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マジル山道

(そういえば、夜のエルツを見に行くことが出来なかったな)


 足を止めたウィンは、遥か彼方に小さく見えるエルツの鐘楼に目を向けた。

 リヨンに抜ける廃坑道の入り口を目指して、ウィンたちは傾斜のついた山道を登っている。ウィンが足を止めた場所は、ちょうど左手側の斜面の木々が途切れて視界が開けた場所だった。

 空は満天の青空とは言わないが、好天に恵まれている。

 それでもマジルの山頂には薄っすらと雲が掛かっていて見えなかった。

 エルツの鐘楼からマジルの山頂がくっきりと見えたのは、鐘楼で出会った老人が言う通り運が良かったのだろう。

 ウィンは一つ深呼吸した。

 ルーム川の雄大な流れ。帝都からこのエルツまでを覆う、深淵なる森。そしてエルツの町を特徴付けていた数多の鐘楼。そして今登っているマジル山脈。

 生まれ育った帝都シムルグから、随分と遠くまでやって来た。そして、これから廃坑道を抜けて初めての外国、リヨン王国を目指す。

 コーネリア皇女殿下を護衛して、六十年前に廃坑となって、人の寄り付かない危険な場所へ向かうというこの状況で、不謹慎かもしれないがウィンはワクワクする心を覚えていた。

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 ウィンの後ろを歩くレティシアが、足を止めたウィンに不思議そうな顔を向けた。

 

「いや、何でもないよ。視界が開けてエルツが見えたから、ちょっと眺めてただけだよ」


 レティシアも足を止めてウィンと同じ方に目を向ける。


「ホントだ。ロイズさんたち、大丈夫かな?」


「隊長たちのことだから心配ないんじゃないかな? むしろ副長もエルツに残ったから、こっちのほうが心配だよ」


 リヨン王国へ到着すれば、当然のようにコーネリアとレティシアの歓迎式典が催されるだろう。通常、皇族クラスが国使として赴く際には、専門の文官や武官の官吏が同行するので、歓迎式典などへの準備等は彼らに任せておけば良い。実際、エルツに留まっているアルフレッドに随行してきた官吏たちは、その役目を担っていた。

 だが、今はその官吏たちもエルツに残っている。

 リヨン王国に向かうコーネリアには、新米の親衛隊従士が四人しか付いていない。そして先任であるウィンが一応の責任者となる。


「大丈夫だよ。ほら、ラウルだって単身帝国に来たけど、帝国にあるリヨンの公館に駐留している人たちが、ちゃんと衣装や小物なんかも見繕ってくれたでしょ? リヨンにも帝国の公館があるはずだから、そこにいる人たちにお願いしたらいいんじゃないかな?」


「公館か」


「ラウルだっているし、体裁を取り繕えるくらいの人も貸してもらえるよ」


「そうだね。それに今はまだ、先のことを考えていても仕方がない。まずは、無事に廃坑道を抜けてリヨンに着かないとだ」


「うん。それに急がないと遅れちゃうよ」


 頷くとウィンはレティシアと並んで、再び山道を歩き始めた。

 足を止めていたため、二人の前を歩くウェッジと間が開いてしまっていた。

 パーティーの先頭は、経験も豊富で道案内役も兼ねるルイスが立ち、その後ろをオールト、ロック、イリザ、リーノ、コーネリア、ウェッジ、そして冒険者としての経験を積んでいるウィン、最後尾をレティシアの順で歩く。

 最優先護衛対象であるコーネリアを中心にして、体力は少ないが豊富な魔導知識を持つイリザと、いざとなれば《身体強化魔法》を使えるリーノが先に立つ。

 レティシアも本来は貴人として護衛対象なのだが、桁違いの力を持つ事と、体力的にもオールトたちに引けをとらないほど旅慣れているので、ウィンと一緒に後方だ。

 緩急激しい勾配が続く山道を登って行き、やがて朽ち果てた木材が転がる広場へと出た。

 今は誰も訪れることのない、旧鉱山街。

 転がる木材は家々の柱や壁だったものだ。


「よし、今日はここで一泊するぞ」


 オールトがそう言うと、イリザとルイスも荷物を降ろす。


「あれ? まだ日も高いのに?」


 ロックもその支持に従って荷物を降ろしていたが、不思議そうにウィンに尋ねた。

 昼休憩を取ったのは二刻程前のこと。日は少しずつ傾きかけているとはいえ、まだまだ高い位置に存在していて夕刻と呼べる時間ですら無い。


「今すぐに坑道内に入っても、どのみち中で野営することになるからね。それならここで一夜を明かしてから、翌朝から入ったほうがいいんだよ」


「ウィンの言うとおりだ。それと、こいつを回収しておきたいからな」


 ニヤリとオールトがウィンたちに笑ってみせると、手近な所にあった木材へと歩いて行く。手に持っているのは彼の獲物である戦斧。それを柱だったと思われる角材に向けて勢い良く振り下ろした。

