お話しましょ
彼女、改め彼は、とてもにこやかだった。
「ふふ、おどおどしてて可愛いわぁ!あの冷たい当主じゃなくて、アタシに仕えない?可愛がってあげるわよ」
冗談とも本気ともつかぬ言い方だった。
シャーロットは真剣に考える。
「その場合、お給料はいくらぐらいでしょうか?」
虚をつかれたルディベルトの笑みが凍りつく。
「……現金な子ね」
シャーロットははっとして頭を下げた。
「すみません!わたしにとっては重要な項目でして…」
「あー、謝らないで。お金は大事よね。ごめんなさい、今よりも高くすることはできないわ」
彼は申し訳なさそうに、そう言った。
「お名前、ちゃんと聞いてもいいかしら?」
聞かれて自己紹介がまだだったことに気づき、シャーロットは立ち上がって一礼した。
「シャーロット・カルファです。一ヶ月ほど前から、ヴェリスト家にお世話になっております」
堂々と、真っ直ぐに見据えて微笑んだ。
ここで怯んでは駄目だと思ったのだ。
「ふうん…聞いてた通りねぇ」
彼はそう言って、シャーロットをじろじろと見つめてきた。
「…本当に女の子?」
「…え!?はい、そうですけど…」
「なんか、信じられないわ」
最初は女らしくないとダメ出しされたのだろうかと思ったが、それは違った。
「…華奢で、無防備で、世間知らず…全く血の匂いがしないわ。平和な世界に生きてたのね。ミータが気に入りそうな子だわ」
ルディベルトの纏う空気が変わり、シャーロットは背中を冷たい汗が流れるのを感じる。
(女らしくない、じゃない。わたしがヴェリストにいることが信じられないんだ)
彼の言葉には嘲りや怒りが隠れているようで、向けられる視線が痛い。
だが逃げることはできず、ただその視線を受けながら次の言葉を待った。
「…下に降りましょうか。いいお店があってね、予約済みなの。そこでお話しましょ」
彼は微笑む。
歩き出すその姿を追おうとしたが、すぐには足が動かなかった。
シャーロットは緊張と恐怖で早くなる鼓動を落ち着けるように、深く息を吸う。
(…人目に付く場所なら殺されることはないはず)
そう自分に言い聞かせて、彼の後を追う。
「ここから歩いてすぐの所に、とても美味しいお酒が飲める酒場があるのよ」
「朝からお酒ですか?」
「ふふ、もうすぐお昼だし、今日は夜までお仕事ないの」
「…そういう問題、ですかね…?」
そんなことを言いながら、さっさと歩くルディベルトに置いていかれないよう、足早に進む。
着いたのは小さな石壁の店だった。
「いらっしゃい。ご予約のお客様だね。奥の席へどうぞ」
案内されたのはカウンターに背を向けるような形で備えられた窓際の席だった。
ルディベルトはメニューを取ってシャーロットの前に広げる。
「アタシいつものやつにしようかしら。シャーロットちゃんは何飲む?ワインとかオススメよ」
シャーロットはメニューに目を通した。
中でもフルーツジュースに目がいったが、その金額を見て諦める。
「えっと、お茶を…」
「お茶でいいの?」
なぜか不機嫌そうに言われ、シャーロットは慌てて弁解する。
「今、あまり手持ちがなくて…」
「何言ってるの、アタシの奢りよ。何でも頼みなさい」
断っても無駄なのだろう。シャーロットは欲望に忠実になることに決めた。
「フルーツジュースをお願いしたいです」
「あら可愛い。最初からそう言いなさいな。マスター、いつものウイスキーとフルーツジュース!」
二人はしばらく何も言わなかったが、マスターが頼んだものを持って来ると、ルディベルトが話し始める。
「…あなた、本気でヴェリスト家にいるつもりなの?」
早速本題がきた。シャーロットは迷うことなく大きく頷く。
「はい」
「どうして?」
即座に尋ねられ、シャーロットは膝に乗せた鞄に目を落とす。
その中に手紙があることを思い出したのだ。
「…居心地が良いと思えたからです」
ルディベルトは何も言わなかった。
そのまま続けろということだと察し、シャーロットは続ける。
「わたしは稼ぐために様々な所に行きました。どこも基本的に使用人の扱いは酷くて…特に前に働いていたハーシュ家なんて、賃金も無いに等しかった」
それを聞き、ルディベルトが目を細める。
「…貴族だったかしら。一回潜入したことあるけど、あそこは腐ってるわね。当主は闇オークションの常連。使用人は奴隷扱い。未だに潰しきれてないわ」
無表情だったが、声には悔しさが入り交じっているような気がした。
「…まあ、結局うちの村長の都合で辞めましたけど…ヴェリスト家には歓迎し認めてくれる人がいます。だから頑張りたいです」
手紙に綴った内容を思い出すと、自然と笑みがこぼれる。
ルディベルトはその表情を見て、何かを思いついたように口を開いた。
「当主は?」
「嫌いですけど」
「即答ね」
彼は楽しそうに笑った。
しかしその表情はすぐに一転し、試すような眼差しを向けてくる。
「どうしてそこまで当主を嫌うのかしら?」
「どうして…」
シャーロットはシュラの姿を思い浮かべる。
「だってあなた、シュラ様のこと何も知らないでしょ?」
それは正しくて、シャーロットは頷くしかなかった。
「…そうですね」
なぜここまで嫌いなのだろうか。
最初に思い浮かぶのは初日に騙されたことだが、自分の落ち度でもあることは認識している。
次に思い浮かぶのが、彼が自分の考えを否定したこと。しかし考え方は人それぞれだと言われればそうだろう。
ではあの冷たい態度?無愛想だから?
