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帝都の闇に潜むものは⑧

「おい、来たぞ」


 小屋の中へと飛び込んできた見張りの声でにわかに倉庫の中が騒がしくなった。


「ようやくかよ~」「待ちくたびれたぜぃ」


 暇つぶしにカードゲームに興じていた男たちが、その場にカードを放り投げると各々の武器を手にして立ち上がる。その顔に浮かぶのは薄ら笑い。


「なあ、護衛はどのくらいいるんだ?」


「お忍びってんだから少ないんじゃないのか? ゾロゾロとはいねーだろ」


「貴族のお嬢ちゃんだけ生かしておけばいいんだろ? 男は皆殺しでいいんだよな?」


「貴族の女か……俺たちも楽しみたいねぇ」


 男たちは長時間座っていたために凝り固まった身体をボキボキと鳴らしてほぐし手に持つ得物の重さを確かめていた。

 これから貴族とその護衛を襲撃するというのに、彼らの間に漂う空気にはまるで緊張感が無かった。

 

「おい、静かにしろ。気づかれるだろうが!」


 この集団のリーダー格である禿頭の男も低い声で注意を促していたが、内心ではすでにこの仕事でどれだけの儲けが出るのかを計算していた。

 話を持って来たケルヴィンから目標の人数が少ないことは聞いている。

 数は集団に属する者には安心感を与えてくれる。弱いものでも徒党を組むことで強者に対抗することが出来るからだ。

 それに貴族と貴族の護衛にも対抗出来るだけの手練れを揃えていると禿頭の男は自信を持っていた。

 禿頭の男が部下たちと同様に、すでに目標を制圧した後のことへと思考が飛んでしまったのは仕方がないかもしれない。

 一方でその、いかにも場慣れした雰囲気を漂わせている数人の男たちは静かに倉庫の裏口から手はず通りに出て行く。

 集団に属さなくても、己の力だけでやり過ごせる力を持った者はチンピラたちと違って油断を見せない。

 貧民街へと流れ着く前はどこかの軍の兵士だったか傭兵だったのではないか。彼らに続いてそっと倉庫を抜け出しながらケルヴィンはそう思った。

 魔物との戦争が終わり食い詰めてしまった者、平和に慣れることが出来ず新たな戦場を求める者は多い。

 

 ケルヴィンは彼らの後に続いて身を屈め、草の陰を素早く移動して行く。

 

(結構な人数とそこそこ手練れが混じっているようですから、ある程度はレティシア様に戦力削減してもらわないと行けないのですが、あっさりと全滅させられても厄介――あとの問題はタイミングでしょうかねぇ)


 目だけを出すようにして顔を黒い布で覆っていきながら、手練れたちの気配から大体の強さを読んでいく。そして彼らからさらに離れた場所に気配を殺して身を伏せた。

 歩いてくるウィンたちはまだ見えない。倉庫にいる禿頭の男とその部下たちもまだ姿を見せていなかった。

 ケルヴィンは潜伏しながら脳裏でかつてドリアの村で見たレティシアの姿を思い出す。

 ペテルシアの騎士たちに追われて逃げるケルヴィンとウィン、ロックを援護するためにロイズとともに駆けつけたレティシア。二百の騎士たちよりも彼女一人のほうが遥かに極上の獲物であるようにケルヴィンの目には映って見えた。


 ペロリと布の下で唇を湿らす。


 あの時、すれ違いざまにレティシアへと殺気を叩きつけたが、彼女は意にも介した様子もなく先へと走って行った。それでもケルヴィンにはレティシアの持つ底知れぬ力を垣間見たような気がした。殺気を叩きつけたのはただ試した積もりだったのだが、思わず斬りかかりたいと思ってしまった。

 実際、ロイズがケルヴィンの異変に気づいて声を掛けなければそうしていただろう。


 ただレティシアと剣を交える――模擬戦闘であればウィンを通せば行える機会を得るかもしれない。

 だが、それではケルヴィンは楽しめない。

 生と死の一瞬に味わえる高揚感こそを求めるケルヴィンには、模擬戦では物足りない。殺気の籠もった剣を交える緊張感の中にこそ、ケルヴィンが求める境地があるからだ。

 今回の襲撃する者の中にケルヴィンが混じっている事をレティシアは知らない。ゆえに身に降り掛かった火の粉を払うために、彼女は剣を振るうだろう。

 身を伏せながらも湧き上がる強敵と合間見える期待感への歓喜で身体が震えた。


 ケルヴィンがタイミングを少しでも間違えればレティシアによって叩き斬られ、死を与えられるかも知れない。しかし、レティシアと剣を交える機会はケルヴィンにとってこの上なく甘美な誘惑。

