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潜入

 ポウラットを通じて、ザウナス派からの連絡が届いた。

 一週間後の満月の夜。ザウナス派は帝都各所にある要所を急襲、占拠を行うと伝えてきた。

 ウィン達も彼らの動きに同調して皇宮へ侵入を果たし、皇帝アレクセイの身柄を確保する事になった。

 ザウナス派はコーネリアがシムルグへ来ていると知って、より士気が高まっている様子だとポウラットが教えてくれた。

 その後もポウラットを通じて何度もやり取りを繰り返し、作戦の細部を詰めていくと、後は決行日を待つだけとなった。

 陽が天頂へと登る頃に、ローラが畑で採れた作物を載せた荷馬車を操ってシムルグ外壁の門までやって来た。


「こんにちは、良いお天気ですね」


 門に到着したローラが声を掛けると、すぐに衛兵がやって来た。

 二人は何度も野菜を積んで門を往来しているので、ここの衛兵達とはすっかり顔馴染みだ。

 イフェリーナもペコリと頭を下げる。


「やあ、こんにちはローラさん。リーナちゃんも。今日は野菜を売りに来たのかい?」

「馴染みのお店に納品ですね」

「通っていいですよ。お気をつけて」

「ありがとうございます」


 ローラはシムルグの市民権を持っていて、門の通行税を徴収する必要がない。その上、門前には後から後からシムルグを訪れる旅人や行商人、商隊がやって来る。

 ローラの馬車の荷台には幌すらも掛けておらず、荷台の野菜が丸見えの状態。そのため、衛兵たちはちらっと荷台を見ただけで、二人をさっさと通してしまった。

 ガラガラと荷馬車は帝都の大通りを進んでいく。

 そして、幾つかの通りを折れた所でローラは荷馬車を停車させた。

 そこは一軒の倉庫のような建物。

 入り口は余裕で馬車が潜り抜けられる。

 ローラは両開きとなっている倉庫の扉を開けると、馬車をその中へと入れた。


「いいわよ、リーナ」


 倉庫の扉を閉じてローラがイフェリーナにそう声を掛けると、彼女はふぅっと大きく息を吐き出した。

 その途端、荷台にウィン、レティシア、コーネリア、ケルヴィン、ロック、リーノ、ウェッジの七人の姿が現れた。


「いやあ……話には聞いていましたが、本当に翼人の操る力というものは大したものですね」


 荷台から飛び降りたケルヴィンが、感心した声で小さなイフェリーナの頭を見下ろした。

 イフェリーナが荷馬車の荷台を幻影で包み込み、ウィン達を隠していたのだ。

 シムルグの外壁門には魔法を感知する仕掛けもあったが、イフェリーナ達翼人の操る大気の魔法は、厳密に言えば人の使う魔法とは違って、神々の起こす奇跡と同等の力だ。イフェリーナの意思に大気に宿る精霊が従うのであって、魔力を媒介にする魔法ではないため、魔法を感知する結界にも反応しなかったのだ。


「でも俺ほんとドキドキしましたよ。衛兵達が荷台を調べたりしないかって」 


 ロックが少し興奮を隠しきれない様子でそう言う。

 幻影で覆っていただけなので、もしも衛兵が野菜を手に取ろうとすれば、荷台にいる誰かの身体に触れていた可能性があった。

 それを防ぐために、荷台の幌を外して置いたのだ。荷物の野菜がむき出しにして転がしていれば、忙しい衛兵達がわざわざ野菜を手に取って調べるはずもないだろうという読みだった。


