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エピローグ

 帝都シムルグの北西区域。 

 ここの区画は貴族街となっていて、道路は石畳で舗装され、道脇は花壇が造られ、街路樹が植えられている。

 そして帝都に滞在している貴族たちの別邸が建ち並ぶ一角に、メイヴィス公爵邸が存在した。公爵という爵位に相応しく、周囲に建ち並ぶ屋敷に比べてもかなり大きな屋敷だ。

 門を潜って中庭へと出れば花壇には季節の花々が咲きほこり、一流の庭師達が刈り込んだ庭木が植え込まれ、鳥たちが爽やかな鳴き声で鳴き、公爵邸を訪れる者達の心を和ませる。 

 そのはずだったのだが、見事な庭園の一角。落ち着いた佇まいを見せる四阿から、この雰囲気に相応しくない凄まじい緊張感が慣れ流されていた。

 緊張感の発生源はウィンからである。

 破壊神ノエルを前にしていた以上の緊張感で包まれている。

 それもそのはず。

 ウィンの対面に座る人物。優雅な所作で口に紅茶のカップを運ぶその男の名はレクトール・ヴァン・メイヴィス。メイヴィス公爵家の当主である。

 つまりレティシアの父だ。


「新たな任地への着任前で多忙な君を、急に呼び出してすまなかった。どうしても直接君と会ってみたかったのだ」

「は、いえ。自分の方こそ、これまで挨拶にも伺おうとせず申し訳ございませんでした」

「それは仕方ない。何しろ私の娘は、この家の事を毛嫌いしているからな。あいつめ……帝都にいるというのに、全く家に寄り付かん」

「あ、いえ、それは……」


 忌々しげに舌打ちするレクトールに、ウィンは返答に窮する。


「貴族の姫と呼ぶには、とんでもないじゃじゃ馬に育ってしまった。君にも大変な迷惑を掛けているんじゃいのかね?」

「迷惑なんて、そんな。レティ――彼女には助けられてばかりです。それにレティがあんな風になってしまったのは、俺のせいでもあるかもしれません」


 幼い頃にウィンと出会ってから以後、レティシアはいつも屋敷を抜け出すようになってしまった。貴族としての嗜み、作法、教養といった勉強を疎かにしてしまったのである。

 レティシアが屋敷を抜け出す原因を作ったウィンが、その事に無関係であるとはとても言えなかった。

 そしてそんなウィンの言葉をレクトールも否定しない。


「そうだな」


 そう言うと苦笑する。


「だが、君と出会ったことでレティシアは、教養や作法などよりももっと大切な物を手に入れたようだ。勇者としての力と名声だけではない。女性として大切なものをだ。もしもレティシアが君と出会うこと無く、私が親としてレティシアを育てていたとしたら、あの子は勇者と呼ばれるようにはならなかっただろう」


 それからレクトールは声に出さずに呟く。


(そして女性としても、あれほど美しく可憐に育たなかったに違いない)


「君が師となって導いてくれたからこそ、あの子は大きく成長を遂げたと思っている」

「俺……自分は何もしていません。レティにはもともと凄い才能が眠っていて、だけどその才能の伸ばし方が誰にもわからなくて、そしてたまたま俺に出会って、その才能を伸ばす方法を見つけたんだと思います」

「そうかもしれない。だけどそれでも私は、君と出会ったからこそ今のレティシアがあると思っているよ。本当にありがとう」


 レクトールはそう言うと、ウィンに向かって頭を下げた。

 公爵という身分にあるレクトールに頭を下げられて、ウィンは慌てた。


「頭を上げてください、公爵閣下。使用人の方々の目もあるのですよ」

「君は陛下から、諸国の王、神官に並ぶ『英雄』だと言われたのだろう? 公爵程度が頭を下げるのに、何一つとして不思議はない。それに、今の屋敷に残っている者達は、ステイシアにもレイルズにも与しなかった信用の置ける者達ばかりだ。ここで見聞きしたことを外へ漏らすような不届き者はおらんよ」

