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ホフマイン

 分厚い雲が空を覆い、月明かりも星の光も隠していた。

 森の中を風が吹くたびに木々の葉がざわめくが、生き物の気配はまるで感じられず、虫の声一つ聞こえてこない。

 唐突にボッという音とともに、四つの炎が生まれた。

 森の中、わずかに出来た広場――炎によって照らしだされたのは、広場一杯に描かれている巨大な魔法陣。その四方、東西南北正確な位置に配置された燭台で炎が揺らめいている。


『我が呼び声に応え来るがよい。冥府の底にて魂叫ぶモノよ。死人の肉より生まれし忌まわしき悪霊よ……』


 朗々とした声が森の中を響き渡った。

 初老の男が一人、魔法陣を前にして呪文を詠唱している。

 その呪文の詠唱に伴い、魔法陣に記された紋様が赤い輝きを帯び始めた。空気が振動し、まるで陽炎のように周囲の木々の影が揺らめく。


『……我が呼び声に応えるが良い。いざ来るが良い。冥府の扉開けて、我今、汝をここへと喚びつかわさん……』


 魔法陣の赤い光が一際強く輝く。

 突風、そして落雷を思わせる轟音が辺りに響き渡る。

 途端に風が吹き荒れた場所に生えていた草木が、見る見るうちに枯れ果てて行く。


『我を喚び出した者は誰か』


 地の底から轟くような声。

 魔法陣の中心に浮かぶようにして現れたのは、揺らめく影のようなローブを身に纏った皮膚も肉もない骨の身体を持つ骸骨。それも人の平均的な身長を上回る、巨大な骸骨。腰骨から下は存在せず空中を漂っていた。


『我を喚び出したのは誰かと問うている』


 眼窩の赤い光が明滅し、再び骸骨は問うた。

 もしも死というものを具現化させれば、こういった姿になるのではないだろうか?

