帝都の闇に潜むものは②
もう発売してるところもあるけれど、明日はいよいよ発売日!
『渡り鳥の宿木亭』を出る頃にはすっかり暗くなっていた。
コーネリアを宮殿まで護衛して送り届けると、騎士学校の寮住まいであるウィンとロック、レティシアの三人は大通りを歩いていた。
夕食時は過ぎているが、まだまだ酒場や食堂から帰る人影がチラホラと見て取れる。
「なあ、さっきの話だけどさ。皇太子殿下とコーネリア様の親善訪問。あれは表向きで、実はペテルシアに対しての軍事同盟を結ぶという噂は本当なのか?」
「さあ、噂は俺も聞いたけどね。ロックのほうこそ、隊長から話を聞いたりしていないの?」
ロイズは騎士としては十騎長と決して高い地位にあるわけではないが、伯爵ゆえかアルフレッドと懇意な関係にあることを二人とも知っていた。
「どうなんだろう。今は隊長も誘拐事件にかかりきりだよ。そういう話は一切しないし。レティシア様はやっぱりウィンの奴についていくんですか?」
「私はどちらかというと、親善訪問の一員という形で参加するんじゃないかなと思うよ」
レティシアは後ろで手を組んで歩きながら答えた。
「ラウルは私の仲間だったし、旧交を深めるという名目で行くことになるんじゃないかな」
「コーネリアさんとレティが行けば、リヨン王国の人たちへの印象も良くなるだろうしね。二人とも美人だし、異国のお姫様と勇者様なんだから――」
そこで急にウィンが押し黙った。
真剣な顔つきとなり、目を細めて、どこか遠くを見るような目つきとなっている。
纏う雰囲気が一変したのはレティシアもだ。
「悲鳴?」
小さく呟いたレティシアは、すぐに横の路地へと飛び込んで走りだした。
その背中をウィンが追う。
「なんだ?」
二人より先を歩いていたため、悲鳴を聞き逃したロックが慌てて二人の後を追った。
狭い路地、そこかしこに木樽や木箱、ゴミなどが散乱し、足元も暗く、下手に走ると躓きかねないのだが、レティシアは速度を落とさずに悲鳴が聞こえた方へと走り、その背後をぴったりとウィンがついて走る。
(くっそ……はええ!)
胸中でロックは感嘆する。
ウィンとレティシアの二人は、幼い頃より暗い夜道を走り回っていたので、暗がりを走るのに慣れているのだ。
どんどんと夜道に不慣れなロックと二人の距離が開いていく。
「レティ、先頭変わって! 今のレティより俺のほうが道を知ってる!」
ウィンが前を行くレティシアに叫んだ。
四年間旅に出ていたレティシアよりも、ウィンのほうが道に詳しい。
「お兄ちゃん、また悲鳴が聞こえたよ!?」
「こっちだ!」
ウィンがレティシアと入れ替わり先頭に立って走る。
その二人の後を少し離れてロックが追いかけた。
最初の悲鳴は聞き取れなかったが、今の悲鳴はロックの耳にも届いていた。
――この先で誰かが襲われている!
路地を抜けた先には空き家を取り壊してできたと思われる広場があった。
崩された石壁の破片がまだ空き地に幾つも転がっており、ぐったりした人影を引きずって行こうとしている数人の人影が見えた。
「何をしている!」
ウィンの怒声に人影が四人、白刃を振り上げて襲いかかってきた。
接近してきた男たち、ほぼ全員が中肉中背の身体つきで、黒っぽい色の服に身に着けており、顔は覆面をしていて目だけしか見えない。
「お兄ちゃん!」
「レティ! 殺すな!」
ウィンに続いて路地を抜け出たレティシアが、ウィンに向かおうとした男たちの間へと突っ込むと、襲いかかってきた黒ずくめの男たちうち三人も気を引いてくれた。
男たちの剣が青白く光を放っている。
(こいつら、魔法を使う!?)