「大体私達は、本当に姿が隠れているのかわからなかったものね~」


 リーノの言う通り幻影の中に隠れている当人達は、外から本当に自分達の姿が隠されているのかわからない。

 一応、街道をすれ違う者達から視線を向けられているようには感じなかったが、ここまで来る間中、ずっとドキドキしていたのである。


「ありがとう、リーナちゃん。本当に助かったわ」

「ふふ、私凄いでしょ?」


 レティシアがリーナの頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに笑って胸を張った。

 後は日が暮れて人気の無い時間となるまでここで待機していればいい。


「ランデルさん、元気かな……」


 ウィンがポツリと呟くと、レティシアが傍へと寄ってきた。


「会いたいね」

「迷惑がかかって無ければいいけど」


 ウィンとレティシアが『渡り鳥の宿り木亭』の人達と関わりが深い事は、少し調べてしまえばすぐに分かる事だ。

 ウィン達がノイマン皇子の政敵となったコーネリアと行動を共にしている事で、ランデル達が迷惑を被っていないか心配だった。


「様子を見に行きたいけど、きっと見張りがいるよね」

「ああ」

「私はもちろん、お兄ちゃんだって顔が知られてるだろうし」


 コーネリア皇女の従士隊全員の顔は、似顔絵が配られていると考えていいだろう。


「レティも、家の方は大丈夫なの?」


 ウィンがそう尋ねると、レティシアは少し困ったような表情を浮かべた。


「フェレシア姉様はエメルディア大神殿に留学中だから無事だと思う。それにステイシア姉様も、お父様やお母様、家の人達にひどい事をしないって信じてるわ」

 兄のレイルズはペシュリカでの敗戦後、ペシュリカ領主シュリハーデン伯爵らと一緒に監禁されていた。 

 この騒乱が集結した後に沙汰が下されるはずで、アルフレッド皇太子とノイマン皇子どちらが勝利者になるにせよ、それまではペシュリカ領主城館内にて囚われの身となっているはずだった。

 そしてレティシアの両親に対しては、蟄居はさせているかもしれないがノイマン皇子もステイシア公女も命までは取らないはずだ。

 また、ステイシアもレティシアが生家に対して、まるで愛着を抱いていないことはわかっている。

 メイヴィス公爵家の人々を人質にした所で、レティシアに対して切り札にはなり得ないのだ。


「そうか……」


 ウィンには両親も兄弟もいないためレティシアの、家族に対する思いはわからない。しかし、親が恋しい歳頃に、『渡り鳥の宿り木亭』に逃げて来ていた彼女が、家族に対して複雑な感情を抱いているのはわかる。

 レティシアの事情を知るウィンは、少し浮かない顔をした。


「大丈夫よ、お兄ちゃん。お姉様もわかっているはず。メイヴィス公爵家の当主を処刑でもしたならば、メイヴィス公爵領とその一族に連なる貴族達が反乱を起こしかねないわ。エルツのエルステッド伯爵だけじゃなく、この上メイヴィス公爵家まで敵に回せる程余力は無いもの」


 レティシアは微笑むと、ウィンの肩にコテンと頭を乗せた。


「だから大丈夫だよ、お兄ちゃん。早くこの戦いを終わらせて、またランデルさんのお料理を皆で一緒に食べたいね」


 そう言うとレティシアは目を閉じる。やがて寝息を立て始めた。

 ウィンはレティシアを起こさないように、そっとその身体を支えて彼女の柔らかい髪を撫でた。



 ◇◆◇◆◇



 陽が山の陰へと沈み、シムルグの上空には満月が顔を出して地上を照らす。

 かつての宮殿後を利用したレムルシル帝国中央騎士団本部。同じ敷地内には騎士学校や宮廷魔道士の研究室、他にも帝国の官庁が幾つか存在する。

 政治的にも軍事的にも重要な施設だけあって、ノイマン皇子がシムルグで実権を握った後には厳重な警備下に置かれ、シムルグ騎士学校に在学する学生達ですら、許可なく自由に敷地内を歩くことは許されない。シムルグ市街への外出も制限されていた。

 シムルグ騎士学校へと通ずる正面門を警備する衛兵アランは、割り当てられた巡回当番の時間が来ると、狭い詰め所の中から外へと出た。

 外に出た所で大きく伸びをする。

 門の衛兵の仕事は、シムルグ騎士学校への訪問者、もしくは外出する者達のチェックだ。騎士学校には貴族、騎士の家の子女、それから裕福な家庭の子女も多く通っている。

 アランのように二十歳を過ぎたばかりの若い兵士達にとって、騎士学校に通う可愛い女の子を眺めるのが何よりの娯楽だったのだが、ノイマン皇子が帝都の実権を握ってからは、騎士学校への訪問者も外出者も減ってしまい、衛兵達は暇を持て余していた。


