極秘の任務
アルフレッドのリヨン王国訪問は、随分と以前から予定されていたのだが、その出発は非常に急なものであった。それでも自国の皇太子、そして自国から生まれた史上最高の英雄である勇者を見るために、大勢の人々が帝都へと集まった。
人が集まればそれは商機である。
一時的に緩くなった人々の財布の中身を狙い、商人たちは声を張り上げる。職人たちは仕事を早めに切り上げると、そんな町の賑わいを肴にして一杯を楽しんでいた。
人が集まれば起こるのが様々なトラブルで、そこで重宝するのが冒険者ギルドである。シムルグ冒険者ギルド東支部は、普段よりも忙しさを増していた。
町の衛士だけでは対応できない様々な雑務も引き受ける冒険者ギルドは、今日も多くの依頼が舞い込んできていた。
しかし現在、冒険者ギルド東支部ではある大きな仕事を受注していて、古株たちがみな出払ってしまっていた。
次々と飛び込む仕事は、残った新人、新人に毛が生えた程度の者、もしくは町の外から来た者でどうにかやりくりをしていたのである。
朝からギルドの受付ではずっと人の波が途切れることがなく、多くのギルド職員たちが目が回る程の忙しい状態が続いていた――一人を除いて。
「ちょっと、仕事してくださいよ。先輩」
受付カウンターに座る三人の職員。その中の一人であるポウラットは、忙しさでてんてこ舞いの同僚たちを尻目に、ただ一人暇そうに新聞を眺めていた。
そんな彼に、横に座っている同僚の女の子から苦情が入る。
「そんなこと言ってもさあ、俺の前に誰も並んでくれないんだから、どうしようもないじゃないか」
横から小声で言ってくる女の子に、ポウラットは新聞をめくる手を休めること無く答えた。
事実、ポウラットの左右に座る女の子の前には、冒険者たちが並んでいるのだが、ポウラットの前には誰も並んでいなかった。
なぜなら男性比率が高い冒険者たちである。男のポウラットよりも、若くて可愛らしい女の子の受付のほうがいい。
しかも、このギルド東支部の受付嬢のレベルは、他の三支部よりも粒ぞろいが揃っていると評判なのだ。
冒険者とギルドの職員が結婚する例は、珍しいことではない。
仕事にかこつけて、彼女たちと関わりを持ちたいという思惑もあって、ポウラットの前には誰も並んでいないだった。
ポウラットが女の子たちの間に挟まれていながら、彼らむくつけき男どものやっかみの対象とならないのは、彼が妻帯者だからである。
愛妻家であるポウラットは、仕事が終わると真っ直ぐに家に帰ってしまうため、女の子にはちょっかいを出すことは無い。そのことをギルド中が知っているからだ。
「新聞を読むのだって、ギルドの重要な情報収集の一貫なんだぜ?」
「どうせ怪しげな流言飛語の類の記事ばかりじゃないですか」
「最近の新聞は社交界の噂なんかも載せたりしているからな。結構侮れないんだ。ほお……クライフドルフ侯公子とメイヴィス公の第一公女が深夜の密会か……ふむ」
「メイヴィス公爵様の第一公女といえば、ノイマン皇子様の婚約者の方でしょう? 無責任な噂ですよ。やっぱり流言飛語ばかりじゃないですか」
「バカ! こういった流言飛語の中に真実の種が紛れていたりするものなんだ」
「……今度ルリア先輩がギルドに顔を出したら、言いつけてやりますからね」
「さあ、仕事しようか! 何から手伝えばいいかね、後輩君!」
「まったく……あっ、良かったですね、先輩。丁度お客様ですよ」
「ん?」
女の子に言われてポウラットが前を向いてみると、一人の娘の姿があった。
「やあ、セリちゃんじゃないか。どうしたんだい? 一人で冒険者ギルドになんて」
「こんにちは、ポウラットさん」
『渡り鳥の宿木亭』で働いているというハーフエルフの娘だ。
ウィンやレティシアとの縁で最近知り合ったばかりのセリは、雑然としたギルドの雰囲気に少し緊張気味だった。
「何かお使いでも頼まれたのかい?」
「いえ、ウィンさんが顔を出されていないかなと思って」
「ウィン?」
「はい。ちょっとお願いしたいことがあるんです」
