従うべきは
シムルグの地下深く。
皇宮へと続いている道を進みはじめて、結構な時間が経っていた。
「ねえねえ、何だか臭わない?」
初めに気づいたのはリーノだった。薬師の娘で嗅覚に優れたリーノは鼻をスンスンと鳴らした後、手で押さえる。
「うん、やっぱり臭うよ。これ、死臭じゃないかなぁ?」
「ネズミとかがその辺で死んでるんじゃないか?」
「餌も無いのに、こんな所にネズミが入り込んだりするの?」
「ネズミじゃないなら、迷い込んだ犬とか猫とか?」
「明かりが照らしてる範囲には、死骸は見当たらないなぁ」
ロックにそう言いながら、リーノは辺りを探す。
「この臭いって、私達の行く先から漂ってる気がする」
「やっぱり、何事もなくってわけにはいかないか」
リーノがそう言った時、通路の先闇の奥から擦れ合う金属音と足音が聞こえてきた。
先頭を歩いていたコーネリアと身体を入れ替えたウィンは、魔法の明かりを彼女に渡して剣を構えた。
「何でこの道の事が……」
「もしかしたら、ステイシア姉様が知ってたのかもしれない」
コーネリアの疑問にレティシアが答える。
メイヴィス公爵家はレムルシル皇室の系譜だ。その公爵家の第一公女ともなれば、皇宮の隠し通路に関しても何か知っていたのかもしれない。
「狭い場所ですからね。殿下は我々の間に。リーノは殿下の傍に! ロック、ウェッジは後方の警戒をお願いします」
ウィンの横に出ようとしたレティシアを押さえて、ケルヴィンがウィンのその更に前へと出る。
「殿下、皇宮までは後どのくらいでしょうか?」
「ええっと……」
「体感ではもう随分と近いと思います。少なくとも、もう皇宮の敷地内には入っているんじゃないかと」
何の標も無い場所では距離感も方向感覚も狂いが生じる。ケルヴィンの質問にすぐに答えることができなかったコーネリアに代わって答えたのはウィンだった。
幼い頃から帝都中を走り回っていたウィンは、女子寮のあった場所と皇宮までの直線距離、そして歩いた時間などから大体の今いる地点を予測してみせた。
「ならこんな狭い所で戦い続けるよりも、一気に強行突破を図ったほうが良さそうですね」
死臭はすでにウィン達にも分かるくらいになっていた。
やがて、明かりが届く範囲に敵が姿を現す。
「……やっぱりか」
ウィンはその姿を見て小さく呟いた。
響く足音に漂う死臭。
そして場所が皇宮という事でウィンは敵の正体についてある程度予想がついていた。
他の者達もその姿を見て驚かなかった辺り、ウィンと同様の見当を付けていたのだろう。
「この人達、ペシュリカの戦いで命を落とした人だね」
「ああ、死者を冒涜するなんて……」
レティシアの言う通り、現れた騎士達は剣と盾、鎧を身に着けてしっかりとした足取りをしていたが、その顔は青白く生気が無い。
中には明らかに致命傷となる箇所に矢傷、刀傷の痕を残し雑に縫い合わせている。そして身体からはどす黒い靄のようなものを漂わせていた。
ウィン達は以前、このような亡者の騎士を見たことがある。
「コンラート・ハイゼンベルクの魔法か……」
かつて神の魂を、聖女の肉体に降臨させて魔王を倒そうと計画した偉大なる大魔道士。高位存在の持つ力に耐えうる強大な魔力を持った人間を殺し、その亡骸に高位存在を降ろして操る禁忌の魔法。
皇宮内に隠れてコンラート・ハイゼンベルクの遺産を研究していた魔道士レイナード・ヴァン・ホフマインは、強い魔力を持つ可能性の高い貴族や騎士を誘拐して殺害し、その魔法を用いて私兵を作り出していた。
リヨンのサラ・フェルール大聖堂の建設予定地で見えた時には、レイナードは竜の死体をも操って見せていた。
しかし、そのレイナードは破壊神の力の欠片をも降臨させる事に成功したが、レティシアの力を流し込まれたウィンと戦って命を落とした。ペシュリカで命を落とした騎士が、再び亡者の騎士となっているならば、コンラート・ハイゼンベルクの魔法を操れる者がレイナード以外にもいる事になる。
「グルゥウオゥアアアアアアアアアアアアアアア!!」
最早人の喉から発せられたとは思えない雄叫びを上げて、先頭を走ってきた亡者の騎士が大剣を横殴りに振った。
その攻撃自体は力任せの大振りだったため、ウィンもケルヴィンもあっさりと躱すことができた。