 それでも、最後まで殺しあいたいという思いを必死にこらえて、一先ずは任務を完遂させることを優先させることにした。


(ですが、味見くらいは許してもらいましょう)


 声を上げて笑いたくなるのをケルヴィンが必死にこらえていたその時、ようやく倉庫の中から禿頭の男とチンピラたちがバラバラと外へと雪崩れ出た


 その数は八人。


 ケルヴィンの目から見た手練れが五人で、これに禿頭の男とケルヴィンをあわせて十五人である。


(さて、殿下に怪我だけはさせないでくださいよ? ウィン?)



 ◇◆◇◆◇



「何だ、お前たち!?」


 ウィンが腰の剣に手を添えて腰を落とす。

 前方の倉庫らしき建物から、バラバラと出てきた男たち。揃って人相が悪く、顔には薄ら笑いを浮かべていた。

 彼らが手に持っているのはまるで統一感のない武器。粗末な棍のような棒や、その先に刃物を括りつけた手作り感あふれる安物の槍、手入れの良くない少し錆の浮いた剣や短剣。

 そして、やはりあまり手入れの良くない革鎧を身に着けていた。

 

「情報通りだぜぃ……おい、男は生きてようが死んでいようが構わん。女は生かして捕らえろ」


 首領格と思われる禿頭の男がそう言うと、他の男たちはジリジリと囲むように移動しようとし――。


 キンッという甲高い金属音とともに、ウィンの死角から飛んできた短剣をそこへ割って入ったレティシアが剣を一閃して叩き落とした。


「お兄ちゃん気をつけて! あと数人潜伏している奴がいるよ!」


「例の事件に関わりがあるのか!」


『我、火の理を識りて、光輝を放つ――烈光となりて、穿て! 我が意のままに!』


 レティシアの呪文の詠唱。

 彼女の周囲に瞬時に眩く輝く十数個の光球が出現した。

 

「レティ! 手加減して!」


 呪文の詠唱に気づいたウィンがレティシアに声を掛けるとほぼ同時に、レティシアは高く掲げた剣を真っ直ぐに振り降ろした。

 

「ぎゃ!」「ぐあっ!」


 レティシアが振り降ろしたと同時に、緩やかな弧を描くように光の尾を曳いて飛んで行った光弾が武器を振りかぶって足を踏み出していた五人の男の肩を、脚を貫いた。悲鳴を上げてもんどり打って男たちは草むらへと倒れこむ。

 さらにレティシアが横一文字に剣を一閃。先に倒した男たちへと飛んで行かずに彼女の周囲を漂っていた残りの光弾が、草むらに潜み背後から奇襲を掛けようとした三人の男、そしてさらには短剣を投げつけた男へと飛来――正確に彼ら全員の利き腕の肩を射抜いていた。

 その間、わずかに一呼吸程度の時間。


「な、何!? あ、あ、ああ……!?」

 

 禿頭の男が信じられないというように目を見開いた。


(さすが、レティシア様。圧倒的な力ですね。さて、これで残りの三下が三人と、多少マシなのが一人ですか。後はウィンと殿下のお二人でもどうにかなるでしょう)


 気配を殺しながら離れた場所で様子を伺っていたケルヴィンは、再び緊張感で乾いてしまった唇を舌で湿した。


『我に力を!』『我、風の理、剣の理、刃の理を識りて、千刃の刃纏いて、空を裂かん!』


 草むらを伏せるようにして走りだすと、ケルヴィンは矢継ぎ早に呪文を詠唱する。

 

『我、風の理を識りて、烈風を喚ぶ! 奔流となりて押し寄せ、塵芥と為せ!』


 身を起こし草むらから飛び出しざまにレティシアの死角から放ったケルヴィンの風系の攻性魔法――命中すれば暴力的な真空の渦が対象をズタズタに切り裂く――は、しかし、レティシアが無造作に振るった剣の一振りでかき消される。


 この中ではケルヴィンが一番の手練れ――そして魔法を使う以上、ウィンたちを狙われては叶わないと判断したのか、レティシアがケルヴィンへと向き直った。


(さあ、一手ご指南いただきましょうか!)