「ウィンか……」
ポウラットはウィンの名前を聞くと、困ったようにため息を吐いた。それからどうしたものかとガシガシと頭をかく。
「ちょっとこっちへいいかい?」
「はい」
ポウラットは不自由な足を引きずって、二階へと上がる階段の横、ギルドの訓練場のある扉の外へセリを誘った。
ギルドの訓練場は、ギルドのホールと同程度の広さ。ここでは冒険者たちが基本的な剣や、格闘術を訓練できるようになっている。
普段であれば数人の冒険者たちが訓練をしているのだが、今日は人手不足から仕事に出払ってしまって誰もいない。
ポウラットは人がいないことを確認すると、
「ええっとな、すまん。ウィンの奴は今、極秘任務ってやつで帝都にいないんだよ」
◇◆◇◆◇
少し時は遡り――。
リヨン王国親善訪問団。
一行の構成は近衛騎士二十名、宮廷騎士六十名、歩兵兼雑役夫二百名、文官、従者、それから非戦闘員の雑役夫が合わせて二百名。
総勢五百名規模だった。
親善訪問の最終目的地はもちろんリヨン王国なのだが、先頃のペテルシアが手引したと思われる盗賊団から被害を被った南側国境付近の村や町にも訪問する予定だった。
リヨン王国はシムルグから見ると西方の国なのだが、わざわざ遠回りをすることにしたのは、ペテルシアとの緊張が高まりつつある南側国境地帯をアルフレッドが訪問することで、付近の領民、南方面騎士団の士気の高揚をはかる狙いもある。
これは中央騎士団長ウェルト・ヴァン・クライムドルフ侯爵の発案だった。
帝都を進発した一行は、貧民街から平原部を通り抜けると、森に差し掛かっていた。
この先は山と密林が街道の左右に広がっている。
街道沿いを進んでいけば、山や森の動物たちを狩り、畑で採れた作物で生計を立てているのだろう、木製の家が十棟程度の小さな村が幾つも点在していた。
道中の滞在地はこうして森の木々を開拓して作られた村から、家を借り上げることになっていた。
宿泊が予定されている村々では、一行の先触れが走っており、家を数棟ほど借り上げ、食材の提供を求めることになる。
日が傾きかけた頃合いに、一行は行程通りに逗留予定の村へと到着した。
レティシアは自身に割り当てられた馬車から降車すると、ほっと息を吐いた。
道中、馬車の馬の交換等で何度か休憩はしてきたが、ずっと座りっぱなしなのは腰に来る。
帝都を出立した時のようなドレス姿ではないものの、ステイシアによって付けられた侍女から華美な服を強要されているレティシアは、狭い馬車の中からようやく開放されて、周囲に気付かれない程度に腰を伸ばしつつ、村の中を見回した。
貴族が珍しいのか、村の幼子がポカーンとした表情で、案内される貴族たちを眺めていた。
歳はまだ五つかそこらだろう。
レティシアがにっこり笑って手を振ると、幼子は慌てたように走り去って行った。ちょっと残念に思う。
「まあ、何ていうみすぼらしい……」
「このような馬小屋にも等しい場所、殿下やレティシア様が宿泊するに相応しいとは思えませんわ。後ほど、提供したこの村の者たちに処罰を下さねば……」
「雨露が凌げれば十分です」
レティシアは、ステイシアによって付けられた侍女二人が文句を言うのを一言で黙らせると、さっさと割り当てられた家の中へと入って行く。
家はアルフレッド、レティシア、文官たちで一軒ずつ借り上げている。
レティシアは野宿でも全然構わないのだが、帝国の皇太子を擁する一行である。そういうわけにもいかない。
上級貴族出身の文官たち、そして身の回りの世話をする侍従たちの態度はレティシアの侍女たちと同じようなものだ。
絹の服に腕を通し、綿がたっぷりと詰まった暖かいベッドで普段眠っている彼らには、藁の敷布に毛皮の毛布はちょっとした衝撃だろう。
これでも村人たちにとっては贅沢な寝床なのである。
公爵令嬢という出自ながら、時には洞穴で、時には集めた枯葉の上で、時には柔らかい草を敷き詰めた地面の上で、と眠った経験を持つレティシアには、彼らが周囲をはばかること無く愚痴をこぼすのを見て、申し訳なく思っていた。
