プロローグ4
本日三話目の更新になります。
これにてプロローグはラストになります。本編はこの後から。
シャルル・ド・ディアスはぼんくらである。
昔から決して優秀な子どもではなかったし、今も別段特筆すべきものは何も持たない。決して不出来ではないし、醜い容姿でもないが、それでもシャルルは決して特別な存在ではなかった。
勉強もそこそこだったし、剣の腕もまあそこそこできる。貴族に必要な処世術もそれなりに学んだし、嫡男ではないけれども血筋だけなら一等良いものだ。いささか傲慢で、ちょっとだけ短絡的で、ほんの少し軽率なだけだ。ただ、それだけ。
ふつうなら、まあなんとか貴族の世を泳いで行けるだろうと思われていた。……よほどの大失敗をしない限りは。
「シャルル・ド・ディアス、およびエレーヌ・ゴシントン」
王太子アルベール、王権を神より授けられた一族の末裔、神の代弁者。つい先ほどの、恋が実ったことの少年らしい喜びはどこへやら、今では普段の蠱惑的で強かな微笑みを取り戻している。
神妙な声色に、呼びかけられた男は、その威圧感にすくみ上がり、畏怖を覚えていた。一方で、もう一人の女の方は、未だに項垂れたままで、愉快なお口を噛みちぎらんばかりに噛み締めていた。
「貴殿らは我が国の国教を愚弄し、また我らが国王を侮辱した。国家反逆罪並びに姦通罪が適用され、貴族の身分を剥奪の上、普通ならば死罪、特別な恩情をもってしても生涯幽閉がいいところなのだが」
愚弄、侮辱、国家反逆罪、姦通罪、身分剥奪、死罪、生涯幽閉……辛辣に、次々と並べたてられて行く言葉に、哀れなるぼんくら・シャルルの顔がどんどん青く、また白くなっていく。
シャルルは優秀な子どもではなかったし、特別なものなど何も持たない男だった。もちろん、血筋や身分は生まれた時から得てはいたが。だが、そういうことではなく単純に、シャルルという男は凡庸な男だった。いささか傲慢で、ちょっとだけ短絡的で、ほんの少し軽率なだけの、ただのぼんくらな二男だった。
けれど、だからこそシャルルは手に入れたかった。特別を、自分にはない特別なものを。
それが、麗しの妖精と呼ばれたエレーヌだった。この国一、美しいと言われていた女を、自分の、自分だけのものにしたかった。
そうすればシャルルは特別だ。誰より美しいエレーヌという特別な存在を得れば、特別になれると思った。優秀な侯爵家の嫡男の兄よりも、偉そうな侯爵家当主の父よりも、もっとずっと、特別な存在に。
でも、間違っていた。エレーヌを手に入れたところで、シャルルは所詮ぼんくら二男のままだ。この希代の支配者である王太子アルベールからすれば、ぼんくらな自分は哀れな蛆虫でしかないのだ。美しいだけの女に惚れ込み、陶酔し、自らの手で得ていたはずの全てのものを自ら手放し失った、蔑む価値さえない哀れで小さな男だ。
現に、シャルルが特別と信じたエレーヌを一蹴し、自らが投げ捨てた婚約者であった姉ファティアを手に入れたアルベールは、変わらず特別な存在であった。それは、元よりアルベールが特別だからだ。けれど、それはきっとアルベール自身が願い、望み、動き、戦って手にして来たからこそ、彼は特別なのだった。今、彼がずっと愛していたというファティアを手に入れ、心からの微笑みを浮かべたように。
「で、殿下……! あの、どうかせめてっ」
「ん? ああ、待ってくれ。いとしいファティア、あなたの言いたいことはわかっている。大丈夫だ、だから私を信じて、少し待っていてほしい」
ファティアが何を言わんとしているか、それがぼんくらなシャルルでさえわかった。そのとき、シャルルは本当の意味で、己の選択がどんなに間違っていたか、どんなに愚かであったかを、心から思い知ったのである。
「本来ならば厳罰を処すべきだし、また今後このようなことを繰り返されないためにも、私は正しい判断を下すべきである。だが、しかし」
