画策
7月のデスマーチ以後、体調を崩してしまいました。
更新遅くなりまして、申し訳ございません。
「隊長の命令なの。ああいった組織同士というのは、横で繋がりがあったりするから、潜入して情報を得ようとして」
リーノとウェッジ。そして黒を基調とする騎士服に身を包んだ宮廷騎士団2個小隊と宮廷魔導師が一名。総勢二十三名もの人間が、近くから遠くから、身を潜めていた草陰より次々と姿を現した。
老齢の宮廷魔導師が同行していることから、《知覚遮断魔法》を使用していたのだろう。結界内の人物を隠蔽してしまう高度な魔法。戦場では兵を伏せる際に使用する魔法である。
負傷して呻く男たちを手際良く縛り上げていく宮廷騎士たちを眺めながら、苦虫を噛み潰したような顔をするウィンを、申し訳無さそうな表情を浮かべながら肩をすくめたリーノが覗きこんだ。
「俺たちを囮に利用したのか……俺はともかく、コーネリア殿下に何かあったらどうする気だったんだよ」
「もちろん。こっちも注意してたよ~。だから、隊長は宮廷騎士団と宮廷魔導師の人にもお願いして、万が一の際にはすぐに介入できるよう準備はしてたんだよ」
「でも、何で隊長は宮廷騎士団に依頼を? それにあの方、マイセン様だよね?」
ウィンはコーネリアがいる方へと目を向けた。
宮廷騎士団は、帝都防衛と皇族以外の要人警護を主な任務とする騎士団だ。ロックやリーノが所属している中央騎士団よりも規模は小さいものの、中央騎士団から選抜された最精鋭の騎士が所属している。
たしかに精鋭揃いの宮廷騎士団であり、貧民街のチンピラ相手には過剰な戦力なのだが、今回関わっているのは皇族であるコーネリア。となると皇族守護が任務である近衛騎士団が出張ってきそうだが。
そして宮廷魔導師の筆頭マイセン。真っ白な頭髪と髭、そして鷲鼻が特徴の彼は、騎士団の人間でも知っている帝国の重鎮中の重鎮である。
マイセンはコーネリアとは当然のことながら顔見知りらしく、今は彼女と離れた場所で話をしている。
「近衛は貴族選抜だからねぇ。帝国随一の精鋭って言われているけど、実戦経験は無いに等しいし……隊長、わざわざ宮廷騎士団にある伝手を使って頼んだみたいだよぉ?」
「ケルヴィン副長も何を考えてるんだ。レティに対して本気で攻撃してなかったか?」
ウィンが少し呆れ混じりに言うと、そのケルヴィンと実際に剣を交えたレティシアは小首を傾げながらウィンを見た。
「うーん、でもね? お兄ちゃん。本気だったらあの人、私と死ぬまで戦うんじゃないかな?」
「いや、そんなことは……」
否定しかけてウィンは言葉に詰まった。あながち否定出来ない。言葉にはしないがリーノも同じ思いだったらしく、困ったような視線をウィンに向けていた。
皇宮まで同行します、という宮廷騎士たちに囲まれて歩きながら、レティシアは前を歩くコーネリアを複雑な気持ちで見つめていた。
(コーネリアさんのあんな顔……初めて見た)
クーデターの一件以後、コーネリアとは親しく付き合っているが、彼女は皇族という身分。ウィンたちとは、どこか一線を引いているように感じていた。
しかしあの時――ウィンが差し出した手へ縋り付くようにしてコーネリアが立ち上がっていた時に浮かべていた表情。彼女が抱いている感情が、自分と同じものだとしたら。
(そういうことも起こりえると思ってはいたんだけど……やっぱりやだなあ)
他の女性がウィンに対して興味を持つことは、やはり面白く無い。そしてウィンが他の女性に目を向けることも。
従士となったウィンの意識は、以前よりもコーネリアへと向けられることが多くなった。従士という仕事上、それは当然のこと。
ウィンにとって、コーネリアは守らなければならない存在。
