皇位の継承者
ジェイドサイドです。
主人公サイド側は誰も出てきません。もちろん悪いコト考えてますので、ストレス溜まるのが嫌な方は、次の更新を待ってから一緒に読みましょう。
あと、重版しました。購入してくださいました皆様、ありがとうございます。
クライフドルフ侯爵の帝都にある屋敷は貴族の屋敷が固まっている、シムルグ北西部に存在する。
現在、もっとも権勢を誇っていると言われる大貴族だけあって、他の貴族の屋敷に比べても敷地面積も屋敷も大きい。その屋敷の大広間でいま、盛大な夜会が開かれていた。
招かれている客はクライフドルフ派閥に属している貴族と、高位の軍人ばかりだった。
さすがに皇帝が主催したラウルを饗すための晩餐会ほどではないにしても、その豪華さは他の貴族には真似ができない規模である。
クライフドルフ候爵である父ウェルトと共に出席していたジェイドは、別室で一人の人物と会っていた。
ノイマン・エルツ・ルート・レムルシル。皇位継承権第三位となる帝国の皇子。
ジェイドの縁戚にあたる人物であり、メイヴィス公爵第一公女であるステイシアの婚約者でもある男だ。
帝国貴族は男女ともに剣技を始めとした武術を嗜むものだが、このノイマン皇子の身体つきはどこかぷくぷくとしており、紅茶の飲む手もやわらかな肉付きをしていた。
母方のガウナヘルツ伯爵家はクライフドルフの一門に連なる貴族の名家で、元は子爵位ではあったが、ガウナヘルツ家の娘が側室として皇帝の子を産むとともに伯爵へと爵位を昇格させた。
娘が皇子を産んだことで皇帝から下賜された財のおかげで、現在のガウナヘルツ一族は領地経営を代官に任せっきりで、帝都で遊び暮らしている。
帝都貴族の間で流行りの服を着て、毎夜様々な夜会を出入りする典型的な成り上がりの貴族だった。
そんな親族を持つこのノイマン皇子もまた、自己顕示欲の強い人物である。
自分が皇子であることに強い誇りを持ち、その地位を嵩にかかり母方の親族に便宜を図ってやり、感謝されることで満足する人物だった。
用意させていた贈り物を渡し、夜会への招待に応じてくれたことへ丁重に感謝の言葉を述べる。それからしばらくはノイマン皇子の気分が良くなるように会話を進めていく。そして、世間話のついでのようにして話を切り出した。
「ところで殿下、最近アルフレッド殿下を中心にして、平民の登用が多く為されていることをご存知でしょうか?」
「コーネリアの従士のことか?」
コーネリアは皇位継承権第二位と宮廷序列ではノイマンより上なのだが、ノイマンは妹であることを強調するように呼び捨てにする。
ジェイドは従士のことには触れず、騎士も平民出身者が増えているのだと語った。
「アルフレッド殿下が皇帝となられた時、ノイマン殿下は恐らくは臣籍へと降されることになります。さらには我ら貴族の力が強くなることを望まないアルフレッド殿下は、ノイマン殿下が臣籍に降った後、間違いなく冷遇されるでしょう」
「まさか……我らは母が違うとはいえ兄弟だぞ?」
「兄弟だからこそです。どの時代のどんな為政者であっても、最も怖いのは血を分けた兄弟です。歴史を紐解けばいくらでも先例が出てくるでしょう」
「わ、私は兄上に反逆するつもりは一切ないぞ?」
「ノイマン殿下の母方のガウナヘルツ伯爵家は、皇帝陛下の寵愛もあってか最近とみに力を付けていらっしゃっる」
「そ、そうだ。それに私には多くの後ろ盾もある。兄上とてそう簡単に手を出せようはずもない。そうだろう? ジェイド」
「もちろん、私どもクライフドルフ一門は常に殿下のお味方でございます。
ですが、それゆえに我ら貴族の旗頭となれる殿下が力を持つことをアルフレッド殿下は恐れられるでしょう。
更には我が一門は皇太子殿下の平民を重用する方針に異を唱え、伝統ある貴族が民を導くべきという考えです。そして殿下はその我らの擁護者でもあらせられる」
特にノイマンがクライフドルフ一門の擁護者としての立場を明確にしたことはなかったが、ジェイドはまるで自分たちの派閥の長がノイマンであるかのように畳み掛けた。
「我らの擁護者であるノイマン殿下を臣籍に降した後に、何らかの罪を着せて処断してしまえば、我らとて黙らざるをえない。