そこで、アルベールは一度ちらりとエレーヌのことを見た。未だ項垂れているままのエレーヌと視線が合うことはないが、しかしその愉快なお口はしっかりと目にすることができた。
悪女であり毒女であるエレーヌの口元は、赤い血に濡れながらも、静かに、密かに、けれど確かに、弧を描いていたのである。
そしてアルベールは、笑った。
エレーヌ、毒を持つ女。時を読み、場を読み、人の心を絡め取る女。ただ姉の人生を奪い取るために生涯を捧げ今、見事砕け散ったとても可哀想な、自分にとてもよく似ている女。
「私は、ほんのつい先ごろ立太子というめでたい儀を終えたばかりである。またほんのついさっき婚約をしたばかりの身だ。今この時に、処刑を敢行するのは、あまり心持ちよくないのだ。それに、片方は我が妃となるひとの家だ。というわけで、恩赦を与えることにしよう」
本来なら、王太子にこのような権限はない。だが、今圧倒的支配者として君臨している王太子に口を挟めることのできる強者はいない。まあ、元々侯爵家も子爵家も発言を許されてはいないのだが。
彼らは王太子の闖入以前に、エレーヌとシャルルが暴挙に出た時点で、すぐにどうにか場を収めるべきだったのに、突然の自体に惚けて己のすべきことを為さなかった時点で、もう全てが遅いのだ。
それに、侯爵家当主も、子爵家当主も、王宮に出仕している身だからこそ、知っている。今や、この、ほんの少年でしかない返り咲きの王太子こそ、この国の全権を握っている。国王代理とは自らの口でよく言ったものだ。既に空になりかけている玉座に手をかけている、座するのももはや秒読みであるというのに。
「無論、身分剥奪の上、その身を永久的に国外追放とする。侯爵家および子爵家に咎め立てはしないが、その代わりシャルル、エレーヌ両名に対して、一切の接触を禁ずる。これを破れば即死罪であることを忘れるな」
その言葉を聞いたとき、ファティアは表情を曇らせたし、両家の人間はとりあえず止めていた息をようやっと大きく吐き出した。
そして一方、ただのシャルルとなったぼんくら二男は膝から崩れ落ち、全てをなくして悔しいのか、命は助かってほっとしたのか、とてもではないがどちらか判断などできそうにはなかった。けれど、自然と零れた一筋の涙は、確かに後悔のそれだった。
招待客は、聖婚式に招かれたはずが、とんだ茶番……いや王太子殿下の華麗なる求婚を目撃してしまった……と、興奮と混乱とで騒然としていた。
ハイノーブルであるディアス侯爵家と、領地経営のおかげで貴族一裕福なのではとされているゴシントン子爵家。両家が潰えるような事態にはならなかったが、しかしこの一件を機に、さらに世のパワーバランスは一転してしまったといえる。悲願の王子の返り咲き以上の変化が、貴族の間ではダイレクトに波及していくだろう。
それに、近いうち、おそらく我が国初の、子爵位出身の王太子妃が、そして後には王妃が、また場合によっては国母が誕生することになるわけだ。
ゴシントン子爵家が、建国以来の歴史ある由緒ある血筋であり、卓越した領地の発展・経営能力、またそれによって得る富の莫大さを持つ家でなければ、王太子の悲願の恋も政略的には決して叶うことではなかっただろう…………これによってゴシントン子爵家はもしかすると侯爵位に格上げされるかもしれない……と、招待客の者はそんな危惧さえしてみせた。
エレーヌ闖入から、事態が収束に向かったこの瞬間まで、目まぐるしく変わっていく状況は、未だに冷めやらぬまま、ざわざわと荒波を引き起こし続けていた。
けれど、その中でひとり、ずっと口を噤んでいた悪女エレーヌは、身も心も燃え尽きてしまいそうなほど、強く、深く思っていた。
ヤッタ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!! と。