晩餐会③
説明回。
活動報告にて書籍に関しての続報をあげています。
元セイン王国宮廷魔術師コンラート・ハイゼンベルク。
魔力の量であればレティシアが、使える魔法の数と制御力であればティアラが他の魔術師の追随を許さないだろう。
しかし、魔法に関しての知識であれば、大賢者として名高いティアラにも匹敵すると言われた天才魔術師。
その彼の高弟であった女性がサラ・フェルール。
「――だったかな? あのおよそ四十年前に起きたセイン王国滅亡を生き延びた三人のうちの一人だね」
アルフレッドの言葉にレティシアは頷いた。
「サラ・フェルール……懐かしい名前」
女性の名前なのだろうか。
ラウルの口から出たその名を聞いた途端、それまで上機嫌だったレティシアが目を細める。
それからウィンとコーネリアの二人が、サラ・フェルールという人物について知らなさそうなのを見て取ると、口を開いた。
「お兄ちゃん、この間二人でお芝居を見に行った時、魔王がセイル王国の国王だったメルヴィック四世の身体を器にして降臨したというのを話したよね」
「うん」
「先々代の【剣聖】だな」
ウィンはついこの間レティシアから教えてもらったばかりの、セイン王国で起こった悲劇の物語を思い出す。
セイン王国の英雄王メルヴィック四世の肉体に魔王が降臨した際、まだ赤ん坊だったメルヴィック四世の孫娘と宮廷魔術師、そして侍女が一人。
奇跡的に三人だけが生き残っていたと聞いた。
「その魔王が降臨したその時、その場所に居合わせて生き残っていた者がいたんだけど、そのうちの一人が宮廷魔術師だったコンラート・ハイゼンベルク。それと、彼に庇われて生き残ったうちの一人が、セイン王国のお姫様だったリアラのお母さんで、そしてもう一人が侍女のサラ・フェルール」
「確か、【背教者】」
レティシアの説明にアルフレッドが思い出したかのように付け足した。
「そうだ。アルフレッドは知っていたか」
ラウルの言葉にアルフレッドが頷く。
「まあ……さすがに、ね。エメルディア大神殿から、史上三人目となる【聖者】の称号を生前授与されながら、その裏で信者たちを大量に生け贄にしたという狂人」
「そういえば似たようなお話を聞いたことがあります。
確か、勇者メイヴィスが毎夜生け贄を捧げていた邪教の神官を倒し、囚われていた人々を救い出したという話を……」
ラウルとアルフレッドの話を聞き、コーネリアが口を挟む。
その話はウィンも聞いたことがあるほど、勇者メイヴィスの物語では有名なエピソードの一つだ。
「もしかしてその邪教の神官とはサラ・フェルールさんのことなのですか?」
「世間一般的にはそうなってるよ。まさか、大神官様によって生前授与という栄誉を与えられた【聖者】の一人が、生け贄の儀式を行っていたなんて言えないよね」
「対魔大陸同盟軍が劣勢だった時期の話だからな。
主導権を握っていたエメルディアは、大神官が認めた【聖者】、サラが起こした事件を、邪教を信仰している集団が行っていたとでっちあげたんだ。
教会にとって都合の悪い事実を隠すためにね」
アルフレッドの後を継いでラウルが嘲笑混じりに言う。
「ついでにレティが邪教の教祖を倒したことにしてしまえば、勇者と神殿への信奉も深まり、おまけに大量の寄付も期待できるってことさ」
神の名を使って好き放題しやがって、とラウルは吐き捨てた。
「でも、どうして今になって【背教者】サラ・フェルールなんて名前が君の口から出てきたんだい? だって彼女は――」
「私が――」
ラウルへと問いかけたアルフレッドの言葉を遮るようにして、レティシアが静かに口を開く。
だが、レティシアはその先の言葉を発する前に、ウィンへと視線を移して、ためらうように間を空けた。
それに気付いたウィンは、何も言葉を発せずただ彼女の顔を見て頷いてやる。
レティシアも頷くと、スッと正面を見ながら口を開いた。
「私がサラ・フェルールを殺した。
サラ・フェルールを信奉している集団を潰し、そして集団を統率していた彼女を、確かに私が殺したわ。あの日、あの場所で――」
波によって削られ、断崖絶壁となった岬の先端。
そこにひっそりと作られた石造りの小さな祠。
祀られている神が何だったのかはわからない。
その祠に静かに祈りを捧げている、白一色の質素な聖衣に身を包んだ年老いた女司祭。
『教会に寄付をして神様にお祈りを捧げた所で、私たちに何かをしてくれた?
