ネトゲー廃人であった彼の死
彼は死んだ。自殺だった。ゴミだらけの部屋で首を吊ったらしい。発見された時には一晩経っていて、病院に送られてすぐ死亡を確認されたと聞いている。
当時高校生だった私の制服は明るい色だったので、連絡が来た後に黒いスーツを買いに行ったのを覚えている。何故かその時、就職活動を行う大学生となった気分になったのは、まだ彼が死んだという実感が無かったからだろう。連絡が来る二日前まで、私は彼と話していたのだ。確かに彼からは、特有の現実を憎む暗い空気を放っているのを感じていないわけではなかった。いつか自殺するのではないかという予感はあった。それでも最初知らせを聞いた時は信じられなかった。ずっと彼は、次のアップデートを楽しみにしていて、表情は見えなかったが、流れるチャットに確かな喜びを私は感じていたつもりだった。
葬式は彼の自宅で行われた。そもそも高校へ進学しなかった彼の知り合いは少ない。中学時代の彼は静かで、隅でライトノベルなどを読むような学生だった。クラスの落ち毀れだと笑われたら彼は反論できなかっただろう。だけど、そんな彼だったから私達は出会ったのだ。そして、つい先日までずっと関係は続いていた。
用意された座布団に座り、少ない親類が棺桶から離れると、私は彼の眠る棺へと近づいた。ゲームの中でキャラが踏み出すような、あまりにも淡々とした足取りだった。窓から見える彼の顔は死に化粧をされているというのに、中学時代の彼よりも大分痩せこけているのがわかった。髪も延ばしっぱなしで肩まで伸びていた。現実の彼を見たのは、思えば卒業以来始めてだった。
不思議なことに、彼の遺体を見ても私はどうしても彼が死んだのだと思えなかった。確かに遺体は前にあり、焦げた線香の匂いが立ち込めていた。辺りの黒いスーツの人々も、紫色の坊主服も、よく知った者の死を悲しむ空気も、全てが彼の死を肯定していた。それでも、何か、彼の死を私は受け入れていなかった。
葬式は着々と進んだ。私と同じように、彼と最近まで会っていた友人は、焼香の際に酷く泣いていた。この友人は、彼とよく二人だけで狩りに出かけているのを私は知っていた。高校に進学していない彼は私達よりも大分資金もレベルもあったので、面倒見良く私達を引っ張ってくれたのである。ほとんど無償だった。無償に行われる彼の行為に、私は感服し尊敬までしていた。彼とは、そのような素晴らしい人物だった。
葬式が一通り終わり、私と友人は帰路へと着くことになった。友人とも現実に会うのは卒業以来初めてで、昔よりも大分高校生の持ちえるあのクリアな雰囲気を放っていた。悲しい時に思い切り泣き、嬉しい時に思い切り笑えるような純粋な時期だったのだと思う。こんなクリアな時期に、彼は死んでしまったのだ。
「まさか首を吊るなんてな」
酷く冷えるコンクリートの上を歩きながら、友人は言った。しかし不思議と友人は分かっているようにも私には感じた。まるで当然彼は自ら命を絶ったのだと言いたいようだった。
「信じられない。だって、あいつの装備はすごく良かったじゃないか。鯖に数個しか存在しないミストルティンを持っていただろ?」
「よく自慢していたな。三ヶ月寝る間も惜しんで狩りをしたんだっけ。よく競争に負けて他のプレイヤーに取られたことを話していた」
ミストルティンは一時間に一匹しか出現しないモンスター『呪われた宿木』が0.1%以下の確率で落とすアイテムだった。半年以上前、狂ったように彼は『呪われた宿木』狩りを行っていた。ほぼ二四時間もの間、仮眠を繰り返しながら狩り続けたのだ。しかし、当然他のプレイヤーも狙っていたのだから、絶対狩れるとは限らない。このような条件の中で彼は闘争に負けた挙句、別のプレイヤーがミストルティンを手に入れるのを見てしまったのである。