 しかし召喚者の初老の男は、まるで怯む様子もなく、喚び出した骸骨に向けて一歩踏み出すと口を開いた。


「久しいですね、ルフ」


 たった一言。

 だが、その一言で骸骨――ルフが纏う影のローブが揺らめいた。

 骸骨ゆえにその表情は覗えないが、もしも人ならば動揺の表情を浮かべていたかもしれない。


『おお……おお……その声、貴様は……いえ、あなた様は……』


 ルフは姿勢を低くすると、頭を下げた。


『まさか、あなた様がこちらの世界に顕現されていようとは。大変なご無礼を。

それでは他の御三方もこちらへ?』


「ルーリーとダンクンの二人は存じませんが、フレウディンは魔王様と勇者の戦いで、大きく力を消耗しましたので、当面は何も出来ないでしょう」


『まさかあのフレウディン様までもが。では、魔王様の後継は……』


「そのためにあなたを喚びだしたのです。期待していますよ」


『おおおお……』


 ルフの声が歓喜の色を帯びて震えた。


『勿体無いお言葉にございます。しかし、そのお姿はいったい……?』


 かつて、ルフが初老の男――いや、自らの上位者である彼を見た時は、こんな人間の姿ではなかったはずだ。


「こちらの世界に顕現した時より、この姿を取るようになりました。意外と便利なのですよ」


『なるほど。それで、この度私を喚び出した理由は?』


「ある魔導師と契約したふりをして、その者の護衛をしてもらいたいのです」


『魔導師……。人間めのでございますか?』


「ええ、名付きであるあなたが、たかが人間程度に使役されるのは屈辱でしょうが、そこを曲げてお願いしたいのです」


『お願いとは……なんと畏れ多い。命令とあれば人間とでもこのルフ、使役されてみせましょうぞ』


「感謝しますよ。ルフ」


『ところで……』


ルフの両目の赤い光が再び明滅する。


『先程からこちらを窺っている下等生物の処分はいかがなさいますか? ご命令とあれば、すぐにでも排除してまいりますが』


 その瞬間、陽炎のごとく揺らめく禍々しいオーラが周囲へと広がった。

 オーラに触れたかろうじて立っていた木々がグズグズと腐り落ちていく。


「そうですね、あなたもせっかくこちらの世界へと来られたばかり。やっていただきたい仕事は別にあるのですが、この者たちで少し肩慣らししておくのもよろしいでしょう」


『かしこまりました。ご期待に沿ってみせましょう』



 ◇◆◇◆◇



 吹き荒れる死の臭いが漂う風。

 エルフたちにとって何よりも大切な森の木々が、一瞬のうちに枯れ腐れ落ちていく。

 しかし今、死んでいく森を悲しんでいる時間は無かった。

 一刻も早く、里へと戻りエルフの都へ報せる必要がある。


 森の中の異変に気付き、里の戦士たちを率いて出発したリーズベルトは、邪悪な気配を追跡しているうちに、少し開けた場所で佇む一人の人間を見つけた。

 白髪混じりの初老の男。

 森に不似合いな、人間の世界では高貴な身分に仕える者が身に着けると聞く燕尾服姿。

 そして、彼の眼前には不気味な赤光を明滅させている、巨大な魔法陣が描かれていた。

 やがて魔法陣の中央――赤い光が溢れだすと黒い影を纏った骸骨が姿を現した。

 負の生命力を与えられた高位妖魔、不死の魔物とも違う。背景が歪んで見えるほどの濃い瘴気を漂わせている


「あ、あれは……」


「魔族か? なんて禍々しい……」


「おのれ、人間め! 我らが領域の中で何て邪悪な!」


「舐めた真似を……リーズベルトさん、私たちの力を思い知らせてやりましょう!」


「ま、待て! は、は、早まるな……」


 しかし、逸るエルフの戦士たちが目にしたものは、里一番の使い手にして百戦錬磨なリーダー、リーズベルトの青褪めた顔。

 歯の根が合わない程震え、彼らの耳にガチガチという音が聞こえてきた。彼らを制するために上げた声も弱々しく、手はブルブルと震えている。

 信じられない光景。

 リーズベルトは勇猛果敢な戦士として、里の尊敬を一心に集めていた。

 魔物との戦争で多くの古強者を失ってしまった里に残った、経験豊かな戦士。

 今ここについてきた多くのエルフの戦士たちが尊敬する偉大な英雄だ。


 その彼が、取るに足らないように思える人間の男を見て、目を見開きみっともなく怯え、震えている。


「あ、あいつだ……間違いない。あの時の化け物だ……」


 リーズベルトの声は震えていた。

 背中を冷たい汗が滴り落ちる。

 濃い瘴気を漂わせる魔族をかしずかせる初老の男。

 かつて、リーズベルトが率いたエルフの部隊を壊滅させた一匹の魔族。

 エルフたちの全力の攻撃を意に介することもなく、ただ殺戮の限りを尽くすと、やがて飽きてしまったかのように姿を消した。


 不意に初老の男へかしずいていた骸骨が、首を巡らせてエルフたちが潜む茂みへ目を向けた。

 風が吹いたわけではないが、死を感じさせる何かが身体を貫く。


「に……逃げ…………」


 しかし、リーズベルトが指示をするよりも早く――。


「あ……」


 最も先頭に立って様子を窺っていたエルフの若者、その上半身が爆発したかのように吹き飛んだ。

 顔に振りかかる熱い液体。ぎこちない動きで首を巡らせてみれば、原形をとどめていた肉塊が枯れ木となった大木の幹にへばりついていた。


「さて、ルフさん。私があなたを呼んだ理由の一つに、彼らを狩る目的もあります。ただし、必要なのはその死体。

 殺してもやり過ぎないようにしていただけますか?」


『かしこまりました』


 その言葉を聞いた瞬間、リーズベルトは、


「各自、散開して逃げろぉぉぉ!」


 喉も裂けよとばかりに叫んだ。

 その声を合図にして、さっと森の中を散り散りになってエルフたちがその場を離れる。

 森の住人であるエルフだ。平地を走るかのように、樹上を疾駆する。


『申し訳ありません。下等生物を全て始末するには、少し時間をいただくかもしれません』


「いえ、どうやら私の事を知る者がいたようです」


 指示を出していたエルフ。他の者たちが仲間を殺したルフに注目をしている中で、ただ一人だけ初老の男から目を逸らさなかった。


「以前、どこかの戦場で見えたのかもしれませんね。敵対したもの全てを殺してきたわけではありませんので。そうなると、これは私の失態。ルフさんのせいではありませんよ」


『……は』


「この場所にエルフたちがいたということは、彼らの里も近くにあるはず。森の迷宮の魔法を見た時に、ある程度の見当はつけていましたが丁度良い。彼らにそこへ案内してもらいましょう。誰か適当な一人の後を追って行けばよろしい」