「お父様」


 そこへレティシアがやって来た。

 白い肩を大胆に出した、薄い水色のワンピースを来ている。


「私の師が何か……?」

「違う違う! 誤解だ、レティ」


 ウィンが焦っているのを見て、レクトールがウィンへ嫌味か何事か言ったと勘違いしたのだろう。

 レクトールを見るレティシアの目に、剣呑な光が宿るのを見てウィンが慌てて止めた。


「えっ?」


 慌てて制するウィンに、キョトンとした顔を向けるレティシア。


「ちょっとびっくりするような話を聞かせてもらっただけだよ。レティが考えているような事じゃないんだ」

「そうなんだ。それならいいけど……」


 ウィンが取り成してもなお疑うような目つきでレクトールを見るレティシア。

 そんな二人のやり取りをレクトールは面白そうに眺めていた。


「ふむ。レティシアがこうも簡単に言うことを聞くとは……。君の身柄を手に入れたら、勇者の力を得たも同然だという噂の真実味が増すな」


 だが、ウィンも今や『神の領域に手が届きし存在』と呼ばれ、またレティシアと『『剣聖』にしてリヨン王国王太子ラウル・オルト・リヨン、さらにはレムルシル帝国皇帝アレクセイ・ラウ・ルート・レムルシルの三名による共同推薦で、正式に『剣匠』の称号が贈られていた。

 他国が勇者の力を手に入れるためにウィンを手にしようと企むには、ウィン自身がリスクの高い危険な相手となってしまったのである。

 今やウィンは、帝国内はもちろんの事、積極的にウィンの活躍を喧伝してくれるラウルのおかげで、他国でも名が通った『英雄』として呼ばれ始めていた。

 だが、その結果。

 ウィンは一つ、選択を迫られることになった。

『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィスと『剣匠』ウィン・バード。

 勇者とその師の力は、諸外国にとって危機感を抱かせるに足る力である。

 ウィンは騎士を辞めなければならなくなった。

 ただ、ウィンは憧れであった騎士を辞めなくてはならなくなっても、さほど未練を感じなかった。

 ウィンが本当に騎士として本当に守りたかったもの――それはウィンの常に傍らにあるものだったと、そう気付かされたからだ。


「できれば食事の席にも招待したかったが」

「公爵閣下のお誘いとあれば是非と申し上げたい所なのですが……」

「ははは、気にしなくていい。その服は礼服だろう? 皇帝陛下との約束があるなら、そちらを優先するのは臣民として当然の事だ」


 実はウィンとレティシアはこの後、皇宮へと参内する事になっていた。

従士隊を退官した後、ウィンは官僚として帝国に使える事になった。その任官をアレクセイが自身で行いたいと言い出し、ウィンは礼服を身に付けて皇宮へ参内することとなったのだ。

 その話を皇宮で聞きつけたレクトールは、レティシアに皇宮へ参内する前にここへウィンを連れて来るように言いつけた。

 レクトールが言う事には、いつも素直に従わないレティシアなのだが、この言い付けには素直に従い待ち合わせ時間の前にウィンをメイヴィス公爵邸へと連れてきたのである。

 案外、レティシアもレクトールの心変わりに気づいたのかもしれない。

 以前のレクトールは、ウィンとレティシアの関係に否定的だった。

 公爵令嬢と平民という天地程の身分差だ。とてもレティシアとは釣り合わない。幸せになれるはずがないと考えていた。

 しかし、たかだか騎士候補生だったウィンは、レクトールも驚くような早さで出世を遂げた。帝国第一皇女に仕え、皇太子からの覚えも良く、皇帝陛下とも謁見できる。そして他国の王族とも親交を持つ。

 これほどの人脈を持つ者は、大貴族と呼ばれる者たちでもそうはいないだろう。

 ウィンは己自身の力で、レティシアに釣り合うだけのものを手に入れたのだ。


「ところで、ウィン君。君の騎士剣は破壊神との戦いで砕け散ったと聞いたが、今はどうしているんだね?」

「今は以前に、レティから頂いた短剣を使っています。もうすぐ従士隊を退官する身ですから、騎士剣を今更頂くのもな、と――そういえば、この剣はレティに皇位継承権があることを示す物でしたね。自分が使っていて構わないのでしょうか?」