普通ならば心が折れてもおかしくは無い。一ヶ月もの間、極限的な日々を送りながら求めていたアイテムを食事も睡眠も十分に取っているような甘いプレイヤーに取られたのだから。しかし彼は諦めなった。それからもまた二ヶ月間も同じように『呪われた宿木』を狩り続け、ついにミステルティンを手に入れたのだ。画面の向こうにいる彼の喜びを、私は完全に理解したわけでもないし、彼のような苦労などしたこともないのだから、彼の自慢にそこまで取り合ったわけではなかった。それでも私は不思議と彼を尊敬し、嫉妬さえ感じたものだ。確かに彼は、一生私に持てないような何か光るようなものを持っていた。その光はあまりにも綺麗で人をひきつけるようなもので、時代に残るような、偉人が持つ光に他ならなかったのだと思う。
「でも、だからこそあいつは自殺したんだと思う。当然だったんだ。あいつにとって、ネトゲーってのは全てだったんだ」
「あいつに何があったのか、お前、知ってるのか?」
「データを消されたんだ。ノクターンも含めて、全部らしい」
私の心臓が一度大きく波打つのを聴いた。
ノクターンとは、まさにミストルティンを持った、彼のメインキャラクターだった。そして私の一番よく知っている彼のキャラクター名だった。いや、ミストルティンを所有していることからサーバーでも度々話題に上がるほどだ。それが、消されたのだと言われたことがどうも非現実じみていた。
「あいつ、いつも親父さんと喧嘩してるって言ってただろ? 当然なんだけど高校にも行かないで引き篭もってゲームばかりしているから、さっさと働きに出るように言われていたらしい。だけどあいつ、無視してずっと狩りばっかしてただろ。それであの夜の後、少し離席している間に全部のキャラを消されたんだ。あいつ、サブ垢とか作らなかったから、一つのアカウントで全キャラだったんだ。それでまた酷く喧嘩して、これまでに無いくらいに暴れたらしい。それから自殺したって。あいつの親父さんが話しているのを聞いたんだ」
不思議と全ての糸が一直線に伸びたような感覚を私は覚えた。彼の死の原因を聞いたとき、確かに私は納得したのだ。彼の自殺は当然だった。もしも他人から見ればまったく理解できないのかもしれない。だがこれ以上に納得できる死因は私には見当たらない。
「親父さんは、自分のしたことを何か言っていたか」
「当たり前だって。日々引き篭もってゲームばかりしている駄目な息子が死んだことに少しだけほっとしているとさえ言ってたよ。当然息子が死んだのだから悲しがってる一面もあったんだと思う。自分のせいで死んだとも分かってないわけじゃないと思う。それでも、当然のことを言ったんだって感じたよ」
友人はそう言うと、何ともいえないような複雑そうな顔をした。鏡があれば友人と同じような表情が写るのではないかと私は思った。私も友人も分かっているのだ。彼の父親は確かに正しいことをしたのだ。しかし、それは一般的な正解だった。一般的な正解であるせいで、彼の父親に間違っていたのだと証明する方法は失われていた。彼の死でさえ、弱い彼が拠り所を失ったことに耐えられなかったのだと、弱い人間だったのだと解釈されてしまっていた。もしもこの事を葬式で聞いていたら、耐えられず私は彼の父親に殴りかかっていたのかもしれない。そして彼を殺したのはお前だと言い放っていたのかもしれない。多分、どうして殺したのか、親父さんは一生理解できないのだと分かっていても。
「なあ、どうする? このまま、ゲーム続けるのか?」
何か不安そうに友人は言った。きっと彼が死んだ後も同じゲームを続けることに後ろめたさがあるのだろう。生きる者は死んだ者にいつも後ろめたさを感じてしまう。何か、死んだ者が失ってしまった物を所有し続けることが冒涜しているように不思議と思ってしまうのだ。
