エレーヌ1
エレーヌ・ゴシントンは、悪女である。
それは、認めよう。ファティアの人生を奪い取るために、何だってやってきた。ファティアの婚約者や候補の男たちを持ち前の美貌で魅了し、たらしこんだり、一度だけではあるが身体を使って奪ったこともあった。
けれど、ファティア・ゴシントンは、不幸な女の子だった。
両親の愛を美貌の妹に根こそぎ奪い取られ、義務の強要を過酷で、不遇な幼少期を過ごした。長じてから、貴族の娘らしく婚約者があてがわれるようになるが、その度に婚約者や候補の男たちを妹に奪われ続け、ついに聖婚式当日になっても、また悲劇のように妹に婚約者を目の前に奪われる。
でも、ファティアは最後の最後で、最も素晴らしい条件の、最も幸福な人生を手に入れた。
王太子アルベールだ。持ち前の天性の能力で、王宮に返り咲いた悲願の王子。賢く、強く、聡明で、美しい。あの男の言葉、あの男の視線ひとつで、すべてあの男の思いどおりになっていく。すべてを支配するために生まれてきたような、天性の支配者である。
貴族の娘の聖婚相手として、またひとりの女性としても、ここまで極上の条件の男はそうそういない。しかも、あんな暴君のような天性の支配者が、ファティアを、ファティアのことだけを、心から愛しているのだ。
あの男は、ファティアが望むのならどんなことでもするだろう。ファティアのやさしい微笑みのために、どんなものでも手に入れてみせるだろう。しかも、そんなことを当然のようになし得るだけの能力が、あの男にはすべて備わってしまっているというのが、本当になんとも笑えないのだが。けれどあれは、そういう男だ。
まあでも、そういう化け物のような男だからこそ、ファティアを不幸には決してしまい。不幸なんてものの存在を忘れさせるくらいに、幸福だけをリボンで結んでプレゼントし続けるだろう。ファティアの、しあわせの微笑みこそが、あの男の望むすべてなのだから。
あんな男に捕まってしまった……いやあんな男の心を掴んでしまったファティアは、本当は不幸なのではと、私は思わなくもない。あんな、重たい執着男、それも神級の能力を有したたちの悪い人外のような男から、逃れるわけもなく、否が応でもあの男だけを選び続けなければならないのだから。
でも、それでもやっぱり、あの男はファティアを不幸になどしない。そんな不安の影の存在、可能性さえ、微塵も気づかせることなく、どろどろに甘やかし、互いの魂が溶け合うほど強く、そして深く愛するのだろうから。幸せの輪の中で、不幸の存在を永遠に忘れさせられるのだ。
これは、不幸に愛されるファティアの人生で、最も幸福な道なのだから。
あの男を選ばない、いや選べなかった道では、ファティアはことごとく不幸になる。必ず、不幸になった。もはや、あの男の呪いなのでは? と心底疑いたくなるほど、あの男を選ばないファティアの人生は、ずっと、最初から最後まで不幸と苦難に襲われまくるのだから。
けれど、あの男を選ぶ人生のファティアは、驚くほどに、しあわせになれる。いつでも微笑み、満ち足りている。
大半は大人になるまで生きられず、死に方も何故だかとても無残で、最後まで泣かされる結末を迎えてしまう。泥にまみれ、身を裂くような屈辱ばかりで、悲しみと怒りと、孤独に付き纏われる。
ファティア・ゴシントンは不幸な女だ。
常に不幸を呼び、必ず不幸に付き纏われる。もはや不幸を引き寄せてしまうような、そんな体質なのかと本気で思ってしまうほどに、とにかくファティアは不幸に愛されている女の子だった。
でも、ファティアに纏わり付き、ファティアを苛み、ファティアを呑み込まんとする不幸は、どうしてか、あの男にだけは勝てない。あの男が、あの男だけが、ファティアの不幸を殺すことができる。あの男を選ぶ、ただそれだけで、ファティアの人生を奪っていく不幸に勝つことができるのである。
だから私は、不幸に取り憑かれたファティアの人生を、根こそぎ奪い取って行った。ファティアを、最後の最後に現れる幸福の王子アルベールの、あの手に、きちんと引き渡すまで。
それが、私の、悪女エレーヌの、この世での役割である。