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幕間②

「やったよ! 成功してたよ! ちゃんと水が溜まってた!」


 少し急ぎ足で森の中から戻って来たレティシアが、弾んだ声を出した。


「あ、えっと、レティか……」

「? どうかしたの? お兄ちゃん」

「いや、何でもないよ。ちゃんとできてた? 良かった」

「うん!」


 レティシアが嬉しそうな顔で頷く。

「おいおい、何ができてたんだよ? 水が溜まってたって?」

「いや、実はさ、お風呂を作ってみたんだ」

「お風呂ですか!?」

「お風呂ぉ?」


 ウィンの言葉に素早く反応したのはコーネリアとリーノの二人。

 二人共さっきまでの重苦しいような雰囲気が一変に飛んで、目を期待の色に輝かせている。特にコーネリアはどこか悩んでいるような表情が消え失せ、スッキリとした顔をしていた。

 その事にウィンは驚いていた。

 先程、沢辺でされた告白の後、コーネリアはしばらくの間ウィンの手を胸元で握りしめていたのだが、やがて「皆さんが心配するかもしれません。戻りましょう?」と言って、焚き火の傍にいる皆の元へと戻った。

 そしてその時には、コーネリアはウィンへと向けた切なさと強い思慕の念を一切表情に出さず、澄ました表情を浮かべていた。


「お帰りなさい」


 そう声を掛けたケルヴィンにも、一つ頷くだけで座った場所も元の位置。ロックの隣だ。


「おい、コーネリア様の話は聞けたのか?」

「あ、ああ、うん……まあね……」


 小声で尋ねてきたロックにウィンは事が事だけに内容を話すわけにはいかず、言葉を濁して誤魔化していた。

 ロックも何事かを察したようだが、それ以上何も言わずに「そうか」とだけ呟いた。

そこへ様子を見に行っていたレティシアが戻って来たのである。

コーネリアの告白の事で頭が一杯になってしまったウィンだったが、ひとまずその事を後回しにする事にして立ち上がったのだった。




「うわあ、すごいすごい~。本当にお風呂ができてる~」

 リーノが感嘆の声を上げる。

 火の番に名乗り出てくれたケルヴィンを残して、ウィン達は見つけた沼の辺りへとやって来ていた。

 沼の横にモワモワと湯気を立てるお湯が、たっぷりと張っていた。


「温泉……ってわけじゃないよな? だったらそう言うはずだし」

「温泉じゃないよ。だから作ったって言っただろ?」


 ロックの質問にウィンはちょっと自慢げに答えた。


「一体、どうやって作ったのですか?」


 コーネリアの質問に今度はレティシアが、右手の人差し指を立てて得意げに答える。


「簡単だよ。沼の横に穴を掘って置いたの。そしたら沼から土を通して水が染み出してくるから、水が一杯になるのを待って、魔法で穴の周囲の土を固めてから魔法で熱を加えてお湯にしたの」


 沼は結構な大きさがあった。前面に草や水生植物が生い茂っていて、水の透明度もかなり低い。だが、沼の横に穴を掘って底に石を敷き詰めておけば、土で沼の水が濾されて綺麗な水が染み出してきて溜まる。

 後はレティシアが魔法を使えば完成だ。


「上手くできてて良かったよ」

「すごいね~。よくこんな事、思いついたね~」

「昔、オールトさんだったかな、いやルイスさんだったかも。とにかく冒険者やってた子どもの頃に教えてもらったんだ。でも、話を聞いていただけで実際に作ったことなかったからさ、自信が無かったんだ」


 本来この方法は、沼などの飲料水に適さない水場から水を得る方法だ。ちなみに魔法で水を生成する事もできるのだが、魔法で作られた水は一定時間を過ぎると消えてしまう。一瞬の渇きを癒すことしかできない。

