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帝都の闇に潜むものは⑥

 帝都の街の隅。城壁へと近い街角の一角。

 城壁周辺は帝都の住民としては、最も貧しい階層が住んでいる地区だ。

 小さな石造りの家。

 その土間に据え付けられた竈に火を入れて、一人の男が不器用な手つきで昼餉の支度をしていた。


「おなか減ったか?」


「ううん、大丈夫」


 土間と部屋続きの居間にいる十歳となる娘へと声を掛けると、そう返事が帰ってきた。

 妻を亡くし、父一人娘一人。

 鍋をかき回しながら居間の方へと目を向けると、娘は慣れた手つきで繕い物をしていた。


「いい子だ。もう少しでできるから待っていろ」


「うん」


 鍋の中身は麦で作った粥だ。それに芋や人参といった根野菜と、豆を入れることで嵩増しをしている。

 貧しい食事であったが、事情があって表立って仕事をすることが出来ない男には、贅沢は言えなかった。

 

「よし、出来たぞ」


 居間へ鍋ごと持って行き、顔をほころばせるお腹を空かせていた娘へと器に雑穀粥を注いでやったところで、トントンッと家の戸をノックする音が響いた。

 男は静かに立ち上がると、居間の隅に置かれていた剣を手に取る。

 娘が粥を食べる手を止めて、不安そうに父親の顔を見上げるのを見て、安心させるように頭を撫でてやると入り口へと向かった。

 

 剣を鞘から抜いて右手に持ったまま、細く戸を開ける。


「……何だ、あんたか」


 見知った顔だった。

 ホッと表情を緩めて、緊張していた全身の力を抜く。

 その様子を見て、不安そうな表情を浮かべていた娘も粥を食べ始めた。

 

「今週分だ」


「ありがたい」


 訪れた客は男の手にジャラリと硬貨の入った袋を手渡す。

 中身は父娘が慎ましく生活出来るだけの金である。

 以前男が稼いでいた金額に比べると、ほんのわずかな金額である。

 しかし、男には贅沢は言えなかった。

 

「それとあの方より伝言――『苦労を掛けてすまない。もう少し我慢を頼む』――以上だ」


「もったいないお言葉だとお伝え願いたい」


 その言葉に客は神妙な表情を浮かべて頷いた。


「鍛錬はしているのか――いや、愚問だったな……」


 男のシャツから覗く腕の筋肉を見ただけで、鍛えあげられているのが見て取れる。

 以前と変わらぬ――いや、以前にも増して鍛錬に時間を費やしていることもあって、男には仕事に割く時間が取れなかった。


「それと、これは俺からだ」


 客は腰にぶら下げていた袋の中から、包みを一つ取り出して男に差し出した。

 抜き身の剣を壁に立てかけて、男がその包みを受け取ってみるとずっしりとした重みがあった。

 中を見ると新鮮な肉。


「猪肉だ。娘に食べさせてやれ」


 その言葉に男は頭を下げた。

 肉は贅沢品である。 

 それも新鮮な肉はここ最近、まるで口にしていない。


「もう少しの辛抱だ」


 そう言って客は帰っていった。

 客が戸を閉めるまで頭を下げていた男は、戸に鍵を掛けると居間を振り返った。

 娘が父親の持つ包みを見ている。

 客が言った『猪肉』という言葉が聞こえたのだろう。

 どこか期待の色のある娘の顔を見て、男は言った。


「今夜はご馳走だぞ」


 娘の顔がパッと輝いた。



 ◇◆◇◆◇



 南門前の広場で開催されている朝の市場。

 朝の空気に満ちるのは肉の焼ける香ばしい匂いや、香辛料の香り、または焼きたてのパンの香り。

 それらの匂いが路地を漂い、大勢の人々が行き交っていた。


 天幕を張っただけの簡易な露店がいくつも建ち並び、敷布の上に肉や野菜、香辛料といった食べ物や、怪しげな薬品、何の用途に使用するのかわからないガラクタや装飾品など、思い思いに並べて店主が客の関心を呼ぶべく声を張り上げている。

 

「思っていたイメージと違って驚きました。賑やかで楽しいところですね」


 並べられている様々な商品を、コーネリアが物珍しそうに眺めながら呟いた。


「ここは場所代を支払えば、誰でも露店を開くことが出来るんだ。だから市民以外にも、壁の外に住んでいる人たちでも店を開いている人がいるんだよ」


「もっとも、朝早く起きないとダメだけどね」


 ウィンの言葉を継いでレティシアが笑って言うと、


「早起きしたかいがありました」


 コーネリアも楽しそうに笑って頷いた。


「ふふ、朝の活力に満ちた空気も悪くないでしょう?」


 レティシアとコーネリアの前を歩くセリが振り返る。

 

「まるでお祭りのようですね」


 店の呼び込みの声も、道行く客たちの雑談も「売ってやろう」「良い物を仕入れよう」という熱気で溢れ、自然コーネリアの身体の中にも活気が溢れてくるように感じた。


「いつもこんな感じなのでしょうか?」


「大体こんな感じです。私もお使いで初めて来た時には、お祭りでもしているのかと思いました」


「お兄ちゃんも朝の鍛錬が終わったら仕入れに来てたよね」


 レティシアが背後を振り返る。

 ウィンは女の子三人の後ろを歩いていた。


「そうそう。走り終わってから打ち込み稽古した後にね」


「よく身体が動きますよね」


 厳しい訓練をした後に、仕事をしていたと聞いてセリが感心したように言う。


「運動した後だから、凄くお腹が空いてたよ。レティなんか、よく露店の前でよだれ垂らしてたし」


「ええ!? そんなこと無いよ!」


「ジーっと物欲しそうに見つめてると、大体お店の人がその視線に折れて食べ物をくれるんだよな」


 まるで子犬が餌付けされているようだったとウィンが言うと、


「そういえばポウラットさんも、レティシアさんはいつも何かモグモグと食べていたと、おっしゃられていましたね」


「うう……」


 コーネリアにまで突っ込まれ、レティシアが何も言い返せなくなった。

 恨めしそうな視線をこの話題を提供したウィンへと送ってくるので、ウィンは誤魔化すように周囲へと視線を向けると、ウィンたちを遠巻きにするように見ていた人々が目を逸らした。