 ケルヴィンはとんでもない加速で間合いを詰めてくるレティシアを見据えながら、不敵な笑みを浮かべていた。



 ◇◆◇◆◇



 レティシアの周囲を取り巻くようにして出現した光球。

 剣を一振りするとともに、弾け散るように飛んでいった光弾は、あっというまに九人の男を無力化した。

 そして、横合いから強烈な風魔法を撃ち込んで来た黒覆面の痩身の男を手練れと見たのか、レティシアが男へと走って行く。


「コーネリアさん、身を守ることを第一にして! 一人ずつ倒していくよ!」


「は、はい」


 ウィンは素早く周囲を見回した後で、背後にいるコーネリアを叱咤するように声を掛けた。もう幾度となく生死の修羅場を切り抜けた彼の声は口調こそ強いものだったが落ち着いた声色だった。

 相手は暴力には慣れている空気を醸し出しているものの、騎士のように魔法を使うわけではない。人数ではまだ敵に分があるものの、訓練で培った普段通りの実力を出すことができれば制圧は可能。

 ウィンは鋭い視線を飛ばして、斬りかかって来ようとする残りの敵を牽制する。

 そのウィンと背中合わせとなりながらコーネリアも緊張で早鐘を打つ鼓動を感じつつ、右手で左の腰に帯びている剣を抜こうとしたが――。


(……あれ? ……あれ?)


 そこでコーネリアは自身の身体が瘧のように酷く震えていることに気がついた。手も震えて上手く剣の柄を握れない。

 

「落ち着いて、コーネリアさん。授業を思い出すんだ」


 コーネリアの動揺に気がついたのか、ウィンが油断なく包囲する男たちを威嚇しながらも一瞬だけチラリとコーネリアを見て彼女を励ますように声を掛けた。

 コーネリアは心を落ち着かせるために一つ大きく深呼吸をする。

 しっかりと柄を握って剣を何とか抜くことが出来た。しかし両手の震えは止まらず剣先にまで伝わってブルブルと震えていた。


「身を守ることを第一に考えて」


 もう一度コーネリアへとウィンが声を掛ける。彼女の怯えを見て、レティシアの一撃で怯んでいた男たちが気を取り直したようだ。

 禿頭の男の前にいた男が槍を突き出してきた。ウィンはそれを剣で受け流すように見せかけて、直前で身を躱してみせると伸びきった槍の穂先目掛けて剣を振った。穂先だけがクルクルと勢い良く飛んで行く。

 穂先を失った男が慌てて槍を引き戻すが、その動きに合わせてウィンは間合いを詰めると男の太腿へと剣を突き刺した。

 悲鳴をあげてもんどり打って転がる男。そこへ新手が横合いから切りかかってきたのでウィンは剣で弾き返した。

 別の男がコーネリアにも剣で切りかかってきた。狙いは彼女の足下。足を傷つけて、動けなくさせて生け捕りにしようとでも言うのだろう。

 何とかその攻撃を剣で弾くことは出来たものの、コーネリアはふらつきよろめいて体勢を崩し地面へと前のめりに倒れこんでしまった。


「あ……」


 咄嗟に身体を支えようと両手を突いてしまったため、握りの甘かった剣を取り落としてしまう。


(剣……剣を……)


 取り落とした剣を拾おうと注意が逸れたところを見て、男はコーネリアを地面に押さえつけようと剣を持っていない左手を彼女の身体へと手を伸ばし――。

 

「っご……」


 短い唸り声を上げて男は地面に仰向けにひっくり返った。低い体勢となっていた男の側頭部を、駆けつけてきたウィンの容赦無い右足の蹴りが撃ち抜いたのだ。

 

「大丈夫!?」


 ウィンの声に応えることも出来ず、コーネリアはただ荒く息をつくのみ。


 彼女の意思に反して身体が萎縮し、立ち上がることさえままならない。

 初めての実戦の恐怖が彼女を縛り付けていた。


 訓練とは違う、悪意を持った相手からの攻撃。


「この野郎! 大人しくしやがれ!」

 

 怯えている相手へ更に優位へと立つには荒々しい怒鳴り声をぶつけるのは一番効果が大きい。そのことを貧民街での生活でよく知る男は、コーネリアに向かって大声を上げた。

 男の目論見通り大声で威圧されて完全に身体が強張ってしまい動きが止まったコーネリアを狙って男は槍を突き出す。


「ごめん!」


 ウィンは一言コーネリアに向かって言うと、うずくまったままの彼女に覆いかぶさるようにして抱きしめると地面に転がった。一拍遅れて二人のいた場所を槍の穂先が突き出される。ゴロゴロと二人は縺れるように地面を転がると、ウィンはすぐにコーネリアから離れて片膝立ちとなり、短剣を抜いて身構えた。

