第二章 フユイチゴを摘みに1
食パンにはブルーベリージャムが合う。食事中、フィオは、とりとめもなくよくそんなことを考える。午前、自宅のダイニング。寒さを凌ぐために、釜戸の薪を燃やして暖を取っている。
山は気流変化が激しいために天候が変わりやすい――というのが山地帯の通例だ。しかし、ルシオールでは連日、穏やかな冬晴れが続いている。日は照っているが、気温は一向に上がる気配を見せない。流石に山間部の冬は厳しい。
フィオはあんまり寒いので、今朝はすでに外出用の防寒服に着替えている。朝食は昨晩の余りもので済ませる。ミティからもらった試作品のパンの残りと、簡素なスープの付け合せ。食べているうちに、何となく目も覚めてくる。
熱いスープを飲みきって、フィオはホッと一息つく。いつも通りの冬の朝。ベッドから起きて、朝食を食べて、歯を磨いて――いつもならこのままハンティングへ出かけそうな流れだ。けれども、今日はちょっと別件がある。ミティとの約束が入っている。
待ち合わせの時刻までまだ余裕があったので、フィオは時間があるうちに日課である狙撃銃の掃除・整備をやってしまうことにした。玄関脇に置かれた狙撃銃を持ちだしてテーブル上に乗せ、幾つかのパーツに軽くバラす。小さなブラシを使って、汚れを先端から丁寧に落としていく。
淡々とした作業がしばらく続く。フィオがずっと黙っていると、部屋は徐々に、妙に静寂な雰囲気を漂わせ始める。カチャカチャと銃を組み立てる音、バチバチと釜戸の薪が弾ける音――ああ、なんだか落ち着くな、とフィオは思う。冬は寒いのが難点だが、朝のこういうゆったりとした感じはなかなか悪くない。
ミティとの待ち合わせ場所はパン屋の入口前。パン屋は、ミティの仕事の勤め先でもある。同時に、そこで下宿もしていて、毎日が修業の日々を送っているという。
仕事はまだまだ半人前で、独り身――二人には初めてあった時から共通点があった。共通点が幾つか重なると、知り合ってから仲良くなるまでにそれほど時間はかからない。
振り子時計を見て時間を確認し、フィオは「そろそろ行くか……」と呟いてダイニングを後にする。手入れを終えた狙撃銃、リュックサックは普段通り持っていく。ナイフと弾薬はすでに防寒服の腹ポケットに仕舞ってある。
釜戸の火を消し、部屋の戸締まりをきちんとしてから、フィオは外へ。
パン屋は坂道を上っていったすぐ先のところにある。坂道は急勾配で険しいが、フィオの自宅からまだまだ近所の範囲だ。のんびり歩いていても、きっと五分も経たないうちに着いてしまうだろう。
ルシオールの路地は双方を建物に挟まれた極端に細い道がほとんどだ。山の山間部の比較的住みやすそうな斜面に住宅が乱立したせいで、周辺はこれ以上空きがないくらいにぎゅうぎゅう詰めになっている。
ファンタジー世界に迷い込んだような、絵のような光景が広がる町――しかし、いざここで生活するとなるとなかなか骨が折れる。一年以上ルシオールに住み続けているフィオでも、この町の道筋を完全に網羅するのは難しい。
フィオは石畳に舗装された道の上を歩いている。ルシオールでは見渡す限り、外のほとんどの造成物はみんな石造りだ。ルシオールの最大の特徴はその立地にあるが、山間のこれだけ木材に恵まれた場所で石造建築が目立つというのも不思議な話だとは思う。
フィオはこの町の歴史にあまり詳しくないが、聞いた話によると、当時の建築技術の主が石材だったこと、比較的乾燥した地域だったことが要因になって、現在のこの町の姿が形作られたのだという。
木材は時折家の補強に使われる程度。森林伐採がほとんど行われていたいために、山地帯は動植物豊かな本来の状態をずっと維持し続けている。これだけ好条件が整うと、何かと人が狩猟をするのには都合がいい。
フィオはすれ違った顔見知りの住人たちと会釈したあと、道の突き当りを曲がって坂道を上り始めた。坂上からはすでに焼きたてのパンの匂いがほのかに香っていて、人々の食欲を惹きつけるために上手く機能していた。匂いに誘われるようにパン屋までやってくると、入口付近でミティが手を振って待っている。
「おはよう」とミティ。
「うん、おはよう」フィオは片手を上げて応える。手袋をしているとはいえやっぱり寒いので、出した手はすぐポケットに引っ込める。「冷えるね」
「そうだね。最近ずっと晴れてるのに」
ミティは苦笑する。
ミティはウール製のコートに防寒ブーツという格好だ。小さな皮袋を腰につけていて、お使いかごを手に提げている。普段はパン屋の作業服を身に着けているので、外出用の私服は久しぶりに見た気がする。対するフィオはいつも通りの防寒服。フィオにとっては、これが作業服みたいなものだ。
フィオは胸ポケットから懐中時計を取り出して言った。「待ち合わせの時間ぴったり。じゃあ、ぼちぼち出発しよっか」
フィオとミティは一緒に歩き出し、パン屋を後にする。
「今日の目的地は?」隣から、ミティが質問した。
フィオは「ああ……」と頷いて、
「カルルア山地」
ソロハンターのフィオにしては珍しく、今日は友人を連れて山へ入る。今回は狩猟が目的ではない。ミティとの約束――フユイチゴを摘みに行く。雪に埋もれていなければ、おそらくもうたくさん実っているはずだ。