いえ、むしろ見せしめに殿下を処断する可能性は高いかと……」
「そんなバカな……そんなバカな……」
ジェイドから贈り物をもらった時の尊大な態度から一転して、蒼白な表情となったノイマン。ジェイドの語る未来。それは帝国の長い歴史には随所に見られる事実。
「しかし、私の妻となる女性は皇室とも繋がりの深いメイヴィス家のステイシア嬢なんだぞ」
「先程申し上げましたコーネリア皇女の従士は、そのメイヴィス家の三女レティシア様と懇意であり、皇女殿下とレティシア様も親交深い関係でございます。
そしてレティシア様ご本人は、メイヴィス家とあまり上手く行っていないという噂もございます。もしもの際には皇室がどちらをお取りになられるかは……」
「では、私はどうすれば良いというのだ……」
ノイマンは頭を抱えた。
彼は今の皇子という立場がこの先ずっと続くものだと信じ続けていた。いや、彼だけではなく、彼の親族たちの誰もがそう信じ続けている。
だが、それが未来永劫続くわけではない。確かにジェイドが言うように、臣籍へと降されれば彼は皇位継承権を失う。
そして皇帝となったアルフレッドからしてみれば、確かに皇族の血を引くノイマンは目障りであってもおかしくないのだ。
「……一体どうすれば」
よくよく考えてみれば、アルフレッドがノイマンから皇籍を剥奪するとは限らないのだが、ノイマンは完全にジェイドの言うように臣籍へと降されると思い込んでしまっていた。
ノイマンはこれまで、自分が何かの問題に直面した時には周囲が解決するのが当然のように育てられてきた。彼が望めば、彼の周囲にいるものがその問題を考え解決する。
そして今、彼にとって一つの難問が突きつけられている。
彼にとって、まるで退路の無いような難問。
いま、ノイマンの心のなかでは彼にとって都合の良い答えを求めているはずである。
ジェイドは思わず笑みが浮かびそうになるのを取り繕うと、その心の隙間に滑りこむように言葉を発した。
「天に両雄並び立たずと申します。殿下が生き延びるためには……」
「ま、さか。いやしかし、それは……」
完全に血の気が引き、両目を飛び出さんばかりに大きく見開くノイマン。その全身が激しく震え、喘いでいる。
「殿下、現在この屋敷に集まっている者たちは、殿下のお味方にございます。そう、皇位継承権第三位にあらせられるノイマン皇子のお味方なのです。
ですが、アルフレッド殿下が……いえ、アルフレッドが皇帝となり殿下が臣籍へと降されることになれば、お味方の中にも日和見を決め込む者が出るやも知れません。唯々諾々とアルフレッドに従う者すらも出てくるでしょう」
ノイマンがゴクリと唾を飲み込む。
「今が好機なのです。アルフレッドが登用している平民が重要な地位に就き、力を付ける前にアルフレッドを討つべきなのです」
ノイマンは俯き考えこむ。
「わ、私にそんな兄上に対してそんな大それた事ができるだろうか……」
これまで彼は自分で重要な局面で決断するということはなかった。
悩めば誰かが答えを出してくれていた。やってくれていた。
だからこそ、次のジェイドの言葉が彼の心へと滑りこむ。
「殿下はご心配なさらずともよいのです。殿下はただ一言、こうおっしゃるだけで良いのです。『良きにはからえ』と」
◇◆◇◆◇
ノイマンはジェイドとの密談を終えると、広間へと戻ってきていた。
皇太子ではないものの、ノイマンは現皇位継承権第三位。
臣籍に降る可能性があるとはいえ、アルフレッドとコーネリアの身に何かあれば、至尊の座に座る未来もあり得る人物だ。
来場していた多くの貴族たちが、彼が戻ってきたのを見るや、すぐに挨拶や追従をしに集まっていた。
だが、その中心にいるノイマンの表情は優れない。
青ざめ、どこか浮かない顔をしている。
そんなノイマンを眺めている一人の女性がいた。
「ジェイド様」
美しく着飾ったその女性は、ノイマンと時を同じくして広間へと戻ってきたこの屋敷の次代の後継へと話しかける。
「私の愛しいノイマン皇子殿下が随分と青い顔をされていらっしゃいますが、何かお心騒がすようなことでも?」
彼女の名前はステイシア・ヴァン・メイヴィス。