騎士剣と同じように、剣に魔力が通されている。
騎士相手の戦い同様、力比べでは不利を悟ったウィンは、男の振るった刃を剣身に滑らせるようにして受け流す。
「ちっ!」
舌打ちをして、男が再び剣で切りかかってくる所を、仰け反るように寸の見切りでかわして、さらに突きこんできた所を剣で打ち払った。
連撃を全て防がれてしまうと、男は少し間合いを空けて剣を構えた。
ウィンの剣も魔力が通されて暗闇の中、青白く輝いている。
男にもウィンが騎士、少なくとも魔力を剣に通せる魔法を使える相手だとわかったのだろう。
「ウィン!」
そこへ遅れて到着したロックの叫び声。
「ロック、俺はいいから逃げている奴らを!」
「わかった!」
一対一であれば身体強化魔法を使った騎士であろうとも、防御に徹すればそう遅れを取ることはない。
ロックはウィンの横を通り抜けて、ぐったりとした人影を引きずっている者たちが消え去った道の方へと走って行く。
その後を追わせないようにウィンは目の前の男を牽制しながら、チラリと横目で三人もの気を引いてくれたレティシアを見た。
レティシアの真の力であれば、三対一であろうと三が百倍になろうとも、正面からの決戦で負けることはまず無いが、それでも心配になってしまう。
もっとも、その心配は杞憂であり、ウィンの視線の先ではすでにレティシアが二人を打ち倒し、最後の一人を無力化しようとしているところだった。
ウィンと同じようにレティシアへと注意を向けた男が、わずかに狼狽したような気配を見せる。
ウィンとは逆で、華奢で儚げな少女にこうも短時間であっさりと、仲間が次々と無力化されていくとは思わなかっただろう。
動揺しているのが見て取れた。
その隙を狙いウィンが攻勢に出た。
男の無力化を狙って、剣を叩き落とそうとする。
しかし、すんでの所で我に返った男は、逆に思いっきりウィンの剣を打ち払ってみせた。
「ぐっ……」
手が痺れるほどの重たい衝撃。
身体強化の魔法のせいで、男とウィンの力の差は大人と子供並に開いている。
まともに剣を打ち払われたウィンのほうが、逆に剣を取り落としそうになったところへ――。
「お兄ちゃん!」
レティシアが背後から、男の後頭部へと強烈な回し蹴りを放ち、男を真横へと吹っ飛ばした。
小柄だが、黄金色の輝きを放つ程の魔力を帯びている状態のレティシアの一撃だ。
地面で二、三回弾むほど叩きつけられた男は、恐らく何が起こったのか理解できなかっただろう。
完全に意識を刈り取られて、地面に転がっていた。
「助かった。ありがとうレティ」
「大丈夫? お兄ちゃん――って、ちょっと怪我してる!?」
レティシアがウィンの顔を見て驚いたように目を見開いた。
ウィンが手で頬を拭うと、ぬるりとしたものが指先についた。
戦闘による興奮からか痛みを感じなかったが、二度目の斬撃を寸の見切りで躱した時にわずかに剣先がかすっていたらしい。
「大丈夫、かすり傷だよ。結構な手練れだった」
「多分、しばらくは目を覚まさないよ」
レティシアは、武器を持っている相手をほとんど当て身で無力化したらしい。
その時、騒ぎを聞きつけたらしくようやく二人組の衛士が駆けつけてきた。
「貴様ら! ここで何をしている!?」
駆けつけてきた衛士たちに、敵意がないことをアピールするため、剣を鞘へと納めながら事情を説明するウィン。
「こいつら、もしかしたら誘拐団かもしれません」
「何だと?」
「これを……お前たちがやったのか?」
疑わしげな目でウィンとレティシアを見る衛士たち。
ウィンはともかく、レティシアの見た目は華奢で可憐な少女である。
とても武芸に秀でているようには見えないだろう。
「俺の仲間がこいつらの仲間を追っています。すみませんが、ここにいる奴らをお願いしたいのですが」
「待て待て、お前たちは何者なんだ?」
ウィンが仕方なく身分を明かす。
「皇女殿下の従士? きさ……いえ、貴方が?」
「任務外なので今は私服ですし、身分を証明するようなものは持ちあわせてはいないのですが」