 小気味良い音を立てて、角材が砕け散る。


「俺も手伝います」


 オールトの意図を理解したウィンも荷物を降ろして、朽ち果てて地面に散らばった木切れを集めた。

 廃屋の木材は乾燥していて、燃料にはうってつけだ。

 エルツの町と山の麓にある鉱山街で旅の支度をしたのだが、そこで燃料を買わなかった理由がようやくわかった。ここで薪を調達できるなら、きつい山道を登るのに荷物をわざわざ増やす道理はない。

 集めた廃材を使って焚き火を作り、夕食の支度を終えた頃には日が暮れ始めていた。

 鍋に油を引いてベーコンと蕪、それから蕪の葉を炒めると水を注いで沸騰するまで煮込み、とうもろこしの粉末をたっぷりと加えて、塩と香辛料で味を整える。そうして出来たとろみのあるスープに、長期保存するために乾燥させて硬くなったパンを浸してふやかして食べた。


「そういえば、ウィンとレティシアの二人と初めて出会った日の夜も、こうして焚き火を囲んだな」

 

 水筒に入った葡萄酒を一口流し込んで、オールトはウィンとレティシアを見た。

 ウィンが九歳、レティシアが七歳の時。里が焼かれて孤児となった翼人の少女イフェリーナを救いだした時の話だ。

  

「ポウラットが足を痛めて冒険者を引退したと聞いたが、元気にしているのか?」


「帝都で、冒険者ギルドのシムルグ東支部の職員として働いていますよ。もう結婚もしていて、子どももいますよ」


「そうか。あいつにとっては夢を追う途中で、道を絶たれたことになるが……生き延びて、次の生活を始められる者はごく少数だ。嫁さんも出来て子どももいるのなら、その生活を大切にしてもらいたいもんだ」


 オールトはもう一口葡萄酒を呷ると、それから寂しげな笑いを浮かべてみせた。

 ウィンは息を呑む。 

 よく見れば、五十を越えたオールトの髭に覆われた顔には、深いシワが刻まれている。

 冒険者、傭兵としてはもうとっくに引退を考えていてもおかしくない年齢。

 オールトたちの専門は人跡未踏の地へと踏み入って、古代レントハイム王国時代の遺跡を見つけ出して探索をすることだ。

 レムルシル帝国だけではなく、多くの国々を旅して回っている。

 その彼らが、ルイスとイリザが夫婦となったことをきっかけにして、エルツに家を構えた。

 人が足を踏み入れないマジル山脈の奥地にも、レントハイム王国時代の遺跡があるのかも知れないが、そこを探索するつもりでエルツに拠点を構えたのではなく、この町で冒険者家業を引退するつもりだったのかもしれない。

 何度と無く大きな冒険を成功させている彼らはもう、働かなくても食べていけるだけの金は貯めているだろうし、その気になれば、冒険者として長年に渡って得た経験値で、冒険者ギルドの職員にも、もしくは領主の抱える騎士団の教官役として召し抱えられることも可能だ。

 ウィンは、顔を知っていたからといって安易にオールトを頼った事に、少し後悔の念を覚えた。

 そのウィンの表情を見て取ったのか、オールトが明るい声を出して言った。


「気にすることは無いぞ、ウィン。お前が何を考えているのか何となくわかるがな、俺はこの依頼を持ってきてくれたお前に感謝しているんだ。俺には二つ夢があった。冒険者となって、この世界を見て回りたい。誰も見たことのない世界を見つけ出したい。その夢は大体叶ったんだがな、もう一つの夢は叶わぬまま身を引くとばかり思っていたんだ」