 コーネリアを抱きかかえた時に、騎士剣を手放してしまっていた。


 ウィンの左の肩口が徐々に赤く染まり、コーネリアの鼻を鉄さびのような臭いがくすぐる。

 抱きかかえて転がった際に、槍の穂先がウィンの肩を掠めていたのだ。

 思わず目を見開いてウィンの肩を見つめるコーネリアを、ウィンは左手で自身の背後へと引っ張りこんだ。

 油断なく槍を構える男と禿頭の男を睨みつける。

 レティシアの魔法で大部分を排除し、ウィンもすでに三人を片付けた。残るのは先程コーネリアへ荒々しく怒鳴りつけた槍を構えた男と禿頭の男。

 左肩から伝わる灼熱感のある痛みに顔を歪めながら、ウィンは槍を持った男へと突進した。

 荒々しい暴力的な気配は戦場の空気に慣れていないコーネリアだからこそ威圧出来たものだ。 

 急加速してきたウィンに驚いて、槍を持った男は慌てて穂先を突き出したもののそれをウィンは軽く横へとステップするだけで躱してしまう。訓練を受けていない、腰の入らない、ただ突き出してきただけの槍の穂先など、冷静に対処すれば簡単に避けることが出来る。


 あっという間に男の懐へと潜り込んだウィンは、突進した勢いのままに男の肩口を短剣で貫いた。


 これで残るは禿頭の男、あと一人――。


 

 ◇◆◇◆◇



 ギンッ! 

 何とかケルヴィンはレティシアの振るった剣を受け止めていた。

 予想を遥かに上回る衝撃。レティシアの剣威によって真横へと吹き飛ばされながらも、受け身を取ってすぐに立ち上がる。


(ザウナス閣下が子供扱いされたと、話では聞いていましたが……実際に剣を交えてみますと実感できますね)


 化物としか形容のしようがない。

 最初に放った風の魔法は、ケルヴィンが使える攻性魔法の中では最大の威力を誇るもので、大型の魔物すらも屠ってきた魔法だ。

 それをいともあっさりと剣風だけでかき消され、さらにはカウンターで切り裂く為に剣に纏わせていた真空の刃も、レティシアの一撃を受けた際に魔法ごと打ち砕かれてしまった。そのうえ、身体に強化を施しているケルヴィンがレティシアの一撃を受けて踏ん張りきることはできず、右に左にたたらを踏んでしまう。

 つまり魔法による遠隔攻撃は通用せず、肉弾戦でも剣技、早さ、力全てにおいてケルヴィンはレティシアに圧倒されていることを現している。


(そうこなくては)


 しかし、ケルヴィンは覆面の下で呟きながら笑みを浮かべる。

 幸いにして魔力を通した上に風魔法で強化していた愛剣は、レティシアの初撃を折れることなく防いでくれた。しかし、一撃を受けるごとに体勢を立て直すのが精一杯で反撃する機会を伺うことすら出来なかった。

 レティシアの左肩少し上のあたりに光球が生まれた。

 それを目にした瞬間、ケルヴィンは咄嗟に《障壁》を張った。光弾がケルヴィンの《障壁》に衝突し軌道が逸れる。覆面からわずかに覗くケルヴィンの顔を光弾から生まれた熱がなぶっていく。

 軌道を外された光弾がケルヴィンの背後に着弾。轟音とともに、土塊と草が周囲へと飛び散った。

 咄嗟の判断だったが逸らさずに《障壁》で受け止めていたら消し飛ばされていたかもしれない。

 

(面白い……!)