一方で自分に対してはどうか? 大切にしてくれているのはわかる。だが、どこか兄と妹のような関係のままであることは否めない。彼に思う存分甘えることができるその関係は、確かに居心地は良いものだが焦れったさも感じる。
小さく溜息を吐く。
「どうしたんだよ?」
「う、うん……何でもないよ」
溜息に気づいたのだろう、ウィンが気遣わしげに尋ねてくる。
何でもないと答えたものの、ウィンが気にしてくれたのがほんの少し嬉しく、気持ちを明るくしてくれる
六歳の時、『渡り鳥の宿木亭』で初めて会ったあの頃から、彼と多くの時間を一緒に過ごしたいと願ってきた。しかし、望んでもいない『勇者』という神託のために、四年もの長い時間を離れ離れにされてしまった。
だが、今は違う。
傍にいられなかった四年間とは違い、今はいつでも会うことが出来る。
悩んでいても仕方がない。
今の関係よりも一歩先へ――。
そう思いながら、レティシアはそれまでの懊悩を断ち切るようにして前を向いた。
◇◆◇◆◇
その夜。
宮殿にある一室で、アルフレッドは執務机の上に、山のように積み上げられた報告書へと目を通していた。
父である皇帝アレクセイが、政務に精力を割かなくなって久しい。現在、皇帝の裁可がどうしても必要な案件以外の政務は、皇太子であるアルフレッドが捌いていた。
執務机の上へ山のように積み上げられた書類に目を通し、次々に決済の印を押していく。アルフレッドは順調に書類の山を減らしていたが、ふとその手が一枚の報告書で止まった。
報告書の提出者はエルステッド伯爵。
禿げ上がった頭に、でっぷりと肥え太った悪相の、非常に食えない人物。アルフレッドの腹心でもある。
内容は、昨年のペテルシアとの武力衝突を起こす以前から起こっていた、国境付近でのペテルシアの先遣部隊によると考えられていた村落襲撃事件の件である。
ロイズが治めるエルステッド伯爵領も、ペテルシアと国境を接しているため、幾つかの村で被害を出していた。
その調査結果を報告してきたのである。
読み進めていくうちにロイズが指摘する奇妙な点について同意できたアルフレッドは、従者に命じて皇宮にある図書館から幾つかの資料を持って来させた。
皇宮の図書館では帝国内外の発刊物から、公文書までのありとあらゆる文書が保管されている。
数刻の後に、図書館の司書たちによって提出された資料と、ロイズの提出した報告書を照らしあわせたアルフレッドは小さな呻き声を漏らした。
「これは……」
襲撃を受けていた多くの村で、近くの街へと商いに出掛けて難を逃れていた者が数名ほど存在していた。
その生き残った彼らの協力を得て調べた結果、どの村も本来住んでいた住民の数に対して、残されていた遺体の数が少ないという調査結果が出た。
エルステッド伯爵領だけでなく、ブレセア伯爵領、レンブラント侯爵領、クライフドルフ侯爵領の全てにおいても同様であった。
略奪目的にも見えないペテルシアの襲撃。
侵攻作戦の一貫であれば、その土地に住む非武装の者たちを殺害した所で、何の利益もない。
その後、その土地を治める気があるのならば尚更だ。
「ふむ……」
眉間を揉みほぐしながらアルフレッドは小さく吐息を吐く。
(目的が見えてこないな……ペテルシアは敵性国民を皆殺しにするという方針の国じゃないし……)
ひとまず、その件の検討は後に回すとして次の書類へと目を落とす。
次の文書は複数の貴族からの請願書だった。
最近、何度もアルフレッドのもとへと届けられている請願書で、内容は一貫して皇女の従士ウィン・バードに対する不満である。出自が不明な平民騎士であり、また皇族直属である近衛騎士、そして帝都防衛の要である最精鋭騎士団である宮廷騎士に比べて実力が劣ること。また、未婚の皇女に対して、年齢の近い異性の従士を付けていることに対する皇室の外聞を案ずるもの。