「もう一つの夢?」


 気がつけば、いつの間にか他の皆もオールトとウィン、レティシアの三人の会話に聞き入っていた。

 先程まで、山の麓の鉱山街で買い求めてきた一羽の金糸雀に、餌をやっていたリーノとコーネリアも注目している。


「それはな、お姫様を守って旅をすることさ!」


 そのコーネリアに目を向けて、オールトは嬉しそうに笑って言った。


「冒険者になろうとした奴の夢なんて、どいつも一緒だろう?」


「たしかにそうね」


「そうっすよ! そうかぁ……そういえば、俺たち。お姫様を守って旅をしているんすよね」


 イリザとルイスもクスクスと笑い出す。

 その話をきっかけにして、ローラとイフェリーナの親子や、それにまつわる幼いころのウィンとレティシアの活躍など、一同は眠くなるまで語り合うのだった。



 ◇◆◇◆◇



 まだ日が昇る前。

 昨日の夕食の残り物を温め直して朝食とした一同は、目的地である廃坑道の入り口へと向かった。

 周辺には丈の長い草が生い茂っていて、山の崖地にポッカリと口を開けている廃坑道は、上部しか見えなかったがとても大きなものだった。

 横の壁と天上は木材で補強が施されている。

 近くには、かつてこの坑道から鉱石を運搬するために使用されたのだろう、木製の台車が横倒しになって転がっていた。 

 大人が五人は余裕で並べる横幅を持つ坑道の真ん中には、朽ち果てて履いたが木の板が敷設されている。この上を鉱石を満載した台車が往来していたのだろう。

 当時、この鉱山が隆盛を誇っていた頃、坑道の入り口まで多くの奴隷を使って台車で鉱石を運ばせていたのだ。

 なお、現在ではレムルシル帝国を含めた大陸西部側の国々は、奴隷制度が無くなっている。奴隷の多くが戦争に敗れた国の民たちなのだが、魔物による大規模な侵攻で、人同士が戦争を行っている場合ではない状況に陥ったからだ。

 エメルディア大神殿の下で人類種族全ての国々が同盟を結び戦った際に、奴隷制度が廃止された。

 亡国によって多大な戦争難民等を輩出したが、奴隷制度が廃止されたことは魔物との戦いで人類が得た数少ない福音と言える。

 その台車に興味を持ち、車輪の部分をしゃがみこんで調べていたウィンは、後ろから近づいてくる足音に気づいて立ち上がった。

 見ると、レティシアとイリザが連れ立ってやって来る。


「ウィン君を探していたらレティシア様がここだって。しゃがみ込んでいたから見つからなかったのね」


 台車の周囲は坑道の入り口と同様、背丈の高い草が生い茂っている。しゃがみ込んでしまえば、イリザの背丈では坑道前の広場からウィンを見つけることは出来ないだろう。


「どうしたんです?」


「聞いておきたいことがあってね」


 ウィンがそう切りだすと、イリザはウィンとレティシアの二人の顔を見渡してから口を開いた。


「ウィン君たちって騎士なのよね? それなら、魔法が使えるのよね?」


「俺は大した魔法は使えません。せいぜいが騎士剣を強化できる程度で……」


 その事を少し恥じ入るように言いよどむ。


「あ、でも、コーネリアさんやロック、リーノ、ウェッジたちは使えますよ」


「そう。それに後、レティシア様もよね」


「ええ」


 レティシアが頷いてみせる。


「まあ、恐らくレティシア様は経験上知っていると思うけど、これから言うことを、ウィン君から他の人たちに伝えておいてくれる? 坑道内では高威力の攻撃魔法、特に爆発を伴うような魔法と、火炎の魔法は使わないようにね」


 狭い空間である坑道内での爆発は逃げ場がなく、爆心地から前後に爆圧が拡散していく。そうなれば、敵だけでなく仲間たちまで巻き込まれてしまう。それに、坑道そのものが崩落してしまいかねない。

 炎の魔法も同様で、狭い空間内で使用すれば、急激に周囲の空気が熱されて高温となり蒸し焼きとなってしまう。また、貴重な空気も大量に消費してしまうのだ。


「他の人たちはまだいいんだけど、皇女殿下には私からは伝えづらいのよねぇ。お願いできるかしら?」


「わかりました」


「それと……」


 イリザは眉間にシワを寄せると、ウィンの顔に人差し指を突きつけて強い口調で言った。


「ウィン君? どうやら魔法が使えないことで劣等感を抱いているようだけど、そんなに自分を卑下しないようにね。あなたが自分を低く見積もることは、あなたを信頼して認めている人たちもまた、見る目がないと言っているようなものなのよ?」


 ウィンがはっとしたような表情を浮かべて、横に立つレティシアを見た。彼女はじっとウィンの顔を見つめている。

 ウィンはイリザへと顔を向けると神妙な顔をして頷いた。


「じゃあ、もうそろそろ出発するみたいだから、二人共入口の方に来てね」


 そう言うとイリザは二人に背を向けて歩き出そうとして、こちらの様子を窺っていたコーネリアと目があった。すぐに彼女は目を逸らしたが、詳しく話を聞かなくても、彼女がウィンに対して淡い思いを抱いているのはすぐに分かる。


(勇者様、皇女殿下ね。それに未婚の皇女に独身の平民騎士を側仕えにしたということは、皇太子殿下もウィン君に期待しているのかしら。魔法は使えなくても、これだけの人たちから信頼を集める……)


 イリザは肩越しにウィンを振り向いた。

 

(これがウィン君の――魔法なんかよりもずっと大きな力。最も、本人は自覚していないようだけど……)


 そんな事を考えると、イリザは笑みが溢れて来る。

 彼女もまたウィンの周囲にいる人々同様、彼に対する期待を抑え込むのは不可能なのだった。


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