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1 奇妙な出会い

 問題の精神科医にはすでに現場に行ってもらっている。オウエン。

 そう言われたのが小一時間ほど前のことだった。オウエン・ストウは車を飛ばして曰く「現場」まで向かった。

 そこはすっかり寂れた廃ビルだ。窓は破れ、コンクリートはむき出しになってうち捨てられている。羽目を外した若者が調子に乗ってパーティーをするには丁度良い、とでも表現すれば想像のひとつもしやすいだろうか。

 堅い階段を上がりながら、オウエン・ストウは薄くなりつつある細い灰色の髪をかきまぜながら、父親も禿げているから自分もそうなるのだろうなと、かなりどうでも良い事を考える。

 窓から吹き込んで、蝶番(ちょうつがい)のはずれたせいで、これまた扉のとれてしまった入り口を抜ける空気が鋭くヒュウヒュウと音を立てて、その場の不気味さを煽っているが、すっかりそうした気の滅入る現場に出入りすることになれてしまったオウエン・ストウはそんなことには怖じ気づきもしない。

 確か、最上階の奥の部屋だ。

 そこに「彼」はうち捨てられていた。

 冷たく体温を失い、心臓の鼓動を止めて。

 配属されたばかりの犯罪心理捜査官とやらはまだ大学を出たての心理学者だということだった。そもそも、そんな大学を出たばかりの精神科医とやらが本当に役に立つのか怪しいものだ。

 ちまたでは、アメリカ合衆国の犯罪心理学者などが噂になっているが、そんなことはストウには関心がないしどうでも良いことでしかない。

 とりとめもないことを考えながら、風が抜ける室内へと入ると見張りをしていた制服警官がさっとストウに敬礼をした。

「心理学者が来ていると思うが」

 臨床経験もほとんどないという役立たずの心理学者様だ!

 憮然としたオウエン・ストウの内心を如実に物語るのは彼の足音だ。無意識に荒々しくなるのは彼が足を踏みならすからだ。

「あちらに」

 部屋と廊下をつなぐ入り口をくぐりぬけたその先、さらにもうひとつの入り口があってその先から午後の日差しが漏れていた。

 テムズ川を望む窓辺に、片手に煙草を持って唇に押し当てたままで考え込んでいる男がいた。

 そこそこ長身でやせ気味だ。

 知的な緑の瞳が印象的で、無造作に伸びた髪は額を覆っている。

 ちょっと見ただけであれば鼻梁の整った良い男だ。

「ドクター・メイスフィールド……?」

「……――」

 まだ二十代半ばといった若造は見開いていた目を、ぱちりとしばたたかせてから首を回した。

 白い肌は彼が純粋な北方系であることを示している。

 こういった手合いはきっと同性愛者(ゲイ)の連中には人気があるだろう。

 素晴らしく職務とは無関係のことを頭の中で分析しながら、ストウはのしりと片足を踏み出した。

 つい勢い余って足に体重がかかるのは、オウエン・ストウの偏見を物語っているようだが、それについては相手の青年はなにも言わなかった。

 思った以上に慎重なタチらしい。

 ――アルフォンス・ベネット・アンディ・メイスフィールド博士。

 ロンドン市警察の任務に就く傍ら、ロンドン警視庁でも犯罪心理分析官として多忙な業務に追われている。こうした若手の心理学者は、イングランドの内務省にしてみれば(てい)良くこき使える使い捨ての労働力に過ぎない。