これらの請願書は、ウィンを従士として着任させた時から定期的に届けられていた。
しかし、頑として受け付けないアルフレッドの態度に業を煮やしてか、最近ではウィンを一人従士とするのではなく、貴族騎士の中からも数人従士を選抜して親衛隊を発足させてはどうかと記載されているものもあった。
中にはご丁寧にも、親衛隊の構成案まで添えられているものもある。
そして多くの場合、その構成案の中には提案してきた貴族自らの子息、および縁戚筋で皇女と年齢が近い男子の名前が従士候補として記載されてあった。
あまりにも見え透いた意図に、逆に感心してしまうほどである。まともに読むのも馬鹿らしいが、アルフレッドが一応は目を通していると執務室の扉が軽く叩かれた。
従者が客の来訪を伝える。
アルフレッドはすぐに通すように言いつけると、扉が開いてゆっくりとした足取りながらも凛とした態度で、彼にとって実の妹であるコーネリアが入室してきた。
「お呼びと伺いましたが?」
「うん。夕刻の騒ぎに関して報告を受けたよ。マイセン老が心配してたよ? もう随分と歳を召されている方なんだから、彼の心臓に悪い真似はあまりしないでおくれよ」
マイセンは皇帝アレクセイの祖父の代から仕え、宮廷魔導師筆頭として魔導師たちを束ねる傍ら、皇帝の相談役も務めている人物だ。アルフレッドとコーネリアが幼い頃には、二人の教育係も務めていたこともある。
滅多に宮殿奥にある執務室から出てこないのだが、この日は珍しくロイズの要請を受けて皇宮外へと出向いていた。そして皇宮への帰り道、コーネリアに同行したマイセンは、咄嗟の事態で魔法を使えなかったことに関してコーネリアへと二言三言注意をした。
しかし苦言を呈したのは魔法を使えなかったことだけ。それ以後はその件に触れることもなく、ウィンとレティシアの二人に興味を移していたようだ。
そういえば、マイセン老はコーネリアがウィンの手に縋り付くように掴まってしまったのを見ていたはずなのだが、そのことに関して彼は何も言わなかった。
いつ叱られるものかとコーネリアは内心で覚悟をしていたのだが――。
「――聞いてるかい?」
その時のことを思い出していたコーネリアを、アルフレッドの声が呼び戻す。
「そんなお小言のために、私を呼んだのでしょうか?」
その問いにアルフレッドは笑みを消すと、机の上に肘を付き両手を組むと前に立つ妹の目を覗きこんだ。
「いや、君にお願いしたいことがあるんだ。まだ随分先の話となるんだけど、僕のかわりにリヨン王国へと行ってもらう」
その一言にコーネリアは首を傾げた。
一度はアルフレッドとコーネリアがリヨン王国へと親善訪問する予定だったのだが、一部貴族の反対によって、アルフレッドだけがリヨン王国へと訪問するという話になっていたからだ。
「表向きは僕が行くということになる。でも、実際には君が行くんだ」
「どういうことです?」
「今はまだ言えない。でも、とりあえずリヨンへと向かう心積りだけはしておいてくれ」
コーネリアは内心で呻きながらも頷いた。
兄がこういう時は、何かしら企んでいるのはわかっていた。
だが、こうも何も教えてくれないというのでは、まるで自分が子供扱いされているようで面白くない。
露骨なまでに不満そうな表情を浮かべたコーネリアを見て、アルフレッドは先程の貴族から届けられた従士ウィン・バードに関しての請願書を渡す。
「これは?」
怪訝な表情を浮かべて請願書へと視線を落としたコーネリアは、サッと顔を紅潮させると兄の執務机に書類を叩きつけた。
「歳の近い異性であることはともかく、彼の生まれが平民であることが、どうして帝国の、皇室の権威に傷をつけることになるのでしょうか!
