか、考えるのはやめることにした。
シュラは相変わらず正面を向いたまま、口を開く。
「他人の力を借りたとはいえ、ここにたどり着いたことは評価できる。まあ結局この有様だがな」
「うっ…」
初対面の人に案内を任せ、戦闘中に眠りこけた挙げ句、当主に運ばれる使用人。
格好がつかない。
「すみません…」
「…まあいい。おまえにとっては簡単な役ではなかったというだけの話だ」
これは弱者にしては頑張ったと褒められているのだと勝手な解釈をし、答えのわかり切っていることを尋ねてみた。
「わたしのこと認めてくれました?」
「調子に乗るな」
即答され、シャーロットは大きくため息をつく。
「ですよね…」
とはいえ、とりあえず役目は果たせたようである。
それで充分だった。