モニカ・ヴァン・ホフマイン
別視点が入ります。
第三部冒頭部とようやく繋がりました。ただ、タイトルも(仮)としてありますが、少し改訂するかもしれません。
帝国宮廷魔導師団の人事局を訪れたコーネリアは、局長以下総出で歓迎する局員たちに軽く労いの言葉を掛けると、宮廷魔導師たちの経歴などを記した資料を見せて欲しいと申し込んだ。
十八となり公務に携わる前に、帝国に仕える者たちのことを知っておきたいと言えば特に疑問に思われることもなく、局員総出ですぐに集められて持って来た。
「お待たせして申し訳ございません、殿下。こちらの書類が宮廷魔導師団の人事関係をまとめたものにございます」
「この資料、こちらから持ち出しても大丈夫でしょうか?」
「もちろんでございます。これらの資料は全て皇帝陛下の、ひいては皇族方の物でございます。殿下にとってこの資料がお役に立つのであれば、これらを編纂した我ら一同、これ以上に光栄なことは無いでしょう」
「ありがとうございます。では」
コーネリアが頷き、背後に控えていたウィンと騎士隊から戻ってきたロックが書類を受け取ると、局員総出で見送られる中、皇宮で適当な一室を借り受けてそこで資料を閲覧することにした。部屋を借りたのは、コーネリアの私室がある後宮にはロックが入ることができないからだ。
「俺が紋章院で資料を貸してくれと言った時には、物凄い数の部署をたらい回しにされた挙句、何枚も書類を記入させられた挙句に勝手に探せという態度だったのに……」
「それはそうだろ。皇女殿下とロックじゃ、比べること事態がおかしい」
「ふふ……少しでもお役に立てたのなら嬉しいです」
少し嬉しそうにコーネリアが言った。
コーネリアの侍女メアリが、四人のためにお茶を用意してくれる。それからウィンとレティシア、コーネリア、ロックの四人は言葉も発さずに、レイモンド・ヴァン・ホフマインに関して記された書類を探した。
間もなくして、
「見つけたぞ。多分、この人かな?」
ウィンの正面に座って資料を調べていたロックが声を上げた。そして、一枚の紙をウィンに抜き出してみせる。
その紙には七年前に宮廷魔導師団にレイモンドという人物が在籍していたことを確かに証明するものだった。彼が宮廷魔導師として叙任した年月日、出自などが書かれている。
「――ポウラットさんが言ってたとおりだ。この人もレイモンド・ヴァン・ホフマイン。七年前の事件の直後から、地方の貴族領を点々と異動しているね」
「あ、私も見つけました」
ロックの隣に座って現宮廷魔導師団の名簿と経歴等を調べていたコーネリアもまた、卓の中央に資料を一枚広げてみせた。
「こちらにもレイモンド・ヴァン・ホフマインの名前があります。宮廷魔導師として新任としてではなく、地方領から帝都への異動という形でこのたび辞令が発動されたようです」
「……どういうことなんだ?」
コーネリアの話を聞いてロックが頭を抱えて唸る。
ウィンとレティシアが子供の頃に出会ったレイモンドは、確かに宮廷魔導師として相応しい力量を持つ魔導師だった。
五名もの騎士の指揮官として応援に来ていたのだから、彼が宮廷魔導師の地位を騙っていたはずもない。四名の騎士がヴェルダロスとの戦いで戦死しているが、彼らもまた騎士に相応しい実力だった。
そのレイモンドが宮廷魔導師として叙任されたのは帝国暦ニ七◯年。弱冠十八という若さだったようだ。ヴェルダロスと戦った時のレイモンドの年齢は二十七歳。現在三十五歳ということになる。