まさか、これだけの理由で彼を罷免するというのは、彼を私の騎士として承認したこの私が認めません!」
今日だってウィンは自らの身を顧みず、必死に自分を助けてくれたのだ。その思いを視線に込めると、コーネリアは身を乗り出すようにして訴える。
「わかってるよ」
物静かな妹にいては珍しく、興奮したように詰め寄ってくる妹に対してアルフレッドは穏やかな声で頷いた。
「実力と人格に関して言えばレティシア殿の保証付きだ。彼を罷免する理由は僕にも見受けられないね」
確かに魔法を使える状況であれば、ウィンの腕前は並の騎士と同等程度の実力でしかない。
強い魔力を有する貴族で構成された近衛騎士、中央騎士団から選抜された最精鋭騎士で構成された宮廷騎士団に比べれると、どうしても総合的な実力は見劣りしてしまう。
しかし、クーデターの際のように、貴族騎士たちの強みである魔力が封じられてしまう状況に陥った時、ウィン・バードは無類の強さを発揮する。
――あの勇者でも勝てないと言わしめるほどに。
魔力を封じられてしまう場所はこの広大な皇宮内にも存在するし、例えば皇帝が他国の使者と謁見する間などは、暗殺などを防ぐために《封魔結界》が展開されている。
そういった場所での、万が一の際にはウィンの活躍は十分に期待ができる。逆にそういった場所以外であれば、それこそ近衛騎士、宮廷騎士に任せておけば良いのだ。
もっとも、帝国に忠誠を捧げているはずの騎士が、反逆に加担する可能性もある。
そのためアルフレッドとしては、コーネリアの親衛隊はいずれ人数を揃えて発足させるつもりだが、その編成を貴族の好きなようにさせるつもりは一切なかった。
とりあえず、正式な親衛隊が発足するまではウィン従士一人となるが、戦力的には心配することはない。
何せ彼の傍には、それこそ帝国の総軍事力をも上回る絶対戦力がいるのだから。
「でも、歳頃の近い異性というのは一理あるね。それで皇室の権威に傷がつくかどうかは別として」
「それは……」
反論しようとして言葉に詰まるコーネリアにアルフレッドは手を挙げながら笑ってみせた。
「それこそレティシア様がいるから大丈夫だろう。むしろ、そういう問題なら皇室よりも公爵家のほうがより重大じゃないか。レティシア様はウィン従士の元に通ってるんだろう?」
「……言われてみるとそうですね」
「皇女と公爵家令嬢が一人の男を巡って恋の争いか……うん、それはそれで面白い」
面白そうに呟くと、ニヤニヤとした笑みを向けてくる兄に、コーネリアは一瞬言葉に詰まった。
「……何を言っているのですか」
アルフレッドから視線を反らして、弱々しい声で言い返す。しかし、すぐにアルフレッドに向き直ると目線をあわせた。
「それよりも、兄上」
「なんだい?」
「リヨンの件は承りましたが、それなら私もお願いがございます」
真剣な表情を浮かべるコーネリアに、アルフレッドもまた笑みを消して妹を見る。
「公務中はともかくとして、それ以外の場所では皇女としてではなく、以前と同じく騎士候補生という立場で扱って欲しいのです」
◇◆◇◆◇
翌日、アルフレッドは執務室へとエルステッド伯爵を呼び出していた。
「久しぶりだな、ロイズ。少し痩せて……はいないか」
「ええ、毎日きちんと仕事をしてはいるのですが、仕事の後の食事は大変美味しいですからな。やはり、人間食べ物が美味しい時が健康なのだと、つくづく思います」
「いや、それにも限度というものが……」
アルフレッドは嘆息した。
目の前に立つこのロイズ・ヴァン・エルステッド伯爵は、見た目こそ頭髪は禿げ上がり、醜悪なヒキガエルのように肥え太った、まるで物語やお芝居で登場する典型的悪徳貴族といった容姿だが、人は外見では測れないという良い見本である男だ。
帝都にいる貴族の間や皇宮関係者の間では悪い噂が流れているものの、その領地も帝国有数の穀倉地帯で豊かな土地で、領内でも反乱といった話は聞こえてこない。
最も、伯爵家自体は借金まみれであることも事実であったが。
「ところで殿下、今日はどのようなご用件で?」
「今度のリヨンへと向かう件だよ」
「ふむ」
ロイズは弛んだ顎に手をあてて一拍考える。