 背筋をゾクゾクとしたものが走り抜けた。湧き上がる歓喜の感情。

 相手はまだ本気どころか、本来の実力のその片鱗をわずかに見せただけにすぎない。持っている剣も勇者のみが振るうという『聖霊剣』ですらなく、ただの騎士剣。

 しかもレティシアはことさらケルヴィンの隙を狙おうとしたりもせずに攻撃を浴びせているだけだ。それで制圧できると考えているのである。

 余裕でもなく自惚れでもなく、その程度でケルヴィンをあしらえるという厳然たる格の差。


 ケルヴィンはこのまま戦い続けても勝ち目は無いことはわかっていたが、それで命を落としたとしても悔いの残らない生涯最高の戦いだったと満足できると確信できた。


 殺す。殺したい。殺しあいたい。殺されたい。

 全力を尽くした自分が、目の前にいる【世界最強】にどこまで届くのか――。


 しかし、ギリギリの所で理性が飛びそうになるのを抑制する。

 チラリとウィンたちのほうを窺えば、すでにチンピラのほとんどが叩き伏せられてしまい、残っているのは槍を持った男と禿頭の男だけのようだった。

 大勢はすでに決しており、全て制圧されてしまうのは時間の問題。


(残念ですが、ここまででしょうかね)


 ウィンやコーネリアとの距離はかなり離れている。ましてやあちらも戦闘中で少々会話した所で声は聞こえないだろう。

 ケルヴィンを叩き伏せようと迫るレティシアに対して、


「レティシア様!」


 ケルヴィンは小声でささやいた。


「!?」


 名前を急に呼ばれたことに驚き、一瞬動きが止まるレティシアにケルヴィンは剣を合わせながら話しかける。


「ご無礼を働き申し訳ございません。私の任務のために、少々お芝居にお付き合い願いませんか?」


 レティシアはケルヴィンから大きく間合いを取ると、訝しむような視線を向けた。その彼女へ少しだけ顔の覆面をずらして素顔を見せる。


「どういうこと?」


 その見覚えのある顔がウィンの上官だったケルヴィンと思い出したレティシアは、再び間合いを詰めると剣を合わせた。剣舞を踊るかのように切り結びつつケルヴィンが簡単に事情を説明する。


 組織と接触を図るために、仲介人である禿頭の男に近づいていること。

 これからその禿頭の男の裏にいる組織に接触するため、あの男を逃がすために一芝居打つので手伝って欲しいこと。


「でも私には本気で斬りかかっていたでしょう?」


「ええ、こういう機会でも無ければあなたとやりあえませんからね――と言っても、本気を引き出すことは出来ませんでしたが……」

 

 レティシアは頷いた。

 戦場では稀にいる戦いを好んでしまう性癖なのだろう。他でもない仲間だった『剣聖』ラウルがそうだったように。

 眉根を寄せ、しばし沈黙し、レティシアはふぅっと溜息を吐いた。


「要するにあなたを上手く逃せばいいのですね?」


「あの禿頭の男もですが、お願いできますか?」


「わかったわ」


 そう言うとレティシアは再びケルヴィンに剣を合わせる。そしてケルヴィンごと剣を弾くように振ると、その動きに合わせて彼は禿頭の男がいる方角へと飛び退いた。

 そのままレティシアに背を向けて全速力で走りだす。


『我、地の理を識りて、土壁を立つる。行く手を塞ぎ、万物を遮る盾と為せ』


 走りながら呪文を詠唱。

 

「な、なに!?」


「魔法!?」


 槍を持った男を倒して、最後の禿頭の男と切り結んでいたウィンの目の前で地面が盛り上がった。慌ててウィンと禿頭の男が離れるようにして飛び退いた。彼らを分断するようにして土で出来た三メートル程度の高さの壁がそそり立つ。

 ケルヴィンはその壁を回り込むと禿頭の男に叫んだ。


「今のうちに!」


 その声でこの魔法を使ったのがケルヴィンであると理解した禿頭の男は、この危地を切り抜ける千載一遇の好機と捉えて走りだした。

 倒れている部下たちを置き去りにしてしまうがまずは己の安全が第一である。それに所詮は貧民街で雇っただけの仲間。見捨てることに何もためらいは無かった。


「ま、待て!」


 ウィンは叫びながら土壁を回りこみ追いかけるか迷ったが、その彼の間で突然土壁が爆発した。もうもうと土埃が辺りに撒き散らされ、飛んでくる大小の砂礫から短剣を持っていない方の手で顔を庇う。


(ありがとうございます)


 今の爆発はケルヴィンの仕業ではなく、レティシアが放った魔法である。どうやらケルヴィンたちを完全に逃すため石壁を破壊し、さらには大気をかき回して土埃を上げて逃げるための時間稼ぎをしてくれたらしい。


「すみません……あそこまで化物だとは思いませんでした」


 走りながらケルヴィンは横を走る禿頭の男に謝罪の言葉を口にする。

 