ノイマン・エルツ・ルート・レムルシル皇子の婚約者であり、あと勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスの姉でもある。
「いえ、何も問題はございません」
ジェイドは端正な顔に微笑を浮かべつつ、丁寧にステイシアに一礼してみせた。
「ただ……殿下はお心をお決めになられただけにございます」
「そう」
「残る障害はレティシア様のみでございます」
「わかっているわ」
ノイマンを見つめるステイシアの瞳に、冷たい光が宿る。
(レティシア、アルフレッド、ノイマン……みんないなくなってしまえばいい。そうみんないなくなってしまえば、私は再び多くの者たちから賛辞を浴びることが出来る。そう、私こそが全てを手に入れるべきなの……私を見ない者など、いなくなってしまえばいいのよ)
再び多くの貴公子たち淑女たちに囲まれ、多くの賛辞と憧憬の念を一身に受ける光景を脳裏に描きながら、ステイシアは暗い情念を燃やしていた。
そんなステイシアの傍らに悠然とした態度で立ちながら、ジェイドは内心ほくそ笑んでいた。
(最大の障害である勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスが邪魔できないよう、この女を利用する)
ジェイドはステイシアに軽く一礼をすると、踵を返して歩き出した。
その瞳には冷酷な光を浮かべ、口を笑みの形に歪める。
例の研究を帝都へと移したことで、被験体も豊富に手に入るようになり、大きく進捗状況が前進したという報告を得ている。
研究が完成すれば、ジェイドに協力しつつも虎視眈々と機会を伺っているペテルシア王国の脅威を、勇者の力を利用せずに独力で排除できる。
(コーネリアだ。ノイマンを利用し、アルフレッド殺害の罪は全て、あのかわいそうなノイマン殿下に被ってもらう。そして私の伴侶としてコーネリアを迎えれば良い)
その後、皇帝の直系であるコーネリアを伴侶に迎え、皇位の正当性を訴える。
そうすればコーネリアの付属品としてウィンもついてくるはずだ。必然、勇者の力も利用できるようになる。
広間を再び後にしたジェイドは、一人屋敷の奥へと歩を進めるとある部屋の前で立ち止まると、ゆっくりと部屋の扉を開いた。
陽の光がよく入るよう、南側に面した部屋。
手入れの行き届いた調度品が随所に配置され、花瓶には色とりどりの花が生けられている。
部屋の隅々まで掃除が行き届き、寝台のシーツにはシワ一つとして見られない。
しかし、この部屋にはまるで生活臭というものが感じられなかった。
この部屋の主はもうこの世にはいない。
主がこの世界を後にしてすでに五年が経過している。
ジェイドは先程まで浮かべていた薄ら笑いを消し、神妙な表情で部屋の奥、壁にかけられた肖像画へと歩み寄る。
肖像画に描かれているのは一人の華やかな微笑みを湛えた美しい女性――。
ジェイドの部屋に飾られている女性のものと同じ。
だがこの部屋の肖像画に描かれた女性の身を飾っているのは、ドレスや宝石の類ではなく、ドレスのかわりに勇ましい軍装に身を包み、美しい花束のかわりに無骨な騎士剣を持ち、首飾りや指輪のかわりに幾つもの勲章を豊かな胸元にぶら下げ、貴族の家紋のかわりに万騎長と将軍の徽章が輝いている。
ルクレツィア・ヴァン・クライフドルフ。
ジェイドの母、その若き日の姿を描いたもの。
あのザウナス将軍と共に対魔大陸同盟軍において、帝国の双璧とまで称された女将軍。
――そして、帝国に見殺しにされた悲運の英雄。
(母上……)
母の肖像画を見上げるジェイドの表情は、普段の彼が見せる不遜な表情とはまるで違い、どこか幼ささえも感じる頼りなげなものであった。
クライフドルフ家にて行われた夜会の数日後――。
皇帝アレクセイが臨席する御前会議にて、皇太子アルフレッドが提案したアルフレッドと皇女コーネリアの親善訪問に対して、中央騎士団騎士団長を勤めるウェルト・ヴァン・クライフドルフより異議が唱えられた。
ウェルトは帝国の皇位継承権一位、二位にある皇族がともに国を空けるのは問題があると主張し、その言を聞き入れた皇帝アレクセイは皇太子アルフレッドだけをリヨン王国へと遣わすことを決定した。