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世界の現実

「結構長居してしまったね」


「リーナちゃんが元気そうで良かったよ」


「また顔を出しに行こうな」


「その時はぜひ私も誘ってくださいね」


 ローラの家を辞去したウィン、レティシア、コーネリアの三人は、放牧地と農園の間を伸びる小さな小道を歩いていた。

 遠くに見える山々の尾根の間には、傾いていく太陽が見える。

 

「だけど、やっぱり貧民街で攫われていた人たちも、魔法が使える人たちだったな」


 ローラが聞いたという貧民街での行方不明事件の被害者は、やはりその多くが魔法を使える者だった。

 中には別口と思われる事件もあったが、それでも発生頻度が高い。


 貧民街で暮らしている魔法使いは世捨て人か、街で暮らせなくなった者、もしくはその魔道師が親であったかである。

 彼らは街で仕事をすることはなくても、食べていくために使える技術を提供した。

 魔法による医療行為、占星術、時には用心棒といった荒事など。

 中にはわずかな金銭と引き換えに文字や算数――そして誰もが使えるような《点火》《光明》といった簡単な魔法を教える者もいた。


 魔道師は魔法と呼ばれる力を振るうため、貧民街に住む者であってもある程度の尊敬と畏れを持って遇される。

 その彼らが行方不明事件の当事者ともなれば、幾ら人の失踪が日常茶飯事的なところがある貧民街であっても噂になろうというものだ。

 ローラは帝都の中と外を往来して商売しているため、噂が耳に入りやすいというだけでなく、娘のイフェリーナが翼人種という、悪者にでも知られれば狙われかねない状況なため、そういう噂には特に敏感だった。

 おかげで、ウィンたちはローラから多くの情報を得ることが出来たのである。

 もちろん、ローラの情報が全て正しいとは限らないため、貧民街でも聞き込みをして裏取りもしなければならないが、前情報があるのとないのとでは、調査の難度が変わってくる。


「ロックさんにこのこと伝えて、ローラさんから紹介してもらった人を訪ねてみる?」


 ローラは姿を消した魔導師の一人と近しい人物を知っているらしく、その人物が住んでいる場所の地図を描いてくれたのだ。

 レティシアの問いにウィンは頷いた。


「そうだね。貧民街に住んでいる魔導師は、良くも悪くも目立つ存在だろうし、姿を消せば噂にはなるだろうからね。ただなあ……」


 ウィンはそう言うと、レティシアとコーネリアを見た。

 ウィンは貧民街で生活する事こそ無かったが、冒険者の仕事をしていた時に何度か出入りしていたことがある。

 大量の失業者にあふれ、廃材を利用した簡素な小屋に多くの人々が住んでいる街だ。

 着の身着のまま過ごしている者ばかりである。

 ウィンとロックはまだいい。

 男二人はもとが平民であるため、平服にでも身を包めば街から買い出しにでも来た使用人か、最悪冒険者の格好でもしていれば怪しまれることはない。

 しかし、レティシアとコーネリア。

 生粋の貴族。

 帝都の街中ですら、二人の存在は目立つのだ。

 ウィンとロックのように平民服を着せたところで、育ちを隠し切ることはできないだろう。

 

「コーネリア様には貧民街は危険すぎるかな」


「危険ですか?」


 コーネリアはウィンを見た。


「貧民街は、ちょっとでも道を逸れて裏通りにでも入ったら、強盗、殺人、誘拐、その強姦など何でもござれの不法地帯なんです。衛士や騎士でも一人では歩けない場所ですよ」


 レティシアはまだ良い。

 彼女に不埒な真似に及ぼうとする者は、逆に痛い教訓を覚えることになるだろう。

 

「あそこを歩くには、常に周囲に気を配らなければなりません。住民には決して心を許してはいけない。例え相手が子供だろうと油断は大敵です」


「子供にも……ですか?」


 ウィンは頷いた。

 多くの農村では作物が不作となると、食い扶持を減らすためと、とりあえずの金銭を手に入れるために子どもたちが売られたり、年寄りが捨てられたりもする。

 彼らもまた貧民街へと流れ着き、各所でボロ布のような服を着て、虚ろな目をしてさまよう子供の姿を見ることが出来る。

 そんな彼らも生きるために必死だ。

 わずかな食糧、金銭を得るために、スリ、置き引きといった犯罪行為に手を染め、時には子供たちで徒党を組んで強盗団を作ることもある。


 貧民街で力のない子供は、大人たちの格好の暴力のはけ口となる。

 残飯を漁り、盗みを働く彼らは街の人々の憎しみを買いやすく、大半の子供は成人する前に命を落としてしまうことが多い。

 生き残ったわずかの者でも、冒険者などで名を挙げたごく一部の者を除き、その多くが犯罪者として生きていくことになるのだ。


「誰もが犯罪者として生まれてくるわけじゃない。ですが、犯罪に手を染めないと生きていけないんです」

 