『かしこまりました』


 恭しく頭を垂れるルフに対して、初老の男は頷いた。


「先程も言いましたがやりすぎないように。五体満足で殺してきて欲しいですね。良い素材となりそうですから」



 ◇◆◇◆◇



 貧民街での聞き込み調査を終えた翌日。

 ウィンとレティシア、コーネリアの三人はここまでの調査結果をポウラットに報告するため冒険者ギルドを訪れていた。

 報告ついでに、ギルドの方でも何か新しい情報が掴めていればという思いもある。


 ロックは同行しなかった。

 ロイズ隊長に調査結果を報告したいということで、騎士隊のある騎士学校へ出かけていた。

 両手に花の状態のウィンに散々恨み言をこぼして――。


 三人がギルドの扉を潜ると、正面受付カウンターにポウラットの姿を見つけた。彼は数名の冒険者のパーティーと話し込んでいる。

 どうやら冒険者のパーティーに依頼内容に関しての説明を行っているらしい。


 シムルグ冒険者ギルド東支部の受付カウンターでは、夜間を除いて常時三名の職員がいるのだが、以前来た時とは違い、今日は随分と混み合っていた。前に来た時はポウラットの両隣に座る、若い女性職員の前にだけ冒険者たちが並んでいて、長い行列ができていた。

 そしてその時のポウラットは忙しそうな彼女たちを後目に、別に仕事を手伝うでもなく、ただ暇そうに書類を眺めていたのだが、今日は先日の状況とは異なり、さらに三組もの冒険者パーティーが順番待ちをしていた。


「これはちょっと時間が掛かりそうだなあ」


 ウィンはそう言うと、ギルドの中を見回した。

 時刻はちょうど朝餉を終えた頃合いで、依頼書が貼られている掲示板の前には仕事を探す冒険者たちで人集りができていた。

 その一方で、ギルドに併設されている酒場の方は、朝食で混雑する時間が終わったらしく、幾つかの卓で空席ができている。


「レティ。列には俺が並んでいるから、コーネリアさんと酒場で何か飲み物でも飲みながら待ってて」


「そうね。三人が並んでいても仕方ないし、お兄ちゃんの言葉に甘えさせてもらうね」


「はい」


 レティシアはコーネリアを促すと、酒場へと歩いて行く。

 ホールをレティシアとコーネリアが横切って行くと、ギルドの中がざわめいた。


 金髪をなびかせて歩く容姿端麗なレティシアと、清楚ながら気品を漂わせるコーネリアは、荒くれ者の集う冒険者ギルドでは異色の存在だ。

 そんな彼女たち二人と幸運にもすぐ近くですれ違ったウィンと同い歳くらいの冒険者が、その場でボーっと二人の後ろ姿を見送っている。そうした態度は何もその冒険者だけに限ったものではなく、ギルド内の至るところで見受けられた。

 レティシアとコーネリアが空いている卓に座っても、彼女たちをチラチラと見ている者が多い。だが、中にはチラ見している若い冒険者の男たちとは違う視線を彼女たちに向けている者もいる。


 彼らはレティシアの正体を知っているギルドの古株たちで、多くは遠巻きに見ているだけだ。初老の域にまで達しようかという熟練の冒険者もいたが、彼らでもレティシア・ヴァン・メイヴィスには畏敬の視線を送っている。


 中にはレティシアも顔を知っている者もいて、レティシアは彼らと軽く手を上げて挨拶を交わしたりする。同様に顔見知りの酒場の主人に果汁を絞ったジュースを自分とコーネリアの分を注文すると、軽く会話を交わした。

 そうした様子をまた、若い冒険者たちが羨ましそうに眺めている。


 先ほどまで喧騒に包まれていた冒険者ギルドは、レティシアとコーネリアを中心に、少し熱のある空気が漂うことになった。


 

 ◇◆◇◆◇



 列に並んでおよそ半刻の時が経過した頃、ようやくウィンに順番が回ってきた。


「よお、ウィン。待たせて悪かったな」


「おはようございます、ポウラットさん。今日は忙しそうですね」


「そうか? いつもこんなもんだよ」

 

