継ぐ者
「副長!」「ケルヴィン副長!」
黒い槍に腹部、腕部、大腿部と串刺しにされて宙に固定されていたケルヴィンの身体が、槍が消え失せると共に地面へと落ちる。
「お兄ちゃん! このっ!」
再び黒い槍がウィンを狙って無数に出現したが、ウィンとレティシアがそのほとんどを剣で打ち払った。
「なるほど。アナスタシアの気配が消えるのを待ち、勇者と皇帝が揃うこの舞台に合わせて、その若者の死を演出しようとしたか。滅びを撒く闇に生きる者よ」
虚空を見つめて呟くノアレ。
「だが、我の前でのその所業は、我の気分を害すものでしかない。いや、汝らの存在理由を問うなら、その行いも当然の事か――。そうだな、神に手を届かせた褒美として、今後訪れるはずであった厄災を一つ、御身らのために潰してやろう」
言葉と共にノアレは謁見の間の入口付近を睨みつけた。
その途端。
「があああっ……」
呻き声が聞こえて来たと同時に、空間が裂け人影がまろび出る。
燕尾服を身に着けた、一見謹厳そうな顔つきの初老の男。
その人物の顔を見て、痛みに顔を歪めたケルヴィンが掠れた声を上げた。
「ジェイドの、側近を勤めていた、クラウスと言う男です」
「ケルヴィン副長、動いてはダメです!」
ケルヴィンへ全力で治癒魔法を唱え続けていたコーネリアが叱りつける。ケルヴィンの腹部に当てられたコーネリアの両手は、彼の鮮血で真紅に染まっていた。
「ウィン! あいつはセリさんの村を襲った時に、騎士達を指揮していた奴じゃないか?」
ロックの指摘にウィンも思い出す。
セリの故郷――ドリアの村を襲撃した盗賊団。その中で統率された動きを取っていた騎士団がいた。その騎士団は後にペテルシア王国の騎士だと判明したが、その騎士団を指揮していた人物こそ、このクラウスである。
「くっ……これは、神の力ですか!」
クラウス、は見えないノアレの神威が作り出す、見えない力場に捕らわれているのか、身を捩り激しく抵抗を見せている。
「岬でもコソコソと我を覗き見ていたようだが、我を相手に隠し通せるとでも思ったのか?」
「そいつ……魔族ね?」
レティシアの問いにノアレは頷く。
「真名はベリアルだったか。公爵と呼ばれる魔族よ」
何でもない事のようにクラウスの正体を告げるノアレに、ウィン達は絶句した。
かつて五百年程昔に、四大高位魔族と呼ばれる公爵級の四体の高位魔族の内の一体が顕現したことがある。
顕現した場所は当時アルファーナ大陸ほぼ全てを支配していたとされる、レントハイム王国の王都。
その時の記録では、当時大陸を支配し、現在伝わる魔法体系を完成させ、世界最強の軍事力を有していたレントハイム王国軍が一週間と持たずに滅ぼされてしまったという事実だ。
その後、竜族によって追い払われた際の戦いの痕跡が、現在も深い峡谷となって残っている。
レティシアと戦う事になれば、恐らくシムルグは消滅してしまうだろう。
だが、それほどの力を持つ魔族をも、破壊神ノアレは軽々と抑え込んでいる。
「さて……ベリアルよ。おそらくは我と世界樹とアナスタシアの祝福を受けし娘が戦った後に、疲弊したその娘を殺す。もしくはこの娘が心を寄せる若者を殺すことで、余を混乱に貶めようという算段であったのだろうが……すまぬな。我はこの者達の行く末を夢の中でたゆたいながら見守りたい。横槍を入れさせてもらうぞ」
右手を開いてベリアルへ向ける。
「破壊と滅びを司る神なれば、我ら魔族と願いを等しくするのではないのですか!? なにゆえ我ら魔族の邪魔をされるのです? 破壊神よ!」
「それは違う。我が司るは純粋なる破壊と滅び。ゆえに、我は何者にも与する存在では無い。よって本来であれば、我は汝らの戦いを傍観するに留めるはずであった」
形ある全ての存在へ、逃れられぬ滅びを与える神。その滅びは万物全てに平等に与えられるものであって、魔族は偶然破壊神ノアレと同じ目的を持って創られた存在に過ぎない。
「ならばなぜ、あなたは私の邪魔をするのです!?」
「さっきも言ったぞ、魔族よ。我はこの者達を気に入っている。そして汝はそうではない。ただそれだけの事――」
そして凄まじい形相で睨みつけているベリアルを見据え、ノアレはぐっと拳を握った。
たったそれだけの所作で――公爵級の大魔族として伝承にあるベリアルが塵となって霧散する。
断末魔の声すら無い呆気ない最期。
「これが……神々の本当の力……」
「とはいえ、これだけの力を振るえる神は我だけよ。多くの神はこの世界を創生する際に、大半の力を注いでしまっているからな。我は世界が終末を迎えた時、全てを呑み込み滅ぼす役割を持つゆえ、未だ力を維持しているだけなのだ」
ウィンはノエルを相手に戦い勝利したとされたが、この破壊の神が如何に人に合わせて手加減をしていたのか思い知った。
「……血が止まりません! ケルヴィン副長、しっかりしてください!」
視界が利かず、身体も動かない。
だが、声だけははっきりと聞き取れる。
コーネリア皇女の声だ。
どうやら重症を負った自分へ治癒魔法を掛けているらしい。
「私も、案外、魔力が人並み以上に、ありますから……治癒の魔法は効きづらい、でしょう?」