「俺が皇宮で会ったレイモンド魔導師は、とても三十五歳には見えなかったぞ」
「私もせいぜいが二十代半ば程度とばかりに見えました」
ウィンと同様、レイモンドと直接会ったことのあるメアリも頷いた。
「前に貧民街に持っていった似顔絵はどこへやった?」
「これですね」
コーネリアがロックへと麻紙をさしだす。
宮廷魔導師団に保管されている魔導師たちの似顔絵。
入団する際に描かれるもので、貧民街で調査する際に借り受けたものだが、その絵を見てもレイモンドの顔は若々しく、とても三十五歳には見えない。
「でも、皇帝陛下直属の宮廷魔導師団だぞ? 身元の調査はしているだろうし、経歴の詐称なんてできるのか?」
ロックの指摘はもっともだ。
宮廷魔導師団が、出自の明らかでない者を登用することはありえない。
「お兄ちゃん、こっち。これ見て」
レティシアがウィンに一枚の書類を抜き出して差し出した。
それは貴族院が所蔵する、ホフマイン子爵家の家族構成や資産等の目録だった。
「レイモンドには歳の離れた妹がいるの。名前はモニカ・ヴァン・ホフマイン。年齢は二十四歳――」
◇◆◇◆◇
皇宮内に建てられている大図書館。
書架の前に立ったまま猛烈な速度で頁をめくり続けていた彼は、背後から突然女性から名前を呼びかけられた。
「レイモンド魔導師殿」
「うん? 何だい、このボクに何か用事でも――」
ちっと小さく舌打ちをしつつ、頁をめくっていた本を閉じて振り返ったレイモンドは、立っていた女性を見て言葉を切った。
「レイモンド――いえ、モニカ・ヴァン・ホフマイン殿ですね?」
「皇……女殿下」
コーネリアを先頭に、そしてウィンとレティシア、ロックがその背後に立っていた。
「お伺いしたいことがあります。よろしいですね?」
「……はい」
コーネリアの言葉に、モニカは肩を落とすと、全てを諦めたかのように笑うと頷いた。
◇◆◇◆◇
モニカ・ヴァン・ホフマインにとって、歳の離れた兄レイモンドは憧れの存在だった。
十歳以上も離れた兄は、モニカが物心つく頃にはすでに宮廷魔導師に任官されることを期待された英才だった。
宮廷魔導師としてだけでなく、魔導師としての名門と呼ばれるホフマイン子爵家の史上でもいまだ一名しか輩出できていない席官の位にも、間違いなく選出されるであろうことは確実と周囲から見られていた。
そんな兄の影響を受けて、モニカもまた宮廷魔導師を目指すべく猛勉強をした。
モニカは特に書物を読む速度が速く、その才は兄を凌駕していたために、周囲からも期待が高かった。
本人もまた、兄と同様に宮廷魔導師となれることは疑っていなかったのである。
シムルグ騎士学校に入学し、准騎士の資格を習得。
そしてそこからは宮廷魔導師の資格を取るべく死に物狂いで勉強した。
五度、試験を落ちた。
それもどれも一次試験で。
知識はあった。
筆記試験は完璧と言って良い。
しかし、実技において魔法の威力、精度ともに宮廷魔導師となるための合格ラインには到底届かなかったのである。
五度目の試験を落ちたモニカは、帝都のシムルグから故郷のホフマイン子爵領へと帰ることにした。
幸いにもホフマイン子爵家では兄であるレイモンドという英才がいる。
モニカ一人が脱落した所で、ホフマイン子爵家が魔導師の名門であるという立場が揺るがないからだ。