 立て続けに冒険者たちをさばき続けたためか、ポウラットの顔には若干の疲労の色が見られた。ウィンと話している間にも、依頼書の束を忙しなく捲っては目を落としていた。


「前に来た時のポウラットさん、暇そうに見えましたけど?」


「あの時はたまたまだろう」


 ポウラットがそう言ったとたん、左右に座っている若い女性職員が一瞬、彼を咎めるような目で睨みつけた。

 毎日忙しいのは自分たちで、どちらかと言えば今日がたまたまポウラットも含めて忙しいだけだ。そう言いたいらしい。

 ポウラットは苦笑いすると、一つ咳払いをした。


「それで、今日はギルドに何の用だ?」


「例の魔導師の誘拐事件に関して、こちらで調べたことの報告と、あれからギルドの方で何か新しい情報が入って無いか伺おうかと思って」


 ウィンの言葉を聞いて、依頼書の束を捲る手を止めたポウラットは顔を上げた。


「ふん……。だったらここで話さない方がいいな。また上の個室を借りることにしたほうが良さそうだ」

 

 ポウラットは鼻を鳴らすと、それから左手の親指で酒場の方を示してみせた。


「この場所で話すには、あの二人はちょっと目立ちすぎるからな。内緒話するにはちょっと向かない」


 そしてポウラットがウィンにニヤリと笑い掛けたその時、


「いい加減にしてもらえます!?」


 レティシアの声がギルド中に響き渡り、ウィンはぎょっとして酒場の方へ向き直った。


「悪いけど、私たちはあなたたち酔っぱらいのお相手をしている暇は無いんです!」


 見ると、レティシアとコーネリアの二人に絡んでいるのは、三人組みの革鎧を身に着けている冒険者。

 三人ともまだ若く、せいぜいが二十歳になるかならないかといった年齢だ。

 その中の一人が、レティシアとコーネリアの座っている卓へと近寄ると、声を掛けたようだ。


「いいだろう? 一杯くらい。俺たち、昨日大きな仕事を終えたばかりで金を持っているんだ。俺たちに付き合えよ、奢ってやるからさ」


「そうそう。何でも奢ってやるよ? 金ならあるんだ」


「俺たちに付き合えば、良い気分にさせてやるぜ?」


 彼の仲間の二人が、椅子に座ったまま言う。

手には麦酒の入った木杯を持ったままだ。

 言葉通り、彼らの囲む卓上には料理がふんだんに並べられていて、すでに幾つもの空いた酒瓶が転がっている。

 どうやら仕事の打ち上げで夜通し飲み続けていたらしい。

 酒精が回ると今度は性欲が募り、女を抱きたくなったのだろう。

 三人とも、レティシアとコーネリアの二人の頭からつま先までを粘着くような視線で見ては、下劣な笑みを浮かべていた。


「ギルドの酒場を利用しているということは、君たちも冒険者か何かなのかな? 

 いや、君たちみたいな品のある女性には、冒険者という荒事は似合いそうもない。もしかしたら、冒険者に憧れたどこか名のある家のお嬢様なのかな?」

 

 酔っ払った勢いで、レティシアとコーネリアに口を挟ませる隙を与えず、まくし立てるようにして言い続ける若者。

 少しずつ椅子に座っているレティシアと距離を縮めて、顔がだらしなく崩れていた。そんな彼らとは対照的に、レティシアの表情はだんだん剣呑なものになっていく。


「そうだ! 何なら俺たちの冒険譚を話して聞かせてあげるよ。きっと、君たちには興味深いお話ができると思うよ」

 

 若者は言いながらレティシアの肩に手を回そうとする。

 パシッ!