贅沢に慣れている貴族だからしかたがないのかも知れないが、そもそも帝国の貴族階級は、例え文官といえども准騎士の資格を取得する必要がある。シムルグの中央騎士学校、もしくは地方領の私立の騎士学校では、必ず野戦訓練を行われ、その課程で野宿を経験しているはずなのだが、彼らの様子を見ると、本当に訓練が行われていたのか疑わずにはいられなかった。
夕食を侍女二人と無言で取り終えたレティシアは、一人外に出ようと立ち上がった。
「少し外を歩いてきます」
「それでは私たちも」
「大丈夫。少し歩いてくるだけだから。それに旅はまだ始まったばかりです。休める時にはしっかりと休んでおかないと、後の行程に支障が出ます。私のことは気にせず、ゆっくりとおやすみなさい」
そう言って、ついてこようとした侍女二人には遠慮してもらう。
外で警備に立っている騎士に労いの言葉を掛けると、レティシアは村の中をゆっくりと歩いた。
空はすでに暗い。
一行が借り上げている三軒の家の周囲は警備の騎士が立ち、明々と篝火が焚かれている。それ以外、村のほとんどの場所は闇に包まれ、間隔を空けてポツン、ポツンと家々の明りが浮かんで見えた。
「お一人では暗くて危険です」
村の中で警備のため巡回している騎士たちから、幾度か呼び止められ同行の申し出を受けたが、レティシアはその全てを断った。
畑の作物を踏まないよう注意しつつ、村の出口を目指して畔道を進んでいく。
村の外では警備当番外の騎士たち、従者、雑役夫たちが天幕を張って野営をしている。
彼らも丁度夕餉の頃合いで、いくつもの炊煙が上がっていた。
心配そうに見送る騎士たちの視線が届かなくなった事を確認すると、レティシアはすっと建物の陰に入り呪文を唱えた。
次に明るい場所へと出てきたレティシアの姿は、地味な服装に身を包んだ下働きの女性の姿となっていた。
《幻装》の魔法。
ロイズ隊のリーノによく似せている。
そのままレティシアは雑役夫たちが食事をしている輪の中へと入って行くと、彼らの天幕が配置されている場所、その中央に設置されている一つへと歩いて行った。
途中、雑役夫の男が天幕に向かって歩くレティシアの行く手を遮ったが、レティシアが彼に向かって一言小さくささやくと、彼は再び仲間たちの下へと戻っていく。
「こんばんは」
《幻装》の魔法を解除しつつ天幕へと入ったレティシアを迎え入れたのは、帝都に残ったはずのコーネリアとリーノだった。
◇◆◇◆◇
「うめえ! マジこれ、本当にうめえぞ!?」
「声大きいよ、ロック……恥ずかしい」
「ガハハ、そうだろ! 騎士様たちと違って、俺たちは自分たちで食事の支度をしなければならんからな。こうして空の下で食べる事に関しちゃ、俺たち以上の専門家はいないってもんだぜ」
ロックの背後で同じように食事をしていた雑役夫の男が大笑いしながら、ロックの空いた椀に鍋の身をよそった。
「そら、たんと食えや。若いの」
「おお、ありがとうおっさん!」
椀の中身を口の中にかき込むようにして食べ始めたロックを見て、ウィンはわずかに苦笑すると食事を再開する。
リヨン王国親善訪問団が旅立ってすぐに、コーネリアの従士隊は皇宮へと戻ると、急ぎ旅立ちの支度を整えて帝都を進発した。
そしてゆっくりと進んでいた一行へと追いつくと、雑役夫や下働きの女の中に紛れ込んだ。
合流は何者にも見咎められること無かった。
コーネリアの天幕周囲にいる雑役夫と下働きの女性たちは、アルフレッドの意を受けたウィンが、ポウラットに手配してもらった冒険者たち。それも冒険者ギルド東支部の古株たちばかりで、ウィンとも面識がある者ばかりだった。
彼らの多くが兵士として同行している者たちよりも腕利き揃い。
注意深く観察すれば、夕食を摂り、酒を呑んで雑談に盛り上がりながらも、隙の無い所作に気づくだろう。
先ほど、レティシアの行く手を遮った酔っぱらいもまた冒険者の一人である。
「ああ、食った食った」
結局あの後、三杯もおかわりをしたロックは、膨れた腹をさすりながら食後のお茶を啜っていた。
