旅立ちの朝に
書籍版に準拠。
森の中を、イフェリーナの歌声が響く。
ローラの少し前を歩いている彼女の左手には採集用の籠、そして右手には手頃な長さの棒切れを持って茂みをかき分けていた。
しばらく雨の日が続いて外へと出られなかったため、イフェリーナの中で鬱憤が溜まっていたのだろう。
楽しそうに草木を棒でかき分ける娘の姿を、ローラは愛おしげな眼差しで見守っていた。
彼女が歌っている歌は昔、魔物の襲撃で両親と里の仲間たちを失い、冒険者たちによって保護されたイフェリーナを元気づけるために、まだ幼かった頃のレティシアが教えたものだ。
イフェリーナはあの頃より少し大きくなった今でも、この歌をよく歌っている。
街の市へと露店を出しに行った時など、隣近所の彼女よりもまだ小さな子供たちによく歌ってあげていた。
人目につかない森の中なので、いつもはゾロっとした服の下に隠している背中の翼を外へと出して服から出してぱたぱたとさせながら、上機嫌に歌って歩くイフェリーナに、昔ウィンと一緒に歩いていた幼い日のレティシアの姿が重なる。
(レティちゃんも歌が上手だったけど、リーナのほうが上手いわ)
ローラは初めて会った頃の幼いレティシアとイフェリーナを比べてしまい、ついついイフェリーナの方が才能があると思ってしまうのは、親馬鹿なのかなと笑ってしまう。
「どうしたの? お母さん」
「何でもないわ。さあ、この辺りでいいかしら」
「うん」
雨後で芽吹いた草を選り分けていく。
イフェリーナも森の中での採集作業は、ローラのお手伝いとして何度も訪れていたため慣れたものだった。
枯れ木の根元に生えた茸を探し出し、薬となる草などをむしり取っていく。
「あまり遠くに行っちゃダメよ」
「はーい、大丈夫だよ」
歌いながら茂みをかき分けている娘に背を向けて、ローラも山菜等を採り始めた。
二人が入り込んでいるこの場所は、それほど人里から離れているわけではないが、それでも安全という訳ではない。
野生の獣も存在するし、稀にではあるが魔物だっている。
イフェリーナの本当の両親にしても、魔物によって殺されている。
騎士団による大規模な魔物討伐作戦や、冒険者たちによる討伐なども度々行われているが、それでも魔物による被害は起こる。
それに魔物以上に恐ろしいのが、毒を持った蛇や昆虫だ。
気づかれないうちに刺されたり、噛まれたりする。
そのため、
「お、お母さん!」
イフェリーナの悲鳴のような叫び声を聞いた時、ローラの心臓はドキリと跳ね上がった。
「リーナ!?」
立ち上がると娘の名前を呼びながら、先ほどまで歌声が聞こえていた方向に目を向ける。
少し移動すると、白い翼の生えたイフェリーナの小さな背中が、茂みの向こうに見えた。
「リーナ!」
叫んでローラが慌てて駆け寄ると、イフェリーナはローラを振り返った。
イフェリーナはびっくりしたような表情を浮かべていた。
特に泣いたりもしていない娘を見て、ローラは全身から力が抜けるような思いをした。
「お母さん、あそこ」
イフェリーナがとてとてとローラに歩み寄ると、右手の袖を引っ張った。
「あそこ、誰か倒れてるよ?」
「え?」
驚いてイフェリーナが指差す方へと目を向けると、茂みの陰から人の手が見えた。
「大変」
慌ててローラは茂みへと駆け寄って覗き込み――倒れている男に声を掛け、身体へ手を伸ばしたところで息を呑み込んだ。
「……お母さん。その人、死んでるの?」
ローラの腰に手を回し、恐る恐る背後から覗き込んでいるイフェリーナが聞いてくる。
その時、わずかに男が呻き声を上げた。
「生きてる!」
興奮したように叫んだイフェリーナに頷き、
「大丈夫ですか?」
声をかけながらローラは男の上半身を抱え上げようとしたその時、ぬるっとした感触を覚えた。
「大変、大怪我をしてるわ!」
仰向けになって倒れていたため、背中に裂傷を負っていることに気づかなかったのだ。
よく見ると左腕も赤黒く腫れて膨れ上がり、不自然に変形している。
骨折しているようだった。
背中の傷口からはまだ血がジュクジュクと流れ出ている。
「早く止血しないと!」
採集用に持っていたナイフで男のシャツを切り背中の傷を露出させると、持って来ていた鞄の中から取り出した水筒の水でひとまず傷口を洗い流す。
水による傷口への刺激に男が呻いたが、構わずに洗っていく。
「リーナ、上着を脱いでちょうだい」
