帝都へ
帝都シムルグの外壁の周囲に広がった貧民街。
廃材やボロ布等を利用した貧相な小屋が立ち並ぶ界隈で、主な住人は市民税を納めることができず帝都市内に住めない貧しい人々や、魔物との長い戦争で故郷を失い、流れてきた者達で構成される。
家も土地も保証されたものではなく、時には帝都の景観を損ねるとして行政に立ち退きを強制されることもある。
だからといって、明日がどうなるかも分からない生活に住民達は絶望しているかと思えばそうでもない。いつか今の境遇を抜け出して成り上がる事を夢見て、筵を敷いただけの所に古着や出処の分からない中古品、あきらかにガラクタにしか見えない品物なども並べる者。やせ細った芋や豆、萎びた野菜などで作ったシチューを売る露店があれば、その傍では原料が何かもわからないような自家製の安物の酒を売る者もいた。
商品を売ろうと声を張り上げる者も、行き交う人々も、誰もが目をギラつかせていて、その様子は帝都市街の店が並んだ通りよりも活気があるかもしれない。
そんな大勢の人々が行き交う貧民街の通りを、ウィンとロック、ウェッジの三人は歩いていた。
シムルグへ到着したのは昨日の夜で、残りの者達は森の中で身を隠している。
犯罪率が高い貧民街という事で、レティシア、コーネリア、リーノの三人は同行しないことにした。若い娘と知られれば暴漢、誘拐を企む犯罪者に目を付けられかねないからだ。ノイマン皇子派によってシムルグが支配されている今、余計な騒動に巻き込まれたくはない。
そしてケルヴィンも、貧民街では顔が知られている可能性があったので残ることになった。
「私は以前、この街で少々騒動を起こしていますし、顔役の一人とも呼べる人物と接触をしていますからねぇ。その顔役の統率していた組織全てを一網打尽にしたわけではないですし、私の顔を覚えている者がまだいるかもしれません。ですから私は行かないほうが良いでしょう」
そこでウィン、ロック、ウェッジの三人で貧民街へとやって来たのだ。目的は外壁の門等の警備状況を調べる事。
貧民街でも主要な街道沿いに近い通りは衛兵も巡回している。そこで街道より少し離れた場所で、門前の様子を窺っていた。幸い、計画性も何もなくざっくばらんに小屋が建ち並ぶ貧民街では、衛兵に見つからないように隠れるのに都合の良い物陰がいくらでもある。
シムルグの外壁門では、帝都を出入りする商隊の馬車、旅人達が行列を作り、順番に荷物を検められていた。
入市税や荷物に対して決められた額の税金を徴収し、指名手配された犯罪者等ではないか検めているのだ。
見たところ、顔見知りの通行人達と世間話をする衛兵達の姿も見られ、厳戒態勢という様子ではなかった。
「ふーん……警備の様子はいつも通りといった感じに見えるね。俺はてっきり帝都内の通行を制限しているかと思っていたんだけど」
「反抗勢力の要人や要所を押さえる際ならともかく、事が終わった後でいつまでも門を閉めていたり、厳重な警戒態勢を強いていたら市民の反感を買うし、味方の兵士達にも自分達が劣勢なのではと思わせてしまうからだろ」
「へえ」
商家出身のロックの説明に、そういうものかとウィンは素直に感心する。
しかし、ロックの後ろから覗き込んでいたウェッジが彼の肩をトントンと叩いて指差した。
「あそこ」
「ん? あ、本当だ。あそこ兵士がいるな」
ロックの感嘆の声。
ウィンも見てみれば、外壁の上に身を隠した兵士らしき人影が幾つも見えた。
「あそこだけじゃない。門のずっと奥。建物の影にもちらほら見える」
「どこだよ? ウィン見えるか?」
「どこ? 全然見えない。よく見えるよね」
シムルグの巨大な石材を用いた外壁は非常に分厚く、更に門を潜り抜けた先には市が開かれる広場もある。ウェッジが言うにはその先に見える建物の陰に、兵士達が何人も隠れているらしい。
ウィンとロックの目にはその奥の建物すら小さく見えるし、その上人通りも多い門前広場。どこに兵士がいるのかさっぱりわからない。
「普段はあんな所に兵士はいない」
きっぱりと断言するウェッジにウィンは頷いた。
実はウェッジは従士隊の中で一番の弓矢の名手だったりする。