「ひとまずは貧民街に逃げ込みましょう。さすがにそこまでは追ってこられないと思います」


「お、おう」


 禿頭の男は息を切らしながらもケルヴィンを見るとその提案に素直に頷いた。これがケルヴィンの仕掛けた罠であることを少しも疑っていないようだった。


(さて、この男は駒を失いました。そしてこの私が助けたことに関しても恩義を覚えたはず。そして私の実力も確かめることが出来た。

 後は、首尾よく狙い通りのところに私を売り込んでいただけたら、計画通りとなるのですがね……)

 

 戦闘を楽しむ時間が終わったことを名残惜しく思いながら、ケルヴィンは貧民街を目指して走り続けた。


 ◇◆◇◆◇



 ウィンたちの視界を遮っていた土煙が風によって散らされた時には、二人の姿は遥か先に小さくなっていた。

 

「お兄ちゃん大丈夫?」


 駆け寄ってきたレティシアが肩口を赤く染めているウィンを見て、サッと顔色を変えて息を呑む。そんなレティシアにウィンは「大丈夫」と返すと、座り込んだままのコーネリアへと歩み寄った。


「わ、私……」


 ただウィンを見上げてくるばかりのコーネリアに、ウィンは小さく頷いてやる。

 コーネリアの大きく見開かれた目から、涙が溢れだす。


 騎士学校の訓練で身に付けたはずの技術はまるで使えず、ロクに身を守ることすら出来ない完全なる足手まといになってしまった。

 気がつけば騎士としての基本戦闘方法である、身体強化の魔法を使用することすらも忘れていた。


 詠唱することを考える余裕すら無かった。

 戦うための覚悟が足りなかった。


 何も出来なかった悔しさで胸が一杯になった。


「大丈夫?」


 ウィンの問いかけに何とか頷くものの足に力が入らない。

 その様子を見て、思わずウィンは手を差し伸べる――が、未婚の皇族女性であるコーネリアが異性の身体に触れることは禁じられていることを思い出して躊躇うように引っ込めた。先程のように命がかかった時など例外的な場面であれば、皇女の体に触れるというその禁忌を犯しても許されるが、危険が去った今の状況では規則が優先されるはずだ。

 しかし、その引っ込めようとした手にコーネリアが手を伸ばした。彼女もまた、一度躊躇うように一瞬だけ手を止めたが震える指先を伸ばしてウィンの手を掴む。そしてウィンの身体に縋り付くような体勢で立ち上がった。

 その様子を見ていたレティシアが一瞬、何か言いたそうな顔をしたが一歩足を踏み出しただけで何も言わなかった。

 

「……ありがとうございます」

 

 立ち上がった所でコーネリアが俯いたまま小さな声でウィンに礼を言った。

 

「あ、うん……ごめん」


 だが、ウィンの口から漏れたのはコーネリアにとって予想外の謝罪の言葉だった。


「え?」


「コーネリアさんの従士なのに、危険な目に、怖い目にあわせてしまった。申し訳ございません」


「そんなことはありません!」


 項垂れるように肩を落として謝罪の言葉を告げるウィンに、思わずコーネリアは大きな声を出した。


「そんなことはないです――ほら、見てください。私はまるで無傷なんですよ? ウィン君はきちんと責任を果たしています!」


 ウィンの目を見上げて思わずその右手を両手で包み込むと、強い口調でコーネリアは言った。言ってから、コーネリアはウィンと思いのほか顔の距離が近いことに気付き赤面した。


「あ、ありがとう」


「い、いえ……」


 パッとお互い手を話すと、視線を彷徨わせる。そこにレティシアがおずおずと二人へと近寄った。


「ねえ、この人たちどうするの?」


「あ、ああ。街の衛士を呼んで来るしか無いんだけど」


 そう言うと、ウィンは途方にくれたように倒れて呻き声を上げている男たちを見回した。

 縛ろうにも縄もなければ、人数も多すぎる。衛士隊を呼びに行くにも、いくら負傷しているとはいえこの人数だ。逃げられるかもしれないし、見張りとして誰かが残ったとしてもレティシアならともかく、抵抗されれば逆に危険だ。

 どうするべきかウィンが考え込んでいたそこへ――。


「えっと、あたしたちが引きとるよ~?」


 いつの間にか姿を現したリーノが少しバツの悪そうな顔で、コリコリと頭を掻きながら立っていたのだった。

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