「君も知っての通り、表向きは親善訪問ということにしてある。だけど本当は軍事同盟の締結のためだよ。あちらのラウル王太子にはすでに内諾を得ているからね。後はこちらから僕が出向いて誓約書に調印してくれば同盟が成立する」
アルフレッドはここで言葉を切ると、急に口調をトーンダウンさせた。
「そこで、これを利用して罠を仕掛ける。ペテルシア側も額面通りに親善訪問とは受け取ることはないだろう。確実に何らかの行動を起こすはずだからね」
「内通している者を炙り出すおつもりですか」
「うん。だから、表向きは僕がリヨンに行ったことにして、実際にはコーネリアを向かわせるよ。」
「それでしたら何も今すぐに、皇女殿下が実際にリヨンへと赴かれる必要はございますまい? 全てが終わってからでも十分に同盟を纏めることは出来るかと。それに皇女殿下はまだ十七。公務に携わる年齢ではございませんぞ?」
「内通者を炙り出すだけならね。でも、遅かれ早かれペテルシアとの交戦は避けられないだろう。それにコーネリアに外を見せておきたい。経験を積ませておきたいんだよ。どうせ向こうが用意した書類に調印するだけなんだから、僕以外の皇族でも別に良い。
それに、お姫様というのは大衆に対してとても受けがいいからね」
「まあ確かに。隣国のお姫様が来訪されたと聞いたら、大抵の場合では好感を得ることが出来るでしょうな」
本来帝国の女性は、十八歳を迎えた時にようやく公人とみなされる。その歳までは皇女であったとしても、その発言が帝国を代表するものとはならない。
だが、コーネリアが十八歳となったからすぐに交渉の場へと出るわけにはいかない。様々な交渉の場におけるふるまい方や駆け引きなど、経験を積ませておく必要がある。
今回の軍事同盟の件は、すでにアルフレッドとラウルとの間で話が進んでおり、後は調印するだけという簡単な仕事。コーネリアに求められるのは、リヨン王国の民たちに対する、帝国のイメージアップ。
政治的な駆け引きは必要無いが、他国での公人としての振る舞い方を経験するには良い機会だ。
ロイズは納得したように頷いた。
だが、すぐに笑いをおさめるとその悪人面を歪めるようにして笑みを浮かべる。
「ですが、その程度のことで私をお呼びになられたわけではないのでしょう?」
アルフレッドは一つ頷いた。
「うん。彼らのことなんだけど、既に帝都内で配置もしているからね。事が始まったその時には、君にはこっちの指揮をしてもらいたい」
アルフレッドから渡された作戦を記した紙に目を通すと、ロイズは小さく頷いた。
「なるほど。正直申し上げまして、あまり気乗りはしませんが。
まあ、彼らであれば私が指揮官として一番の適任者だというのは認めますよ。あとはうまく掛かってくれることを願いましょう」
「掛からなければ掛からなくても良い。こちらとしては何も痛手はない」
「妹君を囮にしてでございますか?」
「そのために彼がいる」
「確かに彼が赴くと言えば、まず間違いなく行かれる可能性は高いでしょうな」
「むしろ、今回はこちらからお願いしてみるつもりだよ。仲間だったラウル君の国だ。勇者が出向いても何もおかしいことはないだろう?」
「確かにその通りです。ですが、危険もありますぞ?」
「危険を侵すに足る機会だと思っているよ」
アルフレッドがまっすぐにロイズの目を見つめると、ロイズは観念したように大きく息を吐いた。
「止めても無駄でしょうな。準備を急がせます。
ところでそのコーネリア殿下から、現在私どもが担当している任務へと、正式に参加させて欲しいと請願が来たのですが?」
「コーネリアから?」
アルフレッドは怪訝な表情を浮かべた。
「うーん……直にリヨンへ行ってもらうつもりなのにね。今、君は何の仕事をしているんだい?」
「今は誘拐事件の捜索ですな」
「誘拐? それは騎士の仕事というよりも、衛士たちの仕事の気もするけど……?」
「ベーモンド伯爵家のご令嬢が誘拐されたのですよ。それで私どもに仕事が回ってきました」
その事件のどこが妹の琴線に触れたのだろうかというアルフレッドの内心が表情に出たのだろう。
ロイズはニタリと笑みを浮かべた。
「どうやらウィン従士が別口で誘拐事件との関わりがあったらしく、皇女殿下も興味を持たれたようですな」