汁物は麦と豆、イモ類と何らかの肉がぶち込まれ、塩と香草で味付けされた単純なものであったが、美味なものであった。
少なくとも、以前ウィンたちがペテルシア国境付近へ遠征した際に食べた騎士団の糧食よりも旨かったのは確実である。
それも当然。
輜重部隊によって輸送される軍用の糧食は、保存が第一で、味付けのことなど二の次である。
帝国の騎士団では腹さえ膨れればそれで良いという考え方だった。
対して長期の旅に出ることの多い冒険者たちは、旅の間、つかの間の癒しとして食事にはこだわるものは多い。
もちろん、長旅故に持ち歩ける荷物などに限りはあるが、塩以外にも量が嵩張らない香草などで味付けに工夫をする。
ほんの少しだけではあるが、干し果実などの甘い物や高価な砂糖菓子などを、長い旅路のささやかな楽しみとして携行する者も多い。
冒険者として活動していたウィン、そして冒険者としての経験は無いが、前線にいた頃傭兵との交流もあったケルヴィンはともかく、騎士団の糧食しか知らないロックとウェッジの二人には新鮮な驚きだった。
薪がパキンと一際大きく甲高い音を立てて、火の粉が飛び散った。
焚き火を囲むのは副隊長のケルヴィンと、ウィン、ロック、ウェッジの男四人だった。
隊長のロイズは一行とは別行動している。そしてもう一人の隊員、リーノはコーネリアの天幕に残っていた。
四人の位置は雑役夫に変装している冒険者たちより少しだけ離れた場所。
周囲の見張りは彼らの正体をある程度知らされている冒険者たちで交代で行われているため、四人が周囲に気を配る必要が無いのはありがたい。
事情を知らない騎士や兵士たちは、身分の低い雑役夫たちが陣取るこの場所へは近寄ってこないのもおあつらえ向きだった。
ウィンがゆらゆらと燃える炎を見つめながら干葡萄を袋の中から一粒つまんで口の中に放り込んでいると、ロックが話しかけてきた。
「なあ、ウィン」
「うん?」
「一度聞いてみたいと思っていたんだけど、レティシア様とコーネリア様。どっちにするんだ?」
「ぶふっ!」
口の中から吹き出た干し葡萄が焚き火の中へと飛び込んでいく。
「どっちって何がだよ!」
「いや、レティシア様がウィンの事を好きなのはよくわかってるとして、最近ではコーネリア様もウィンと一緒にいることが多いだろう? ウィンはどっちが好きなんだろうと思ってさ」
最近、コーネリアが結構な時間、ウィンのことを目で追っていることがある。
ロックが気づくくらいなのだから、当然レティシアも気づいているようだった。ウィンとコーネリアが二人で会話している時、レティシアが微妙に落ち着きを失っているように見える。
レティシアからしてみれば、家族よりも親しかった男の近くに魅力的な女性が現れたのである。彼女の様子がおかしくなるのも当然のことだ。
「ああ、ウィン君とお二方の関係は私も気になりますね」
「……副長まで」
「当然です。レティシア様、コーネリア様。お二方の結婚相手に関して興味を抱くのは、この帝国の民にとって重大な関心ごとですからね」
真顔で言うケルヴィン。
「コーネリア様もレティシア様も、結婚を考えても決しておかしくはない年齢ですから」
「そこでなんで俺の名前が上がってくるんですか!?」
「他に親しい異性の方がいらっしゃらないからですよ」
「お前だってもう騎士だし、それに『勇者様のお師匠様』だ。レティシア様でなく、皇女様のお相手としても不都合は無いんじゃないか?」
「それはレティがそう言ったから呼ばれているわけで、俺自身が何事かを成し遂げて手にした呼び名じゃない。レティもコーネリア様も、今の俺では幾らなんでも釣り合わないよ」
(他国から見るとそうでも無さそうですけどね……)
食後に冒険者たちから分けてもらった酒を煽りながら、ケルヴィンは薄く笑みを浮かべる。
レティシアだけでなく、彼女の師匠であるというウィンに対して価値を見出している者たちは、帝国外にこそ多い。
実際、騎士となった彼へ縁談を持ちかけようと働きかけている国は幾つもある。