 レティシアがその手を払い落とす。


「おいおい、振られてんじゃねえか!」


「さっきまでの大言壮語はどうした!? 軽く口説き落とせるんだろ?」


「うるさい、お前ら。黙ってろよ!」


 離れた席から茶化す仲間の二人に振り向いて怒鳴り返すと、彼は再び顔に軽薄な笑みを貼り付けた。


「ハハハ、失礼。なあ、そう邪険にすんなよ。

 ほら、俺の顔を立てると思って、ちょっとだけでも付き合ってくれよ。

 そっちの彼女もこの子に何か言ってやってくれないか?」


 若者に話を向けられて、コーネリアはびっくりしたような顔をした。

 皇宮育ちの彼女はこうした体験はしたことがない。

 先程から、どこか他人事のような様子で男たちに口説かれているレティシアを見ていた。

 それが急に自分にも男が声を掛けてきたのでびっくりしたのだ。


「え、えっと、あの……」


 戸惑っているコーネリアを見て、まずはこちらから言い包めようと考えたのか、若者が更に口説き文句を言おうとした時、


「失礼。この娘たちは俺の連れなんだ」


 そこへようやくウィンが彼女たちの卓に辿り着いた。 

 若者の肩を掴むと、くるりと彼と場所を入れ替えて、レティシアとコーネリアの前に立つ。


「な、なんだよ、お前は!」


 いつの間にか、若者たちの卓とレティシアたちの卓の周囲を囲むようにして、人の輪ができていた。

 騒ぎに気づいたギルド中の冒険者たちが集まってきて、注目を集めていたのだ。

 若い冒険者や、他の町から訪れた冒険者たちからは先を越されたという思いがこもった視線を。そして、古参の冒険者たちは若者たちに憐れみと、どこか面白がるような視線を向けていた。

 そうした野次馬に行く手を阻まれてしまい、ウィンはなかなかレティシアとコーネリアの卓に着くことができなかったのだ。

 最も、あのまま放置していたところで彼女たちがどうこうされることはないだろうが、あのままにしておくわけにはいかない。

 ウィンにとってレティシアは肉親のように大切な存在で、コーネリアはウィンの守るべき主人だ。

 それに、ウィンも何となく面白くない。


「……お兄ちゃん」


 ウィンの背中を見てレティシアが嬉しそうに呟く。コーネリアもほっとした表情を浮かべた。


「おい、なんだよあんたは? 女を横取りしようってのか?」


「横取りも何も、この娘たちは俺の連れなんだって」


 レティシアとコーネリアの態度がウィンの登場であからさまに和らいだ。女性たちの見せたその姿が、余計に若者たちの気に障ったのだろう。

 ウィンを強く睨みつけてきた。

 

「ふざけんなよ、この野郎!」


「俺たちが先に声をかけているんだ。邪魔をするなよ!」


「俺たちを誰だと思っているんだ!」

 

 座っていた若者の仲間たちも席を立つと、ウィンに詰め寄ってくる。

 それを見てレティシアとコーネリアが腰を浮かせかけたが、ウィンがそれを制した。

 ウィンも怯むことなく睨み返す。

 力量からして、三人合わせてもウィン一人で軽くあしらえそうだ。

 様子を見守る野次馬の反応は色々だ。

 ウィンたちの事を知っている者は、やれやれといった具合に肩を竦めているし、知らない者たちは、女性を巡っての喧嘩騒ぎに発展しそうな状況に期待して、無責任にも若者たちを煽り立てていた。

 レティシアもコーネリアも、冒険者では手が届きそうにない高嶺の花といった雰囲気をまとっている。

 そんな彼女たちを二人も連れているウィンをやっかみ、野次馬たちの声援は若者たちに多かった。

 一触即発の雰囲気。

 しかし――。


「はいはい、そこまで!」


 野次馬たちに揉みくちゃにされながら、ようやくの思いで人の輪を抜け出したポウラットがパンパンッと手を二回叩いた。

 

「ギルド内での喧嘩はご法度だぜぃ? 除名処分……とまでは行かなくても、罰則を受けたくなければ、双方それまでにしておけよ」


 ひどく疲れた顔でポウラットが言う。

 不自由な足を引き摺って、揃って体格の良い冒険者の合間を縫う作業は、想像以上に体力を消耗したらしい。

 ウィンと時を同じくして騒ぎの場所に向かおうとしたのだが、ウィンからさらに遅れて揉め事の中心へと進み出ることができた。

 

「しかし、ポウラット。こいつ、俺が先に声を掛けてた女を横取りしようとしたんだぜ!?」


「横取りねぇ……」


 若者の主張にポウラットはため息を吐いた。


「横取りといっても彼女たちの様子を見れば、どちらが彼女たちの連れなのか一目瞭然なんだがな」

 