 ウィンは、「俺も少し運命が狂っていたら、そうなっていたかもしれない」と、軽く笑ってみせた。

 

「それでも、案内してもらうわけには参りませんか?」


「コーネリア様?」


 コーネリアの口調に、どこか切実な響きを感じたウィンは足を止めると彼女を振り返った。


「以前から考えていたんです。十八となれば、私も公務を行うようになります。政務に携わるようになります。そうなればきっと、今のように自由が利かなくなるでしょう。誰も、私に陰を見せてはくれなくなる……」


 コーネリアは真っ直ぐにウィンを見つめた。


「今しかないのです。その陰を見ることが出来る機会。私には帝国の政務に携わる者として、それを見る必要がある……。

 貧しい場所でしか生活が出来ないほどの困窮を臣民に味あわせているのは、その陰から目をそらしている帝国の統治者である私たちのせいなのです」


 魔物との戦いを生き延びるために、かつて帝国は皇族に貴族に騎士団へと権力を集中させた。

 挙国一致体制を選択せざるを得なかった。

 だがしかし、集約させすぎた権力はいつしか臣民を搾取するだけのものに成り下がらせてしまった。

 一部の貴族を除き、自らの私腹を肥やすだけの為に、臣民に犠牲を強いてしまっている。

 その状況を打開するためには、コーネリアは今こそこの現状を見ておかねばならない。

 

「それだけじゃないよ……」

 

 先を歩いていたレティシアが足を止めると、静かな口調で言った。


「それだけじゃない。魔物による被害を受けた地域、受けなかった地域の間での格差は信じられない程に大きいよ」


 レムルシル帝国でも北の国境付近――そこは、魔物による襲撃によって、多くの街は焼け野原となっていた。

 田畑は失われ、数多くの村が離散した。

 折しも、数年前に起こった天候不順による凶作も起こり、飢えが人々を襲った。


 だが、皮肉にもそういった人々を救っていたのは軍隊でもあった。

 故郷を追われた人々は、軍隊に志願することで食べ物を得ることができた。

 先にも述べたが、国は、人類は、魔物との戦いに生存を賭ける必要があったため、軍には建前上最優先で物資が補給されていたからだ。

 そのため、例え食い詰めても軍にさえ所属すれば、食うに困ることはなかったのである。


 もちろん、魔物との戦いで命を落とす者は多い。

 だが、逃れようのない餓死する運命と、運が味方すれば生き延びることが出来るかもしれない軍であれば、選択肢は一つとなる。


 しかし――。

 

「魔王が倒されたことで魔物の統率が崩壊し、対魔大陸同盟軍はその必要性を失った。

 でも、それは今ある軍事力がすぐになくなるという話じゃない。巨大な戦力を抱えたままの国はその矛先を向ける新たな場所を探し始めた。

 商人たちが戦争によって潤っていたのもまた事実。でも、終戦によって巨大な消費先が失われてしまい、物が売れずに停滞を迎え失職者も大量に生まれている……そしてその混乱はなお収まる気配は見られない」


 レティシアは沈みゆく太陽の方角に顔を向けていた。

 夕陽に照らされたレティシアの金色の髪が赤みを帯びて輝きながら、優しく草原を渡りゆく風によってゆらゆらと遊ぶようになびいていた。

 

 その姿はウィンとコーネリアが思わずハッとするほど綺麗で、そしてどこか物悲しげな印象を与え――。


「魔王が支配していた北の地は、今でもその瘴気で不毛となってしまった大地が広がっている。受け皿であった軍は新しく人を受け入れる余地はなく、故郷を追われた人々が、仕事を失った人々が、僅かな希望に縋り付いて南方にある国へと流れていく……」


 静かな口調で語るレティシア。

 

「ねえ、お兄ちゃん。私のことを世界中の人が勇者と呼んで、救世主だと称えてくれているけれど、今のこの世界の混乱を生み出した元凶も私なんだよ」


 レティシアが振り返った。

 夕陽が背後から射し込んでいるため、その表情はウィンとコーネリアには影となって窺えない。


 魔王を倒したことで救われた者は多い。

 仇を取ってくれたと喜ぶ者もあるだろう。


 その一方で、戦場という需要を失った供給先は大量の失業者を生み出してしまった。

 魔王――魔物と直接相対しなかった国では、消耗することなく蓄えられた軍事力を振るうべく、各地できな臭さを漂わせ、難民たちは、各国の受け入れ許容量を超えて大量に発生している。


 これらの社会的混乱の一面に、勇者であるレティシアが生み出したものもあるのは間違いない。


 しかし――。


 家を失った者たちは。

 職を失った者たちは。

 これから起こる戦争で死んでいくであろう者たちは。


 弱者である彼らは、その状況を生み出した元凶が勇者であることにも気付きもせずに、ただレティシアへと心からの感謝の言葉を贈り続けるのだ。


「私は、本当に世界を救えたのかな? 

 私は、本当に感謝されるようなことをしたのかな? 