「何にしても、今の俺は任務をこなすのが精一杯で、そんなこと考えている余裕は無いよ」
足元に積んである薪を一つ取り上げると、ウィンは乱暴に焚き火の中へと突っ込んだ。
火の粉が舞い上がり、夜空を赤く染めて昇り消えていった。
「レティシア様にしたらお前以外の誰と結ばれたとしても、きっと不本意な結婚になるのは間違いないのに」
(ウィンが結婚を申しこめば、レティシア様は二つ返事で承諾するだろうに)
ロックはウィンの顔を横目で見て思った。
レティシアであれば嫁ぎ先は、どんな大国の王族、貴族選り取り見取りだろう。名声だけではなく、レティシアは美しさにも元々定評もある。
そして最近では身体つきも大人びてきて、女性としての魅力も更に磨かれていた。メイヴィス家当主レクトールの下へは、多くの見合い絵が持ち込まれているとも聞く。
しかし、どんなに高貴な家柄で、好感を抱ける人物だったとしても、レティシアが他の男性にウィン以上の好意を抱けることはないだろう。
だが、残念ながら高位貴族の家というものは、本人たちの意思だけでどうにかなるほど甘いものではない。レティシアが意思を通すことは可能だろうが、それではウィンが納得するはずもない。
ウィンがレティシアと共に帝国で生きていくのであれば、周囲を納得させるだけの功績が必要となのだ。
(興味本位で聞いてはみたものの、ウィンもレティシア様にとっても難儀な道のりだ)
一方、焚き火を挟んで反対側に座って部下たちの様子を眺めていたケルヴィンも、ロックと同じようなことを考えつつも、自分たちの役割について思いを馳せていた。
(なるほど……今回のこの作戦に私たちが参加する理由は、ウィン君に実績を上げさせようという狙いもあるわけですね)
顎を撫でながら直属の上司、ロイズの顔を思い浮かべる。
(コーネリア殿下に関しても、アルフレッド殿下は本気で考えていらっしゃるということか……隊長もなかなか厄介な事を)
アルフレッドの立場に立って考えてみれば、帝国にとって最も悪い展開は、レティシアが他国へと流出してしまうこと。
そのレティシアの動向の鍵を握っているのがウィンだというならば、帝国としては皇女を与えても構わないと考えているのだろう。
他国であれば大国の姫が一家臣、それも一代の騎士身分程度の家に降嫁することはない。王族が許しても、貴族を含めた周囲が許さない。
しかし、帝国は他国と違って皇族の女性の結婚に関して本人の意思も強く尊重される。幸いな事に、コーネリアはウィンに対して好ましい想いを抱いているようだ。だが、周囲からの反対の声は大きいだろう。表立って批判の声は出ないかもしれないだろうが、ウィンが周囲を黙らせるためには明確な実績も必要なのは確かだ。
(どうやら私たちに期待されている役割は……)
「いいよなあ……俺も彼女が欲しいぜ。ウェッジだって、リーノがいるしなあ……」
「レティもコーネリアさんもそういう関係じゃ……」
「俺もリーノとそういう関係じゃ……」
「黙れよ、横から見てるとそういうふうにしか見えないっての」
ウィンに続いて、先程から黙って三人の話を聞いていたウェッジも反論の声を上げたが、ロックは切って捨てた。
「そう言うロックだって、町の色んな店で女の子に大人気じゃないか」
「あれは俺が大人気なわけじゃないの! 俺の後ろにあるマリーン商会という看板が大人気なの! 言わすなよ、悲しくなるから……」
「そんなことはないと思うけどな」
「そういうことなんだよ。ああ、ウィンやウェッジみたいに、俺も幼馴染で優しくて可愛い彼女が欲しい。ウィンなんてお姫様で両手に花だろうが! どんな物語に出てくる英雄だよ!」
「英雄、色を好むと言うからな」
「お、ウェッジもなかなか言うね。クソ、隊長も確か結婚されているんだよなあ……独り者は俺と副長だけか」
「何を言っているのですか。私にも妻子がいますよ?」
「「え!?」」
目を見張って、三人は常に微笑を讃えている優男風の彼らの副長の顔を見た。
