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第2話 お出かけ編

朝。

投函された朝刊を開けるとわが家に衝撃が走った。


目を引いたのは1面の大見出しでも番組欄でもない。朝刊に挟まれていた地元スーパーの安売りチラシだ。


卵10個入り65円。


円安で飼料代もばかにならないこのご時世に10個入り (お一人様1パックまで)が65円とは、まさに身を切るような価格だ。

節約が叫ばれる我が家の家計を維持するべく買わない選択肢は無い。


だがここまで驚異的な安価となると、それは餌を求めて集まるハイエナ――もとい主婦方との戦争と言っても過言ではなかろう。

かつて関西に住んでいたときに経験した安売りで、大阪のおばちゃん達による「取った!!」の大合唱に気圧されて豆腐一丁10円を逃した苦い記憶がよみがえった。


諸葛孔明の格言に「先んじて敵の最も重要なるものを奪うべし」との教えがある。

奇しくも、名将『大阪のおばちゃん』から学ばされたタイムセール必勝術もまた“先手必勝・早い者勝ち”であった。

鬼に金棒、大阪のおばちゃんにタイムセールである。


行くなら早く行ってブツを回収しよう。

大阪という修羅場をくぐって来ている自分からすれば卵一パック回収することなどミッション・ポッシブル。


さっそく温かい布団の中で外着に着替えると、一応ケータイに着信が無いことを確認してから家を出た。





 家を出る頃、時計の針は午前10時前を指していた。

目的地のスーパーは市内と言えど隣町にあるのでチャリで行くところ、今日ばかりは運動不足解消に、と歩いて行くことに。


家を出て5分ほど進んだところで、ジャンパーのポケットに入れてあったケータイが鳴った。


Prrrrr! Prrrrr!


画面はやはり非通知。

昨日のインパクトが強すぎたせいか、最近引っ越して来た某ツンデレ少女が脳裏に浮かんだ。


「もしもし?」

『私メリーさん。今あなたの家の前にいるの』

「はあ……えっと何の用ですか?」

『あ、あなたのために回覧板を持ってきてあげたのよ。ありがたく受け取りなさいよね!』


メリーさんが引っ越してきたという家は隣ではないが、双方の家が住宅街の端っこに位置するため、彼女の家の次は向かいの筋にある僕の家になる。

なるほど、回覧板ですか。どうせ見ないまま自分の名前欄に丸をして隣に回しちゃうんだけど。

 いつもの流れでメリーさんは電話を切りそうになったので、とりあえず自分が外出中であることを先に伝えておく。


「あっ、メリーさん?僕ちょっと外出中なんで、玄関前に立て掛けといてくれますか?」


なぜかメリーさんからの応答は無かった。

電話が切れたプープーという音が聞こえるわけでもなく、不思議に思っていると5秒くらい経ってから返事が返ってきた。


『どこ行くの?』

「え?どこって言われてもちょっと……」

『どこ行く気よ!!まさか私に内緒で知らない女の家に行く気じゃないでしょうね!!どうなのよ!!』

「いや、別にそんな気は――」

『むきーっ!!私という女がありながら白昼堂々と別の女の家に行く気なのね!!!ヒドイ!!!ばか!!鬼!!色情魔!!』


電話ごしに激しく地団太を踏む音が聞こえてくる。

メリーさんは何やら盛大に勘違いしていらっしゃるようだが、触らぬ神に祟りなしだ。

自分がいくら『彼女いない歴=年齢+童貞』を説明しても無駄そうなのでこれ以上まともな返答をするのはよそう。


「もう電話切っていいスか?」

『くきーっ!!もう許さないんだから!!メリーさんの名にかけてあなたを――』


ブツッ。プープープー


メリーさんは電話ごしにギャーギャー言っていたが、甲高い声に耐えられず勢い誤って電話を切ってしまった。

なんか最後にメリーさんの名にかけて云々を言っていたが大した問題は無かろう。


さてさて、今日は何を買おうか。

卵が安いのは良いけど、冷蔵庫の野菜室に眠っている野菜たち(キャベツ、モヤシ等々)も使いたい……

クックパッドを開いて悩んでいると、『簡単中華かに玉』のレシピの上から通話画面が割り込んできた。


Prrrrr!ピッ


「もしもし?」

『私メリーさん。今あなたの家から東に300メートル離れたタバコ屋さんの前にいるの』


現在位置、タバコ屋からさらに東に約300メートルなり。


「距離ものすごく近くなってない!?」


電話はすでに切れていた。

思わず立ち止まって背後を確認する。


良かった、まだ来てないか……。


ホッとして胸を撫で下ろすも、なぜか心臓のバクバクが止まらない。

よく考えてみれば電話を切ってからメリーさんが掛け直してくるまで15秒くらいしか経っていない。

もしメリーさんが報告してきた位置が正しければ、彼女は15秒あまりで300メートルを疾走したことに――


「えっ、メリーさんって陸上選手なの!?」


あなどっていた!!