手布を折り畳んで傷口に押し当てると、肌着姿となったリーナから受け取った貫頭衣で縛る。
それから骨折している左腕に添木をあてると、縛り付けた。
「ハアハアハア……」
無我夢中で応急処置を施し終えると、ローラは地面にへたり込んだ。
「お母さん。大丈夫?」
息を切らしている母親を心配したイフェリーナが顔を覗き込んできたので、安心させるように微笑む。
それから、男へと目を向けて、
「この人……エルフだわ」
ローラはようやく倒れていた男が人間ではなく、森の民エルフだったことに気づいた。
怪我の処置に必死になるあまり、特徴的な耳に気づかなかったのだ。
(これからどうしよう……)
服を切り裂いて脱がせたことで顕わになったエルフの男の身体は、痩身だが筋肉質でとても女一人と少女一人の力では人里まで抱え上げられそうにない。
しかし、このままここに寝かせておくわけにはいかない。とりあえずの応急処置は施したものの、早急に医者に見てもらう必要がある。
イフェリーナの翼と魔法を他人に見られる可能性があるが、家に彼を連れて帰るしか無いだろう。
「リーナ、魔法は使える?」
「やってみる」
イフェリーナは翼を一度だけはためかせると、眉間に皺を寄せて集中した。
成人した翼人種は大気を自在に操り、時には天候すらも支配する。
鳥が空を飛ぶことが当たり前のように、イフェリーナもまた呪文の詠唱を必要とすることなく大気を操ることができた。
ふわりと風がイフェリーナを包み込み、続いて倒れていた男を周囲の枯れ葉ごと巻き上げるようにして宙へと浮かばせた。
「ありがとう、リーナ。お家まで運べそう?」
「ゆっくりでいいなら、多分大丈夫だと思う」
ローラはイフェリーナの魔法が維持できる程度に急ぎつつ、家へと急いだ。
◇◆◇◆◇
シムルグ騎士学校。
その高位貴族の女子のみが入ることを許される寮。
元は客人が宿泊するための施設として使用されていたその寮の内装は、他の寮と比較して一部屋一部屋の間取りも大きく、天井も高く作られている。
柱の一本一本に精緻な細工が施され、寮の廊下には季節の花が活けられていた。
現在、この女子寮に住まう高位貴族の娘は四名。そのうちの二名は他国からの留学生であり、もう一名は侯爵家の令嬢。
そしてもう一人――公爵家令嬢にして高名なる勇者、レティシアはここに住んでいる。
「うん。これで良し!」
大きな姿見の前で、レティシアはくるくると回りながら前と後ろ姿を確認して頷いた。
純白に青の縁取り金糸で装飾が施された、まるで貴族の着る礼装のような制服。実用性は皆無で、ヘタな者が身に着ければ、まず間違いなく浮いてしまうその服装も、容姿端麗でスラリとした体型のレティシアが身に着ければ、凛とした雰囲気が漂う。
実のところ、いつものように夜明け前に起きだしたレティシアは、もう何度もこうして鏡の前で身支度を整えていた。
別段、どこかが気になっているわけではないのだが、何となくこうして姿見の前に立ってしまう。
レティシアは少し気分が浮ついているのを自覚していた。
勇者として旅をしている最中は、自身の姿格好には無頓着で、実用性を重視した服を身に着けていたものだが、ウィンとの再会を果たした後はおしゃれにも気を使うようになった。
「まあ、本当に美しいですわ。レティシア様」
「本当に、良くお似合いでございますよ」
「……ありがとう」
ため息を付くようにレティシアの美しさを讃えたのは、ここ数日前からレティシアに付くことになった二名の侍女だ。
そしてその二人の賛辞に対してレティシアの返事が渋いものとなった原因は、彼女が侍女たちの存在を歓迎していないからである。
元々、レティシアは侍女を付けずに寮でひとり暮らしを送っていたのだが、つい先日に実家へと戻った際に姉であるステイシアによって――。
◇◆◇◆◇
帝都シムルグの北西区域。
帝都に滞在している貴族たちの別邸が建ち並ぶ一角に、メイヴィス公爵邸が存在する。
公爵という爵位に相応しく、周囲に建ち並ぶ屋敷に比べてもかなり大きな屋敷だ。
普段寝泊まりしている騎士学校の寮から、メイヴィス公爵邸へと帰ってきたレティシアは、門前から少し離れた場所で立ち止まった。
いつ帰ってきても、この家の敷地に入るのは躊躇する。
少し離れているとはいえ、門前でいつまでも立ち止まっていたからか、不審に思ったメイヴィス家に仕えている騎士が二名、近づいてきた。