モニカは故郷で私塾を開き、将来魔導師を目指す子どもたちに魔法を教える日々を過ごしていた。
そんなある日――。
風と日差しの気持ちが良い日の事だった。
木陰に椅子を運んでいつものように書物を開き読んでいると、不意に影が差した。
「よ、モニカ。元気そうじゃないか」
「兄さん!」
クライフドルフ侯爵領にある大学で講師をしている兄、レイモンドが一年ぶりくらいで帰ってきたのだ。
「相変わらず本ばかり読んでいるなあ、モニカは」
「兄さんも、元気そうね」
レイモンドはちちっと小鳥が鳴くように小さく舌打ちをしてから笑った。
この舌打ちはレイモンドの癖だ。
書物を読んでいる際に、ちっ、ちっ、と舌打ちをしているうちに、常に舌打ちをしてしまうようになったらしい。
そういえば、父親も似たような癖を持っていた。
モニカが幼い頃、母親が家の書庫を覗いた時に父親と兄の二人が、ちっ、ちっ、と舌打ちをしているのを聞いて、「親子揃って変な癖ね」と笑っていたのを思い出す。
モニカはクスリと小さく笑った。
怪訝そうな表情をしたレイモンドに何でもないと手を小さく振る。
レイモンドはモニカの対面にあった椅子に腰掛けると、手に持っていた二つの杯と陶器の瓶を取り出して中身を注いだ。
「お土産。オレンジの果汁だよ。冷やされていたから美味しいよ」
注いでくれた杯に口をつけると、冷たくて後味の良い爽やかな酸味と甘みのあるジュースが口の中に広がった。
「美味しい」
「ちっ、だろ? ちょうど家の前くらいで果汁売りがいてさ、美味しそうだったから買ってきたんだよ」
ジュースを飲みながら満面の笑みを浮かべたモニカに、レイモンドも美味しそうに喉を鳴らして一気に飲み干す。
「私塾を作って子どもたちに魔法と学問を教えているんだって?」
「うん。家に籠もっていても、やることがないから」
「いや、良いことだと思うよ。民たちが知識を身に付けることは、決して悪いことじゃない。子どもたちも学を身に付けていれば、将来色んな道が拓けてくるからね」
そう言うと、レイモンドはモニカの空いた杯にジュースの残りを全部注いでくれた。
「ところで兄さん、今日はどうしたの? 大学は?」
「今度、シムルグに呼び戻されることになったんだ」
「本当に!」
モニカはパッと顔を輝かせた。
宮廷魔導師として帝都で順調に出世の道を歩んでいた兄が、ある日突然地方の貴族領に異動したという手紙が届いた。左遷でもされたのかと心配もしていたが、席官となる魔導師
であれば地方領を回ってコネを作ることも重要な仕事だ。
兄ならばきっと後者だろう、大丈夫と信じていたのだが、果たして信じていたとおりに地方領を廻って帝都へと呼び戻されることになったようだ。
つまり、出世への軌道に乗ったということだ。
「ここ数年、地方回りで左遷されたものと思っていたけど、筆頭宮廷魔導師のマイセン様が僕を呼び戻してくださったんだ」
「おめでとう、兄さん」
「はは、ありがとう」
照れたように笑う兄の顔を見て、モニカは自分を振り返り急に情けない思いにとらわれた。
「兄さんに比べたら、私って何でこんなに違うんだろう。五度も試験を受けて落ちて、期待にも応えられないし……」
深々と溜息を吐いた。
「そうかな?」
小さく舌打ちをしながらレイモンドは首を傾げた。
「僕は逆にモニカのほうが凄いと思うね。
確かに僕は魔導師としては成功しているのかもしれないし、その分野においてはモニカよりも優れていると思うよ?