子どもの頃、幼馴染みのリーノの家に出入りするうちに、騎士だったリーノの祖父から弓の手ほどきを受けた。そして薬師の家の娘であるリーノに付き合って、薬草採集へ森に入っている内に射撃技術を向上させたらしい。視力が常人離れしていて、旅の道中でも空飛ぶ鳥を見つけて射落とす事もあった。
「門の衛兵達の様子は普段通りに見えるし、隠れている兵士達は指揮系統が別なのかもな」
ロックの言う通り、味方とはいえ兵士達が隠れて見張っていては、衛兵達も見られている緊張で普段通りに振る舞う事は難しいはずだ。となれば、衛兵達には監視している兵士達の事が知らされていないのかもしれない。
門の警備が厳しくなっている事を確認した三人は、その場をそっと離れると貧民街の雑踏の中に戻る。今度はシムルグの外壁を目指して歩く。
外壁は巨大で高さもあるため迷うことは無いのだが、いかんせん貧民街の道は真っ直ぐに作られておらず、何度も行き止まりに突き当たっては引き返し別の道を行くという事を繰り返す羽目になった。
「つ、疲れた……」
ロックがそう言って息を切らしてしまうのも無理はなかった。
道迷いで予想以上に歩く羽目になったが、普通の道であればそこまで疲労を覚えることは無いだろう。しかし、貧民街という場所が精神的なプレッシャーとなって、必要以上の緊張感を覚えて疲れてしまうのだ。
貧民街という場所は、奥深くに進めば進むほど危険度が増す。何せ、隙を見せれば懐から財布が抜き取られる。いや、財布だけならばまだマシだ。突然、暴行にあって身ぐるみ剥がされる事だってある。命だって落とすかもしれない。
「壁を登るのは無理そうだね」
外壁の素材である大きな石に手を当ててウィンは見上げてみた。
「壁全体に魔法が張られてるな。付与魔法だな、これ。上の方一面に、何か文字か模様みたいなものが刻まれてる」
ウィンと同じく壁を見上げていたロックがそう言う。
ロックは魔法を使って、外壁全体に張り巡らされた見えない魔力の流れを探っていたのだ。
「壁を壊して侵入しても、すぐにばれてしまいそうだな」
レティシアなら魔法で外壁に穴を開ける事ができるかもしれないと考えたのだが、どうやら無理そうだ。
そこへ少し離れた場所でシムルグの上空を観察していたウェッジが戻って来た。
「シムルグ上空も魔法で作られた膜みたいなものがある。多分、侵入者に反応するんじゃないかな」
「レティの魔法で空から中に入るのもダメって事だね」
「それと何か魔力のラインみたいなものが、あちらとこちらの方角に走ってるのが見えた」
「ああ、それは多分《封魔結界》の奴だ」
シムルグから離れた場所に、石版を中心とした魔法陣を設置した塔が六つ建てられている。
塔の配置はシムルグを中心点としてそれぞれ六芒星の頂点を描くように設置されていて、緊急時には《七重結界魔法陣》という名の強力な《封魔結界》を張ることができるようになっているのだ。
騎士団が配置された砦の中に建てられた塔は帝都防衛の要として厳重な管理と警備がされている。普通の騎士程度では許可なく近づく事も許されない軍事機密施設なのだが、ウィンとロックの二人は以前ザウナス将軍がクーデターを起こした際に塔の中にある魔法陣と石版を目にしていた。
ウェッジが見たものはその塔とシムルグの間を流れている魔力なのだろう。ウェッジが見た場所からは、魔力ラインが二本しか見えなかったようだが、後四本の魔力ラインが別々の方角に向かって伸びているはずだ。
「そういえば、そんな事もあったなぁ……」
ウィンの言葉にロックも魔法陣と石版を見た時の事を思い出したのか、しみじみと呟いた。
思えばあの事件がきっかけでコーネリアの正体が帝国第一皇女だったと知ったのだ。
そしてウィン、ロック、ウェッジ、リーノの四人は騎士学校の候補生という身分から、念願の騎士身分を手に入れることになった。もう随分と昔の事のように感じられる。
「普段は気にもとめていなかったけど、シムルグって侵入の難しい都市なんだな」
「顔を知られて無ければ変装なり何なりとすれば、どうにかなりそうなんだけどね。コーネリア様、レティシア様はもちろん、ウィンの顔を知ってる奴もいるかもしれない。俺達だって似顔絵が配られてる可能性が無いとは言えないからな」
外壁から離れたウィン達は、貧民街を通り畦道から森の中に隠れている仲間達の下へと戻った。