彼らは何もしてくれないわ……。
人も、軍も、国も、そして神様も。
愛する家族を奪われて、生まれた故郷を失って――。
生きる理由を失った人に、私は掛ける言葉が見つからない。
本当はね、私も同じなの。
この世界に生きる理由を失っていたのよ。
でもね、そんな私の言葉を聞いて、涙を流して、生命を託してくれる人がいるの。
だから私は戦う――例えそれが許されざる方法であったとしても。
それが私の生きる理由なのだから……』
老司祭サラ・フェルールは信じる神に祈りを捧げた後、静かに立ち上がると祈りが終わるまで待っていたレティシアに静かにそう語った。
数百人もの信徒を邪神への生け贄としてきた狂人と知らなければ、穏やかな微笑みを浮かべた彼女の姿は、まさに聖者と呼ぶに相応しい姿だった。
目を閉じれば今でも鮮明にあの日の光景と彼女の姿が蘇る。
「最近俺の国であいつらの残党らしき連中がまた何か動いている気配があるんだ」
「残党?」
「実はコンラート・ハイゼンベルクの遺産が盗まれた」
「まさか!?」
「頭は潰したけど、組織としてはまだ生き残っていたようだ。急激に勢力を伸ばしてきていることに気づくのが遅れた」
俺の落ち度だ、すまん、とラウルが頭を下げる。
そのラウルを見ながらレティシアが難しい顔で考え込んだ。
「あの……そのコンラート・ハイゼンベルクの遺産とは、具体的にはどういったものなんです?」
コーネリアが小さく右手を上げてラウルへと尋ねた。
「元セイン王国宮廷魔術師コンラートが記し、【背教者】サラ・フェルールによって奪われた召喚魔法の実験記録だ。
サラを殺した際、俺が代表して管理封印を任されていたのに」
「召喚魔法ですか?」
「そんなものがあったとは、僕も初耳だよ」
「俺たち四人で隠したからな」
ラウルはレティシアを見た。
レティシアは考え込んだまま、微動だにしないのを見てラウルが言葉を続ける。
「レティ、ティアラ、リアラ、そして俺。
サラを殺した時、この遺されたコンラートの遺産をどうするべきか四人で話しあって決めたんだよ」
戦争の主導権を握っていた神殿は信用できない。
【世界樹の守り人】であるハイエルフもまた、なまじ魔法の知識を持つ者が多いため、誤って封を解くものが現れかねない。
そこで剣術のみを追い求める代々の【剣聖】が管理をしようということになったのだが――。
「腕が立ち、信の置ける者で厳重に管理していたのだが……」
異変を知り、遺産を隠していた場所へと駆けつけたラウルの目の前には、無残に惨殺された部下たちの遺体が転がっていた。
相当な手練れの仕業。
「ラウル君、そのコンラートの遺産――召喚魔法とはどういったものなんだい?」
「そうだな、どう説明すればいいか……」
ラウルは腕を組んで首を傾げた。
「各国の王室関係者、もしくは要人にしか知らされていない情報に、魔王はセインの英雄王メルヴィック四世の肉体を器として降臨したというものがある。
コンラートはそこに注目したんだ」
魔王が人の肉体を器とすることが出来るのなら、他の上位存在を人の身へと降ろすことが出来るのではないか――。
コンラートはエメルディア大神殿によって保護され巫女となっていたリアラ・セインを誘拐した。
英雄王とまで呼ばれたメルヴィック四世の血を継いだリアラを器とし、神もしくは上位精霊を降臨させ、その力を使って魔王を滅ぼして英雄王の魂を救う。
多くの人体実験と検証を繰り返し、そしていざ主筋だった者の娘を生け贄として儀式を行おうとしたコンラートは、間一髪のところで現れたレティシアによって止められた。
犠牲を払わずとも、レティシア・ヴァン・メイヴィスという魔王と対を為す勇者が現れたことを知ったコンラートは、自らが編み出した召喚魔法を封印することにしたのだが――。