しかし、私にはそれが本当に喪に服すような行為にだと信じ切ることが出来なかった。確かに、あのネットゲームが好きであるという個人的な感情が無かったわけではない。だが夜道の先に見た過去の彼の姿を思い出すと、本当に彼を弔うのはどちらが良いのか私には分からなかった。
「分からない。ただ、今日はログインしないと思う」
それからどんな会話をしていいのか私は分からなくなった。話題は沢山あった。高校の話は幾らもゲームの中でしたことがある。また勉強だって話題になった。現実の女子となれば無理なのだろうが、アニメや漫画なら恋の話だって出来たのだろう。それに死んだ彼の話も出来る。中学時代のことを私は思い出した。彼は、私と友人の話に耳を傾けて嘲笑したりするのが好きな奴だった。自らのアニメやゲームに対する哲学が至高だと思い込むような傲慢さが彼にはあり、その傲慢さは確かにネットゲームにおける彼の強さの片鱗を私に見せていた。
結局ほとんど私達は会話をすることなく夜道の、高校時代にいつも別れた交差点へと着いてしまった。信号も無い駐車場が一角に広がって、対面には暗く古いコンクリートのマンションが聳えていた。葬式の帰りなのだから、ホラー映画ならば幽霊の一匹に呪い殺されてもおかしくは無い雰囲気だった。だが妙に私の心はそのような恐怖を抱かなかった。もしかしたらそれほどに友人との会話が弾まなかったことに気を取られていたのかもしれない。
「なあ、あいつがこの場にいたら何て言うだろうな」
別れ際に友人は私に尋ねた。
「この時間にどれだけ金策が出来たのか。それかずっとゲームかアニメの話をしていたんだと思う。データが消される前の話だけど」
あまり考えず、私は直感的に答えた。その答えは、間違ってはいないのだろう。いや、むしろ彼や友人との話題の大半はアニメやゲームなどだった。
「そうだよな……俺達の会話は、それでいいんだよな」
一度私は頷いた。この問いかけに私はふと重荷のようなものが取れたような気がした。
「昨日今日のアニメ、消化してないよな。今期面白そうなのあったらまたゲームの方で教えてくれ」
この時、私は決意したのだと思う。帰ったら、いつも通り過ごすのだと。アニメを見て漫画を読み、高校で勉強をして、彼の居ないネットゲームを自分の思った通りにプレイするのだと。
「おうよ。とにかく最初の一話だけは見ろよ。最終回までに面白くなるのは教えてやるからさ」
暗がりに友人の表情はよく見えなかった。しかし、既に友人は私の知っている友人だった。
十年以上経ったというのに、あのネットゲームは今でもサービスを続けている。前時代的な2Dのシステムだというのに根強い人気があるのである。
大学に入ってすぐ私はこのゲームを引退した。サークルや勉強が忙しかったということもあるが、何より別のゲームへと興味が移ってしまったことが原因だった。友人とは今でも時々会っている。『法学部に進む』と言った友人の発言が似合わずに私は笑って『法学部にはきっとオタクは少ないぞ』と言ったのを覚えている。結局私は薬学の道に進んだのだが、そこにも一定の割合でアニメ好きはいたことに私は驚きを覚えたりしたのも古い記憶だった。
彼とやったネットゲームの話題は今でも聞くことがある。新たなダンジョンの実装、新しい職業の実装、PvP大会の開催、対戦システムの大幅な調整などである。あれほど苦労して彼が手に入れたミストルティンは既に昔の物となり、今では通常モンスターが簡単にドロップするものとさえなっていた。このことを聞いた時、むしろ私は笑ってしまった。ああ、なるほど。ネットゲームにはよくある話だな、と。
友人以外と彼のことを誰にも話したことはない。今でも私は彼のことを慕っていたし、尊敬まで覚えていたからだ。だがその尊敬の念を誰にも理解されないのだろうという諦めがあった。大学時代の先輩もネットゲームをしていたが、よく『これ以上の時間の無駄は無い』と言っていたものだった。彼等の意見は至極当然で、反論の余地も無い。永遠とネットゲームをやり続けて金になれる者など一握りだ。その一握りもeスポーツが活発ではない日本では皆無だと言っていいだろう。ましてや彼とやっていたゲームにプロなど存在しない。ただ一円にもならないことに月額課金を続けながら永遠とやっていたとなれば、顔をしかめられて然りだ。
