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プロローグ3

本日二話目の更新です。




王太子アルベールは、希代の支配者である。

場を読み、時を読み、人心を操る。謀り、奪い、削ぎ、殺す。この世のすべてを支配するために生まれてきた天性の王の器である。


アルベールもまた、エレーヌと同じように、望んだものをほしいままにして来た。アルベールが望んで、手に入れられなかったものなど、この世には存在しない。


彼は、ただひとり、愛する女を手に入れ、愛するために、生きている。



「……お初にお目にかかります、東のハザール地方を治めますゴシントン子爵家長女、ファティアでございます。王太子殿下におかれましては、先ごろは立太子なされましたこと、一臣下として心よりお慶び申し上げます。本日は、身内の大変お見苦しいところをお見せしてしまいまして誠に申し訳ございません」



周囲よりも一足先に、いくらか冷静になったファティアが、狼狽えたまま何も言えずにいる両家の両親を心配しながら、淑女の礼を取る。


それを満足げに見つめながら、王太子アルベールはファティアの元へと歩を進める。その静謐さ、圧倒的存在感は周囲の全ての者を呑み込み、凌駕している。


今、この場を支配しているのは、本日夫婦となるはずだった男女でも、況してや横恋慕の美しい妹ではない。



エレーヌは負けていた。

すべての根源であり、何よりもの武器である美しさも、存在感も、場を思い通りに支配する力も、すべて敗北を喫していた。



つい先日、長年王太子とされていた王子を蹴落とし、見事王宮に返り咲いた悲願の王子アルベール・サン・ベルトワール。


現国王の甥にあたる彼は、つい先ごろ正統なる地位を取り戻した、策略の鬼である。そもそも、元王太子ではなく彼こそが次代の王となるべきであって、決して無法な簒奪者などではない。


元より王になるはずだった兄から王位を簒奪したのは、現国王の方である。現国王が、優秀だった兄を奇跡的に罠に嵌めることで掠め取った王位を、返却してもらったにすぎない。



王宮に返り咲いたとはいえ、アルベールはまだ立太子したにすぎないが、しかし彼が玉座を手に入れるのももはや秒読みである。


凡庸であったアルベールの従兄弟にあたる元王太子を完璧に籠絡し、既に己が手中に収めている。そして現在、王宮外には漏らされてはいないのだが、現国王は既に病の床にあった。


それが、偶然であるか、必然であったかは、王太子アルベールの一派は何も語りはしないのであるが。



「で、殿下……! お待ちくださいませっ! あの、わたし……っ!!」

「……いつ、この私に話しかける許可を得たのだ。貴様には用はない、この薄汚い売女めが」



王太子アルベールは、希代の支配者である。

場を読み、時を読み、人心を操る。謀り、奪い、削ぎ、殺す。この世のすべてを支配するために生まれてきた天性の王の器である。



所詮、エレーヌは人外な美しさを持つだけの、愛でられるための花である。あらゆるものを手中に収め、手に入れ、握り潰してきたアルベールの手には勝てない。一瞬ばかりの主役は呆気なく転がり落ちるのみ。


エレーヌの美しい容姿にも、清らかな声にも、媚態をふんだんに含んだ潤みの瞳にさえ、アルベールは目もくれず、ほんの視線ひとつで、可憐な花の存在を容赦なく殺す。


アルベールの恐ろしい視線に縮み上がったエレーヌは、その先の言葉も言えずに、今にも泣き出し、叫び声を上げそうな表情で、声を封じた。傍らのシャルルは、アルベールを前に騎士の礼を取り、跪くのにせいいっぱいで、頭の中は混乱の極致に陥ったまま、何も言えずにいる。