「そのコンラートを殺し研究を奪ったのが、彼に命を救われた侍女サラ・フェルールだ」
サラはまだ赤ん坊だった姫と共にエメルディア大神殿にその身を寄せると、信仰に身を捧げながらコンラートの高弟として魔法の研究を重ねていた。
その傍ら、魔物によって被害を被った地方を回り、多くの人々を救済した。
やがてエメルディア大神殿からその功績が認められ、彼女は【聖者】の称号を生前授与されたのだが――。
「サラの真の目的は魔族の研究と、復讐のための魔法の研究だったんだ」
「その復讐のために彼女は命の恩人であり、魔法の師匠でもあったコンラートを殺したのですか?」
ラウルの話を黙って聞いていたコーネリアが尋ねると、ラウルは頷いた。
「光に対しては闇が。魔族という存在に対しては精霊が。そして魔王に対して勇者があるように、物事には対となっている存在がある」
ウィンとコーネリアは目を閉じて言葉を選ぶように語るラウルの話をじっと聞く。
「ならばこの世界を創生したと言う女神アナスタシアに対する何かというのもきっと存在する。創世に対する言葉は破壊。つまり――破壊を司る神がいるのでは、とサラ・フェルールは考えていたんだ」
「サラはその破壊を司る神を召喚しようとしたのよ」
ラウルの言葉をそれまで考え込んでいたレティシアが継いだ。
「ですが、破壊を司るなんてそんな物騒な神様を召喚した所で、人間の言い分を聞いてくれるものなのでしょうか?」
どこか自信無さげな調子でコーネリアが口を挟んだ。
その破壊神とやらを召喚した所で、その響きからとても人間が手に負えるような存在とは思えなかった。
むしろ魔王と同じ存在が増えるだけではないだろうか。
そのコーネリアの疑問に、レティシアが答えた。
「サラを信奉した人々の多くが北方の出身者や難民だった。
サラはね、魔物によって滅ぼされた北方の国々を見て回り、その地に住む人々の絶望を見たの。そして彼らの願いを聞くと共に、彼女自身も望んでいたことを叶えようとしたのよ。
生まれ故郷を失い、愛する人や家族を失い、全てを失った人々が望んだこと――それは破壊神によって滅ぼされた後に生まれると信じた新世界――」
「全てを失い、生きる希望を無くし、この世界に対して絶望していたんだろうな」
ため息を吐くようにしてラウルが言う。
「でも、全ての人たちがそう望んでいたわけじゃないんじゃないか? その人達も巻き込んで世界を滅ぼそうというのは間違っていると思うんだけど」
ウィンの言葉にレティシアが頷いた。
「そう。だから潰した。私がサラを殺した」
「まあ人間が器じゃあ、創世神アナスタシアに匹敵する程の破壊神みたいな大物を召喚できるとは思えないし、眷属神が精々だったとは思うが、世界を滅ぼしかねない脅威ではあるよな。
最も、眷属神にも魔王を滅ぼせる力があるかどうかは定かじゃないが」
言ってラウルは肩をすくめた。
「つまりサラ・フェルールの信者たちの考えは、どうせ魔王によって滅ぼされるのなら、破壊神によって滅ぼされたほうが後腐れも無く、世界の再生が行われるだろう。そういう考えの集団だったのさ」
「破壊神信仰……か。にわかには信じられないお話ですね」
お茶のカップを見つめながら、コーネリアが重い溜息を吐いた。
破壊から始まる救世の教え。
この場にいる者には到底受け入れがたい考えだった。
「全てを失えばそういう考えに辿り着くものなのかな?」
ウィンは当たり前のようにすぐ側に腰掛けているレティシアを見た。
ウィンには血の繋がる両親はいない。
だが、『渡り鳥の宿木』亭で運良く養ってもらえ、そして彼女に出会えた。
一度はレティシアと離れ離れになったものの、今はこうしてあの頃と同じようにすぐ傍にいる。
ウィンにとって最も大切な人。
そのレティシアをもしも失うことがあれば、ウィンも同じ考えを持つようになるのだろうか?
