レムルシルの名を背負う者
「ち、ち、父上! た、た、たす、助けてください! わた、私はクライフドルフ侯に騙されていただけなのです! 私が悪いわけじゃない! 最初から利用されていると知っていれば、私は兄上が偽物だと宣言することは無かったのです。だってそうでしょう!? 私とアルフレッド兄上は仲が悪かったわけじゃない。むしろ私は兄上を尊敬していたのです。そうだろう!? コーネリア! そなたからも言っておくれ! 私は兄上と決して対立するつもりは無かったのだと」
ノイマンは凄まじい早口で喚き散らし、アレクセイに縋り付き自分の無実を訴えようと、玉座のある階段を駆け上がろうとした。
「黙れ!」
その足を止めたのはアレクセイの怒声だった
「ノイマン、貴様にこの玉座に至る階段を昇る資格は無いと言ったはずだ」
「あ……ああ……」
アレクセイの一喝にノイマンはよろめき、無様にもその場で尻もちをついた。
そんなノイマンを一瞥すると、すぐに興味を失ったかのようにアレクセイはウィン達の方へ目を向ける。
それから不機嫌そうな声音で口を開いた。
「何をしている。余の前にあって、何故許しも無く頭を上げる」
アレクセイの低く静かな声が謁見の間に響く。
弾かれたようにウィン達は慌ててその場に膝をついて、顔を伏せた。
「ほう、しばらく姿を見ぬと思えば勇者殿と一緒だったかコーネリア」
この場にいる者達でただ一人、頭を垂れていない人物レティシアに気づいたアレクセイは、ウィン達に並んで跪き頭を垂れる娘へと声を掛ける。
「なるほど。勇者殿と一緒だったのならば、この顛末にも頷けようというものだ」
その言葉にコーネリアは驚き、思わず顔を上げてしまった。
「陛下。まさか陛下は、これまでの経緯を全てご存知で……」
それからアレクセイの許しも得ず頭を上げてしまったことに気づき、慌てて再び顔をせた。
「申し訳ございません。許しも得ず、頭を上げてしまったばかりか発言までも……」
「良い。それよりも余が全てを知り得ている事に何を驚く事がある。この国は余の物、余の庭ぞ。余の持ち物の中で、未熟な雛鳥達が騒ぎ立てているのだ。知らぬはずもあるまい?」
そう言うとアレクセイはカツンと手に持った王笏で床を突く。
「さて……ノイマン、そしてコーネリアよ。見た所では、この争いに勝利したのはコーネリアのようだが、余の見立てに間違いはないか? 勝者にのみ発言を許す」
勝者にのみ発言を許すという言葉を聞きコーネリアが顔を上げ、ノイマンは顔を伏せたまま悔しげに小さく呻き声を上げた。
「はい。その前に陛下。一つ訂正を。私はアルフレッド皇太子殿下の命で、この場へ遣わされました。陛下には私が皇太子殿下の代理の者であるとして、お考えいただきたく存じます」
「ならば皇太子の代理人としてのそなたへ命ずる。この度の争乱について、そなたが見知り置いたもの全てを話すが良い。人伝に聞いた話では無く、当事者からの話を余は聞きたいのだ」
ザウナス元将軍がクーデターを起こした際、クライフドルフ侯はその状況を利用して軍閥のライバル関係にあったレインハート侯の公子を殺害。その後、ペテルシア王国との国境での小競り合いで、クライフドルフ侯がペテルシア王国に通じていた疑いがあった事、禁忌とされたコンラート・ハイゼンベルクの遺した魔法研究に資金を提供していた事など、コーネリアは自身が見知りおいたものを次々と話していく。
そしてコーネリアの話が、リヨン王国親善訪問団が襲撃を受けエルツへと落ち延びたアルフレッドがノイマンによって偽皇太子であると断じられた時の事に及んだ時。
「陛下! 陛下に申し上げます! コーネリアが申していることは、一方向から見た言い分でしかございません!」
堪りかねたようにノイマンが顔を上げて叫んだ。
「確かに私はエルツに現れた兄上の事を偽物だと断じました。しかしそれは、クライフドルフ侯がそのように私に教えたからです。兄が本物だという証拠があったなら、私がそのような事を言う事はありませんでした!」
「黙れ」
「しかし、陛下!」
「黙れと言ったぞ、ノイマン。そなたに発言を許した覚えは無い」
「お、お許しを陛下。ですが、私は……」
「ノイマン。確かにそなたの言うように、コーネリアの言い分は一方向から見たものでしか無いであろう。だがな、ノイマン。そなたは敗北した。歴史上で敗者に発言権が与えられた試しは無い」
「うぐっ……ぐっ……」