「シムルグの様子はどうでしたでしょうか?」
ウィン達が帰ってきたのを見て、真っ先に声を掛けたのはコーネリアだった。
皇女として市民たちの生活が気になるのだろう。ウィンを見つめる目には、不安の色が浮かんでいる。
そんなコーネリアを安心させるために、ウィンは微笑を浮かべて答えた。
「門の中にまで入ることはできなかったけど、見える範囲では普通に人の往来はあったよ。ただ、ウェッジが言うには隠れて門を監視している兵士の数が、かなり多かったそうだ」
「そうですか。私達の争いで皆さんの生活まで犠牲になっていないのでしたら、良かったです」
ウィンがそう言うとコーネリアは目を閉じて、ほっと胸をなでおろす。
「ふむ。警備が厳しくなっていますか。それで、あなた達の目から見て我々がシムルグに入る事は簡単そうでしたか?」
三人が尾行されてこなかったかリーノとともに確認をしていたケルヴィンが、偵察に出ていた三人に尋ねる。
「いえ、騒ぎを起こさずにシムルグに入ることは難しいと思います。門では衛兵以外にも隠れて兵士が見張っていました。外壁や上空にも侵入を察知するための魔法結界が張られています」
「魔法結界の事はもちろん知っていますよ。あなた達も習ったでしょう?」
ウィン、コーネリア、ロック、ウェッジ、リーノが頷く。
レムルシル帝国の心臓部である帝都シムルグの上空を覆う魔法結界の事は、騎士学校へ通えば必ず習う事柄だ。
「魔法結界?」
ただ一人、幼少の頃から学校というものに通った事の無いレティシアがウィンにそう尋ねた。
「魔物には空を飛んで来る種族も多いからね。シムルグだけじゃなくて大きな都市だったら、空からの侵入を感知する魔法の結界が張られているんだ。レティが知っている帝国の都市だったらクレナドにもあるし、レティの家のメールにもあるんじゃないか?」
メイヴィス公爵家の領都メールは、レムルシル帝国では第三位の人口を擁する都市だ。当然、シムルグと同じように魔法の結界で覆われている。
「あ、本当だ。確かに結界が張られているね」
ウィンの話を聞いて立ち上がったレティシアが、茂みの陰から遠くに見えるシムルグを窺い感心したように言った。
「意外だな。レティが魔法結界の事を知らなかったなんて」
「うん。魔法を使って見ようと思わなければ見えない類の結界だもの。気にしたことも無かったよ」
「帝国だけじゃなくて、どこの国でもこの類の結界魔法はあると思うんだけどね。旅してた時に、外国の町で見たりしなかったの?」
「町の結界の観察なんてしないから。私が魔法を使う場所って、ようするに前線だからね。結界が張られるような大きな都市は陥落してるし、結界が機能していなかったんじゃないかな?」
「そうか。逆に結界が機能している都市なら、レティが魔法を使うこともないから気づかなかったわけか」
「うん」
「それでレティシア様」
ウィンとレティシアが話している所に、ケルヴィンが割って入った。
「例えば上空を飛んで、結界に感知されずにシムルグへ入る事はできたりしますか?」
「それは無理ね。あの魔法結界を無効化するとかならできるけど、もう無効化した時点でバレちゃってるし」
「なるほど」
ケルヴィンの問いにレティシアはきっぱりと首を横に振って否定した。
「シムルグの中にいるというアルフレッド殿下の手の者と、どうやって連絡を取るか……。なかなかに問題ですねぇ」
「あの、副長。その方法についてなんですが、俺に考えがあるんですが」
ケルヴィンがウィンに視線を移すと、ウィンは茂みの陰から森の外に広がる農園地帯を指差した。
「この辺りに知り合いがいるんです。その人なら冒険者ギルドの職員とも顔見知りですし、ギルドに依頼して連絡を取ってもらってみてはどうでしょう?」
「あ、ローラさんの事ですね」
「殿下もお知り合いの方ですか」
コーネリアが胸の前で手をポンッと合わせたのを見て、ケルヴィンが確認を取ると、皇女は嬉しそうに頷いた。
「はい。ウィン君とレティシア様のお知り合いの方で、以前訪ねた際にとても良くして頂いた方です」
「なるほど。殿下とレティシア様のお墨付きなら信頼が置ける人物なのでしょう。では、案内をして頂けますか?」
ケルヴィンが決定を下し、一同は森伝いに歩いてローラの家を向かうことにした。