衛士たちはウィンの言葉に頷いた。
見れば、そのあたりで伸びている男たち四人の姿格好は黒ずくめに黒い覆面をしているのだ。
どちらが怪しいかと言えば、どう考えても伸びている男たちのほうが怪しかった。
逃げた男たちがかなりの手練れであり、追いかけていった仲間が危険かもしれないと話すと、衛士の一人がウィンと同行を申し出てくれた。
「では、そちらのお嬢さんは私と一緒に残っていただけますか?」
レティシアは、もう一人の衛士と一緒にこの場に残ることになった。
本当はレティシアも追いかけようと思ったのだが、貴族のお姫様にしか見えないレティシアの身を案じた衛士がそう提案した。
被害者と見せかけて実はという可能性もあるので、見た目か弱そうで、逃亡を試みても、すぐに取り抑えることが可能と見えるレティシアを残したのだ。
レティシアも面倒事にならないように身分を明かさなかったため、仕方なくその提案に頷いた。
「こいつら騎士と同等の実力者でした。急ぎましょう」
ウィンと衛士がロックの後を追って走りだす。
◇◆◇◆◇
路地裏を飛び出したロックの目に飛び込んできたのは、魔力によって青白く輝いている白刃を振りかざしウィンに切りつけている男の姿と、当て身でも喰らわされたのか、身体をくの字に負って崩れ落ちていく男。
そして目の前であっという間に仲間が無力化されて、たたらを踏んでいる二人の男の姿だった。
レティシアは男の身体を地面に転がして男二人に向き直ろうとしている。
(レティシア様はいいとして――)
一見、か弱そうな女の子だが実は【世界最強】。
「ウィン!」
「ロック、俺はいいから逃げている奴らを!」
少し押され気味の友人に助太刀をしようかと声を掛けたが、ウィンは広場の先を目で示した。
見れば男がもう二人、ぐったりとした人影を抱えて逃げていくところだった。
「わかった!」
ロックが走りだす。
途中、ウィンが対峙している男の横を通らざるを得なかったが、ウィンが上手く相手を牽制してくれていたので無事通り抜けることが出来た。
人一人を担いでいるにもかかわらず、男たちの足は速い。
(身体強化の魔法を使ってる?)
ロックがみるみる引き離されていく。
今走っている通りは、先程までの路地よりも道幅が広く、馬車一台程度であれば十分通れる広さだった。
おかげで、足元を気にすることもなく走ることは出来るのだが――。
(ヤバイなあ。追いついたとして、もしも俺一人で戦うことになったら勝てるかどうかわからんぞ)
身体強化の魔法が使えるということは、騎士と同等の戦闘力を持つことになる。
それが二人。
『我に力を!』
ロックもまた身体強化の魔法を唱えた。
(一人で押さえるのは無理だ。ここは付かず離れずで、ウィンかレティシア様が追い付いてくるのを待った方がいい)
ロックはそう考えると、一定以上の距離を詰めないように追いかけた。
逃走し続けている二人組が反撃をしようとしてきても、十分に逃げ切れる距離を保つ。
三人の足音が響き渡る。
通りには他に人影が見られない。
夜遅くまで営業をしている色街や、酒場や食堂が集中している大通りと違って、この通りに時折見られる店舗は店仕舞いが早いのだろう。
たまに人がいるものの、あからさまに怪しい風体をした男が人を抱えて走っているのを見ると、ぎょっとして立ち止まりみんな見送っていた。
「衛士隊に連絡出来たら頼む!」
すれ違いざまにロックはそうお願いする。
身体強化魔法によって加速しているロックには、お願いした通行人が頷いたのかどうか確認は出来なかった。
(騎士相手だと、衛士だと厳しいかもしれないが)
ロックでも衛士を四、五人相手であれば一人で蹴散らせる自信がある。
魔法で強化もせずに、並程度の騎士であれば互角以上に渡り合えるウィンみたいな人物は特殊なのだ。
ロックの前を走る二人組の男は、時折ロックが追いかけているのを確認するべく振り返っている。
その後をロックは距離を保ちつつ追い続けていたが――。
男たちが角を折れる。
(どうする?)