女子だからどうせ追いつけないだろうと思っていたのにまさか時速72キロで激走してくるなんて!!

陸上選手が越えられない時速45キロの壁を軽く30キロ近く超えてくるとは……。

メリーさん恐るべし――いやいや、こんなことを考えている場合じゃない!!


我が身に危険を知らせる危険予知本能に従い、無意識のうちにメリーさんとは逆方向にダッシュする。


今は運動不足に悩む情けない自分だが、少なくとも中学までは短距離走のホープ。

競争には絶対的自信を持っていたし、相手がオリンピック選手とかじゃなかったら勝てるんじゃないかとさえ思っていた。

しかし何を隠そう、相手は時速72キロで進撃してくるツンデレ異国不審者(メリー)さんだ。

あの勢いで追突されれば死の危険がつき纏うし、隣町まで逃げ切るのはもはやミッション・インポッシブル。


ここは電車というチートを使うしかないのか……。

迷っている時間などない。

徒歩で行く計画を断念し、地元民こそ知る畑の裏道を通り最寄り駅までひたすら猛ダッシュ。

そんなとき、ポケットのケータイがまた鳴った。


Prrrrr!Prrrrr!


相手は誰か分かっていたものの、一応メリーさんの現在位置を知るためにも勇気を出して応答に踏み切る。


「もしもし!?」





『私メリーさん。今あなたの後ろにいるの』





――振り向いたら確実に殺される。



だが単に『後ろ』と言ってもどこまで迫っているのかは定かではない。

ただ、立ち止まって悠長に振り返っている時間なんてあるわけがなく、


「うおおおおお!!!」


3段飛ばしで駅構内に続く階段を上がり、ポケットから定期券を取りだしてスタンバイ。

その間にもメリーさんとみられる足音がドスンドスンと地団太を踏むように迫ってきている。

まさか卵一つ買いに行くだけでデッド・オア・アライブになるとは……っ。



改札を抜け、目的地であるスーパーの方向に行く電車を探していると、【間もなく浜名橋行き快速列車が発車します】というアナウンスがあった。

自分が下りる予定の駅は中口という小さな駅だが、快速も止まるし、それ以前にこの電車を逃したら待ち受けているのはメリーさんによるデッド・オア・デッド!

アライブの選択肢の排除は不可避の事態だ。


【ドアが閉まります。ご注意ください】

「乗ります!!」


最後尾車両の車掌さんに大声で叫んだとき、またまたケータイが鳴った。


Prrrrr!ピッ


「もしもし!?」

『私メリーさん。いま改札機をSuicaでスムーズに通り過ぎたところなの』

「くそうJRめ、北海道の駅改札まで便利にしやがって!!」

『見つけたわ!!大人しく私にお仕置きされなさい!!』

「ちょっ、メリーさん勘違いだから本当に!!!僕は何も悪いコトしてませんから!!」

『じゃあ何で逃げるのよ!!』

「だって時速72キロで追ってきたじゃないですか!!」

『最高時速は85キロよ!!』


追突されたら大惨事だ。


「とにかく僕は何もしてませんから!」

『あっ、ちょっ!!』


バンッ


電車のドアが閉まった瞬間、猛ダッシュで追ってきたメリーさんはドアに激突した。

裏を返せば実に間一髪のところで助かったといえる。


【発車しま~す】という呑気な駅員のアナウンスと同時にゆっくりと車体が動き出す。

さすがのメリーさんもこれで諦めるだろうと思っていたが、ところがどっこい。

ドアに激突して突っ伏していたメリーさんは急に起き上がったかと思うと、再び走り出して電車に付いてくるではないか!