 皮肉げにそんなことを考えていると、顔をこちらに向けたメイスフィールドという博士はにこりと薄い口元に微笑を浮かべた。

「はじめまして、刑事さん」

「初めまして……?」

 いきなり彼の柔和な挨拶に、ストウは気勢をそがれた。

「まだまだ未熟で勉強中の身の上なので、名刺は持たないことにしているんです」

 身長に相応しいそれなりに大きな手は、長く伏し張った指がストウの手を握った。

 世間を知らない学者の手だ。

「こんなところでなにを? 状況の再確認か?」

「一応、犯人と被害者がなにを見ていたのかと思って」

「なるほど」

 奥歯になにかが挟まったような物言いをする青年をちらりと横目で見やってから、オウエン・ストウも背広のポケットに入ったタバコを取り出した。

 口元にくわえてからライターを忘れてきたことに気がついて舌打ちを鳴らした。

「どうぞ、ライター」

 低い声と共に差しだされた青年の白い指がライターをつける。

「すまん」

「犯人は、自首してきたんですよね」

 まだ十代と言ってもおかしくない、少年のような危うさを秘めた「青年」は、小首を傾げてから窓の外に広がる街並みを見渡してからタバコの煙を吸い込んだ。

「そうだ」

「そうですか」

 まだ顔を合わせたばかりのぎこちなさで、ストウはメイスフィールドという青年を探るようにじろじろと見つめていると、一方の社会人になったばかりの青年は苦笑してから肩をすくめて見せた。

「わたしのことなんてじろじろ見ていても楽しくないんじゃないですか?」

「男なんて見ても楽しいわけないだろう。上から、精神科の先生のお相手をしろと言われたからな」

「恐縮です」

 心理学者というものは、全くなにを考えているのかわからない。

 辛気臭い死体の遺棄現場に男がふたりいてもなにも面白みもないというのが正直なオウエン・ストウの内心だが、しばらく窓の外に流れていく風景を見つめていた青年はややしてから踵を返して体ごと振り返ると、時の流れの中に置き去りにされてしまったような室内に視線を移した。

「ここにはなにも残ってないぞ」

「はい」

 短くストウに応じた金髪の青年は、床に腰を下ろしてから敗れた窓に背中を向けたままで膝を抱えるようにして沈黙するとじっと室内を観察している。

 彼には何が見えているのだろう。

「――……名探偵じゃありませんから」

「はぁ?」

 ぽつりとメイスフィールドが告げた。

 ストウ自身も若手で間違いないが、自分よりも若い青年心理学者の脈絡のない台詞に、間の抜けた声を上げる。

「心理学者はホームズじゃないって言っているんです」

「あぁ、そんなこと当たり前だろう」

 片足を投げ出して、立てた片方の膝に肘をついた金髪の青年は緑の瞳を閃かせて室内を眺めている。

「ここは、彼らにとってどんな意味があったんでしょうね」

 遺棄された現場と、殺害現場。

 それが違うということは自首してきた犯人の自供の裏付けもされた。

「犯人は、自宅で殺して、わざわざこんな辺鄙な廃ビルの最上階に死体をつれてきたんですよ」

「家に置いておきたくなかったんだろう」

 死体を、自分が生活する空間に置いておきたくなかったのだろう。

 ストウがいかにも刑事らしい決めつけをすると、言われたほうの若手心理学者は眉をひそめて首を傾げた。

「そうかしら……」

 まるで独り言のようにつぶやいた。

 ――”そうかしら”?

 今度はオウエン・ストウが眉間を寄せた。

 メイスフィールドと出会った瞬間に、ストウが感じたぎこちなさにも似た違和感はなんだろう。不審げなストウの眼差しを受けて、青年は困ったようにほほえむと床に手のひらをつくと立ち上がる。

 手首の時計の針を確認して彼はオウエン・ストウを促した。

「とりあえず、戻ります。わたしは歩いてオフィスまで戻るので、刑事さんはお先にどうぞ……、と、えーと……」

「ストウだ。オウエン・ストウ。階級は警部補」

「すみません、気が利かない性格だってよく言われるんです。視野が狭くて」

 目尻を下げて苦笑したメイスフィールドはそうして、ストウが自分の隣に立ったのを確認してから歩きだした。

「それで、現場に先生はどんな用事があったんだ?」

 ぶっきらぼうに問いかけるストウに、前途洋々たる若手の心理学者は顔を突き出すようにして刑事の青年を覗き込むと緑色の瞳に星のような光をちらつかせた。

「来て、見て、知りたかったんです。犯人が、どんな気持ちでここにいたのか」

「ふーん」

 そんなもの、捜査には何の役に立たないのではないか。

 オウエン・ストウは古くさい頭でそんなことを考えた。

「署に戻ったら、もう一度捜査資料を確認します」

 廃ビルのため、死体遺棄の現場になった三階から下りてくるには階段を使って歩いて下りてくるしかない。こつこつとふたりの青年は床に靴音を響かせて地上まで降りてくるとオウエン・ストウの愛車とは別に、フェラーリが停まっていた。