曲がった所で待ち伏せられて、不意打ちをされる危険もある。
しかし、逆に他の路地へと逃げ込まれてしまい、見失ってしまう恐れもあった。
(最悪、ウィンとレティシア様が生かして捕らえているとは思うけど、拉致されている人を見捨てるわけにはいかない)
距離を詰められて二人がかりで襲われると逃げ切れない可能性が高い。
相手の拠点を聞くだけならば、捕らえているであろう相手から聞き出すことも可能。
少なくともレティシアがいる以上、遅れを取ることだけは万が一にも絶対にありえない。
迷いがロックの走る速度を緩めていたが――。
(ええい! 行くしか無い!)
被害者がいる以上、追うしかいないと迷いを振り払った。
腰の剣に右手を持って行き最大限に警戒しながら、角を曲がり――。
「うわっ!」
突然飛び出してきたロックに驚く馬のいななき、馬を抑制しようとする御者の怒鳴り声、車輪の音。
「ばかやろう! 死にてえのか!」
間一髪の所で、何とか突如目の前に現れた箱馬車との接触を躱したロックは、御者の怒鳴り声を無視して箱馬車が来た路地の先を見る。
(奴らがいない!)
「おい! 今、ここを黒ずくめの連中が通っただろう!?」
「知らんね。そんな奴ら見た覚えはない」
通りの先には隠れる場所も、次の曲がり角も遥か先。
(となれば、考えられるのは!)
御者がロックを無視して箱馬車を進めようとするのを見て、ロックは箱馬車の進路を塞ぐような形で通路へと躍り出た。
「待て待て」
「本当に轢き殺されたいのか!?」
「中を検めさせてもらえないだろうか」
「騎士殿に何の権限があって、そのような真似を!? 残念だが、その要請に応じる必要性は認められんな」
(騎士殿だと!? 俺は騎士だと名乗った覚えはないぞ)
今のロックの服装は私服だ。
外見からではロックが騎士だということはわからないはず。
騎士が得意としている身体強化の魔法を使って加速していたものの、箱馬車の御者がロックを見たのは角を飛び出してきたところからだ。
騎士であることを決定づけるような場面は無かったはずだ。
「とにかく、後ろを見せろ!」
「貴様、この馬車はさるやんごとなき御方の馬車である。その方の荷物を勝手に検めるというのなら、その正当性を示す確固たる根拠を明示したまえ!」
「ぐ……」
ロックが黙りこんでしまうと、御者はどこか勝ち誇ったような表情でフンッと鼻で嗤うと箱馬車を進めた。
この通りの次の曲がり角、人一人抱えて通れる道はまだかなり先の方にあるのだ。
あのタイミングであれば、黒ずくめの二人組があのまま逃げ続けていたのなら、別の曲がり角を曲がるよりも先にロックの視界に入っていたはずなのだ。
(ちくしょう、やっぱりこの馬車が……)
ロックは悔しさを覚えながら、箱馬車に通り道を譲るために道の端へと寄る。
(ん? この紋章――っ)
箱馬車の扉に小さな家紋があった。それを脳裏に焼き付ける
(くそ、絶対にこのままにはしないからな!)
走り去っていく馬車を見送りながら、ロックが歯ぎしりをしていると、そこにようやくウィンと衛士が走ってくるのが見えてきたのだった。