しかし、何と言われようが私はどうしても彼に対する憧れを捨てることが出来なかった。死者への同情や過去への渇望のように美化したわけではないと断言できる。何故なら、高校時代の私は、彼を尊敬していたからだ。
ログイン無料キャンペーンがあり、私は数年ぶりにあのネットゲームにログインした。街中のNPCや建物は私の知っているものだったが、人々の姿は今があれから十数年経ったのだと実感させた。キャラクター達は私の知らないような恰好をしていたし、ペットらしい見たことも無いモンスターを連れていた。時々光るスキルは見たことも無い。アイテムも昔ならばチートと思われるようなものが私でも簡単に買える値段で投売りされている。
アイテム倉庫を見ると、私は昔使っていた装備を眺めた。もはや今の時代においてどこまで価値のあるものかはわからなかった。基本システムは変わっていないのだろうから、幾らかはまだ十分に使うことはできるだろう。しかし長い狩りをしようという気はまったく沸き起こることはなかった。レベルを一つあげるのに何時間も掛かる。しかし明日には仕事があるのだから、それなりに早く寝なければならない。
倉庫に眠っていたアイテムを取り出し、高校時代に彼と共に狩りへと行った森へと向かった。昔は効率のよい場所で数々のプレイヤーと個体数の決まっているジャイアントラットを競って狩り合ったものだったが、今では記憶よりも少なくなった巨大な鼠と、記憶と変わらないフィールドの木々ばかりが佇んでいた。
「60レベルからはネズミ狩りが一番効率いい。ソーサラーなら別だけど、ファイターは終盤までお世話になる狩場だ。対策装備をやるよ。しばらく必要無いしな……」
高校の頃、そう言って彼は高価な装備を私に譲ってくれた。彼のやるというのは、あくまで装備を共有するという意味だったのだと思う。今は必要無いからくれてやる、だけど必要になったら寄越せ、ということが当然だと彼は思っていたことだろう。それでも結局この狩場の装備は私の手元に残った。既に共有する相手を失い、事実上私の物に相違ない。
久々にジャイアントラットを数匹狩る。しかし、長くは続かなかった。昔なら喜んで何時間も同じ作業へと没頭したことだろう。それは、レベル上げに一番近道だったからだ。しかし今では、そのレベルに価値を抱くことが出来なかった。価値を抱くにはあまりにも私はこの世界から離れすぎていた。
今思えば狂気的とも言えるほどだが、私は本物の金より素晴らしい学力よりも、このゲームでのレベルが欲しかった。それは彼も友人もそうだったのだと思う。今となってはレベル上限が開放され200程度までは数日でいけるらしい。昔はレベル70から80まででもやっきになって二週間は掛かったものだった。きっと今のプレイヤーが昔の私達を見たら原始人のようだと顔をしかめることだろう。
狩りを中断すると私は木陰へと移動した。辺りには見覚えのあるような木のグラフィックが画面いっぱいに広がっている。2Dの世界なので、その木々はどこかコミカルだった。最近の3Dゲームならばもっと綺麗で現実のような綺麗な葉を見せたことだろう。
ふと私は、最新の3Dゲームで舞う木の葉を眺めた時に同じことを考えたなと思い出した。ある最新のゲームの一枚一枚リアルに落ちる葉を見たときに、あの昔やっていた2Dのネットゲームとは大違いだと思ったのだ。そこで私は、気がついたのだ。このゲームも森も、綺麗なテクスチャの木々も、まったく優越などは無いのだと。