 レティシアとコーネリアはシャツにズボンという簡素な服装に身を包んでいるが、抜群に整った顔立ちと、市井の娘とは違う雰囲気を身に纏っているため、非常に目立っていた。

 セリもエルフの血が混じっているため、二人に比べても容姿にそう遜色はない。

 必然、歩いているだけでも視線を集める。

 それが、笑顔で楽しそうにとなれば尚更だ。


 人と人とでぶつかり合うほど混み合っている市場なのだが、彼女たちが近づくと人混みが勝手に割れてくれるので、非常に歩きやすかった。

 ウィンが後ろからついて歩いているのは、やっかみの視線を集めてしまうこともあったが、後ろからついて行くほうが歩くのも楽だからという理由もあった。


「あ、あそこですよ」


 セリが急に露店の一つへと向かって駈け出した。

 彼女が向かっていった露店では三十代半ばくらいの女性と、彼女の娘なのだろうか十くらいの子どもが手伝いをしていた。


「おばさん、おはようございます!」


「あら、セリちゃんじゃない。随分と顔を見せなかったから、おばさん心配したわよ? 病気にかかったんじゃないかしらとか、もしかしたら例の誘拐事件に巻き込まれたんじゃないかって……」


「私、元気だけが取り柄ですよ? でも、最近物騒だからあまり出歩くなって言われちゃって」


 セリはちょっと困ったように笑顔を浮かべた。


「うんうん。セリちゃんは可愛いからねぇ。うちの子も人攫いにあわないか心配だわ。ほら、また服が乱れてるわ、こっちにいらっしゃい」


 女店主が天幕を張っただけの簡易で狭い露店の中を。ちょろちょろと歩きまわっている娘を捕まえて、乱れているローブのように丈の長い服の裾を整えてやる。


「リーナちゃんは、しっかりしてるから大丈夫よね?」


「うん、お母さんが心配しすぎ」


 女性の娘――リーナと呼ばれた少女は、口ではそう言いながらも大人しくされるがままになっていた。

 セリはそんな母と娘の姿を微笑ましそうに眺めていた。


「それで、セリちゃんは今日は何が欲しいの?」


「おばさん、今日は買い物じゃないんです。実は、こちらの方たちが誘拐事件のことについてお話を聞きたいそうで……」


「これで良し、と。話を聞きたい? それよりも、何だか騒がしいね……」


 娘の服を整えてやり満足気に頷いた後で、訝しげな表情を浮かべながらセリを振り返った女性は、いつの間にか自分の店を取り巻くようにして人集りができていることに気付いた。


 そして、店の前には朝日を浴びて金色の髪をキラキラと輝かせ、エメラルドの宝玉のような瞳が印象的な、恐ろしく整った容貌の美しい少女と、その彼女にも劣らない柔らかな美しさを持つ、どこか高貴な雰囲気を纏う少女が立っていた。

 

「うわ……えっと……お、お客様ってこの方たち?」


 一瞬、二人の少女に見とれてしまった女性は、セリに向けて何とか言葉を絞り出したものの、その声音は上ずってしまった。

 二人とも、どう見てもただの一般市民ではない。

 服装こそ簡素な物を身に着けているが、これはもしかして変装しているつもりなのだろうかと思ってしまう。

 特に彼女もまた、娘の正体を隠すために努力をしているから、尚更そう思ってしまうのだろう。

 ともかく、明らかに場違い感のある二人が、露店の店主である自分に何のようなのかと思い、彼女は少し緊張しながら二人の少女へと歩み寄る。


「え、ええっと……わ、私に聞きたいこととは何でしょうか?」


 恐る恐るそう尋ねた女性だったが、その問い掛けへの答えは彼女の予想外のものだった。


「ローラさん? ローラさんでしょう!? それにリーナちゃんも!」


「え? え?」


 女性――ローラは、金髪の少女に急に自分の名前を呼ばれて目を白黒とさせる。

 そして同じく名前を呼ばれた娘であるリーナが、店の中から飛び出すようにして金髪の少女へと駆け寄った。


「レティちゃん! レティちゃんだ! わーい、ウィンお兄ちゃんも!」


 その時、少女たちの後ろに一人の青年が立っているのに気づいた。人のよさ気な顔をした彼は驚きで目を丸くしていた。


「お久しぶりです。ローラさん、それにリーナちゃんも」


 その声を聞いてローラの脳裏で、目の前で照れたように後ろ頭を掻いている青年と、娘であるリーナ――イフェリーナを抱きしめている少女が、かつて彼女が依頼した冒険者の小さな男の子と幼い女の子の姿へと結びついた。


「あ、ああ! ウィン君、レティちゃん、あなたたちだったの? 本当に大きくなって……」


 ローラは懐かしさに思わず涙ぐむ。

 そんな再会を喜び合う四人を見て、事情を知らないコーネリアとセリが顔を見合わせる。

 しかし、本当に懐かしそうに嬉しそうな四人を見ていると、二人も何となく暖かな気持ちとなれたのだった。


ち、父の日があった……。

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[一言] 拐われたひとたち……手遅れっぽいなぁ……
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