(毎日毎日、同じ場所に突っ立ってんだ。せめて可愛い女の子くらい、見てたいよなぁ)


 最も、この学校に通う女の子の多くがアランとは身分違いで、付き合えるとは思っていない。ただ、騎士学校には平民出身者もいる。そして、平民出身者の学生の中には、貴族の娘と親しい関係になった者もいることを知っていた。その若者は、アランの目から見ても非常に魅力的な娘をいつも連れて歩いていた。


(俺にもあんな可愛い彼女ができないかな)


 実例があるのだ。いつも女の子達を眺めつつ、そんな期待を抱く事に何が悪い。

 しかし、現在は学生達が自由に出入りできなくなってしまい、仕事の中の楽しみの大半が奪われてしまった。

 アランに限らず、衛兵皆がその事を不満に思い愚痴を言い合っていた。

 今日のアランに割り当てられた巡回時間は、丁度日付が変わろうとしている刻限だ。

 騎士学校の門前には、学生、教官役の騎士、魔導士、職員を相手に商売する食べ物や酒場も幾つかあるのだが、先にも述べた理由で利用客が減ってしまい店仕舞いが早い。

 人気も無く静まり返った帝都の路地を、アランはゆっくりと歩く。

 石畳の道にアランの革靴が立てる足音が周囲の建物に反響し、夜道を歩き慣れない者には不気味な雰囲気を覚えさせる。アランも勤め始めた時は夜の巡回で暗く人気の無い夜道を歩く時、詰め所を離れるにつれて足取りは段々と早くなっていたものだが、四年も仕事をしていればすっかりと慣れてしまった。

 足取りを早めるどころか、狭っ苦しい詰め所へ戻る時間を少しでも遅らせようと、道々満月の月明かりの下に見える草花に足を止めては眺めてゆっくりと歩いていた。

 冷たい光を地上に投げかけていた月が、雲の陰に隠れた。

 満月の明るさに目が慣れていたせいか、急に辺りの暗がりが濃くなった気がする。

 アランの持っている松明の明かりが届かない場所は、完全に闇に包まれていた。


「――――ん?」


 最初は錯覚かと思った。

 建物に反響する足音が、複数聞こえる。

 足音を忍ばせて息も殺しているようだが、月が雲を隠してしまったのが、アランに気配を気づかせる事になってしまった。

 複数の人の気配。

(何だ!? 追い剥ぎか? それとも泥棒あたりが逃走しているのか?)

 腰に帯びている剣の柄を一度確かめると、右手に警笛を持った。

 気配はどんどんと近づいてくる。

 目的が何かはわからないが、深夜に足音を忍ばせているのだからどのみち良からぬ事を企む輩だろう。真っ当な素性の者であれば、明かりくらいは持って歩くだろうから。


(さっさと応援を呼んだほうがいいか?)