でも、それ以外の分野だと僕はモニカに敵わないと思っている」
憧れている兄の口調が愚痴めいたものになって、モニカは驚いた。
「そんなことないよ。兄さんが本気になって勉強したら、私が身に付けた知識なんて――」
「僕が本気になって勉強しても、多分モニカの実力の半分も及ばないよ。
僕が一冊の書物を勉強し終わる前にモニカは多分、その三倍もの知識を身に付けてしまうんだから」
レイモンドからして見れば、人の数倍の速さで書物を読みふけり記憶してしまう妹のほうが、遥かに出来が良いと思っていた。
ただ、宮廷魔導師となるには魔力が僅かに不足していただけの話。
「モニカが子どもたちに魔法や学問を教えていると聞いて、僕は逆に感心したよ。宮廷魔導師を目指すよりも、そっちのほうがよほど有意義だし似合っていると思う」
「そうなのかな?」
「ちっ。子どもたちに将来の夢を見させることができる仕事だからね。僕にはそういう生き方は許されなかったから」
モニカは驚いていた。
憧れていた兄がそのように考えていたとは思わなかった。
これでは、まるで兄は宮廷魔導師にはなりたくなかったようではないか。
「あの、兄さんは――」
「レイモンド」
モニカが兄にそう聞こうと口を開いた時だ。
少し離れた場所から、兄に向けて声をかけてきた者がいた。
声を掛けてきたのは灰色のフードを目深に被った男――父親であるレイナード子爵である。
「おっと、父さんが呼んでいるから、僕はそろそろ行くよ」
「うん」
レイモンドは小さく舌打ちをして立ち上がると、妹の頭を撫でた。
「ところで子どもたちの相手ばかりしているけど、どうなんだ? そろそろいい人でも見つけたのか?」
「っ! ちょっと兄さん!」
「ハハハ、冗談冗談」
ちちっ、舌打ちを交えつつ朗らかに笑うとレイモンドは、父親と並んで屋敷の方へと歩き出す。
「じゃあ、また食事の時にでも話そう」
一度振り返ると、レイモンドは大きくモニカへと手を振った。
その兄へとモニカも小さく手を振って微笑を返す。
そして――それがモニカの見た、生きているレイモンドの最期の姿だった。
夕食の席に現れない父と兄。
席官にはなれなかったものの、父レイナードもまた子爵家の家督を継ぐまで宮廷魔導師として帝国に貢献した、優秀な魔導師である。
研究に没頭してしまうことはこれまでも度々あったので、モニカは兄と一緒に食卓を一緒にできなかったことを残念に思いながらも、母と二人で夕食を摂った。
「モニカ? 悪いけど、これお父さんとレイモンドに運んであげてくれない?」
母が地下の研究室に籠もったままの二人のために、サンドイッチを作るとモニカに運ぶように言いつけた。
サンドイッチならば、研究の合間に食べることができる。
モニカはサンドイッチと喉を潤すための葡萄酒の入った壷と杯を二つ盆に乗せて、地下にある研究室へと降りていった。
そして扉を開けて――。
そこから先は、よく覚えていない。
むせ返るような血の匂い。
寝台のような台の上に仰向けに寝かせられ、苦悶の表情を浮かべて、心臓を抜き取られていた兄レイモンドの姿。
モニカが取り落とした壷や皿の割れる音を聞きつけて、駆け下りてきた母が、中を覗きこんで悲鳴を上げ――。
そして父、レイナード・ヴァン・ホフマインはその夜から姿を消した。
◇◆◇◆◇
「父の研究室からは多くの貴重な魔導書が無くなっていました」
モニカは宮廷魔導師となれるほどの才能は無かったが、人並み外れた記憶力があった。
父の部屋に並んでいた書物の題名をほとんど覚えていたのである。