「そろそろだろうと思ったから待っていた」

 若い男の声に、メイスフィールドは首を回すとはにかんだような笑顔になった。

「今日はお仕事夜勤でしたっけ?」

「そうそう、退屈だから嫌いなんだ。なにかでっかい事件でも起こって重傷者でも運ばれてくれば面白みもあるんだが」

「そんなこと言ってると、そのうち自分の首をしめますよ」

「なんなら君が俺の首を絞めてみるかい?」

 冗談ばっかり。

 親しげに言葉を交わす若い男はいかにも金持ちそうで、オウエン・ストウは片方の眉尻をつり上げると視線を頭上に上げてから考え込んだ。

「それで、そちらの貧乏人っぽそうなのは?」

 貧乏で悪かったな。

 オウエン・ストウは内心で悪態をつきながら額に青筋を浮かべた。おそらく、メイスフィールドと会話をしている男はストウと年齢は大差ないだろう。

「彼は、わたしが今やっている仕事の担当の刑事さん」

「なるほど……」

 男は金髪をかき上げてから一瞬だけ考え込むと、車の中からメイスフィールドの腕を引いた。

「送るから乗っていけばいい、ついでにいろいろ話も聞きたい」

「捜査内容は機密情報よ」

「いいじゃないか、堅いこと言うな。どうせならその辺のホテルで食事でもしながらじっくりとっていうのはどうだ?」

 気易い男の物言いにオウエン・ストウは怒りに近い感情を抱きつつも毒気を抜かれた。ふたりの青年のやりとりがなにかに似ていると思ったら、メイスフィールドはまるで口説かれている女のようで、男のほうは軟派男のようだ。

 もしかしてこのふたりは同性愛者(ホモ・セクシャル)なんじゃないか? とオウエン・ストウが思いはじめた頃、メイスフィールドが弱り切った表情で笑うと、男の指から自分の腕を引き戻した。

「あんまりそういう意地の悪い思わせぶりなことを言わないの。なにも知らない人はあなたが同性愛者なんじゃないかって思うわよ」

「君相手なら、いくらでもベッドでお相手するが」

「だから……」

 ふたりのやりとりの真意はともかくとして、どうやら冗談を言い合える程度には互いを信頼している様子だ。

「わたしは考え事がしたいの、あなたの迎えはいらないって言ったでしょ。ジョージ」

「歩いて?」

「そうよ」

 聞いている内に頭痛がしてきたオウエン・ストウは、自分の車に乗り込んで鍵を回すとステアリングを握って顔を伏せると大きな溜め息をついた。

 どこぞの女子トークじゃあるまいし。

 死体の遺棄現場で暢気に冗談を言い合っている精神学者のほうの頭の構造を疑うというものだ。

「なら、この仕事が終わったらでいいから、多忙な君をサポートしているわたしに埋め合わせをしてもらおうか」

 クスクスと笑っているフェラーリの青年はそう言ってから、軽くメイスフィールドの肩をたたいた。

 どうやら肉体関係があるのではないかと勘ぐったのは邪推だったのかも知れない。

 ちらりと見えたフェラーリの男の左手の薬指には結婚指輪が光っていた。つまり、彼にはパートナーがいるということだ。そして、おそらくその相手はメイスフィールドではない。根拠はメイスフィールドの左手の薬指にもデザインが違う結婚指輪がはまっていたことだ。

 割とどうでも良いことに、刑事の観察眼を発揮したストウは肩を落として溜め息をついた。

「なんなんだ、あのやたらと疲れる心理学者の先生は」

 フェラーリが走り去ったのを確認して、歩きだしたメイスフィールドに軽く挨拶を交わしてからそうしてストウも本部のウッドストリート警察署に戻ることにした。

 疑問は本人にぶつければいいことだ。

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