「ちょうど君たちの歳頃にはすでに結婚をしていました。帝都には連れてきていませんが、隊長――エルステッド伯爵の屋敷の近くに家を持っています」
「マジっすか……ってことは、独り者は俺一人ってこと?」
「いや、俺もまだ彼女がいるってわけじゃ……」
「黙れウィン! 少なくとも、お前とレティシア様が一緒にいる姿は、誰がどう見ても恋人同士なんだよ! 畜生め!」
「はいはい、ロック君。ウィン君とレティシア様のお仲が大変よろしいのは、我々帝国にとっても喜ばしいことなのですから。一部、そうお考えではない輩もいるようですが、ね」
ケルヴィンの言葉の後半は、ほとんど聞き取れないほど小さなつぶやきであった。
うつむき加減に口元を歪めて笑みを浮かべたケルヴィンの顔は、炎で照らされるとなんとも言えない迫力を醸し出す。
ゴクリとつばを飲み込む部下たちを見回すと、ケルヴィンはロックを手で差し招いた。
立ち上がって目の前にやって来たロックに、ケルヴィンはしゃがみ込むように手振りで指示をすると、彼の耳元に小声で囁く。
「さて隊で唯一、独り者かもしれないロック君」
「は、はい?」
「一つ良いことをお教えしましょう。ウィン君の傍へ配置された我々に期待されている役割は、彼が功績を上げるためのサポート役です。これは帝国の国益にとって非常に重要な役割ですよ? そこで万が一失敗でもしたら……」
「……したら?」
「辺境に左遷されて、一生涯そこで過ごすことになるでしょう。辺境、山奥のお年寄りしかいない村で、出会いもなく一生涯独り身で……」
ひぃっと顔色を青くするロックに薄く笑みを見せてケルヴィンは膝に付いた土埃を払いながら立ち上がった。
「さて、そろそろ女性の方たちも準備が整った頃合いでしょう。コーネリア様の天幕まで戻るとしましょうか」
◇◆◇◆◇
男性陣四人は、周囲の冒険者たちに礼を言うと、コーネリアの天幕へ向かって歩き出した。
決して広いとは言えない、村の入口前の細い道の両脇で、焚き火を熾し、天幕を張って野営を行っている。
その間をすり抜けるようにして、ウィンとロックは歩きながら話していた。
「さあて、リーノが上手くやってるといいけどな」
「レティとリーノじゃ、身長差が結構あるからバレるんじゃないかな?」
今回の作戦、リーノの役割はレティシアの影武者役だった。
リーノがその役に選ばれた理由は大きなもので二つある。
レティシアと接したことがある人間が極めて少なく、また任務の内容で任せられる人材が他にいなかったという理由だ。
リーノはこの任務に関してひどく抵抗を示したが、命令されたとあれば仕方が無いと、天幕を訪れたレティシアと衣服を交換し渋々着替えているはずである。
「身長は靴を上げ底にすれば大丈夫だろう。胸だって詰め物をしていれば、レティシア様は旅装だから充分その辺はごまかせると思うぞ。ただなあ……」
「ただ、何だよ?」
ロックは首だけで振り向くと、後ろを歩くウェッジの顔を見上げた。
「ウェッジ、怒るなよ? リーノも世間一般的に見れば、充分可愛い顔だちしているんだけど、さすがにレティシア様と比較したら……」
「怒りはしない。というか、レティシア様と比較するのがかなりの無茶だからな」
「だよなあ」
「そ、そうなの?」
ロックとウェッジは、呆れたような目でウィンを見た。
「普段から見慣れている奴はこれだから……死ね」
「ぐ……」
「こらこら、ロック君」
ウェッジの隣を歩くケルヴィンが、苦笑混じりに言った。
「容姿に関しては旅の道中程度なら、《幻影》の付与魔法と化粧で充分に誤魔化せるでしょう。幸いな事に、レティシア様は社交界など人前へ出ることに積極的ではありません。おかげでその御姿を良く見られたことがある人は少ないですからね。問題は、ステイシア様から付けられたという侍女二人ですが、レティシア様は元々お家の方を好まれていないようですから、一人にしてくれと強く申せば、彼女たちが常に傍に控えるといったことも無いでしょうね」
「レティの家嫌いが、ここで役に立つのか」