ネバーギブアップの精神がすごい。


しかも電車がスピードを上げればメリーさんのスピードも上がっていく。

なにせ最高時速85キロで爆走する人だ。

その気になれば快速列車の速度など敵ではない。


「待ちなさい!!浮気は許さないんだからーッ!!」

「何の話!?てか電車に付いて来る気なんですか!?ねえ!!」

「あとで絶対に捕まえt――へぶしッ」


電車を追っている最中、点字ブロックの凹凸につまずいて転ぶメリーさん。

またも顔面から突っ伏した彼女は去り行く電車に向かい、最後にこう言い放ったのである。


「絶対あなたの傍にいてやるんだからー!!」





――☆――☆――☆――





 【ありがとうございましたー!】


元気のいい女性店員の言葉を背にスーパーを出るころには、太陽はもう真上に来ていた。


メリーさんに怒涛の勢いで追跡されたときはどうなることかと思ったが、災い転じて福となす。電車を利用し時間短縮したおかげでタイムセールに間に合った。

朝11時に開始予定だった卵一パック65円の安売りは客からの要望により30分も早められた。もしあのまま徒歩で向かっていたら今ごろ売り切れになっていただろう。

彼女にはある意味で感謝――


店の自動ドアを出ようと思ったとき、時刻を確認しようと、ふとケータイを取りだして固まった。


【着信2件】


「……あっ(察し)」


いかん、すっかり忘れていた。

奴がまだ追跡中であるということを。


勝って兜の緒を締めよ、とはよく言ったもので、奥様方との血を見るタイムセール戦争に勝利したからといって戦いが終わったわけではない。

まだこれから卵を持って家まで帰らねばならないのだ。むしろ戦いは今始まったといえよう。

だがここからの道のりは鬼門。

怒り心頭なる異国不審者(メリー)さんの家がある住宅街に戻るという行為はまさに飛んで火に入る夏の虫。


スーパーを出た瞬間に電話がかかって来て殺されるんじゃないかと思うと、自動ドアの先に一歩進んで二歩下がるという、何とももどかしい後退動作を繰り広げることになった。


とはいってもこのままスーパーに隠れているわけにもいかない。

勇気を振り絞り、えいっと自動ドアを抜けるまでに実に1分半を要した。

うぃーん、とドアが閉まるとしばらくは前後左右をくまなく見渡し、メリーさんの存在が無いことを確かめる。

車が来ると危険だからと小学校では「右見て左見て、もう一度右」と教わったが、メリーさんがいない確信を得るまでに少なくとも「右見て左見て、ケータイを見てもう一度前後左右」を経験した。


よし、いないな。


彼女の不存在を確信し、駅に向かう。

よくよく考えてみればメリーさんには外出するとだけ教えてあるし、どこの駅で下りるかは教えていない。

そもそも追跡なんて不可能じゃないか。あっはっは。


Prrrrr! Prrrrr!


でた。非通知。

古文ではこれを「さればよ」と言うのか。


Prrrrr! Prrrrr! Prrrrr!


なおも鳴り続ける我がケータイ。

一旦は無視することを選択肢に加えたが、セールに夢中になっているときにかかってきた電話をすでに2回無視している。こんど無視したら後でメリーさんにエンカウントしたときが怖い。

なんで無視したのよ!!もう死刑なんだから!!とか言われそうだ。うーむ、これがご近所付き合いの難しさか。


「もしもし?」

『私メリーさん。今あなたが電車を降りた駅にいるの』


迷わずUターンした。


「えっ、もう来ちゃったんですか!?」


すでに電話は向こうから切られていた。


プープーという音だけが静かに鳴り続ける。


やばい、本気でやばい!

現在位置と中口駅との距離はわずか100メートル。利便性を考慮して駅とスーパーがあるのだが、逆にそれが仇となったか。


本気でスーパーの方に走っていると、またケータイが鳴った。


「もしもし!?」

『私メリーさん。今9番出口にいるの』


ピタッ(足を止める音)


9番出口だって?