帝都の北西区画は貴族街。道路は石畳で舗装され、道脇は花壇が造られ、街路樹が植えられている。
一般市民には入り難い区画。
その中でも、帝都で皇位継承権すら有するメイヴィス公爵邸に、徒歩で近づくものは滅多としていない。使用人であれば、専用の通用門から出入りするし、公爵家を訪問するような客人であれば、豪華絢爛に飾り立てられた馬車で訪れる。
レティシアの事を怪しんだのも仕方がない。
「ご苦労様です」
近づいてきた騎士に、レティシアが声を掛けた。
途端に彼女がこの屋敷の末姫であることに気づいた騎士たちは、さっと顔を強ばらせて一礼した。
そして門を開けるように合図を送る。
鉄ごしらえの重厚な門が左右に開き、門番の詰め所から五名の騎士たちが出てくると、敬礼をした。
門を潜り中へと進む。
玄関へと続く広い庭の通路を進んで行くと、幾人もの使用人とすれ違った。
レティシアはすれ違う度に使用人たちを労う言葉を掛けるものの、彼らはみな一様に目を伏せて礼をするだけである。
態度だけは丁寧に。
しかし、決してレティシアと目を合わせないように。
過去に、レティシアに対して取った態度を思い出しているのかもしれない。
失敗を怖がるようになり、勉強に魔法にと、集中できなくなってしまった幼い レティシアを、家庭教師は毎日のように怒鳴り散らした。主である公爵夫婦は彼女にまるで期待を掛けなくなった。
そうした主の態度は使用人にも伝わってしまう。
いつしか屋敷中の人々から、レティシアは空気のような扱いを受けていた。レティシアがウィンの下へ通うため、早朝に屋敷を脱け出すようになっても、鼻摘み者の末姫が奇行をしていると思っていた。
ところが、『勇者』として聖別を受け魔王を倒し、圧倒的な才を秘めていたことを知った。地上に並ぶ者なき存在となった。
恐怖を覚えることになった。
かつて自分たちが取った態度を思い出して。
それ相応の報いを受けるかもしれない。
そしてもし、本気でレティシアが復讐を望むことがあれば、誰もそれを阻むことは出来ない。
父親である公爵はもちろん、帝国であろうとも――。
実際の所、レティシアには彼らに対して報復といった考えは一切ない。
心に深い傷を負ったことは確かだが、『ウィン』という彼女にとってかけがえの無い存在と出会ったことで、それらのことは取るに足らないこととなった。
もちろん、過去のレティシアへの扱いについて思うことがないわけでもないので、現在、屋敷へと帰ってきた時には、彼女が不在だった四年間の間に雇われた侍女が世話をしてくれる。
家の玄関を潜ると連絡を受けたのだろう、レティシア付きの侍女が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
その侍女の挨拶が、この屋敷に帰ってきたレティシアに初めて掛けられた言葉だった。
レティシアは少し苦笑すると、侍女に労いの言葉を掛けて自室へと向かう。彼女の部屋は、大きな寝台に机と椅子、小物入れが一つあるだけの簡素な空間だった。
ただ、机の上には花瓶が一つ置かれ、季節の花が活けられていた。清掃も行き届き、寝台のシーツにも、いつこの部屋の主が帰って来てもいいように、皺一つなく丁寧に整えられていた。
レティシアの背後に控えている侍女が、毎日のように管理してくれているのだろう。滅多と寄り付かない、主のために。
レティシアは少しだけ彼女に対して、悪い事したなと思った。
「お父様は?」
「旦那様は奥様とご一緒に、陛下よりお招きを受けて皇宮へと参内されております。現在、このお屋敷にいらっしゃるのは、ステイシア様だけでございます」
「そう……姉上だけね」
レティシアは、ほっと息を吐いた。
家族とはいえ、出来れば顔を合わせたくはない。
長姉とは良い思い出が存在しない。
父と母は皇帝アレクセイの趣味である絵画を見せられに行っているのだろう。
レティシアと一つ違いの次姉フェレシアは、エメルディアに留学中。兄のレイルズは騎士学校を卒業後、中央騎士団に配属されて、今は何処かに駐屯しているはずだ。
大貴族の嫡男らしく、簡単な野盗の討伐任務か魔物の討伐任務で功績を積むためだ。功績を上げて帝都に戻れば近衛騎士団に配属され、任期終了後には公爵位を継ぐことになるのだろう。
そして長姉、ステイシアは――。
「あら、帰っていたの? レティシア」
「ステイシア姉様……」