「いや、いい」

「そうよ、それは私のだからお兄ちゃんが使ってていいよ」

「ああ、それに実は君には私からもお礼と言うか、贈り物があるんだよ」

「贈り物?」

「ちょっとだけでいい。時間をくれるか?」

「大丈夫です。皇女殿下との待ち合わせ時間には、まだ余裕がありますので」


 コーネリアとは皇宮で落ち合う予定だった。

 アレクセイから任命状を貰った後で、三人でお茶をする予定なのだ。


「そうか……今日は皇女殿下もご一緒されるのか。それではますます今日にでも君に渡しておかないとな……」


 レクトールはぶつぶつと小さく呟くと、本邸に戻り急ぎ足で戻ってきた。

 その手には、一振りの剣が握られている。


「お父様……その剣は――っ!?」

 レクトールの手にしている剣を見て、レティシアが目を丸くした。そして父親の顔を窺うが、レクトールはそんな娘を無視してウィンへ剣を差し出した。


「この剣だ。この剣を君に贈りたいと思っていたんだ」

「これは……。抜いてみてもよろしいでしょうか」


 レクトールが頷くのを見て、ウィンは剣を抜く。

 磨き抜かれた刀身はまるで鏡のよう、刃毀れ一つ見当たらない。

 素人目にも相当な業物だと分かる。

 そして、鞘と柄、鍔に刻み込まれた精緻な紋様にウィンは見覚えがあった。


「気づいたかな? それはレティシアが君にやった短剣の片割れだよ。その長剣と短剣は二振り揃って皇帝陛下から賜った剣なのだ。短剣を使うなら、こっちの剣も持っていた方がいい」

「本当に良いのですか、お父様? その剣を我が師に渡して……」

「ああ、お前が選んだ男だ。間違いないだろう。この剣は我がメイヴィス家にとっても大事な宝だが、君に差し上げよう。大切にしてやってくれ」

「ありがとうお父様!」

「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」

「うむ」


 ウィンは嬉しそうに陽光に刀身を翳して見ている。その様子をレティシアが頬を赤く染めて(・・・・・・・)、幸せそうに見つめていた。


「そういえばウィン君は、今日任命式と聞いたが、どのような役職に就任したのだ?」

「コーネリア殿下が所領することになった、新しく作られる村の領主代行ですよ」


 その新しく作られる村は、かつてリーズベルト達エルフが住んでいた村の跡地だった。

 その村にはエルフ族にとって、最も大切な世界樹の若木があった。しかし、魔族の襲来にあって村は滅び、世界樹の若木は魔族の力を受けて爆ぜ割れてしまった。

 そこで、世界樹の都エルナーサへ行ってきたリーズベルトが、セリと共に村を復興させるため、世界樹の若木の苗を貰って帰ってきたのである。

 本来、世界樹の若木を管理しているのはエルフ族なのだが、世界樹の若木を世話するために新たな村を作れる程の人手は無い。

 そこでエルフ族はレムルシル帝国と交渉して管理を委託。帝国は、そこに移民を募集して村を作ることになった。

 そして、世界樹の若木は強力な魔法の触媒としての力も持つため、新たに作られる村は皇室の直轄領とすることになった。

 こうした流れで、その村の領主をコーネリアが務め、ウィンはその代官という役職に就任することとなったのだ。

 騎士という軍人身分ではいられなくなったが、領主の代官としてならば文官という事で他国にも言い訳できるだろうというアルフレッドの案だった。


「開拓村の領主代行ですし、知り合いに農園をやっていらっしゃる方がいるので、色々教わって畑でも耕そうかな、と」

「なるほど。領主代行という事は、貴族にでも取り立てられるのかな?」

「いえ、そんな話はアルフレッド様からは聞いていないですね。ただ、皇室の直轄領の領主代行ならば、皇帝陛下から任命の儀式が必要ということで、今日これから皇宮に参内することになったんですよ」