 警笛を吹けば、甲高いその音に気づいた仲間達が詰め所から大勢駆けつけるだろう。

 だが、アランは警笛を吹くのを躊躇ってしまった。

 時刻は深夜。周囲の家々は寝静まっていて、夜の静寂を警笛のつんざくような音で切り裂いてよいものか迷ってしまったのだ。

 もしもこの時この場所ヘアランではなく、熟練の衛兵が来ていたならば、迷わず警笛を吹いていただろう。

 複数の気配がした時点で実戦経験を持つ者ならば、この状況で応援を呼ぶことを躊躇せずに選択する。躊躇いは命を失いかねない。

 実戦経験の無いアランの若さがここで出てしまった。

 警笛を吹こうか吹くまいか迷っている内に、アランの視界内に入ってきた複数の人影。


「と、止まれ――」


 ここでアランは再びミスを犯す。

 さっさと警笛を吹けば良かった所を、わざわざ警告の声を上げたのだ。声を上げている合間に、素早く間合いを詰めてきた人影はアランの右手から警笛を叩き落とす。


「あっ――」


 そしてアランが次の声を上げようとする間に、影達は速やかにアランの意識を刈り取った。

 静寂の中へ霧散していく悲鳴の残滓。

 力が抜けたアランの身体を建物の陰に横たえた人影は、夜の暗がりの中、迷いのない足取りで再び走り出す。

 同時刻、帝国の政治、軍事に携わる重要な施設が、同じような情況に陥っていた。

 見張りに立っていた衛兵達は、夜闇に紛れて忍び寄った者達によって手際よく意識を刈り取られ、制圧されていったのである。




 シムルグ騎士学校の正門前。

 手際よく詰め所の衛兵達を縛り付けたウィン達は、後の事をザウナス派の騎士達に任せて騎士学校の敷地内を走る。

 勇者、帝国第一皇女、皇女付き従士隊――ケルヴィンを除き全員に肩書があるが、そもそもその肩書の前にウィン達はシムルグ騎士学校の学生だ。

 勝手知ったる校内。人目に付かないルートを選んで、進んで行く。

 先頭を案内しているのはコーネリアだ。

 かつてレムルシル帝国の皇帝が住まう皇宮だったシムルグ騎士学校には、現在の皇宮と秘密裏に結ばれた地下通路があった。

 それは皇族しか知らされていない地下道。その中でもコーネリアが案内しようとしている地下通路は、皇族の女性が住まう後宮と繋がっている道だった。

 その道であれば、男性皇族であるノイマン皇子も知らないはずである。


「こちらです」

「あれ? ここって、女子寮じゃないか」


 コーネリアが案内した場所は、上級貴族専用の女子寮だった。


「そうか。そういえばここって昔は、後宮として使われていた建物だったか?」

「はい。今の皇宮ができるまでは、歴代の皇帝陛下の寵姫方がここに住まわれていたそうです。なので、騎士学校となった今も、上級貴族の婦女子のための寮として使われているのです」


 しげしげと建物を観察しているロックに、コーネリアがそう答える。


「私、この寮に部屋があるから鍵持ってるよ」


 レティシアが鍵を取り出すと扉を開けた。


(そういえばレティの部屋もこの寮だったな。どの階に部屋があるのかは知らないけど)


 朝になればいつもレティシアがウィンの部屋がある寮へとやって来ていたので、こちらの寮へ近づくことは無いのだ。


「レティシア様が鍵を持っていらして助かりました。地下道への入り口は、寮の中にありますから」

「男子禁制の花園かぁ……」

「うわ……凄い。何、この彫刻。うわ、この絵高そぉ。友達が寮に住んでたけど、あっちと全然違う~」


 こんな状況にも関わらず、ロックとリーノは物珍しげにの中をキョロキョロと見回していた。

 この寮は上級貴族のみが住んでいるため、男子はもちろん女子であろうとおいそれと近寄れる場所ではない。

 好奇心をそそられる気持ちもわかるのだが、ウィンは「静かに」と小声で注意を促す。

 寮の中へ侵入者がいるというのに、人っ子一人廊下へと出てこない。

 外から見た限りでは、窓という窓にカーテンが閉められていた。日付も変わろうかという時刻だけに、明かりを付けているはずもないので、カーテンの隙間から光が漏れるようなこともない。