「それでか……」
昨夜、帰ってくるなりコーネリアはアルフレッドへクーデターが起こる以前のように騎士候補生という身分に相応しい待遇で扱うよう訴えてきていた。
この事件へと関わりたいがためにそう言ってきたのだろう。
「さっきも言ったけど、コーネリアには自分の目で色々見ておくのは良い経験になると思う。僕に何かあった場合、次代の皇帝になるのはあの娘だ」
特に表情を変えることもなく、淡々と言うアルフレッド。
「ご冗談にしても、恐ろしいことを仰せになりますな」
「冗談なんかじゃないよ。実際、未来はどう転ぶかはわからないし、もしかしたらコーネリアが僕以上の王器を見せるかもしれない。
どのみち、皇族は十八歳のお披露目の後に公務へと就くことなる。それがどんな仕事であれ、今のうちに色々と経験しておくことはきっと役に立つはずだよ」
そう言うと、アルフレッドは目の前に立っている、見た目とは裏腹に一筋縄ではいかない貴族に向けて、ニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「大体、遠出した先で暴漢に待ち伏せと襲撃を受けることもあるくらいだ。僕だってどこかで襲われて命を落とすことは考えられるだろう?」
ロイズは薄くなった頭をひと撫ですると、露骨なまでに視線を逸らした。
「やはり、君の仕業だったか」
「さて」
ロイズは自国の皇女すらも囮にしたことを悪びれもせず、すっとぼけて見せる。
宮廷騎士団の団長と宮廷魔導師団の筆頭のマイセンは、ともにザウナスの旧友であると同時にロイズとも親交があることもアルフレッドは知っていた。
そのマイセン老の話では、コーネリアは暴漢に寄る襲撃を受けた際、ろくに魔法を使って戦うことも出来ず、ウィン従士によって庇われているだけだったという。
そんな自分が許せないという思いもあったのだろう。コーネリアにはそういった一面がある。
この事件へと関わるためもあるのだろうが、騎士候補生として自らを鍛え直し経験を積みたいという気持ちも強いはずだ。
「まあ、君の下で経験を積ませるのも悪くない。でも、それならもっとマシな任務を僕から働きかけることもできるけど?」
「いえ、少し気になることがありますのでこのままで。
それに、皇女殿下にも帝都の光と影をお見せする良い機会かと」
「そうか。ロイズがそう言うのならそのままにしておくよ。もちろん、リヨンへと行く準備が整ったらそっちを優先してもらうことになるけどね。ところでその気になることって?」
ロイズは頷くと、持参していた報告書をアルフレッドへと手渡した。
アルフレッドは報告書に素早く視線を走らせると、不意に手が止まった。
「ここに書かれているのは確かなのか?」
「貧民街に関しては、まだ確証は得られていませんが」
そこには帝都市内に住んでいる市井の魔導師が、数人姿を消しているという報告書だった。
そして、つい昨日ロックが報告してきた貧民街でも同様の件が起きている事が記されている。
「ふむ……」
アルフレッドは口元に手を当てると唸った。
「そういえば、君の報告書に目を通したんだけど……」
「報告書? ああ、村落襲撃事件の実際の住民の人数と、遺体の数が合っていない件ですな」
「目的を隠すために村人全員を殺したということか?」
「行方不明になっている者を攫うことが目的で、村人を殺したのはそれを隠すためだったとおっしゃるのですね?」
「君もそう考えているんだろう?」
アルフレッドの問いかけに、ロイズは笑みを浮かべつつ頷いた。
「帝都での誘拐騒ぎが頻発し始めたのは、ペテルシアとの武力衝突の直後。
何らかの関係があってもおかしくないかと思っております」
「だが、それこそ村を全て犠牲にしてまで襲撃する意味はあったのか?」
「村を潰せば少なくとも、あの地方の貴族の力を削ぐことも出来ますからな。それに――」
ロイズはまた別の報告書をアルフレッドへと手渡した。
「我が領内で、近年に報告のあった行方不明事件の報告書です」
「これは……」
例年と比較して、一昨年から昨年にかけて急激に行方不明者の発生件数が飛躍的に伸びていた。
「そしてこちらがブレセア伯爵領とレンブラント侯爵領での数字ですな」