「なるほど。それにしても君が今身に着けている白い(・・)礼服は、従士隊の礼服を流用したものかな?」

「ええ、従士隊の制服の色が変更になるそうなので、そのまま少し手直しすれば使えるだろうとアルフレッド殿下が笑っていました」


 ウィンは自分の格好を見下ろして頷く。


「新しい従士隊の制服って、紫色になるんだよね」

「そうそう。従士隊の礼服をそのまま手直しして使うって隊長に言ったら、殿下は妙な所で吝嗇家だからなって笑ってたよ。あの人、皇族方相手でも遠慮ない物言いするよなぁ」

「そう……」


 ウィンはそう言って呆れたように笑った。

 一方、レティシアは微妙な表情を浮かべている。


(ウィンは気づいていないようだが、どうやらレティシアは気づいているようだな。レティシアもさすがは女と言うところか)


 白い礼服は本来皇族にだけ許される(・・・・・・・・・)色。

 一時、例外として皇女の従士隊が白い制服を身に着ける事が許されていたが、その従士隊も制服の色が変更となると、白の服を身に着ける者は帝国内で皇族とウィンだけとなる。

 つまり皇帝アレクセイと皇太子アルフレッドの二人は、コーネリアの伴侶としてウィンを皇族に迎えると、国内外に知らしめているのだ。


「あ、お兄ちゃん。そろそろ皇宮へ行かないと……」

「そうだね。コーネリアさんも待っているだろうし――それでは公爵閣下。自分はこれにて御暇させて頂きます」

「ああ、また気軽に遊びにでも顔を出してくれ。そうすれば、一向に家へと寄り付かない娘が、また顔を出すだろうからな」

「お父様!」

「はい、また寄らせてもらいます」


 恭しく一礼する門衛に軽く頭を下げて出ていく二人の姿を、レクトールは見送る。

 ウィンがレクトールの送った宝剣をしっかりと腰に帯びているのを見て、目頭が少し熱くなったのに気づいて、自分でも驚いていた。

 それから踵を返すと、本邸に向かって歩きながら込み上げる笑いを抑えきれずに肩を震わせる。

 その姿を見て、使用人の一人が唖然とした顔をしてレクトールを見ていたが、気にせずに自室へと向かった。

 皇宮へ参内すれば、普通は武器となるものは預けるものだ。

 だが、ウィンとレティシアならば帯剣が許されるはずだ。

 そして任命式の場で皇帝と皇太子の二人は、ウィンの新しい剣の事に気づくだろう。

 その剣は皇帝が、レティシアが生誕した際に与えた皇位継承権の対の剣――すなわち、レティシアの伴侶となる者に与えられるべき剣だからだ。

 そしてノイマン皇子に味方したレイルズとステイシアが皇位と公爵位の継承権を失い、処罰を待つ身となった今、レティシアの伴侶としてウィンはメイヴィス公爵家の後継者であるとレクトールが認めたことを知るのだ。

 その事に気づいた時、あの二人がどんな表情を浮かべるか。そしてウィンがその剣と礼服の意味に気づいた時、どのような反応をし、どちらを選ぶのか。それが楽しみで仕方がない。


(二人とも手に入れるという選択肢もありだからな)


 皇女と公爵令嬢。 

 帝国で最も高貴な姫二人、ウィンにはその二つの花を愛でる資格がある。

 今ではレクトールもそう思えるようになった。

 そして恐らくは皇帝も、皇太子も同様の思いだろう。


(まあ、選択するのは彼だ。間違いのない選択をしてくれればそれでいい)


 レクトールはそんな事を思いながらも、ウィンならば誰もが幸せになる手段を取るに違いないと確信し部屋へと戻ったのだった。

完結です!

ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました!


2020/7/19追記:今更ながらコミックヴァルキリーにてコミカライズしています。コミックヴァルキリー、ニコニコ静画、ピクシブ等で一部無料で読めますのでぜひ御覧ください!

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[一言] いいですね~ 長さも丁度よくて、ダラダラしていなくて読みやすい。
[良い点] すごく楽しい時間をありがとうございました! とうとうウィンも神の領域に剣を届かせましたね。 [気になる点] 欲を言えば後日談としてもう一話欲しいと思いました…
[良い点] とてもおもしろかった。チートな才能もなく努力だけで出世していくところがとても良かった。 [気になる点] 両方と結婚するのかなー(笑)
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