 飲水の補給は綺麗な沢があったのと、レティシアなら魔法で簡単に大きな穴を掘れるし、土を固めることもできるのでお風呂にしてみたのだ。

 後はレティシアがお風呂の周囲を魔法で土壁を作って囲い、出入り口に天幕用の布を垂らせば完成である。


「まずは女性陣から入りなよ。お湯が綺麗なうちに」

「よろしいのですか?」


 コーネリアが喜ぶ。


「もちろん」


 野営続きの旅路では、川で水浴びをするか濡らした布で身体を拭くのがせいぜいだ。

 たっぷりとした湯で身体を洗う機会など、温泉でも見つけない限りまずできない。


「お湯が冷めちゃうから私も一緒に入ろうかな。コーネリアさん、一緒にいい?」

「そうですね。そうしましょうか」


 レティシアの申し出にコーネリアが頷いた。それから二人してリーノを振り返る。

 結構大きめに穴を掘ったので、女の子が三人お風呂を使っても余裕がありそうだった。

 しかし、リーノはとんでもないという風に両手を前に突き出して首を横に降る。


「私はさすがに無理かな。お二人と一緒にお風呂とか、落ち着いて入っていられないですよぉ」

「そうですか?」


 小首を傾げるコーネリアにリーノはブンブンと勢い良く頷く。


「私は後で頂きますよぉ」

「じゃあリーノはコーネリアさんとレティの次に使えばいい。ロック、ウェッジ。俺たちはその後でもいいよな?」

「いいのぉ?」

「まあ、俺たちよりも先にケルヴィン副長に使ってもらわないと」


 ウェッジがボソリと指摘した。


「ああ、そっか。ふくちょ~が先だよねぇ」

「リーノが先に使ってもいいんじゃないか? 俺やウィン、ウェッジは後回しだろうけど。副長だって、女性優先で湯を使っても文句は言わないって」

「じゃあ、有り難く先に使わせてもらうねぇ」


 お風呂を使う順番を決めると、ゾロゾロと野営地の岩場にまで戻って来た。


「あ、そういえば見張りはどうしよう?」


 お風呂を使う支度をしていたレティシアがウィンを振り返る。


「二人が使ってる時はリーノに見てもらえばいいんじゃないか?」

「ええ!?」


 ウィンがそう答えると、リーノが嫌そうな顔で声を上げた。


「いや、だって適役だろ?」

「だってぇ……でもさぁ……うん……そうなんだけどぉ……」


 ゴニョゴニョとしどろもどろになっているリーノに、ウィンは何を嫌がっているのだろうと尋ねた。


「暗闇を怖がる子どもじゃないんだし、お風呂の外の見張り番なんて平気だろ?」

「暗闇が怖いってわけじゃないんだよぉ」

「じゃあ、何なんだよ?」


 まさか魔物や獣が怖いというわけでもあるまい。

 リーノも訓練を受けた騎士だ。

 従士隊というかリーノの周囲にはレティシアを筆頭にして、とんでもない常識を外れた業前を持つ人物が多いのでわかりにくいが、彼女自身の戦闘技術もなかなかのものなのだ。

 実家が代々薬師の家柄で幼いころより森へと入って薬草等を採取していたため、森の中で活動するのは慣れている。騎士として功を立てて貴族に取り立てられたという武勇伝を持つ祖父に剣も鍛えられていた。

 魔物でもゴブリンやオークの一匹や二匹、軽くあしらえるのだ。

 だが、そんなリーノにも苦手なものはある。


「ほらぁ、前にさ。ウィン君言ってたじゃない? 沼とかの周辺には蚊の魔物が出るってぇ……」

「ああ……」


 そういえばリヨンに行く際に通ったマジル山中にある廃坑道へ赴いた際に、坑道内によくいそうな魔物を問われてそんな事を言った気がする。

 坑道内に出る魔物にはワームや蠍を始めとした昆虫系も多いと説明した時に、昆虫系で最も出会いたくない魔物の一つとして蚊の魔物を上げたのだ。

蜂系の魔物が持つ毒針、蟻系の魔物が持つ固くて頑丈な顎なども厄介だが、何と言っても蚊の魔物に襲われた場合生きたまま体液を吸われるという悲惨な目にあうからだ。

 村が蚊の魔物に襲われて、一夜にして皮と骨だけとなってしまった事件も実際に起こっている。

 目撃者の話では、犠牲者は身体の中身を徐々に吸われていくそうだ。そして、段々と弱々しくなっていく断末魔の叫びは、この世のものとは思えない光景だったそうだ。


「でも、蚊の魔物って瘴気に侵された沼の付近で出るんだぞ。さっきの沼は瘴気に冒されていなかったし、大丈夫だよ」

「でもぉ、ああいう沼とかって虫系の魔物が多そうな気がする……。私、虫系は駄目なのよぉ」


 弱々しく呟くと、リーノはごめんなさいという風にレティシアとコーネリアを見た。


「うーん……じゃあ、どうしようか。やっぱりレティとコーネリアさん。順番に一人ずつ入る?」

「でもそれだと、私はともかくどっちにしてもコーネリアさんが見張り番って事になっちゃうんじゃない?」

「ああ、そっか」


 レティシアの指摘にウィンは頭を掻いた。

 コーネリアの護衛として従士隊がいると言うのに、彼女を見張り番に立たせては本末転倒というものだ。

 それにコーネリアもなかなかに大した腕前を持っているが、それはあくまでも訓練の範囲での事。以前、実戦となった際に、コーネリアは固まってしまい自らの身を守ることすらも危うかった。