気乗りはしないがステイシアに挨拶へ赴かねばと廊下へと出た所に、長姉と出くわした。
「本当に久しぶりね。元気そうで私も嬉しいわ」
「はい、ステイシア姉様も。ただいま、挨拶に伺おうとしていたところでした」
「そう」
言葉では末妹との再会を喜ぶステイシアだが、その口調はどこか余所余所しい。
レティシアとステイシアが会話を交わすのは、レティシアが勇者として帝都に凱旋してから、これが初めての事になる。
帝都の華やかな雰囲気を好むステイシアは、レティシアの凱旋後もメイヴィス公爵公都であるメイツェンへ帰ったことは一度もなく、シムルグへ滞在していたはずだが、一度たりとも顔を合わせることはなかった。
もっとも、レティシア自身が家に寄り付こうとしなかったことにも原因はある。
ただ、二人共に招待された夜会でも、顔を合わせることを互いが避けていた。
レティシアはこの長姉が苦手だったし、ステイシアは昔から末妹の事を無視していたからだ。
次姉のフェレシアとは、まだ姉妹の交流が少しあったものの、兄と長姉の二人がレティシアへ何がしかの興味を示したことはこれまでほとんど無かった。
だからレティシアが凱旋した時に、兄のレイルズが彼女へ親しみを見せつつ話しかけてきた時には、彼女は戸惑いを覚えたものだ。
避けていたとはいえ、同じ家にいる以上挨拶はしておくべきだろう。
そう考えて、姉の部屋を訪ねるつもりだった。
それがレイルズ以上に末妹に対して興味を示さなかったステイシアと、部屋を出たところで出くわしたとはいえ、彼女から話しかけてきたのでレティシアは驚きを覚えた。
しかし、レティシアとしてはステイシアと話したいことなど何もない。
挨拶も済ませたことだし、「それでは失礼します」と、さっさと部屋へ戻ろうとしたのだが――。
「そういえば、あなたには教えていなかったわね。今度私、ノイマン皇子殿下と結婚することになったの」
「それは……おめでとうございます」
「ありがとう。皇族であらせられるノイマン様とのご縁ができたことは私にとっても、メイヴィスの家にとっても光栄なこと。
お父様もお母様も大変喜んでいらっしゃって、盛大な婚約披露宴を行ってくださるそうよ。その日にはレイルズ兄様も帰るようにと手紙を送ったらしいわ」
ステイシアは冷たく醒めた微笑みを浮かべると、レティシアを見つめた。
「そういえばレティシアは、皇太子殿下とともにリヨンに向かうのでしたわね。そうすると、私とノイマン様の婚約披露宴への出席は難しいのかしら」
「申し訳ございません、姉上。リヨン王国の王太子であるラウル殿下とは、共に旅をした仲間ですので、アルフレッド様より同行をお願いされているのです」
「いいのよ、レティシア。大事なお務めですもの。そういうことでしたら仕方がありませんわ――ところで、あなた。リヨンへ赴く際に同行させる従者はもう決めているの?」
「いえ、あいにくと。ですが、私は一人でも十分ですし……」
「まあ!」
ステイシアはレティシアの返事に驚いたように目を丸くした。
「末姫とはいえ、このメイヴィス公爵家の娘ともあろう者が、従者の一人も連れずに外国へ行くなんて考えられません。
とはいえ、あなたに付いている侍女は一人だけでしたわね」
ステイシアは少し思案するような素振りを見せると、すぐに口元に微笑を浮かべた。
「そうね、私の侍女を貸しましょう。それで少しは格好が付くでしょう」
「いえ、姉上。私は……」
しかし、レティシアの反論を遮るようにステイシアが手を振ると、彼女の背後から二名の侍女がスッと前に歩み出る。
「この者たちは私が最も信頼している者たちです。この娘たちをあなたに付けますわ。二人共、私がメイツェンから帝都に旅して来た時にも同行した経験があるから、旅の間のあなたの世話もしてくれるでしょう。よろしいですわね?」
◇◆◇◆◇
せっかく盛り上がっていた気分に水を差されてしまった。
侍女たちの言葉で、ステイシアとの事を思い出したレティシアは、気を取り直すために、机の上に置かれてあった小さな宝石箱から銀のネックレスを取り出すと、両手ですくい上げるようにして見つめた。
細い鎖の先には、小さな、小さなアクアマリンの指輪。子供用に細工が施されている指輪である。
レティシアが旅立つ前にウィンから贈られた大切な宝物だ。
「レティシア様。胸元をお飾りになられるのでしたら、こちらのネックレスなといかがでしょう?」