だが、それらの書物は一般の書店では手に入れることができなかった。
地方の領主や金持ちの経営する図書館でも見つけられなかった。
しかし、それらの魔導書について触れられている書物であれば、何冊か見つけ出すことが出来た。
そしてそれらの書物から父であるレイナードが、禁忌の魔法を研究していたのではないかとの疑惑を覚えた。
兄、レイモンドはそのレイナードの実験の被験体として殺されたのではないか。
その確証を得るために、モニカは長かった髪を切って男装をし、レイモンドになりすましてシムルグへと赴いた。
宮廷魔導師であれば、皇宮にある帝国最大の蔵書量を誇る大図書館を利用することができるからである。
それに、子爵家当主が息子を殺してしまったという事態を隠す必要もあった。
宮廷魔導師団より招聘がかかっているのに、レイモンドがいつまで皇宮に出仕しなければ、いずれ人が遣わされて事態が発覚する恐れもある。
それらの事情から、モニカはレイモンドへとなりすますことにした。
幸い宮廷魔導師団に潜り込むのは、騎士学校時代の友人が協力してくれた。
帝国に所属する宮廷魔導師は総勢三百名を数える。
そのうち、帝都に詰めている五十名程度であり、それ以外の者たちは出向という形で帝国の各貴族領や、各地に建てられた私設の学校で講師の任に就いている。
レイモンドも地方の領主たちが建てた学校で講師をしていた。帝都へ戻る直前には、本家筋であるクライフドルフ領の大学で講師をしていた。
七年という歳月があれば、レイモンドの顔を覚えているものは少ないだろう。
席官と呼ばれる席次を与えられ、皇帝の御前会議への出席が認められた上位十名の宮廷魔導師であればともかく、それ以外の宮廷魔導師は多くの場合、研究のために各自与えられている研究室に籠もりがちであり、面識を持つ者は限られてくる。
そしてモニカは、協力者のおかげもあって、宮廷魔導師団にレイモンドとして潜り込むことができたのである。
◇◆◇◆◇
旧皇宮を利用した騎士学校を初めて見た時、その建物と敷地の広さにも感動し、圧倒されたものだったが、皇宮に初めて出仕した時もモニカは感動したものだ。
白亜の大理石に、高い天井。
皇位の貴族と思われる豪勢に着飾った人々や、皇宮に仕える官僚や使用人、要所に立つ宮廷騎士。
男装してレイモンドになりすましているモニカの心臓は、いつ変装が見破られるかもしれないという不安から、激しく鼓動を打っていた。
皇宮はとにかく広大だった。
レイモンドとしてモニカに与えられている研究室までは遠い。
パンパンに膨れ上がった大きな革の鞄。
さほど裕福ではないとはいえ、それでも子爵家の姫であるモニカの腕は、鞄の重さですっかり痺れてしまった。
使用人は兄の無残な死体を見て倒れてしまった母を世話してもらうため、故郷へと残してきたため、誰一人連れてきていない。
疲れと不安と緊張で泣きだしたい気持ちだった。
誰かに手伝ってもらおうにも、正体が露見しそうで頼みづらい。
廊下に一度鞄を下ろし、大きく息を吐く。
少し休憩しようと思い、痺れてしまった手を擦っていたその時、モニカは大きく目を見開いた。
懐かしい騎士学校の制服を着た青年。皇宮の中では、明らかに周囲から浮いていた。
よく見ると青年の顔立ちも柔和で、素朴な印象を受ける。
貴族には見えない。
年齢もモニカよりも歳下で、間違いなくレイモンドの顔も知らないだろう。
それなら――。
「ちょっと、そこの君!」
モニカは思わず声をかけてしまった。
――申し訳ないのだけど、鞄を運ぶのを手伝ってもらえないでしょうか?