だが、その攻撃に込められた人間離れした力に、ウィンは戦慄を覚える。
地下道の石でできた壁が剣によって大きく抉られていた。
力任せに振り抜いた結果で、そのような剣の使い方をしていればすぐに刃は丸くなってしまい、刃物としては使い物にならなくなるだろう。だが、その驚異的な膂力で振り切られたら、肉は叩き潰され骨は砕け散るに違いない。
「当たればの話ですけどね」
素早く間合いを詰めたケルヴィンが、振り回される刃を掻い潜ると、鎧の隙間を狙って切りつけた。狙いは肩の関節である。
肩の所から切り飛ばされた亡者の騎士の右腕は、自身が剣を振り回した勢いもついて飛んでいき、天井にぶつかった後で床に派手な音を立てて転がった。
「皇宮まで一気に切り拓く! 行くよ、レティ!」
ウィンとレティシアがケルヴィンに続いて突入していく。
亡者の騎士は次々と生前には無かった人間離れした力と速さで襲い掛かってきたが、ウィン達はことごとくそれを斬り捨て、薙ぎ払い、打ち倒した。
ケルヴィンが風の魔法を纏わせた刃で、鎧もろとも亡者の騎士の腰を両断して見せれば、ウィンは肩や肘の関節を切り飛ばす。そしてレティシアが峻烈な速さで剣を振るって鎧を斬り裂き、手足の腱を切りつける。腱を切られてはどんなに馬鹿げた膂力を誇ろうと、手足を動かすことができない。
腕の腱を切られて剣を取り落とした亡者の騎士が、コーネリアに体当たりを敢行しようとして、ウェッジに行く手を阻まれた。
亡者の騎士達は打ち倒されていっても戦意を衰えさせることもなく、次から次へと襲い掛かってくる。
「やっと、後宮か!」
ウィンの目に階段が見えた。
上から明かりが差し込んでいるのが見える。
亡者の騎士達と戦い続けているため、少しづつ疲労を覚えつつあったが、見えた光に気力を奮い立たせて、一気に亡者の騎士達の群れを突き破り階段を駆け上がった。
「ここって練武場か!」
階段を昇った先は、ウィンにとっても良く見覚えのある場所。
皇宮内にある練武場だった。
皇宮内では宮廷魔導士団が管理する区画、魔法医達が詰める医務室といった一部例外の区域を除いて、魔法を妨害する結界が張り巡らされている。敵の侵入や攻撃などの工作を防ぐためなのだが、ここ練武場では魔法も使用できるようになっている。そのため、皇宮内で皇族を警護する近衛騎士団も鍛錬するのによく使う。だが、さすがに深夜のこの時間に鍛錬する近衛騎士はいなかった。
しかし――。
「何の騒ぎだ!」
「侵入者か!」
戦闘の気配に気づき、警備に巡回していた近衛騎士や兵士達が集まってきた。
「やばいよ……増援来ちゃったよ!?」
コーネリアに伸ばされる亡者の騎士の手を剣で払い除け、リーノが悲鳴混じりに言う。
「全力で蹴散らす?」
レティシアがウィンへ確認を取るように言う。
その言葉どおり、レティシアはここまでの戦いでかなりの手加減をしている。
レティシアが魔力を全力で使って戦えば、この場にいる者達全てを塵と化する事もできる。皇宮だって吹き飛ばすことも可能だろう。
ただ、まだ亡者の騎士を吹き飛ばすのは良いとしても、生者である近衛騎士を相手にレティシアが本気で命を奪う戦い方をしても良いものか。ウィンは迷った。
だが、ウィンが迷っている間に近衛騎士達は練武場に続々と集まってくる。
「これは……」
近衛騎士達の前で繰り広げられる激しい戦闘。
片方は生気を感じられない顔色をし、見慣れぬ顔ばかり。だが、なぜか彼らは皆レムルシル帝国西方方面騎士団の制服に鎧を身に着けている。そして、戦い方を見てみれば皇宮への侵入を阻もうとしているように見えた。
ということは、本来ここにいてはならないはずの西方方面騎士団の連中だが、彼らが友軍なのだろうか。
そう思った近衛騎士団に所属する一人の隊長の目に、侵入者と思われる少数の者の間にある人物が映った。
コーネリア・ラウ・ルート・レムルシル。
レムルシル帝国第一皇女の姿。
コーネリアの姿を認めた時、その近衛騎士団隊長はその場にいる近衛騎士と兵士達に命令を下した。
「全近衛騎士隊、兵士達よ! 聞け! 我らは皇族の剣であり盾である! 皇女殿下に刃を向けし不逞の輩を決して許すな!」
「総員抜剣! 全軍突撃!