侍女が差し出してきたのは、精緻な装飾の施されている金剛石のネックレス。装飾事態に派手さは無いが、それでレティシアの胸元を彩れば、彼女の魅力を見事に惹き立てるだろう。
「おそれながら、そちらの品はレティシア様の格式にはとても相応しい物では無いかと」
石自体も小粒で決して高価な品物ではない。
公爵家第三公女が身に着けるには相応しいとは思えず、裕福な平民ですら身に着けないかもしれない。そう少し渋い表情で苦言を呈する侍女に、しかしレティシアは首を振って微笑む。
「いいのです。これは着飾ることを目的した物ではありませんから。この指輪は私に力と勇気を与えてくれた、とても思い入れのある品なのです。
それにいまさらこの私が、身に着けている品物一つで何か評価のようなものが変わることは無いと思いますよ」
「……そういうことでしたら」
侍女は一礼して引き下がる。
何か魔力の込められた魔道具とでも思ったのかもしれない。
侍女のアクアマリンに向けられた視線が、どこか値踏みをするようなものになっていて、レティシアはクスリと笑った。
確かに魔法が込められているのかもしれない。
レティシアにだけしか効果の無い魔法だが――。
子供の身で騎士学校に入るための大金を、文字通り身を粉にして働いて稼いだお金の中からウィンが無理をしてレティシアに贈ってくれたものだ。
この小さな石がレティシアに与えてくれた力は、とてつもなく大きなものだった。
「おーい」
扉が叩かれて外から声が掛けられた。
「支度できた? みんな待ってるぞ」
「はーい」
「なんと無礼な」と、憤る侍女たちを制しつつ、レティシアはいそいそと扉へと向かう。
侍女たちはまだ彼女の側に仕えて間もないので知らなくても仕方がない。
レティシアは自らの手で部屋の戸を開けると、声の主、ウィンを迎え入れる。
「おはよう、お兄ちゃん。私も準備出来たよ」
「おはよう、レティ」
レティシアは部屋の戸の前に立つウィンを眩しげに見つめた。
「うん。よく似あってるよ、お兄ちゃん」
「そうかな? 従士の制服にも増して、なんだか服に着られてる感じが凄くするんだけど?」
ウィンの姿も、純白に青の縁取り金糸で装飾が施された、まるで貴族の着る礼装のような制服。
純白の制服は帝国において基本的に皇族にしか許されていないのだが、今回アルフレッドはコーネリアの従士隊の礼装として、純白を使用することを許可した。
彼女の傍に仕えるものとして、純白が最も相応しいだろうという意見からだ。
赤の制服の近衛騎士団、黒の制服の宮廷騎士団、青い制服の中央騎士団。
そしてウィンが身に着けたコーネリア従士隊の白い制服。レティシアもまた同じ制服を着ている。
「うーん、レティが着たほうが同じ制服でも似合ってるな」
「うふふ、ありがとう。でも、お兄ちゃんで似合わないって言ってたら、隊長さんはどうするの?」
「そうだよね」
レティシアが笑いながら言うと、ウィンも噴き出す。
ぽっこりとお腹の部分が突き出したロイズの姿が思い浮かぶ。汗っかきの彼が、窮屈そうな制服に身を包み、息切れをしている姿が鮮明に。
アルフレッドはロイズ小隊をそのままコーネリアの従士隊に昇格させた。指揮官はそのままロイズ。階級は百騎長待遇である。
貴族たちの中からは反対の声も多く上がったが、アルフレッドは押し切った。
実際に従士隊を付けられたコーネリアが賛同の意を示したこと。彼女が騎士候補生としてロイズ小隊のもとで研修をしていた実績が反対の声を押さえる理由となった。未婚の皇女に子息を近づけたかった貴族たちも黙らざるを得なかった。
「リヨン王国、剣聖ラウル様の国か。遊興や観光が目的じゃないけど初めての長旅だから、ちょっと楽しみだな」
「抜け出せる時間があるといいね」
本当に楽しみなのだろう。明るい表情のウィンにそう言いながらレティシアも微笑む。
レティシアも旅立ちがこんなに楽しみだったことは、魔王討伐の旅から明日には帝都に凱旋する日の朝以来だ。
レティシアの住む女子寮から外に出ると、ウィンたちと同じ制服に身を包んだコーネリア、ロック、ウェッジ、リーノの四人が待っていた。
彼らと同じ、何よりもウィンと同じ制服を着ることができたのが嬉しい。
アルフレッドの話では、旅の道中にもいろいろと厄介事が待ち受けているようだが、それでも楽しい旅になるといいな、と心の中でレティシアは願った。