言葉を続けようとして、モニカは口を開いたままで凍りついた。
振り返った青年の傍には、高位と思われる侍女が控えていた。
青年の影に隠れてしまい、モニカの位置からは見えなかったのだ。
声をかけた後で侍女の存在に気づいてしまったモニカは、内心で焦りを覚えた。
「貴族じゃなさそうだが、宮殿の奥にまで入ってこられるということは、騎士の家系のものか? ちょうどいい。ボクの従者が逸れてしまって難儀していたところなんだ」
騎士学校に通っていた時、帝都でよく見た上級貴族の男子たちの口調を思い出し、必死の思いで演技をする。
「見てくれ。この広大にして壮麗な宮殿を。さすがは皇帝陛下がお住いになられている場所だ。だが、この広大さが今のボクには少々マズイ状態を引き起こしているんだ」
「はぁ」
突然モニカに話しかけられて、青年と侍女の二人は面食らった表情を浮かべていた。
「ボクはこの春から宮廷魔導師として任官するのだが、部屋まで重い荷物を運ぶのに疲れていたところだ。見ての通り、ボクは学級の徒だからね。力仕事には慣れていない。そこで君の従僕を貸していただきたい」
「従僕……え!? 従僕って、ええ!?」
「こちらの方は皇女殿下の従士で、いくら貴族の方であっても他の方の命令は……」
「いやぁ、君が通りかかってくれて助かったよ。さすがに初日から遅刻はマズイだろうからね」
不愉快そうに顔をしかめた侍女によって、この人の良さそうな青年の正体が、皇女殿下の従士だということに驚いたものの、聞いてないふりで一気呵成にまくし立てた。
「というわけで、ボクの荷物を運んでくれたまえ」
「ですから……」
「うんうん、わかってるよ」
自分でも大袈裟なんじゃないかと思うほど、大きな動作で頷いてみせる。
モニカの心臓は先程から二人に聞こえてしまうのではと思うほど、激しく鼓動を打っていた。
足が大きく震えていた。
誤魔化すために跪き、侍女の手を取った。
「もちろん、ただとは言わないさ。自己紹介が遅れたね。ボクの名前はレイモンド・ヴァン・ホフマイン。こう見えてもこのボクの家は、あのクライフドル侯爵家に連なる子爵の家柄だ。ボクと親しくなっていれば、とっても有利になるよ。君はとっても綺麗だし」
クライフドルフ侯爵家という、ホフマイン子爵家にとって主筋の家名も出す。
子爵家は田舎貴族だが、クライフドルフ侯爵家は帝都でも趨勢を誇る大封の領主の家柄。
余計な詮索もされないだろう。
虎の威を借りるようで、本心では嫌だったが仕方がない。
侍女の顔がしかめられる。
緊張で掌に汗をかいていた。
「わかりました。ホフマイン子爵公子閣下。お荷物をお運びいたします」
「え、ウィン様」
「構いません。コーネリア殿下もまだお戻りでは無さそうですし、お荷物をお運びしましたらすぐに戻ります」
祈るような気持ちだったモニカは、安堵感に思わず全身の力が抜けてしまいそうになった。
だが慌てて、緩みそうになった顔を引き締めて立ち上がると、高慢な態度を取り繕いながら、ウィンと呼ばれた青年に申し付ける。
「丁重に扱うように。中の物を盗ろうと思うな? 高貴でない者は手癖が悪いからな」
「ホフマイン子爵公子閣下、それは少しお口が過ぎるかと。この宮殿内でそのような不埒を働くような人物は存在しません!」
(しまった……ちょっと言い過ぎた?)
侍女の厳しい口調に、モニカはやり過ぎたかと思ったが、
「平気ですよ」
ウィンと呼ばれた青年は笑顔で言った。
「君は従僕なんかに礼なんてするのか。付け上がるから止めたほうがいいよ。それにしても、ボクの従者は何をしているんだか。これだから平民は使えないんだ」
やり過ぎとは思い始めてきたが、もうここまで来たら演技を止める訳にはいかない。
「そういえば君の名前を聞いてないね」
内心でビクビクしながらも、さも女性に慣れているかのような手付きで侍女の肩に手を回そうとするが、あっさりと身を躱されてしまった。
「あ、おい……」
「私も仕事がございますので。早めに彼も解放していただけますと助かります」
それだけを言うと、侍女はモニカには軽く会釈して廊下を戻っていく。
(やり遂げた!)