「ウィン君の言うとおりですね。最も、そのためにリーノさんが面倒な役割を与えられたことは否定できませんけどね」
ケルヴィンが苦笑して言った。
皇族、高位貴族の嫡子が影武者を育てていることはよくあることだ。
しかし、レティシアは末姫という立場のため、そうした存在はいない。それ以上に、彼女が幼い頃は、鼻つまみ者の扱いを受けていたため、傍に仕える侍女もいなかった。
『勇者』として名声を得た後、公爵家は慌てて侍女をあてがおうとしたが、レティシアは一名だけ部屋の維持のために付けただけだった。
この旅では半ば強引にステイシアから付けられた侍女が二人同行しているが、レティシアが一人にしてくれと言えば、無理に付こうとすることはないだろう。
そしてこのステイシアから付けられた侍女二人であるが、ロイズはただ、メイヴィス家の面目を保つためだけにレティシアに付けたとは考えていないようだった。
恐らくその目的は、レティシアの監視と場合によっては排除及び拘束といったところか。
アルフレッドとロイズは、この旅路のどこかでクライフドルフ一派が襲撃を仕掛けてくるように仕向けさせていた。
その場合、邪魔になるのはレティシアである。
(しかし、あれをどうやって無力化するのでしょうね。おそらくは薬を使うとは思いますが……)
リーノがレティシアの身代わりに選ばれたもう一つの理由がこれである。
薬師の一人娘であるリーノは、家業こそ継ぎそうには無かったが、それでも食べ物の中に混入された毒物を判別ことが出来る程度には、知識を叩きこまれている。
レティシアの身代わり役として、その点でもうってつけの人物といえた。
(それとも、力づくとか浅はかなことを考えてはいないでしょうね)
レティシアと軽くとはいえ剣を交えたケルヴィンは戦ってみたいと思うもの
の、本気で彼女を武力で無力化できるとは思わない。
だが、まさかとはいえ、高位貴族たちであればそうした手段を取る可能性がある。
彼らは騎士学校で剣を習得するが、前線へと出てくることは滅多としてない。魔物をその目で見たことがない者も多いだろう。
そんな彼らが、レティシアの姿を数回宴の席で見たことがある程度で、彼女の実力を計り知ることはできないかもしれない。
普段のレティシアは際立って美しいだけの少女なのだから。
かつて存在した強国セイン王国は、ただ魔王がそこに顕現しただけで滅びた。
そんな魔王を滅ぼした少女が、ただの美しいだけの存在では無いことは少し考えればわかることなのだが、実際に魔物の恐ろしさを目の当たりにしたことがない高位貴族たちには、本当に理解できていない可能性もあった。
彼らにとって魔物との戦争は、遙か遠くであった出来事。
彼らは安全な場所で日常を面白おかしく過ごしていれば、誰かがどうにかしてくれる。その程度のことだったからだ。
ケルヴィンが考え事をしている間に、四人はコーネリアの天幕へとたどり着いていた。
「さて、リーノが上手く化けられているか楽しみだな」
ロックが楽しそうに言いながら、天幕の外から中に一言声を掛けると、入り口の幕を持ち上げ、中に入りその場で立ち止まった。
「どうしたんだよ、ロック」
後に続いて天幕に入ろうとしたウィンは、急に立ち止まったロックにちょっとぶつかったため、文句を言った。それから彼を避けて中に入り、そして同じように立ち止まる。
二人して目を見開いて、まじまじとレティシアとコーネリアの間に立つ少女の姿を見つめた。
「……え? もしかしてリーノ?」
しばらくの間の後にウィンがぽつりとつぶやき、その言葉を合図にして、
「ぶ、ぶははは!」
ロックは腹を抱えて笑い出した。
長い金髪の鬘をつけ、先程までレティシアが身につけていた旅装に身を包んだリーノが、プルプルと身体を震わせながらロックを睨みつけた。
「いきなり笑うなんて失礼だよぉ! 私だって好きでこんなかっこしてるんじゃないんだからねぇ!」
リーノは怒りでまなじりを吊り上げてロックに迫る。