画面の中に広がる2Dの森は、ほとんど単純なコピーアンドペーストで作られたようなもので、動きなども少しだけ揺れるだけでほとんど何も無かった。他には若干のエフェクト音と時々聴こえるジャイアントラットの鳴き声ばかりだった。
だが、私にはこの森があまりにも美しく思えた。綺麗なのではなく美しいのだ。技術的には後進的だとも言える。しかしこの森には歴史があった。そして思い出があった。永遠と狩りに興じた記憶。狩る為に彼に貰った装備。彼や友人に手伝ってもらったこともある。いや、私達だけではない。様々なこのゲームに携わったプレイヤーの残光がこの森にはあった。この森が無ければ、この世界を語ることは出来ないに違いない。不思議な歴史性を帯びながらも、ただ忘れられたように残っているこのフィールドは、まさに古代の人々が営み忘れられた遺跡のような美しさがあるのだ。
この時、何故過去の私がこの世界のレベルに拘っていたのかを理解したような気がした。まだそれははっきりとした形を取っていなかったが、何かを私は感じたのだ。
この感触を手に収めなければならないと私はふと思った。高校時代の私ではわからなかったものがあるような気がしたのだ。義務感に近い感情だったが、どちらかといえば知識欲や好奇心に近いようなものだったのだろう。私は、その先に待つ何かふんわりとした、だが求める輪郭を見たのかもしれない。
一度街にまで戻ると、何かの輪郭をはっきりとさせるように、私はよく知っている孤島へと向かった。
孤島は経験値の配分が変わったせいか未だに人の数が多いようだった。騎士の上級職らしい姿のキャラが私の知らないようなスキルを使い一撃でダンシングロックを倒していた。昔はこの岩石のモンスターを倒すには時間がかかったものだったが、今では他の雑魚モンスターと同レベルにまで落ちたらしい。
足しげく孤島に通ったのは、彼が死んでから二ヶ月ほど経ったときだった。私と友人は効率を求めて新しく実装されたこの島に通ったのだ。ダンシングロックを倒すのにネズミ狩りのようなサクサク狩る爽快感は皆無だったが、経験値効率や金銭効率は悪いものではなかった。
「確かにいい狩場だ。あいつが待ち焦がれていただけのことはあるよ。確かこのマップに向けて装備揃えてたっけな。絶対値上がりするって断言してたよな。あいつの場合、レベルというよりドロップ目当てだったんだろうけどな。細かい奴だ。もっと効率のいい金策なんて幾らでも知ってるだろうに」
孤島狩りの休憩時に友人がそうチャットに書き込んでいたのを覚えている。どのように私は返したのはよく覚えていないが、何か冗談の一つ言っていた筈だ。この頃の私達は狩りを普通に行っていただけではなく、彼のことを話題に出し笑うことを頻繁にしていた。彼を語るときはほとんど冗談めいていた。彼が死んだこともキャラが消されたこともネタにして笑ったことさえよくやったものだ。『ダンシングロック狩り三人なら効率よかったのに、あいつキャラクターだけじゃなくて自分までデリりやがったからな』、という風に。他人から見たら不快に思うような会話の内容だったのかもしれない。しかし、私と友人はこうやって彼を弔った。そのつもりだが、仮にあいつが嫌がってたらあの世に行った時、二人で土下座しようと話したものだ。死者に言葉は無い。だから考えた行為が正しかったのだと証明する手段は無い。
一匹のダンシングロックが寄って来たので、私は攻撃することにした。しかしダンシングロックは私の記憶にあるような強さではなく、攻撃力や防御力が強化されていたようだった。そのまま私は簡単に倒された。倒されると辺りに居たプリーストが寄って来て復活の魔法を申し出たが、私は丁重に断った。
孤島から戻った私は、インターネットの攻略サイトで大分前に修正が入ったことを知った。私がこのゲームをやめてから五年後くらい後である。もはやあの彼と行った森とは別に、あの孤島も歴史を一つだけ残し、変わってしまったのだろう。