心の中で快哉を叫びながら、ウィンに向き直る。
「それで、どちらへお運びすればよろしいでしょうか?」
真面目そうな彼は、モニカの度重なる不愉快な態度にも、怒りを態度に表わすこともなく、モニカの重い鞄を持って待っていてくれた。
ちっと舌打ちをするとレイモンドは「こっちだ」とウィンの前に立って歩き出した。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)
心の中で謝罪を繰り返しながら。
(後で彼には絶対謝罪しに行こう)
そんなことがあってから、モニカのレイモンドとしての皇宮での暮らしが始まった。
目的である皇宮にある大図書館には、この帝都で出版されている書物のほぼ全てが網羅されている。
毎日のようにモニカは大図書館へと通い、記憶から呼び起こした書物を探し出しては、片っ端から読み漁る日々が続いた。
◇◆◇◆◇
「それで俺に声を掛けてきたのか……」
話を聞いてウィンは呟いた。
「あの時、おかしいとは思ったんだ。皇宮には、参内した貴族を世話する使用人がいる。初出仕なら案内してくれる人も用意されるはずだから」
「その人が兄の身上書を読んでいないとも限りませんから。できるだけ、避けるように行動していました」
「モニカさんに協力してくださったという方はどなたなのです?」
「僕だよ」
「お兄様……」
コーネリアの問いに答えたのは、静かにコーネリアの部屋へと入ってきたアルフレッドだった。
控えていたメアリが深々と一礼し、ウィンとロックも慌てて立ち上がって敬礼をする。
「僕とモニカは騎士学校の同期なんだ」
モニカが目を伏せて小さく頭を下げる。
その彼女に頷いてやるアルフレッドの目には、優しい光が宿っていた。
「だから簡単に宮廷魔導師団に潜り込めたのか……」
ロックが小さな声で呟いた。
皇太子殿下が力添えをしてくれるのであれば、確かに潜り込むのは容易となるのは違いない。
「とは言っても、レイモンド・ヴァン・ホフマイン魔導師には、僕からの特命により会議等の出席義務等を免除すること。騎士団から上がってくる情報を横流しにすること。僕にはこの程度のことしか出来なかったけどね」
申し訳無さそうに呟くアルフレッドに、少しコーネリアが目を見張る。
兄が素直にこういった感情を言葉に籠めるのは珍しかった。
「いえ、そのお力添えだけで十分でございます。殿下……」
モニカが口元に手を添えて礼を言った。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「なるほど。だから貧民街で彼女の姿が見受けられたのか」
帝都市内だけでなく、貧民街でも誘拐が多発しているという情報を聞き、彼女は自らの足で調査していたのだ。
モニカは頷くとウィンに向き直る。
「……ウィン従士。以前、あなたが私にどんな本を読むのかと質問された時、こう答えましたね。私は魔王、そして魔族の事について研究をしていると」
ウィンは頷いた。
確か皇宮内にある練武場で会った時の話だ。
「書庫から消えた本の多くが魔王、そして魔族に関して記された本だったのです。ご存知でしょうか? 魔王がかつて人の体の中に入る事で顕現したということを」
「確かセイン王」
以前にレティシアから聞いた話だ。
「父はその件に関して調べていた可能性があります。人の肉体という器の中に、より高位次元の生命体を注ぎ込む――」
「それは、あのサラ・フェルールの……」
コーネリアが驚きで口元に手を当てた。
ウィンとレティシアの二人が視線を交わす。
リヨン王太子【剣聖】ラウルの言っていたコンラート・ハイゼンベルクの遺産強奪と無関係とは思えない。
「僕もそう考えた」
「どうして対処されないのです?」
「ホフマイン子爵家はクライフドルフ侯爵家とも繋がる名家だからね。魔王や魔族の研究に関しては、魔導師の研究としてはそう珍しいものじゃない。裁くには、明確な証拠が必要なんだ」
「明確な証拠ということでしたら、ご子息を殺害された容疑などは?」
「そうすると、確かにホフマイン子爵家は取り潰しとなるが、その背後にいる者たちには手が届かない」
そうコーネリアに答えると、アルフレッドは全員の顔を見回した。
「やはり明確な証拠が必要なんだ。そこでどうせロイズから知らされるとは思うが、コーネリアも含めて君たちに命令が下ることになる。いや、レティシア殿にはお願いというべきだな。だけどその前に――せめて帝都の闇に潜む者は掃除をしておくとしようか」