「いやいやいや、リーノ。よく似あってる。似合ってるけどなあ、身長どうすんだ? 予想はしてたけど、やっぱりちっこすぎ。胸は詰め物でも入れればどうにかなるだろうけど、身長は靴で誤魔化すと言っても、ちょっと無理がないか?」
言いながら爆笑し続ける。
「ちょっと、ウェッジぃ。こいつ黙らせてぇ!」
ウィン、ロックに続いて天幕の中へと入ってきたウェッジが、リーノの訴えに応えてゴツッと拳をロックの脳天に落とす。鈍い音ともに床へと崩れ落ちるロックに、リーノはベーッと舌を出した。
「よく似あってる」
「うん、ありがとぉ」
ウェッジが言うと、少し溜飲が下がったのかリーノははにかんだ。
「いや、リーノさん。充分によくお似合いですよ」
最後に入ってきたケルヴィンは手を叩きながら笑って言った。
「《幻装》の魔法と化粧を使えば、充分に誤魔化せそうです」
「副長……本当に大丈夫だと思ってますぅ?」
ウェッジの巨体に半ば隠れるようにしながらリーノは、上官を恨めしそうに言う
「そうですねぇ、胸に詰め物をもう少し……ちょっと、リーノさん。私は上官ですからね? あと、まじめに言っているのでウェッジ君をけしかけないように。まあ身長は靴で誤魔化すとして、レティシア様と全く同じ身長にしなくても大丈夫でしょう。例の侍女二人とは、背比べするほど親しい関係では無いのでしょう?」
ケルヴィンの後半の言葉は、レティシアに向かって言ったものだ。
「ええ、そうですね。私は屋敷では一人でいることを好んでいましたから、常に傍にいさせなければ違和感に気づくことは無いかと」
「まあ、いざとなればその侍女二人を排除してしまえばいいだけですしね」
さらりと物騒な発言をすると、ケルヴィンは天幕の奥にいるコーネリアの下へと行ってしまう。
「お兄ちゃん」
ロックを抱え起こしていたウィンの傍へレティシアがやって来た。
「あ、ああ。レティ」
焚き火を囲んでいた時の会話を思い出し、ウィンはどぎまぎした。
「? ポウラットさんが上手く人を手配してくれたおかげで、簡単に抜け出すことができたよ。帝都に戻ったら、お礼を言いに行かないとね」
男性陣の会話内容を知らないレティシアは、どこか焦った感じのウィンの様子を見て不思議そうに首を傾げながら言った。
「ああ、いてて……。ウェッジめぇ、本気で殴りやがって……」
「その件に関しては、ロックに非があるから何も言わない」
「畜生……ああ、レティシア様。お疲れ様です」
ウィンの横にレティシアがいるのを見て、ロックは挨拶。それからウィンがどこか慌てている様子を見てニヤリと笑う。
ウィンがどうして慌てているのかを見抜いている。
「ウィン君、ウィン君」
完全に楽しんでいる様子の親友にどう反撃してやろうかと、半眼で睨みつけていたウィンへリーノもやってくる。
そして、ちょいちょいっと手振りで身を屈めるようにウィンへ指示をすると、耳元で囁いた。
「ウィン君、喜んでいいよぉ。レティシア様、どんどんおっきくなってるよぉ」
「なにがだよ!?」
思わず声が大きくなった。
「何がってもちろん――」
「言わなくていいよ!」
リーノの発言を遮ると、ウィンは二人に背を向けてケルヴィンの下へと歩き出した。
レティシアは隣でびっくりしている。
ロックはゲラゲラと床を叩いて笑っていた。
ケルヴィンの方へと行けば、そこに今度はコーネリアがいるわけで、ウィンは一瞬足を止めそうになってしまった。
コーネリアがしずしずとした足取りでウィンの前に歩み寄ると、はにかんだような笑みを見せる。
(ロックがあんなことを言い出すから……)
レティシアとコーネリア。
二人とも素敵な女性であることは間違いない。
そんな二人から好意を抱かれている。
あえて意識をしないようにしていたというのに、ロックに言われてしまい、意識をしないことができなくなっていた。
正直、今の自分ではとても二人と釣り合いが取れるとは思えない。
(レティの横に並び立てるくらいの功績を上げれば、そんな事を考えなくてすむようになるんだろうか)
基本的にはウィンたちの視点で描写する予定。
アルフレッドたちの動きは、さらっと書いていずれ番外編か何かで。