 もちろん、帝国の皇女であるコーネリアが戦いで強くなくてはならない理由はない。本来の彼女の身分であれば、帝国で最も分厚い防壁に囲まれた皇宮最奥部で屈強な騎士に守られていれば良いのだから。


「お兄ちゃんが外で見張ってればいいと思うよ」

「いや、それは駄目だろ?」


 中が見えないように土壁で囲いを作っているとはいえ、お風呂で無防備な姿を晒している少女の近くに若い男がいては落ち着かないのではないか。


「お兄ちゃんなら別に覗いたりしないでしょ? 私は構わないけどねぇ」

「私もウィン君でいいかなと思いますよ?」


 レティシアに同意するようにコーネリアがにこやかに頷いてウィンを見た。

 先程の告白の事もあって、ウィンはドキリとしてしまう。


「まあ、森の中で警戒するならウィンが一番向いていそうだよな」


 ロックも賛同を示した。


「いや、でもさ……」

「いいから、お湯が冷めちゃわないうちにお風呂使っちゃいたいから。お兄ちゃん、コーネリアさん行こ」


 なおも迷うウィンの腕を掴むとコーネリアを促して、レティシアはさっさと森の中へと入って行く。


「期せずしてあの三人、一緒にお風呂へと向かうことになりましたか」


 そこへ部下達から離れて焚き火を突いていたケルヴィンがやって来た。


「……別に一緒に入るってわけじゃないですよ? 副長」


 風呂のある方を見て楽しそうに笑うケルヴィンに、ロックが半眼でツッコミを入れる。


「そのままキャッキャウフフの展開になってくれれば、非常に好都合なんですがね」

「ふくちょ~って、国のためなら何でも利用するんですね……」

「何を当たり前のことを。あのお三方の行く末は帝国の国益に直結するのです。そして私達には、その関係を良好なものへと維持し後押しする役割も期待されているのですから。今回のお風呂の件のように労せずしてこんな形で仕事が捗ってくれるのなら、願ったり叶ったりですよ」


 そんな事を笑顔で言うケルヴィンに、リーノが少し畏れを抱いた表情を浮かべたのだった。



 ◇◆◇◆◇



 土囲いの中から水音が聞こえてくる。


「ふわぁ……気持ちいい」

「本当に……旅先でお湯が使えるなんてとても幸せです」


 レティシアとコーネリアは身体に染み込むような気持ちよさに、うっとりと目を閉じて息を吐いた。

 土壁で外の景色は見ることができないが、上は空いているので空が見える。先程まで曇っていたようなのだが、風で雲が流れて月と星空が顔を出していた。


「ねえ、コーネリアさん」

「はい」

「お兄ちゃんに告白したの?」

「え?」


 驚いたコーネリアがレティシアを見ると、レティシアは立ち上がって湯船の縁に腰掛けた。


「えっと……どうして?」

「さっき戻った時コーネリアさん、どこかスッキリした顔をしていたし、お兄ちゃんはチラチラとコーネリアさんの方を見ているし、これはコーネリアさんがお兄ちゃんに気持ちを告げたかなと思って」

「えっと、あの、その……はい」


 隠したところで意味はない。コーネリアは素直に頷いた。


「そっか、やっぱりね」

「ごめんなさい。私はレティシア様の気持ちを知っているのに……」

「謝ることは無いんだよ」


 泣き出しそうな顔になって俯くコーネリアに、レティシアは微笑んだ。


「コーネリアさんがお兄ちゃんの事を好きになる事を、私が止める事なんてできないし。お兄ちゃんが素敵なのが悪いの」


 そう言ってレティシアは笑うと、パシャリと足で水面を軽く蹴り上げた。


「それにね、私は思うの。コーネリアさんで良かったなって」

「それは、どういう……?」

「私もね、色んな国を見て回ってきたからね。おかげでたくさんの偉い人達とも会ってきたし、そこで良くも悪くも色んなものを見てきたから」


 レティシアはそう言うと、右手を顔の前にまで持ってきた。そして手のひらの上に、小さな魔法の明かりを生み出す。


「私が傍にいる限り、お兄ちゃんは決して自由になれない。なぜなら、私の力を制御するのにお兄ちゃんを利用するのが最も効率の良い方法だから。お兄ちゃんをコーネリアさんの従士にしたのだって、お兄ちゃんを帝国に縛り付けるため。私が他国に行かないようにするためでしょう?」