「「「おおおおおおおおお!!」」」
勇ましい吶喊の声と共に、亡者の騎士達へ近衛騎士達が襲い掛かる。
近衛騎士達の事を完全に眼中に入れていたなかった亡者の騎士達は、背後から猛攻撃にあっという間に陣形が崩されていく。
「近衛騎士団……いったい、どういう事なんだよ?」
肩で息をしていたロックがボソリと零す。
「殿下! 殿下! ご無事でありますか!」
近衛騎士団の乱入に戸惑っているウィン達の下へ、亡者の騎士達の包囲網を部下達と共に斬り裂いた一人の近衛騎士隊長が辿り着いた。
「あなたは……」
「近衛騎士団第六中隊長、カイラム千騎長であります」
カイラムと名乗った近衛騎士隊長は、亡者の騎士の攻撃を部下と協力しつつ盾で防ぎながら名乗る。その背中にコーネリアは声を掛けた。
「カイラム千騎長。救援を感謝いたします。ですが今の私はノイマン兄様より偽物と断じられた皇太子殿下に味方をしている者です。私に味方をすれば、あなたの立場を悪くするのではありませんか?」
コーネリアの問いかけに、戦いを部下に任せたカイラム千騎長は振り返ると、その場に跪き頭を垂れた。
「殿下。我ら近衛騎士の使命は皇族方をお守りすること。第一皇女をお守りすることに、何を咎め立てされる事がありましょうか」
そして声に出しては言わなかったが、カイラムは心の中で呟いた。
(間違いなくコーネリア皇女殿下だ。そして勇者様とウィン従士の姿もある。この得体の知れない輩はノイマン皇子とクライフドルフ侯の手勢だろうが、コーネリア殿下がその手勢に襲われているのならば、皇太子殿下が偽物だというノイマン皇子の主張は疑わしい。いや、もはや嘘と決めつけてもかまわないだろう。ならば、我らはコーネリア殿下にお力を貸すのが使命だ)
カイラム千騎長は、従士となったウィンがこの練武場で鍛錬をしていた事を知っていた。
そして今、この場で戦っている若い近衛騎士の中にはウィンと剣を交えた者もいる。彼らもまた、コーネリア皇女を守るウィン達に手を貸すことに異存は無いようだ。
「ありがとう、カイラム千騎長。あなたの忠義の心に最大限の称賛を」
「皇女殿下にそのようなお言葉を頂けるとは――光栄の極みにございます」
そう言うと、カイラムは立ち上がる。
「殿下は陛下へお会いになることをお望みとお見受けいたしました。この場は我らにお任せを! 殿下はご自身の役目を果たされよ!」
そしてカイラムは剣を抜き放つと、天に真っ直ぐに突き上げて叫んだ。
「聞け! 我が近衛騎士団、そして兵士達よ! 高貴なる皇女殿下の為に剣を振るうは騎士の、兵士の、武人の本懐である! 命を惜しむな! 名を惜しめ! 皇女殿下に我らの武勇を存分にご覧いただこうぞ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
近衛騎士達から発せられる凄まじいまでの高揚感。
その士気の高さにウィン達は瞠目する。
そして、亡者の騎士達と近衛騎士団は激しく衝突した。