だが私は岩だらけの無機質なフィールドの歴史に、不思議な影を見た。実装されたのは彼が自殺をした後だというのに、確かに私は友人との狩りを通して彼の残光を見つめていた。彼はあのフィールドを求めていたし、彼に対する思い出話の数々はあの孤島で生まれたのだ。その影は夜道の明かりに照らされ様々な方向に伸びる影のように、朧で消えやすいものだったのだろうが、しかし認識するとはっきりとした人の輪郭を描いていた。既に私は、あの孤島に彼の面影が微塵も無いなどと思うことはないのだろう。
翌日。仕事から帰ると私はまたあのゲームへログインした。ふと自分の離れていた十年近くもの間に実装されたフィールドや街などが気になり、攻略ページを見ながら行ったこともない街へと一人で向かった。
クリスタルだらけの街や暗い死者の街、日本神話をイメージしたダンジョンなど様々実装されていたが、一人ではモンスターを狩ることさえ叶わない難易度の高い狩場ばかりだった。その場所にはびこる、ただ強いだけで効率の悪いモンスター達から逃げ回り私は淡々と進んでいった。5分から10分程度ダンジョンの最下層を見学しただけで、他のダンジョンへと進んでいった。
最後には、昔のダンジョンをリメイクしたダンジョンにも行った。そこは墳墓ダンジョンと呼ばれる場所で、昔は古代の兵士の恰好をしたモンスターが襲って来るだけの場所だった。しかし『悪意開放』というクエストをこなすと、同じ構造のフィールドにおいて強化されたモンスターから高価なアイテムのドロップを狙えるらしい。私はよく知った石造の兵士へ攻撃した。しかし時代遅れな私のキャラクターは体力の10倍程度のダメージを受けてその場に倒れてしまった。実際、このダンジョンの推奨レベルは300からである。100にも満たない私など、簡単に葬られて当然ともいえるだろう。
ふと私は、彼が生きていたとしたらこのダンジョンに潜ることが出来たのかと考えた。私や友人も引退してしまったのだから、現実的には彼も引退していたと考えるのが当然だろう。しかし、偶然にも続けていたとしたならばどうだろうか。
だが私は、どうしても彼が続けていたとしてもこのダンジョンで戦い続けることが出来たとは思えなかった。このダンジョンはパーティプレイが前提に設計されえていたからである。そもそも一人では潜ることが出来ないのだから、私達が引退した後に彼が潜るようなことをすることはないだろう。どんなに効率が上がろうと彼は私と友人以外とはパーティを組むことはなかった。そのスタンスは、きっと今も変わらず残ったことだろう。彼は私よりも現実的な戦士だった。だから、このような無謀な場所を好んだりはしないだろう。
不思議だった。他のダンジョンとは違い、まったく知らない場所だというのに私は、やはり彼の面影を見ていたのである。ログアウトした後でもこの事実は私の脳裏をくるくると、環状の道路を全速力のバイクで走っているかのように駆け巡り続けた。彼は確かに死んでいた。私の中で生き続けるというようなありきたりなことを言うつもりはない。仮に生きていたとするならば、生前の彼から培われた記憶なのだ。しかし、今は彼の死後だった。彼は触れることもしない。何ら影響を与えることもない。モンスターを狩ってレベル上げすることもない。そのような者が生きていると定義するのは無理がある。
だが、それでも存在しないしない筈の影がどこかしこにもあるのである。それは間違いなく死者の影だった。可笑しな話だと最初私は思った。ゲームの世界にモンスターでもない幽霊がいるというのだろうか。
その影の正体を私は無性に知りたかったのだろう。普段よりも早く眠りについた私は、深夜に目が覚めた後に、再びあのゲームに入った。それから一時間ほどよく知った街を歩き回った。大部分変わらない町並み。一部新しいNPCが配置されていたが、記憶と相違無いキャラも沢山いた。NPCと再会し会話ウィンドに表示される記憶と相違ない文字を眺める。このゲームを始めて最初に狩りをしたフィールドは変わらない。しかし人はまったく変わっている。知った者はどこにも居ない。その痕跡は倉庫に残ったアイテムと、私と友人だけしかいないクランばかりである。