シャルルもまた、アルベールに支配されている。すべてを陥落してきた天性の毒女エレーヌもまた、今やすっかりアルベールに場の支配者の資格を奪われていた。



大聖堂の要である神の宿りし聖石に、聖婚の許しのため跪いていたファティアの元へと近づいていくアルベールはとても優雅で、また厳かであった。


先ほどエレーヌの元へと駆けて行ったシャルルの姿が巻き戻されたかのような逆の動作であるのに、こうも違うのは何故なのか。

エレーヌにも目もくれず、ファティアの元へ一直線に、アルベールは歩み寄っていく。



その口元は、三日月のように弧を描き、狐狸のような強かさで、ゆるやかに微笑んでいた。



「ディアス侯爵家、並びにゴシントン子爵家。そちらは、神への誓いである聖婚を侮辱をした。国教主である国王の承認を伴う、貴族の婚約の不履行は教理に反するし、国家反逆罪にもあたる。不義不貞は我らが国教においては大罪である」

「お、お待ちください、殿下……!! 我々は決してそのような……っ!」

「黙れ、哀れな蛆虫め。誰が発言を許可した。貴様、それでも我が国に仕える聖騎士か? どこまでぼんくらなのだ、ディアス侯爵家の二男は」



アルベールの言葉を聞いたエレーヌは、まるで悲劇のヒロインのように、怯えた小動物のようなか弱さと共に、さめざめと涙を流した。決死の覚悟で以って、支配者のカリスマ・アルベールに猛烈に抗議しようとしたシャルルであったが、蔑むどころか哀れむような視線と共に、蛆虫、ぼんくらと評され、勇敢さは微塵に砕けり、無様に膝を下り崩れ落ちた。



「まあ現在の腐りきったこの国において、貴族間の不義不貞は横行の一途を辿っているようだが。だがしかし、形骸化しているとはいえ、罪は罪である」



参列していた貴族の者たちの中で、心当たりのある幾人かが震えているのを横目に、アルベールは嘲笑う。



「だが……そこの売女と、哀れな蛆虫のおかげで、私はあなたに求婚する権利を得たようだ」

「……で、殿下!?」

「どうか、私の妃になってはいただけないだろうか? そして、どうかこの私にあなたの名を呼ぶ権利を与えてほしい。私の、美しいひと」



アルベールが跪いたのは、後にも先にも神を除けば、最愛の妃のみであったと、アルベールのため生涯を捧げ暗躍した彼の相棒である寵臣は、後にそう語ることになるのだが、今まさにその時を迎えていた。


傲岸不遜な悲願の王子は、またひとつ、ずっと欲しかったものを、その手のひらに収めるのである。



アルベールの美しいひと、ファティアは生まれて初めて、妹ではなく自分が選ばれ、求められたのだという、信じられない状況に戸惑い、呆然としていた。


ありあまる畏れと美しさを身に纏った天性の支配者が、今ファティアの元に跪き、ファティアの瞳を見つめ、ファティアの手を取り、ファティアの愛を乞うている。



「そんな……どうして……」



ファティアの人生は、常に妹に奪われることの連続だった。妹が、自分から奪っていくのは、もはや当然のことで、それを疑問に思うことも、妬ましいと思うことも、もはや忘れていた。


何よりもまず妹が選ばれ、求められることは、ファティアにとって、空が青いのと同じように、時が巻き戻らないのと同じように、当然のことなのだった。


執着するだけ寂しい。

期待するだけ疲れる。


だからもう羨望なんてものは、とっくの昔に、もうずっと幼い頃に忘れてしまった。


そう、思っていた。でも違った。違ったのである。



「……あの、殿下……わ、わたくしは……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ……! どうして、私ではなく姉様!? 私の方がずっとずっと、ずーーーーっと美しいのにっ!!」

「お前は黙ってろと言っただろうが、糞女。今私は愛するひとに求婚している真っ最中なのだ、いいからちょっとその愉快なお口を閉じていろ」


く、糞女ですって!? とエレーヌは信じられない! とばかりに怒りと屈辱に打ち震えていた。美しい、美しい、そして美しい私ではなく、姉様を選ぶの? 本気で? まさかそんな信じられるわけがないでしょ! と、閉じろと命じられたその愉快なお口で、ついに高すぎる自尊心を汚されたことの怒りのせいで、真っ赤な鬼のような必死の形相を浮かべながらなおも言い募っているが、しかしそんなものは既に雑音に変わり果ててしまっていた。