それとも彼の全てが気に入らないのだろうか。
(でも全てなんて言えるほど、あの人のことを知らない)
別に知りたいとも思わないのだが。
彼を嫌う要素がそれだけしかないことに、シャーロットは驚いた。
自分は、よく知らぬ相手でも嫌う人間らしい。
「…ヴェリスト家は使用人という名の戦闘員の集まり。テノさんでさえ戦う術を持ってるわ。アタシたちなんていつも生きるか死ぬかの瀬戸際に立っているし」
ルディベルトはグラスに口を付け、ウイスキーをあおる。
「当主はそんな使用人たちを束ねる存在よ。実力もあるわ。性格は…曲がってる気もするけど、あの人の持つ非情さは使用人を鼓舞する」
「鼓舞…?」
信じられず、聞き返した。
「当主に対する恐怖、羨望、あの人を超えようと抱く覇気。アタシたちはそれで動くの。彼の言葉で何処へでも行くし、何でもするわ」
その覚悟には感心したが、シャーロットには到底理解できなかった。
「それじゃ、道具みたいじゃないですか」
「使用人は本来そういうものでしょう?」
シャーロットは押し黙る。確かにその通りだ。
その労力の対価がお金である。
「…こっちは命かけてるわけだし、割に合わないと思う人もいると思うけど。そういうやつらは勝手に去るわ」
今ヴェリスト家にいるのは自分の力を活かしたい者たちなのだろう。
それぞれ理由はあるだろうが、おそらく全員が当主のために仕えている。
ルディベルトはシャーロットの瞳を覗き込んだ。
「…人を殺すことを知らないあなたはほんとに綺麗。羨ましいぐらいにね」
長い指がシャーロットの髪に触れる。
彼の紫の瞳が存外近く、咄嗟に目を逸らした。
ルディベルトはその様子を面白そうに見つめ、それからまたウイスキーを飲む。
「…そんなに綺麗なのにヴェリストで血に濡れるなんて惜しいわ。優しい世界で生きる方が、あなたのためよ」
シャーロットは黙って聞いていた。
この場の支配権は彼が持っている。
威圧か、魔力か、はっきりとしないが彼にはそう思わせる何かがある。
「当主と屋敷を守るための使用人が当主を嫌い、剰えただ守られるだけなんて…おかしいと思わない?足を引っ張る可能性もあるし、あなたは邪魔でしかないわ」
危険に身を置く者の言葉は胸に刺さり、シャーロットは目を伏せた。
ルディベルトは畳み掛けるように言葉を重ねる。
「あなた、ミータの優しさに流されてる気がするのよねえ。アタシたちには選べない生き方ができるんだもの。これからどうするのか、一度よく考えてみなさい」
そう言って、彼は立ち上がった。残りのウイスキーを一気に飲み干す。
「あと…ミータのお気に入りだから無理に追い出すつもりはないけど、これだけは覚えておくことね」
ルディベルトは少し低めの声で、強く言う。
「遠征組はあんたを認めない。あんたを消すなんて、造作もないことなのよ」
そう言って彼が指を立てると、不自然に息が詰まった。
その原因がルディベルトであることは間違いなく、シャーロットは椅子から立ち上がり距離を取る。
彼の手が下ろされると、普通に呼吸ができるようになった。
シャーロットは何度か咳き込んでから息を整え、ルディベルトを睨みつける。
「それは…脅し、ですよね」
今度は目を逸らさなかった。
暗く澱んだ冷たい瞳は、その視線を真っ直ぐに受け止めている。
「…お金は置いていくから、もう一杯ぐらい飲んで帰るといいわ。ベイトによろしくね」
彼は答えずに、ひらりと片手を振ると踵を返して歩き去っていく。
残されたシャーロットは再び椅子に腰を下ろし、当主の登場しない手紙を取り出した。
(…やっと、いい場所に出会えたのに)
腹立たしくて堪らない。
ただ自分はヴェリストに仕える人々が好きで、あの雰囲気の中で働きたいと思っているだけだ。
貰える金額はもちろん他の人より少ない。だがそれでも充分なのだ。
戦えないなりに、自分に出来ることは全て教えてもらい、全力で頑張っている。
ミータはそれでいいと言ってくれているのに。
「…本当に、それじゃ駄目なの…?」
消え入りそうな呟きに、答える声はない。
次々に客が入れ替わっていく中で、シャーロットは少しも動かなかった。
やがて喉の渇きを感じて口に含んだジュースは、氷が溶けて薄くなっていた。
次は「温情」です!