 私は、本当は魔王と同じで、世の中の不幸を増やしただけなんじゃないかな?」


「それは違います、レティシア様」


 そう問い掛けたレティシアに対して、強い口調でコーネリアが言う。


「確かに戦後の処理で世界は混乱しています。

 失業者と難民は街に溢れ、治安は悪化し、魔物との戦いで疲弊した国は、そうでない国の軍事力の矛先となっています。

 それは帝国も同じ――我が国もまた多くの人材を失い、ペテルシアは虎視眈々と我が国へ侵略しようと手を伸ばしています」


 コーネリアはそこで一度目を伏せたが、それからそっとレティシアを抱き寄せた。

 

「ですが、これらの問題はレティシア様が責任を負うべき問題ではありません。

 レティシア様は私たちでは手に負えない大きな難問を取り除いてくださいました。それは私たち為政者がどんなに頑張っても、決して解決することが出来なかった問題。

 ですが、今の状況は違うのです。確かに世界の混乱はとても大きい。

 けれど、これらの問題は私たちでも解決できる――いえ、次は私たちが取り組まなければならないことなのです」


「なあ、レティ」


 コーネリアに抱きしめられたまま、レティシアはウィンを見る。


「ポウラットさんは『俺たちの子供が、未来に希望が持てる世界になった』と言ってたのを覚えてる?」


「うん」


「レティは魔王を倒したことで、社会の混乱を招いて、新しい不幸もまたたくさん生んでしまったと言うけれど、俺はポウラットさんの一言が全てだと思うんだ。

 世の中の混乱は少しずつ是正していけばいい。皆が幸せになれる世界へと向かって前進していけばいい。それは非常に困難なことで、俺にだってすぐにでも達成できるようなことじゃないのはわかる。

 でも、魔王がいた頃は、人はそんなことも考えられない状況にいた。明日が見えない人たちもいた。絶望に支配された人もいた――」


 そのうちの一人がサラ・フェルール。

 信仰を見失い、破壊神を召喚して世界を一度終わらせようとした人物。



「だけど、今は違うんだよ。魔王が倒されて、人には時間が出来た。難しい問題も今の世代で解決することが出来なくても、次の世代に託すことができる。

 レティはその機会を、そんな希望を世界のたくさんの人たちに与えてくれたんだよ」



 ◇◆◇◆◇



(私は知らないことが多すぎる)


 心の中でコーネリアは独白する。

 ウィンたちについてきたのは好奇心。

 話だけで聞く活気に溢れて賑わうという市場を見てみたかった。

 帝都の外を自分の足で歩き、空気を、その広さを体験してみたかった。

 

 ロックは騎士隊の任務、ウィンとレティシアはロックの手伝いのために冒険者ギルドへと赴き、セリからローラを紹介してもらい事情を聞いた。

 自分一人だけ、ウィンが自分の従士だから彼が動けるためにという理由をつけつつ、本当は好奇心を満たしたいという自分勝手な理由でついて来ただけだ。


 コーネリアはそっと前を歩くレティシアを盗み見る。


 レティシアの独白――。


 多感な時期を勇者として祭り上げられ、世界を見てきた彼女にはどれだけのものが見えているのだろう。

 彼女はコーネリアよりも二つも歳下――だが、その小さな背中に背負うものは、帝国の皇女である自分よりも遥かに重たい。

 魔王を倒し、世界を救い――誰も成し得なかった偉業を果たしてさえも、その後を襲う世界の混乱を自らが招いたものとして悩み続けている。


(私は何も知らない)


 兄であるアルフレッドに言われるがままに騎士学校へと入学した。

 そこでは大勢の騎士を、魔道師を目指す貴族や富裕層の学生が通い、中にはウィンのように平民までもが通っていた。

 皇宮の一番奥で大切に育てられていたコーネリアが、皇宮の外で初めて接した外の世界。

 友人となったウィンを訪ねて、街へも出るようになった。

 コーネリアの知る世界は少しずつでも拡がっているように感じていたのだが、それでもまだまだ狭いらしい。


 犯罪が多発するという貧民街――。


 魔物との戦いで故郷を追われた者、職を失い仕事を求め生きるために街へと辿り着いた者が寄り添い作り上げた街。

 そこでは飢え、病、暴力が横行し、力の無い子どもたちや年寄りは踏みにじられ、毎日のように命を落とす。

 コーネリアの足下ですら、すぐ近くにそんな世界が広がっている。

 帝国に住む人々、それは貧民街に住む者たちも同じ臣民だ。帝国の導き手の一人として彼らを守る義務が自分にはある。

 ウィンと、その彼に寄り添うようにして歩いてるレティシアの背中を見ながら、コーネリアは決意する。


 今までのように父であるアレクセイから、兄であるアルフレッドから言われて行動するのではなく、自らの意思で。

 来るべきその日には、帝国の皇女として何かを成せるように。


 ――もっと、自らの目で世界を見て行こう。


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