何も言い返せずにその場で呻くしか無いノイマン。そんな兄の姿を、コーネリアは気の毒そうな表情を浮かべて見つめている。それからコーネリアはアレクセイが自分を見ていることに気づき、はっと我に返った。
「陛下。それでは話の続きを……」
「いや、もう良い。それよりもコーネリアよ、そなたは敵であった兄の事を気の毒に思うか?」
「はい、いえ、それは……」
「ならば覚えておくがいい。コーネリアよ。そなたに流れるレムルシルの血とその血に連なる一族は、常に勝者として在り続けた。我らレムルシルの名は、常に勝者で在り続けた者こそが名乗り続ける事が許される。故に余は勝者であるそなたと皇太子を称賛し、余の庭で騒がしめたことを全て許そう。だが、そこにいる男はそなたと皇太子に負けた。レムルシルの名を背負う資格は無い」
その言葉を聞き、ノイマンは顔を伏せたまま愕然としていた。
レムルシルの名を背負う資格は無い、と言った皇帝の一言は、ノイマンが皇籍を剥奪される事。そしてアレクセイにノイマンを庇う意思は無いことを示している。
ノイマンの身体がおこりのように震え始め、そしてやがて口から泡を吹き白目を剥いてその場にひっくり返ってしまった。
余りにも無様にノイマンがひっくり返ってしまったので、ウィン達は思わずノイマンの身体を助け起こそうと動きかけてしまった。それを、危うい所で踏み止まる事ができたのは、アレクセイがウィン達に話しかけてきたからだ。
「その男の事は放っておけ。余との接見が終わった後にでも、何処へなりと好きに連れて行くと良いだろう。最早その男に、我が一族に名を連ねる資格は無いのだからな」
アレクセイはもう、ノイマンの名前すら呼ばなかった。
その頃には皇宮内の騒ぎを収めた近衛騎士達が、謁見の間へ駆けつけてきた。
玉座に皇帝の姿がある事に気づいて敬礼し、広間の壁際で控えた。
皇帝の身辺を警護する近衛騎士は、その職務から謁見の間でも膝をつくことは免除とされていた。
「さて、コーネリアよ」
「はい、陛下」
「余の庭の中へリヨンの王太子とその軍が紛れ込んでおる」
「兄、皇太子殿下はラウル王太子殿下と誼を結び、支援を頂きました」
「ふむ……だが、余はリヨンの軍が余の庭に土足で踏み入ることを許した覚えは無いぞ?」
「いえ、でもそれは……」
確かにアルフレッドとラウルの同盟はアレクセイの預かり知らぬ事だ。だが、普段よりアレクセイは政務に興味を示さないため、近年ではアルフレッドが主に重要な政策を定めている。
アレクセイを抜いて他国との間で条約を結ぶ事も珍しい事ではなく、そのためアルフレッドはリヨン王国との軍事同盟締結を進めたのだ。
「わかっておる。別に余はその事を咎め立てするつもりはない。先にも言った通り、レムルシルの名は常勝を義務付けられている。勝利を収めるためにどのような手段を取ろうとも、余はそれを責めるつもりは無い」
まさか、リヨン王国との同盟を咎め立てされるのかと不安を覚えたコーネリアは、アレクセイの言葉に安堵する。
そんな娘の姿を玉座から見下ろしつつ、アレクセイは玉座の肘掛けに左肘を立て頬杖を突いた。
「カイラム」
「はっ」
アレクセイは謁見の間の隅に控えていた近衛騎士団の隊長を呼んだ。
「勅命である」
「はっ!」
「近衛、宮廷の両騎士団の全軍を招集、諸侯に触れを出せ。これより余は、余の庭を騒がす不遜な輩を討滅するために、出陣をする」
「出陣を? 出陣とは陛下、いったいどちらへ?」
「決まっているだろう。クライフドルフ侯領へだ」
コーネリアの質問に、アレクセイは王笏でカツンと床を叩いて答えた。
「まずはエルツ、クレナド間の街道を封鎖してリヨン軍を封じ込める。その後はペテルシアだ。余の庭に土足で踏み入った両国の軍を叩き潰してくれよう」
「お待ち下さい陛下。陛下のその申されよう、それではリヨン王国軍とも戦うように聞こえます」
「そのとおりだ、コーネリア。リヨンの王太子が我が国深くに入り込んでおる。討ち取るには絶好の好機。見逃す手はあるまい?」
「ラウル王太子殿下は、皇太子殿下の窮状を救うべくお力添えの為に来援してくださったのです。また彼の国とは同盟の誼を結んでもいます。それを討つというのはだまし討ちにも等しい恥知らずな行為。我が国の信義に関わります!」
「それは余の預かり知らぬ所で勝手に結ばれた話だ。カイラム、何をしている?」
アレクセイはまだ謁見の間にいたカイラム千騎長を見た。
カイラムもまたアレクセイがしようとしている事は、コーネリアの言うように卑劣な行為だと感じていた。そのため、コーネリアが異議を申し立てるのを聞いて、皇帝が意見を翻すのではないかと期待していたのだが。