「俺にもよくわからん――が、少なくともあの時代、あの北方に住む人々はそれほどまでに追い詰められていた。
一度世界もろとも壊して、やり直したいと思わせるぐらいに。
だが、いま動いている奴らにそういう思いがあるとは思えねえんだ。俺の勘だけどな」
そう言うとラウルは残っていたお茶を一息に飲み干した。
「しかし、ラウル君たちが隠していたコンラート・ハイゼンベルクの遺産については、これは大きな問題だよ。国際問題だ」
「そのことに関しては弁解の余地もない」
「帝国でも早急に対策を講じる必要があるね。この貸しは大きいよ? ラウル君」
「わかっているさ。わかった上で知らせておかねばならなかった。
その辺りの話は後で話そう。
とりあえずレティ。もしも本気であいつらがサラの考えと同じことをしようとしているのなら、邪魔になるのは多分お前と俺たちだ」
◇◆◇◆◇
アルフレッドの私室を辞した後、ウィンとレティシアはコーネリアに招かれて、皇宮奥にある彼女の私室へと訪れていた。
部屋へと向かう途中、いまだ大広間の方からは晩餐会のざわめきが漏れ聞こえていた。
夜も更けつつあったが、どうやらいまだ盛況の様子だった。
「剣聖ラウル・オルト・リヨン様でございますか? 私もお会いしてみたかったですわ」
三人のためにお茶と焼き菓子を用意してくれた侍女のメアリが、コーネリアからラウルの事を聞くとどこか弾んだような声で言った。
「レティシア様が凱旋され、ラウル様も我が国へと参られた際には、丁度コーネリア様が体調を崩されていましたので、私は凱旋式典を見に行くことが出来なかったのですよ」
「……ごめんなさい」
メアリの声音が心底残念な響きを伴っていたので、コーネリアがしゅんとしてメアリに謝った。それを見てウィンとレティシアが笑う。
先程のラウルの話を聞いて、暗くなっていた気分を晴らしたかったのだ。
「最初はロウって偽名を名乗っていたんですよ。それで俺に勝負をしてくれって言うから試合してみたら実はラウル様とか。本当に驚きました」
「ラウルは式典の時にお兄ちゃんの事を知ってから、帝都にいる間中ずーっと会いたい会いたい、戦いたい戦いたいって言ってたの。リヨンに帰る時になっても、戦うまで帰らないって言いはって。
結局、リアラに無理矢理首根っこ引きずられて連れ帰られて行ったわ」
「え? そうなの?」
ウィンの頭の中で首根っこを女性に引っ掴まれてズリズリと引きずられていく、ラウルの姿が映像を結んだ。
ウィンの中では、大陸最強の【剣聖】のイメージが絶賛崩壊中である。
「勇者様、聖女様、大賢者様は女性ですから、やはり唯一の男性であるラウル様に憧れる者は多いかと。しかも大国リヨンの王子様で、背もスラリとお高く怜悧な容姿でいらっしゃるとか……」
「ええ。メアリの言う通り、確かに凛々しさと優しさを兼ね備えた目の、まさに英雄という風格が漂う方にお見受けしましたわ」
コーネリアの言葉に「やっぱり!」と声を上げ、どこかうっとりとした目つきでメアリが見ることが出来なかったことを悔しがっている。
その横でウィンとレティシアは首を傾げていた。
「え? ……あれが?」
ウィンの隣では思わずといった感じでボソリとレティシアが呟いていた。
ウィンも晩餐会で見たラウルの印象よりも、最初に出会ったロウのイメージのほうが強い。
スラリと背こそ高く、鍛えあげられた肉体をしていたが、髪はぼさぼさの無精髭を生やしたとっぽい感じの兄ちゃんといった印象だ。
「ラウル様に憧れている女性は、私も含めてとても多いんです。あの方の肖像画をこっそりと持っている方も多くいらっしゃいます。
そういえば、以前コーネリア様の配偶者候補として、ラウル様の肖像画も贈られてきたはずですよ。ご覧になられます?」
「へぇ。あいつ、リアラがいるのにコーネリアさんにも……」
「ま、まあ、そこは大きな国の王太子様ですから」
どこか、平坦な声になったレティシアに、コーネリアが困ったような顔をして庇った。
その間にメアリはいそいそと退室すると、しばらくして一枚の額縁に入った絵を持って戻ってきた。
随分前に、ウィン、レティシア、コーネリア、ロックの四人でお茶をした時に見せられた絵画のうちの一枚らしい。
あの時はロイズの肖像画のインパクトが強すぎて、他の配偶者候補の印象は薄かったが、どうやらあの中にラウルの肖像画も含まれていたらしい。
「こちらでございます」
メアリが卓の上に肖像画を拡げ、一同はその絵を覗きこんだ。
そこには涼しげな目元で、整った容貌。
鼻筋がすっと通り、口元にはどこか余裕ありげな笑みを浮かべた青年が描かれていた。
「確かに……ラウル様だ」
「まあ……確かに女の子にはもてていたけど」
レティシアがどこか渋い表情を浮かべて言った。
こうして肖像画にして描かれると、【剣聖】として英雄としての風格が見て取れる。
その後、以前見せてもらったロイズ――エルステッド伯爵の肖像画について盛り上がったり(以前と違い、上司でもあったし顔見知りとなったので話題にしやすかった)、今日の晩餐会の話をレティシアとコーネリアから聞いたりと楽しく時間を過ごした。
その一方、アルフレッドの私室ではレムルシル帝国皇太子とリヨン王国王太子との間で軍事同盟の密約が交わされた。
近い内に皇太子アルフレッドが調印の為にリヨン王国へと訪問し、また皇女コーネリアが両国の親善のために表敬訪問することが決められたのだった。