そんなエレーヌをさらに信じられない! と口を開けて眺めているのは、ファティアを捨て、エレーヌの手を取った哀れな蛆虫、あるいはぼんくら二男のシャルルのみであった。



「殿下……しかし、あの……わたくしは」

「私のことが嫌いだろうか? 不遜な略奪者だと? それとも、あなたはそこのぼんくらを愛していたのだろうか」



またぼんくらと目の前で言われ、アルベールに睨みつけられた哀れな蛆虫シャルルは、ひどく哀れむような視線を寄越してくる周囲の者たち、横で喚いているエレーヌ、困惑しているファティア、そして蔑んでいるのか哀れんでいるのか未だによくわからない王太子を前に、もはや傲慢さも俺様キャラも放り出して、泣きながら逃げ出したいと思っていた。この場から、軽率な我が身自身から、そして既に底冷えするほどに冷め切ってしまっているこの先の己の運命から。



「……殿下、ひとつ質問をしてもよろしいでしょうか」

「許す。私の答えられる範囲ならば」

「あなたは、わたくしの、一体どこを愛しておられるというのでしょうか?」

「……どこを?」



アルベールはひとつ、ぱちりと瞬きをした。けれど、すぐに微笑みを戻したアルベールは、ファティアの切実すぎる問いに、真摯に応え、己の手の中で震えているファティアの繊細な手を強く握った。



「きっと、あなたは私の想いなど、私の気持ちなど、全くご存知なかったに違いないのだが……私は、あなたを、あなたの魂ごと愛している。あなたの存在が欲しい。あなたのすべてを奪ってしまいたい。私には分かる。あなたは幸せになるべきひとだ。あなたはこの世にあっては、もっと誰よりも愛されるべき存在だ。他の者たちは、あのお口の愉快なハリボテに惑わされ、誰一人気づかなかったようだが、私にはあなたの価値が、美しさが見えている。あなたの静謐な美しい魂ごと、あなたのすべてを、私は愛している」



王太子の勝ちだ、と。そのとき舞台の端で眺めている神官は思った。でも、姉のファティアの勝ちでもあるのだろうかとも思った。


少なくとも敗者は、今この瞬間には見る影ないほど美貌を散らしている、あの麗しの妖精と呼ばれた妹の方なのだ。今の主役は、支配者は、まず間違いなく王太子であり、そして王太子が望んだ姉の方なのだ。


ああ、でもある意味一番可哀想なのは、侯爵家の二男で、聖騎士としての道も明るかったはずのぼんくら・シャルルだろうなあ、とも思った。きっと、これから持っていた全てのものを失うにも関わらず、彼が信じて取ったその美しいはずの妖精の手は毒に塗れているのだから。



「……アルベール殿下。わたくしのことは、ファティア、と。どうか、そうお呼びくださいませ……」



頬を染め、小さな声でそう言ったファティアは至極可憐で、美しかった。求婚された女性が己の名を男性に許すのは、求婚を受けることを意味する。その言葉が、悲願の王子アルベールの耳に入ってきたとき、彼は花が綻ぶような笑みで、笑った。


ああ、やっとだ……やっと……! 欲しくて欲しくて堪らなかったファティアが、手に入れたくて堪らなかったファティアを手に入れる道を歩むために、全てを奪って来た。すべてはこの時の、この瞬間のためだった。



「ありがとう、ファティア。きっと、あなたを幸せにする」

「……はい」



もう既に、初めて求めてもらえたことで、少しだけだけ幸福そうに微笑んでいるファティアに対して、エレーヌはぶるぶると震えていた。拳を握り締めながら、俯き、王太子に愉快と嘲笑われた唇を、強く噛み締めていた。その唇から今にも血が出そうなほどに。



「……さて、ではこの私の婚約者となった、私の愛するファティアを侮辱した、罪人共に沙汰を下そうか」




王宮に返り咲いたときよりもずっと、このときのアルベールの方が何より愉悦に輝いていたし、後にも先にもこのときこそが最強にして最高に、あるいは最低に、もうそれはそれは心底楽しそうに笑っていたと、寵臣は後に語っている。




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