 レティシアとコーネリアも立ち上がると、ウィンの左右に立っている。


「それに、まだこの町に来て日が浅いお前らは知らんだろうけど、ウィンはここのギルドに所属している冒険者だ。それも結構な実力者だ。

 そして、その娘たちが連れだということを俺は知っている。いや、俺だけじゃない。このギルドの古株の連中ならみんなが知っている事だ。なあ?」


 ポウラットの言葉に、笑みを浮かべた幾人かの古株の冒険者たちが頷いた。

 それを見て若者たちも黙る。


「な? せっかく大きな仕事を成功させて帰って来たんだ。これ以上恥をかく前に、この辺で止めておけって」



◇◆◇◆◇



 ホフマイン子爵家は、現在の中央騎士団のトップ、クライフドルフ侯爵家の一門に連なる名家。その所領もまたすぐ傍に存在した。

 元はクライフドルフ侯爵家からの分家であり、家系図を遡れば繋がっているが、かの子爵家が本家である侯爵家と異なっている点は、子爵家は魔法の名門であり、幾人かは宮廷魔導師すらも輩出した、侯爵家の魔法部門を担当している家だということだ。


 宮廷魔導師団の主な仕事は、平時であれば新しい魔法、魔道具などの研究。また歴史上最大の版図を誇った古代レントハイム王国が残した古代魔法やその遺跡から発掘される魔道具の解析。そしてレントハイム王国に勝るとも劣らない最高峰の魔導技術を誇っていた、旧セイン王国の遺産解析といったものである。

 戦時では騎士団を後方から援護し、儀式魔法による戦略級大規模攻性魔法や大規模拠点防衛魔法などの展開が主な仕事だ


 要するに敵の矢面に立つこと無く、後方での任務が主なため、どれも国策に関わる重要な仕事であるにもかかわらず、前線に立つ騎士団は彼らを頭でっかちの集団だとみなし、蔑んでいる傾向がある。その一方で宮廷魔導師団の方でも、騎士団は戦うしか能のない集団と侮蔑する風潮が存在し、両者は対立とまではいかないものの、あまり仲が良いとはいえない。


 ただ、この構図は別段帝国だけに限ったものではなく、大なり小なりどこの国でも見受けられるものだった。


「ホフマイン子爵家か……」



 椅子に深く腰掛けて、ロックから受け取った報告書を読んでいたロイズは、机に両肘を付きつつ手を組むとその上に顎を乗せてさらに思考を遊ばせる。


 クライフドルフ侯爵家。

 言わずと知れた帝国南部に大領を有した、武門の名門として知られる帝国を代表する大貴族である。

 現当主の名前はウェルト・ヴァン・クライフドルフ。

 ウェルトは帝国三軍で最大勢力である中央騎士団の団長として将軍位を拝命し、軍内部だけでなく政治面でも絶大な発言力を持っている。

 そして一門の人間を次々と要職に就け、名実ともに貴族最大の派閥を築き上げ、権勢を誇っていた。

 ここまでクライフドルフ侯爵家が力を持つようになった背景には、今上皇帝であるアレクセイがクライフドルフ侯爵家に対して強い罪悪感を持っていることにある。


 ルクレツィア・ヴァン・クライフドルフ。

 ウェルトの妻だった人物であり、帝国によって併合された、とある小国の王族だった女性だ。すでに故人である。

 武門として名門のクライフドルフ家の生まれなのに、大した功績のないウェルトが中央で強い発言権を持つに至った経緯には、ルクレツィアの遺した絶大な功績があった。

 対魔大陸同盟軍において、ロイズとケルヴィンのかつての上司ザウナス・ヴァン・レイフェス将軍と並び、帝国の双璧と呼称された女将軍。

 

 ロイズとケルヴィンの二人もルクレツィアとは面識が有った。

 その輝かしい戦歴に反して、普段は穏やかな性格をした女性であった。

 しかし、一度戦場に立つと的確な指示で戦術を展開する。

 特に防戦や撤退戦では卓抜した指揮官で、ルクレツィアのおかげで多くの騎士、兵士たちが命を救われている。

 彼女の死を聞いた時には帝国軍のみならず、対魔大陸同盟軍全軍が喪に服したほどだった。

 帝国にとっては非常に重き名前であり、そしてロイズたち前線帰りの人間からしても、特別な意味を持つ名前だった。

 それゆえに、反クライフドルフの勢力は、前線でルクレツィアと共に戦ったことがある貴族や騎士といった人物に多い。今のウェルトのやり方が、まるで彼女の名誉を汚しているようにしか思えないからだ。