「どこって言いました?」

『だ、だから9番出口だって言ってるじゃない!!』


自分がスーパーに行くために降りた中口駅には9番出口は無い。東西の2つの出入り口があるだけの無人駅だ。

しかもメリーさんの電話の背後からガヤガヤと喧騒のようなものが聞こえてくる。


「ちなみに駅名は何ですかね」

『東港駅よ!!どうせあなたはここで降りたんでしょう!!』


ちなみに東港駅とは中口駅を飛ばした一つ向こうの駅。

あそこは地下鉄や私鉄が交わる大きな駅で東京駅並みの広さを持っている。おそらくメリーさんは降りる駅を間違えたらしい。

案外ドジッ娘なんだ。あの人。


「メリーさん?先に言っておきますけど、僕の下りた駅に9番出口はありませんよ」

「えっ!?じゃああなた……どこにいるのよ?」


少なからずの動揺が電話ごしに伝わって来る。


「教えたらまた追ってくるでしょ?」

「当たり前よ!!」

「じゃあ教えません」

「なっ!教えなさいよ!!」

「イヤです」

「教えて!お願い!ねっ?」

「無理です」

「……ぐすん…もういいもん。自分で探すもん……」


ぐすん、と涙をすする音がしたと同時に電話は切れた。


いくらメリーさんが凶暴ツンデレ異国不審者といえど、泣かせてしまったのは良くなかったな、と反省。

しかしここで仏心を表に出して場所を教えてしまえば半殺しにされかねない。

いや、「あなたのせいで!!」とか言いながら最高時速85kmで突っ込まれたら半殺しでは済まない。天に召されてしまう。


「許せ、メリーさん」


気分は三国志でいうところの『泣いて馬謖を斬る』ならぬ、『泣いてメリーさんを放置プレイ』だ。

意味はないがとりあえず彼女の無事を祈って胸の前で十字のクロスをして「アーメン」と祈りをささげておく。


すると、間もなくして非通知の電話がかかってきた。


Prrrrr!ピッ


「はい」

『わだじ(私)メリーさん。……ふえぇん…あなたほんとに今どこなのよぉ……』


なんかもう、涙と鼻水が混じった泣きつくような声だ。

引っ越して来たばかりの人間が初見で東港駅を攻略するのはやはりハードモードであったか。


『ぐすん……もうここどこなのよぉ……』


電話の奥でタクシーか何かの車にププーッとクラクションを鳴らされている音が。

車が走る音と道行く人たちの話し声も混じっていて、完全に迷子であることはもう察した。

しかしこれは自分の現在位置を聞き出すための巧妙な作戦ではないか、と疑心暗鬼になったものの、最後には仏心という名の良心が勝って転がってきた。


「今どこにいるんスか?」

『ぐすん……。駅の近く』

「はぁ……。じゃあ今から迎えに行きますから、9番出口付近の待合室にいてくださいね」

『うん。待ってるね』


電話はそこで切られた。

せっかくこちらから迎えに行ってやろうと言っているのに向こうからなんの前触れもなく電話を切るとは中々図々しい。

でも最後の返事はメリーさんにしたら随分弱気なように感じた。




 歩いて東港駅にいくと、駅の待合室で力尽きて眠りかけている金髪少女の姿があった。

随分歩き回ったのか髪は風でボサボサになっていて、暖房の効いた部屋のせいもあってか目も虚ろだ。


「メリーさん?」

「んあ?」


ヒロインとは思えない発語だ。


「迎えに来ましたよ、村上です。ほら、正面の家の」


オヤジみたいな返事をするメリーさんの体を揺すって起こす。

するとメリーさんはしばらくこちらをじっと覗き込んだあと、本人であることを確認すると勢いよく立ち上がった。


「い、今までどこ行ってたのよ!!!」

「どこって……」

「今まで私をほったらかしにして!!反省してるのかしら!!」


卵一パック買いに行って反省させられる日がこようとは。


「いや、ほったらかしって言うか買いモノしてただけですし」

「買い物?」

「卵が安かったんで。中口のスーパー」

「買い物をしてた……だけ?」

「はい」


レジ袋の卵を見せると、メリーさんの顔がどんどん顔が真っ赤になっていくのがわかった。

やっと己の勘違いにお気づきになられたようだ。安心した。


「そ、そういうことならもっと早く言いなさいよね!!」

「でもあの時、なんかめっちゃ怒ってたじゃないですか」

「なっ、あれは……か、勘違いしないで!!別にあなたのことを心配してたとかそんなんじゃないんだから!!あなたのことなんかどうとも思ってないんだからね!!」

「はいはい」


ポンポンと頭を2回くらい撫でて異国不審者(メリー)さんを落ち着かせてやる。

何より彼女に静かにしてもらうことが先決だ。


「帰りましょう、メリーさん」


そう言うと、メリーさんは返事を返す代わりに無言で僕の背後につき、ギュッと服を握ってきた。

ここで「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」とか決め台詞を吐くつもりなのかな。

まあ殺されなければそれでいいんだけど。



「……もう離さないんだから」



そのとき、むすっとしながら恥ずかしそうにするメリーさんの顔が、少しだけ綻んだ気がした。



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