 ただ単に部屋の防音が完璧で寝静まっているのか、あるいは誰も居ないのか。どちらにせよ、人の目を気にせずに寮の中を進めるのは好都合である。

 コーネリアは階段脇まで歩いていくと、後ろからついてくるウィン達を振り返った。


「確か、ここのはずです」


 見ると階段脇に結構な広さのスペースが作られている。そして敷物に台座が置かれ、大きな花瓶に花が活けられていた。


「なるほど。この台座の下ということですね。ウィン、ロック、ウェッジ、手伝ってください」

 ケルヴィンの指示で、男四人が大理石でできた台座を持ち上げて敷布を退けると、頑丈な木材で作られた地下への落とし蓋が現れた。

 内側から開けられるようになっているのか、こちら側から開けられない仕掛けとなっているようだ。


「緊急事態ですから、壊しちゃいましょう」


 ケルヴィンの決断の下、さっさと壊した。

 壊す際、結構派手な物音がしたのだが、それでも廊下に人が出てくることがなかった。

 やはり、寮には人が残っていないのかも知れない。

 政変が起きたということで、上級貴族達は寮に預けた娘を手元に呼び戻しているのだろう。

 長い階段が地下深くまで続いていた。

 通路は洞窟の中のように深い闇に閉ざされていて、明かりが無ければ歩く事すら困難だろう。


「真っ暗で先が見えない」


 松明をかざして目凝らすウィン。

 コーネリアは小さく呪文を唱えると、魔法の明かりを灯して先頭に立った。


「長らく使われていなかったので、空気が汚れているかもしれません。松明では無く、魔法の明かりを使って進みましょう」


 地下道は地下水が染み出しているのか、床が濡れていて非常に滑りやすくなっていた。

 壁もヌルヌルしていて、あまり触りたいものでは無さそうだ。


「一本道ですから迷うことはありません」

「一本道って、追手がかかった時にあっさり捕まっちゃうんじゃないの~?」


 リーノの言う通り皇宮に敵が攻め込んできて脱出する際、一本道ではすぐに追いつかれてしまうのではないだろうか。するとリーノの疑問に答えるようにコーネリアは、松明で照らし出された壁の一角を手で示す。そこにはレバーのような装置があった。


「ここを下げると鉄ごしらえの戸板が上から落ちて、道を塞ぐようになっているんです」


 上を見てみると、天井の石材に隙間がある。


「鉄板にしてあるのは皇宮が燃えた時に、煙が流れ込まないようにしているんだと思います」


 燃え上がる皇宮から逃げ出したとしても、煙に巻かれてしまっては意味がない。


「殿下。こうした通路は他にもあるのですか?」

「複数あります。この道は後宮から繋がっているため、皇帝陛下と皇族の女性しか知りません。ですがその他にもシムルグの外に繋がっているものなどもあるはずです」

「そうですか……」


 コーネリアの返答にケルヴィンが考え込む。


「あの……ケルヴィン副長。その事が何か?」

「いえ、他にも通路があるなら、奇襲に気づかれてしまうとそちらからノイマン皇子を取り逃がしてしまう可能性があるな、と」


 その言葉にコーネリアははっとした表情を浮かべた。


「そう……ですね」

「急いだほうが良さそうです」



 ◇◆◇◆◇



 上級貴族が皇宮へ参内した際に使用させる部屋の一つに、ジェイドはいた。重厚な木製の椅子に目前と座っている。壁の燭台には火を灯さず、机の上に置かれた燭台にのみ火が灯されているため、部屋の中は薄暗い。

 部屋の中にはジェイドの他に、彼の側近であるクラウスが佇んでいた。


「そうか。アルフレッドは帝都を攻めて皇帝を奪還するのではなく、クライフドルフ領へ攻め込んだか。こちらの足場を先に崩そうという考えか」

「ノイマン殿下とステイシア嬢が、いつ皇帝を退位させるのかとお伺いになられています」

「無邪気なものだ。こうしている間にも、クライフドルフ領では我が父とアルフレッドが、戦っているというのに」

「お二人にとってクライフドルフ侯領といえども国境辺りに位置する土地。自らに関係の無い遠き地での出来事なのでしょう」

「――奴らのそうした考え方が、我が母を死に至らしめる結果となったのだ!」


 どんっと机を叩き、ジェイドは忌々しげに部屋の壁に飾られた帝国国旗を睨みつけた。


「自分達は何もせず、誰かに任せておけば後はどうにかしてくれるだろうという考え方。この国の上級貴族にはよくある考え方だ」


 対魔物との戦争で、帝国は劣勢だった対魔大陸同盟軍からの幾度も援軍と物資を要求されていた。

 しかし、終わりの見えない対魔物との戦争で嵩む出費を抑えようと、当時の帝国中枢にいた者達は資金援助と物資の代わりとしてジェイドの母ルクレツィアを司令官とした援軍を派遣した。