 現在、軍内部での発言力を強めたウェルトは、更に宮廷魔導師団内部でも発言力を強めようとする動きを見せている

 その急先鋒が、ロックが報告書に上げた、ホフマイン子爵家だと見なされているのだ。

 そしてホフマイン子爵家は、騎士団とは反目の関係にある宮廷魔導師団の人間。

 ロックが見たという馬車の紋章と、その貧民街に住む男たちの証言だけでは、憲兵隊でもないロイズ小隊が、宮廷魔導師でれっきとした貴族であるホフマイン子爵の屋敷に正面から踏み込むのは厳しいと言わざるを得ない。

 相手は名門貴族。貧民街の住民の証言だけではなく、しっかりとした証拠を掴まなければ処断するのは難しい。曖昧な証拠だけでは、反発を招くことになる。

 ただでさえ、ロイズは先年のクーデターの首謀者、ザウナス将軍の元副官という立場だった男だ。一つ間違えれば、そこを突かれて所領であるエルステッド領にまで災禍が及ぶ可能性もある。


 貧民街へと放り込んだケルヴィンが、ペテルシア国境付近の集落を襲撃した軍の指揮官と思われる男と接触したと報告があった。

 誘拐事件、そしてクライフドルフ侯爵家、ホフマイン子爵家、さらにはペテルシア王国へと結びつくかどうかは分からないが、皇女殿下を危険な目に晒しつつ、さらには宮廷魔導師筆頭と宮廷騎士団にまで頭を下げて潜り込ませたのだ。

成果を掴む必要があった。

 ロイズは目を開けると、部屋の中を見回した。

 本来は小隊定員数の十名で使用する執務室。

 しかし、中央騎士団上層部からの覚えが良くないロイズ小隊は、人員の補充が為されておらず、部下が四名しかいない。


(結局、人数が揃うことは無かったか……)


 ロイズは苦笑を浮かべると、一枚の書類を手に取った。

 アルフレッドのサインが記されたその書類を見た時、ロイズは来るべき時が来たかという感想を持った。

 ロイズとケルヴィンの上官だったザウナスは、元よりそのために二人をクーデターに参画させず距離を空けたのだから。それに、遅かれ早かれウィンが従士として引き抜かれた時に、こうなるだろうとは思っていたのだ。

 書類を投げ出すと、机の一番下の引き出しを開ける。中には大量の手紙が詰め込まれていた。全部領地の妻たちからの手紙だった。

 その手紙を一つ一つ手に取りながら、ロイズは大きくため息を吐く。


(どうやら、当分は領地で穏やかな生活は望めそうにないか……)



◇◆◇◆◇



「レイモンド? 宮廷魔導師のレイモンドと言ったか?」


 騒ぎとなった冒険者ギルドの酒場からウィンたちを連れ出したポウラットは、ギルドの二階の個室へ三人を案内した。そして話し始めたウィンの口から出てきた名前に驚いたように声を上げた。


「ポウラットさん、レイモンド――レイモンド・ヴァン・ホフマイン子爵公子の事、ご存知なんですか?」


「そのホフマインなんちゃらかんちゃらの事に関しては知らないが、レイモンドという宮廷魔導師の事なら知っている。

 俺だけじゃない。お前たちも知っているはずだぞ?」


 ポウラットはウィンとレティシアを見た。 

 ウィンとレティシアは思わず顔を見合わてみたが、互いに心当りがない。

 

「レイモンド魔導師とは、コーネリア殿下の従士として初出仕した時が初対面だったと思うんだけど……」


 ウィンは腕組みをして天井を見上げて考え込んだ。

 どう考えてもレイモンドとはあの時が初対面だったはず。それ以前に彼と会った記憶が無い。レティシアに至っては、ロックが持って来た似顔絵でしかレイモンドの顔は知らなかった。


「初出仕の時ということは、最近の話だよな? なら、俺が知るレイモンドとは別の人物なのかな……」


 二人の反応を見て、ポウラットは自信が無さそうに小声でつぶやいた。


「あの……ポウラット様と面識があるというそのレイモンド魔導師は、どのような御仁なのでしょうか?」


「ええっと……かれこれ七、八年前になるのかな? 