「喋ってはなりません、ケルヴィン副長」
ケルヴィンは自身の腹部の傷に手を当てている、コーネリアの手を震える手で掴む。
「ふ、ふふ……申し訳、ありません。殿下の、御手を、私の血で、汚してしまいました……」
「そんなこと、どうでもいいのですよ」
「副長、どうして俺をかばって……?」
「ウィン、ですか……そうか、君には言って、いませ……したね。私や、隊長、ロック、ウェッジ、リーノに、与えられ……た、役割は、君に、功績を挙げ……ること……」
喉の奥からせり上がる熱い血の塊に咽ながら、ケルヴィンは言葉を綴る。
「だからって、俺を庇ってまで……」
「いいえ……、君を、失えば、レティシア様の想いは……。君は、まだ、死ねないのですよ。それに、私はもう……」
薄れ行く意識で、ケルヴィンは小さく笑う。
(生きていたところで、私を満足させる戦いに出会う日は来ないでしょう)
もうはっきりとは思い出せない、遠い記憶。
ケルヴィンの住んでいた村を襲った盗賊を、まだ幼い子どもだったケルヴィンは、隙をついて持っていた包丁で刺殺した。
その時に凶悪な盗賊の背後へ気づかれずに忍び寄る緊張感。刺した時に感じた血の暖かさと、高揚感。その感覚が忘れられず、家出をして対魔大陸同盟軍へ参加した。
何度も死地と呼べる戦場へ自ら飛び込み、魔物と戦い、時には略奪する人間達とも戦った。
他者から見れば無謀にも見えるその戦いは、レムルシル帝国軍の将軍だったザウナスの目に止まり、彼の幕僚だったロイズの部隊に組み込まれた。
(……楽しかったですねぇ、あの頃は。毎日が戦いの日々で)
周囲にあるのは敵、敵、そしてまた敵。それも、どの敵も人よりも遥かに強い力を持つ魔物。
ほんの僅かの油断が生死を分かつ。
あの緊張感に満ちた戦場こそ、ケルヴィンにとって最も居心地の良い楽園だった。
だが、その楽園はレティシアの手によって終わりを迎えた。
戦う機会は格段に減ってしまった。
自らを上回る強敵との出会いもない。レティシアと手合わせが一度できたくらいか。
そして燻った気持ちを持ったまま、自分の部下だったウィンとレティシア、そして人の理解を遥かに超越する存在の戦いを目にした。
神と戦ったのが自分では無い事が残念であったが、おそらくこの先生きていたとしても、彼らの戦いを超える戦場へ出くわすことは無いだろう。
ケルヴィンは目を閉じて小さく息を吐いた。
(心残りがあるとすれば……二つ、ですね。隊長、あなたとは一度、本気で手合わせをしてみたかった。そして妻と子ども達……ですが)
皇太子アルフレッドに力を貸したエルステッド伯爵ロイズは、これから先、何かと重用されることになるだろう。そのロイズの所領であるエルツに住むケルヴィンの家族も、安泰に違いない。
だから――。
「私、はもう、満足に……した。たいちょ、う……、先に……」
最後に、深く息を吐いた。
「すまぬ。破壊を司る我には、その者を癒やす事はできぬ」
冷たくなっていくケルヴィンを囲んで、無言でうちひしがれているウィン達にノアレは謝罪した。
「いえ……、いえ、副長は俺を庇ってくれて、生命を落としました。満足そうな顔で……」「ふむ……、ならばせめてその者の魂が、安らぎに満ちた眠りにつくことを約束しよう」
ウィンはノアレに頷くと、レティシアとコーネリアを一度見て、皇帝アレクセイに向き直った。
「陛下。ケルヴィン・ワーグナー従士は、対魔大陸同盟軍、そして中央騎士団、コーネリア皇女付き従士隊の隊士と歴任中、稀有な戦歴を残された偉大な騎士でした」
「うむ。ケルヴィン・ワーグナー従士は、帝国騎士の鑑、偉大な英雄である。余は彼の者に万騎長と将軍位を授けよう」
「はい。そして、陛下。私は今日ここで、『剣匠』を名乗ろうと考えます」
「お兄ちゃん」
「ウィン……」
迷いの無い表情でアレクセイを見るウィンの横顔を見て、レティシアとロックに嬉しそうな笑みが溢れた。
「ミトさんに『剣匠』の印を託され、ケルヴィン副長には命を賭して助けられた。その恩に報いるためには、俺自身がそれに値する人物にならないといけない。『剣匠』を名乗るのはその覚悟だ」
「神にも届きしそなたの剣。余はそなたこそ、真に『英雄』と呼ぶに相応しいと思う。英雄もまた、諸国の王、神官にも並び立てる存在。『騎士の中の騎士』となったそなたの前に、以後皇宮は門を閉じる事は無い。諸国にもそなたの名を新たなる『剣匠』として、余自ら喧伝しよう」
アレクセイが告げると同時に、謁見の間にいた全ての近衛騎士達が、一斉に剣を捧げて敬意を表明した。
この瞬間、ウィンはレムルシル帝国騎士団において、階位こそ無いものの、全騎士が最高の敬意を表わすべき存在として認知されたのである。
「『剣匠』、『騎士の中の騎士』、神に剣を届かせた者には相応しい称号だな」
新たなる『英雄』誕生の興奮が冷めるのを待ち、破壊神ノアレは再び静かに口を開いた。
「さて、ウィンよ。我は再び眠りに付く。残念だが、定命である御身と我が再び相見える事は無いだろう。楽しかったぞ」
その言葉を残しノアレは空間へと溶け消える。
そしてレムルシル帝国を揺るがせた内乱は、一気に終結へと加速していく。
次回、最終話!