やはりエルステッド伯爵領と同様に、急激に発生件数が伸びていた。
「しかし……どこの領地でもペテルシアとの武力衝突の半年前くらいから、発生件数が減少しているね」
「それは各領主が警備を強化したからでしょう。そして、実は警備を強化した後くらいから、村落の襲撃事件が起こっているのです」
「……なるほどね」
アルフレッドは頷いた。
「その……行方不明者となった人物が全員魔法を使えた人物かどうか、調べてみる必要がありそうだね」
「残念ながら、村落襲撃事件の方は誰が行方不明になっているのかわかりませんが、街での誘拐事件であれば調べることが可能なため、現在調査させているところです」
「何かわかったら教えてくれ」
「かしこまりました」
ロイズは恭しく一礼する。
そして部屋を出ようと踵を返した時、アルフレッドがふと思い出したような調子でロイズを呼び止めた。
「ところで、ロイズ。試みに問うんだが、もしも君がレティシア嬢に勝つならどう献策する?」
まるで世間話をするかのように、アルフレッドが聞いた。
しかし、ロイズはその質問に驚きを覚えることは無かった。
それは帝国に限らず、周辺諸国で軍事の中枢部に携わる者であれば、多少なりとも検討が行われているだろう事案だからだ。
さらに、一度でも前線に立ちその姿を目にしていれば、否が応でも意識せざるを得ない。
――勇者を敵に回した時、どう対処するべきか。
即答を避けたロイズは、少しだけ思案するふりをして口を開く。
「そうですね、私ならば何もしませんな」
「と言うと?」
「彼女も人ですから、放っておけばいずれ死にます」
「随分と気の長いことだな、卿は」
アルフレッドは笑った。
確かに並外れた力を持つ勇者であっても、人である以上は寿命がある。
いずれは死ぬ。
「だが、その時を待つことが出来なければ?」
「彼女も人です……心の拠り所を奪い、精神的に殺し、その上で本懐を遂げたと思わせれば、後は自殺か何かで勝手に死んでくれるでしょう――とはいえ、私としてはやはり先の策をおすすめしますな。一番の上策は放っておけば良いと思いますぞ」
◇◆◇◆◇
その日一日を精一杯生きているという意味では、ここ貧民街に住む人々は、ケルヴィンが毎日を過ごしていた懐かしい戦場に住む人々とあまり変わらないのかもしれない。
禿頭の男に初めに連れて来られた建物の中で、最も立派な一室に通されたケルヴィンは、外から聞こえてくる喧騒に耳を傾けながらそう思った。
物売りや子どもたちの声に混じって時折聞こえる男たちの荒々しい怒声。
戦場で聞く喧騒とは多少種類が違うものの、ケルヴィンにはどこか懐かしさを感じさせるものだった。
「すまんな。まだ先方の到着が遅れているらしい」
目を閉じて外から聞こえてくる喧騒に耳を傾けているケルヴィンの様子を、長時間待たされて機嫌を損ねたと思ったのか、葡萄酒の入った木杯を差し出しながら禿頭の男がそんなことを言ってくる。
「構いませんよ。偉い人が遅れてくることはよくあることです」
先日の一件以来、随分とケルヴィンの待遇が良くなっていた。
命の恩人とでも思ったのか、禿頭の男はケルヴィンに貧民街でもそこそこ立派な部屋を用意してくれ、こうして酒を振る舞ってくれる。
住まいには監視もついている可能性もあったが、ケルヴィンの腕を持ってすれば余程の手練れでも無い限り尻尾を掴まれることはないし、何か情報を掴むまでは実際に動くつもりもない。
そのためケルヴィンは、どこか戦場と変わらない風景を持つ貧民街での暮らしを彼なりに満喫していた。
そのあまりにも堂々とした態度が功を奏したのか、今日ケルヴィンは禿頭の男の口利きで仕事を紹介してもらえるという話になったのである。
口の中に流し込んだ葡萄酒は、酒精が強いだけの安物のようだ。渋みが強く味は悪いが、逆にそれが戦場でよく飲んでいた酒の味を思い出させてくれて、郷愁を感じてしまう。
木杯に注がれた葡萄酒をチビチビと時間を掛けて呑んでいると、扉が叩かれ禿頭の男の部下らしき男が入ってきた。男は禿頭の男に何やら二言三言会話をすると、再び退出していく。
男が出て行くのと同時に禿頭の男はケルヴィンを振り返った。
「どうやら、先方が来られたようだ」