「勅命は下ったのだぞ」
「は、ははっ!」
カイラムは深く一礼をすると、部下を伴い皇帝の命令を速やかに実行するべく、部下を伴って謁見の間を後にする。
「陛下! お待ち下さい陛下! よくお考えください! そんな事をすれば帝国は、リヨンとペテルシアの両国を相手に戦うことになってしまいます!」
「それがどうしたというのだ、コーネリア?」
尚も反対意見を言い募ろうとするコーネリアへ、アレクセイは気怠げに目線を向けた。
「どのみちペテルシアは我が帝国に良からぬ野望を抱いておる。ならば、戦うしかあるまい? それにそなたも知らぬとは言わせぬぞ。我が帝国の血塗られた歴史を――。高祖セシルが興した小さな国は、周辺諸国を平らげて帝国という名の怪物となった。魔物の侵攻という事態に僅かなひと時眠りへと落ちたが、レムルシルの名はもともと大陸諸国に轟く悪名高き侵略者の一族なのだ。その事を忘れた者達へ、余が直々にレムルシルの名を刻み込んでやろう」
「そんな……」
「では、陛下はラウルとも戦うおつもりか?」
アレクセイの物言いに絶句したコーネリアに代わって、発言したのはレティシアだった。
「そういえば勇者殿。リヨンの王太子はそなたの盟友であったな」
アレクセイはそう言うとレティシアへと目を向ける。
「リヨン王国が帝国に対して侵略の意思を示し、進軍をしたのなら私は祖国のために戦うでしょう。ですがこの度の一件、リヨン王国は皇太子殿下の要請に応えて援軍を派遣してくれたまで。陛下がもしリヨン王国軍とも戦うとおっしゃるなら、私は祖国ではなく盟友ラウルとリヨン王国に味方し陛下と戦うでしょう」
「わかっている。だがお忘れか? そなたの師が帝国の騎士だという事を」
アレクセイはウィンを見る。
それは明らかな脅迫だった。
その時レティシアが何か言い返す前に、コーネリアが意を決したような表情でアレクセイを見た。
「陛下もお忘れなのでは? 彼は私の従士なのですよ。リヨン王国との同盟書に調印したのは私です。陛下がリヨン王国と開戦をするのなら、私はレティシア様とともに戦う道を選びたいと思います」
「よかろう。ならば戦おうではないか」
「陛下! お考え直してはいただけませんか? レティシア様と、勇者メイヴィスと敵対するなんて。それでは――リヨン、ペテルシアの両王国ばかりか、エメルディア、世界樹の都エルナーサ、カシナート王国といった列強諸国をも敵に回しかねません!」
世界を救った英雄である勇者と敵対する行為は、それは人類全ての反感を買うことになりかねない。
帝国はあらゆる国家から非難浴び、外交が閉ざされ、経済も逼迫する事になる。
「陛下は国を滅ぼすおつもりですか!?」
「コーネリア。先程余はこう言った――我らレムルシルの名は、常に勝者で在り続けた者こそが名乗り続ける事が許される、と。そしてその一族で、最も勝者で在る者こそが皇帝であり、この国を自由にする権利を手にできるのだ。止めたければ余に勝って見せよ」
「失礼ながら陛下。この私に勝てるとお思いか?」
それからレティシアは謁見の間をゆっくりと見回す。
「例えこの場にいる近衛騎士が一斉に掛かってきたとしても、私には勝てない」
「確かに、我が精鋭揃いの近衛とて、そなたにはとても敵うまい。だが気づかなかったのか、コーネリア? 本来、この場所には魔法が使えぬように結界が張ってあった」
「そういえば……」
ウィンとジェイドの戦い。《封魔結界》が張られてある筈のこの謁見の間で、ジェイドは身体強化の魔法を、そして炎弾の魔法を使っていた。
アレクセイは玉座を立ち上がると、一歩二歩と前に歩み出た。そして手に持つ王笏で、カツンと床を叩いた。すると同時に、床から湧き出すように現れた人影。
その人影を目にして、レティシアとコーネリアは目を見張った。
「お兄ちゃん……っ!?」
「ウィン君!?」
その声に跪拝の姿勢を取り、顔を伏せていたウィンも思わず顔を上げた。
そして――。
「お、俺?」
皇帝アレクセイの座る玉座の横に、ウィンと同一人物としか思えない男が立っていたのだった。
「えっ……ウィンがもう一人?」
ウィンと同じように顔を上げたロックも、驚きの声を上げてウィンとアレクセイの傍らに現れた人物を見比べる。
身に着けている服こそ違えど、背丈、容姿、鏡に映し出したかのようにそっくりだった。
「紹介しよう。我が友、ノアレだ」