 そしてその後の物資などの支援は最低限の物しか前線へと送らず、わずかな物資のやり繰りで軍を維持するよう先任のザウナスとルクレツィアの両将軍に申し付けたのだ。

 その結果、物資も補給も満足に受けられない状況で後退戦を余儀なくされたルクレツィアは、生きて故郷の土を踏むことができなかったのだ。


「お二人の事はいかがいたしましょう」

「皇帝を退位させるのはまだ先だと言っておけ。少なくともアルフレッドとの決着を付け、奴を偽皇太子として決定づけてしまわない内に皇帝位を廃しノイマンを皇帝としてしまうと、こちらが簒奪者という事になってしまう」


 クラウスは黙って一礼する。


「では次にジェイド様。クライフドルフ領にあるウェルズ様より、再三の援軍要請が来ていますがいかがいたしましょう?」

「放っておけ。援軍の要請は届かなかった。そういうことだ」

「かしこまりました」


 つまり手紙を届けた使者もろとも、いなかった事にしろと言うわけだ。

 クライフドルフ領から昼夜を問わず馬を走らせ、疲労困憊となってシムルグの味方へ急を知らせた使者は、その忠義が報われること無く命を落とすことが決められた。

 もうジェイドは、名も知らない哀れな使者の事などすでに頭に無く、黙考を続けていた。

 アルフレッドは自身が偽物でない事を証明するためには、まず帝都を取り戻し、皇帝アレクセイの身柄を確保する事が必要なはずで、そのためにリヨン王国軍という援軍を率いて帝都へ攻め寄せてくると思われた。その状況を利用してジェイドは、アルフレッドに外国の軍を招き入れて国家転覆を図る大罪人というレッテルを貼り付け、皇太子位を取り上げてしまうつもりだった。

 その後、ノイマンを皇太子とする。

 外患誘致という大罪を犯したならば、今は日和見を続けている他の貴族達もノイマン皇子派へと付くことになるだろう。そうなればジェイドは帝国の軍勢と、密かに通じているペテルシア王国軍と合わせて数十万という大軍を操ることができるはずだった。

 リヨン王国軍もろともアルフレッドを叩き潰し、その後ゆっくりとペテルシア王国軍を帝国領から叩き出せば良い。


「父上に悪いが、少しでも奮闘していただきアルフレッドの軍を削り取ってもらおう。どのみちアルフレッドは、皇帝の存在が枷となって帝都へとやって来ざるを得ないのだから」

「かしこまりました」


 再び一礼をしようとしたクラウス。しかし、その時彼は帝都内に異変を感じ取った。


「ジェイド様。何やら帝都へネズミが紛れ込んだようです」

「ネズミだと……?」

「随分と手際が良いようで、すでにこちら側の施設が幾つか制圧されたようです」

「アルフレッドめ、エルツとリヨンの軍で我らの目を引きつけておいて、別働隊を帝都に潜り込ませていたか。だったら狙いは皇帝の身柄だろう。皇宮への侵入も考えられるな」


 ジェイドは、用意周到な敵の事の運びからして、後手に回ってしまったこちら側の通常戦力では対処しきれないと考えた。

 また、皇宮内にいる騎士達は近衛騎士団だけだ。

 皇宮内で実権を固めたジェイドの命令には、皇帝の命令にしか服しない近衛騎士団といえども逆らえなくなってきているが、それでもいまだ皇帝アレクセイに絶対の忠誠を誓っている者もいる。

 ジェイドの好きに差配することはできない。


「仕方ない。皇帝の身柄を奪還されることは何としても避けたい。少し予定よりも早いがクラウス。お前の率いる者たちで対処に当たれ」


 深々と頭を下げてから出ていくクラウスを見送った後、ジェイドは窓辺に立った。

 窓から見えるシムルグは夜闇の濃さに包まれて、建物の陰影がわずかに分かる程度だ。

 だが、その闇の中で確かにジェイドの意に反する者達が動いている。

 もちろん、ジェイドのいる場所からその者達の姿を見つけることなどできるはずもない。だがジェイドは、闇に紛れて動く者達を見透かしているかのように、寝静まるシムルグの町並みを睨み続けた。


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