 ウィン、レティちゃん。お前たち、俺と初めてパーティーを組んで挑んだ仕事を覚えているか?」


「ローラさん、リーナちゃんと出会った時の仕事だね」


 ウィンがそう言うと、ポウラットは頷いた。

 コーネリアも、以前にウィンからその話は聞いていた。

幼い頃のウィンとレティシアが暗躍していた魔族を人知れず倒していたという話。

 当時の帝国上層部の危機意識のから危うく帝都を危機に陥れる所だったという。真実は、その怠慢が発覚することを恐れた上層部によって記録が改竄されてしまっていた。


「あの時、派遣されてきた騎士たちと魔導師がいただろう? その魔導師の名前がレイモンドだよ」


「うそっ!」


 ウィンは驚きで声を上げ、レティシアは目を見張った。


「二人は名前を聞いてなかったのか? 

 そういえばウィンは怪我を負って寝ていたし、レティちゃんにいたってはウィンにべったりで人見知りが激しかったからなあ……。

 オールトさんたちの事とか覚えているか?」


「オールトさんたちの事は覚えてるよ」


 ウィンは頷いたが、レティシアは困った顔をしている。

 オールト、ルイス、イリザ。

 幼い頃のウィンとレティシア、そしてまだ冒険者だったポウラットと共に、犬頭の魔族と闘うことになった冒険者たちだ。

 本当に実力がある冒険者にしか認められていない、遺跡、秘境の探検をメインに仕事をしていた熟練の冒険者パーティー。

 あの事件の後、彼らは旅立ってしまい以後に会うことは無かった。


「ハハハ……やっぱりレティちゃんは覚えていなかったか」


 ポウラットに笑われてレティシアが赤面する。

 本当に幼い頃のレティシアは、ウィンにべったりだった。

 ウィンにくっついて冒険者として仕事をするうちに、ポウラットを始めとしてそれなりに親しくなった人々はいるが、それでも基本的にはウィンと共に行動していた。いや、それは今も変わってはいない。

 さすがにあの頃のように無邪気に抱きついたりはできないが――いや、できればそうしたいとは思っているが――。

 考えているうちに子供の頃の行いを思い出し、レティシアは顔だけでなく首筋まで赤くなってしまった。


「あのヴェルダロスとかいう魔族との戦いでは、俺たち冒険者の音頭はオールトさんが取っていたからな。あの人がほとんどレイモンドさんと話していたし、子供だったお前らは、さすがにレイモンドさんの事は覚えてなくても当然だ」

 

 あの時のウィンは九歳。およそ七年前の事だ。例えその時に魔導師の名前を聞いていたとしても、忘れてしまうことは不思議な話ではない。

 しかし、たとえ名前を忘れていたとしてもウィンには気になることがあった。


「でも、ポウラットさん。

 ポウラットさんの言うレイモンド宮廷魔導師と、レイモンド・ヴァン・ホフマイン子爵公子はきっと別人だと思うよ」


 あの時の魔導師――レイモンドがどのような人物だったか、ウィンには正確に思い出せなかったが、それでも二十代にはなっていただろう。

 そして皇宮で知り合ったレイモンドは二十代半ばくらいの線の細い青年だった。同一人物とは思えない。


「うーん……そう聞くと、確かに別人のようだな」

 

 ポウラットも腕組みをすると、唸った。


「あの事件の時、レイモンド魔導師は辺境の貴族領へ異動させられたと聞いたし、やはり別人かもしれないな」


「あの……それでしたら人事局で記録を調べてみてはいかがでしょう?」


 黙って話を聞いていたコーネリアが口を挟む。


「人事局?」

 

 尋ねたウィンにコーネリアは頷いた。


「はい。帝国の貴族。そして帝国に仕えた者なら、全て人事局に記録が残されているはずです。ポウラット様の言われるレイモンド宮廷魔導師がレイモンド・ヴァン・ホフマイン子爵公子閣下か同一人物なのかそうでないのか、人事院で調べればわかると思います」


「なるほど。でも、人事局が俺たち騎士団の人間に、宮廷魔導師の資料を見せてくれるかな……って、ああ!」


「はい。私が申請をすれば、人事局の大抵の記録は全て閲覧することが可能だと思いますよ?」


 任せて下さいとでも言うように、レムルシル帝国第一皇女コーネリア・ラウ・ルート・レムルシルは微笑んでみせたのだった。



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