外が段々と明るくなる頃、私は最後に彼と会った場所に向かった。一番大きな街の隅にあるベンチである。私と彼と友人の三人でよくこのベンチで話したものだった。チープな表現をすれば、まさに思い出の場所である。そして私にとって彼の最後の場所である……
そうか、とベンチを眺め、私はついに影の正体に気がついた。
彼は、間違いなくこの世界の一部なのだ。
不思議なことに今でさえ彼はこの世界の一部として存在し続けている。生きているわけではない。しかし、皮膚の表面が死んだ体細胞で出来ていて、我々には不可欠なものであるのと同じように、生命のようなものが残っていなかったのだとしても、確実に彼はこの世界で今でさえ何かを担っているのである。
このゲームは確かに一つの世界だった。ゲームだからとか現実ではないとか、実在性が皆無だというのは、この世界を理解していないのだ。きっと小説や漫画などの創作と同じなのである。このゲームは彼を作り出し、彼が作り出した世界なのだ。この世界には、現実と同じような歴史があった。肉体を持った人は居ないし、実態の無い電子的な存在ばかりだったのかもしれない。だが彼等には生命があった。生命の営みが確かにこの世界にあった。多分私は凄まじいほどの彼の生命を感じていたのだと思う。そしてその生命力や意思に私は憧れていたのだ。このゲームで私なんかよりもずっと深く彼は生きていた。あまりに美しく輝いていた。現実の英雄に覚えるような輝きだった。自分には決して手に入らないような、太陽よりも眩しく感じるような閃光。その強烈な光に私は敬意を感じていたのだ。
もしかしたら生命という意味では現実よりも濃いのかもしれない。この世界の生命は非常に精神的な存在だった。現実の我々の精神や思考がそのまま移行したようなものだ。インターネットを通して、精神がこのゲームの世界へと旅立っているのである。だからこの世界にやっきになる。彼のように必死に戦い続ける者が現れる。現実の肉体は、そうなれば単なるからっぽの人形でしかない。ただ彼は、その精神の移行があまりにも深すぎた。
彼が死んだのは、あの夜だった。しかしそれは、きっと首を括った時ではなかった。彼の精神はこの世界に留まっていた。ノクターンというキャラクターという形でこの世界に生きていた。キャラクターを消されたとき、彼という存在は消えてしまったのだ。精神が旅立ったままの肉体はからっぽだった。だから彼の肉体は、自殺してしまった。自殺を思いとどまったとしても同じだったのだろう。それはきっと彼ではなかった。ただからっぽの彼の肉体に生まれた、新たな精神だったに違いない。死んだ者は決して蘇らないのである。
思えば、ゲームの世界は死に溢れていた。誰かがゲームは死なないと言ったものだが、嘘だ。ただ、ゲームはヒットポイントを失い倒れたことが死ではないだけである。しかし、彼のキャラクターが消えたことは、死と同等だった。彼等は現実にも完全に消えたわけではない。だが自ら何かの影響を能動的に与えることはない。ただ祖先の面影を見るように、受動的に佇むばかりだ。そのような受動的な存在に、あの夜、キャラクターが消された時に彼は至ってしまったのだ。
高校時代の、あの葬式の夜。
数十年後に気づく彼の死を、私は無意識に理解していたんだと思う。
家に帰りシャワーを浴び、普段通りの食事を取り、二日分のアニメを見て、遅くに私はあのゲームにログインした。クランのメンバー表からノクターンの名がないのを見て、初めて私は彼の死を泣いた。
現在では一般受けしないんでしょうけど、こういう文学の方が好きです。