 コーネリアの想いはどうあれ、その事は事実だ。素直に頷いてみせる。


「私とお兄ちゃんが恋人同士になれば、お兄ちゃんを帝国へ縛り付ける枷はもっと強いものにしようとするかもしれない。たとえば、帝国に縁の深い女性をお兄ちゃんの愛人にあてがうとかね」


 レティシアの言ったことはまさに、アルフレッドが妹のコーネリアを使ってやろうとしていることだ。


「……はい。兄はその役割を私に――」

「アルフレッド殿下に言われたからじゃないでしょう?」


 コーネリアの言葉を遮ってレティシアは言った。


「アルフレッド殿下の考えはそうかもしれない。でも、コーネリアさんは役割としてではなく、本当にお兄ちゃんを好きになってくれたんでしょう?」

「…………はい」


 コーネリアは蚊の鳴くような声で頷いた。


「私のお師匠様だからっていう理由とは関係なしに、本当のお兄ちゃんを見てくれてコーネリアさんは恋してくれたんだ。私はそれが凄く嬉しいの」


 レティシアはそう言うと夜空を見上げた。


「私以外にもお兄ちゃんの素敵なところを理解してくれる人がいるって。でもね、嬉しいけど……嬉しいんだけど、私はお兄ちゃんを誰にも渡したくないと思ってる。お兄ちゃんを私だけのものにしたいってね、そう思ってる」

「でも、レティシア様のその想いは当然のものなのでは?」


 愛する人を独占したい。それは勇者であろうとなかろうと、人であれば当然の思い。


「でもね、私はそれじゃダメなのよ」


 レティシアは少し悲しげに笑った。


「私は勇者。個人で一国に匹敵する武力を持ってる。だから国はどうしても私を制御する枷を、お兄ちゃんを縛り付けなくちゃいけない。その事を私が受け入れなければ、お兄ちゃんに累が及んでしまう。本当はね、女性をあてがうなんて回りくどいやり方をせずに、お兄ちゃんを拐って人質にしちゃうのが一番簡単なんだ。私に見つからないようにお兄ちゃんを隠して、言う事を聞け! ってね」


 国家が人一人の自由を奪い、絶対の意思を持って完璧に隠そうとすれば、いくらレティシアであってもどうしようもないだろう。

 帝国がウィンの自由を奪いその生命を奪ったなら、レティシアは確実に報復として帝国を滅ぼす。しかし、これがたとえばウィンの腕一本と引き換えに言うことを聞け、などと強制されたなら? レティシアは言いなりにならざるを得ない。そんなレティシアの性格をアルフレッドは周知している。


「でも、アルフレッド殿下はそうした手段を取らなくて、お兄ちゃんをコーネリアさんの従士にする程度にとどめてくれた。今はコーネリアさんを、自分の妹で皇位継承権第二位のお姫様をお兄ちゃんの恋人にする事で、より強い枷にしようとしている。これって、アルフレッド殿下も、お兄ちゃんの事を凄く評価してくれてるんだなって思うよ」


 そう言うと、レティシアはコーネリアの顔を見て微笑んだ。


「だから私は、そのお兄ちゃんを帝国に繋ぎ留める役割を、本当のお兄ちゃんを好きになってくれたコーネリアさんが果たすなら、いいかなと思ってるんだよ」




(何を話してるんだろう?)


 ウィンは土囲いの周囲を歩いて回りながら、微かに聞こえるレティシアとコーネリアの声を聞いていた。

 人里離れた山中なので覗きという不届き者の心配は無いが、魔物や獣がやって来る可能性がある。

 手に持った松明だけでは明かりが心許ないので、歩いている最中に乾いている小枝を拾い集めて焚き火を作る。


「お兄ちゃん、いる~?」

「ああ、いるよー」

「見張りご苦労様です。お風呂、本当に気持ちいいですよ。ウィン君、本当にありがとうございます」

「ほとんどレティが魔法で作ってくれたんだ。俺は何もしていないよ」

「お兄ちゃんが作ろうって言い出さなかったら、私はお風呂なんて思いつかなかったよ」

「沢の冷たい水で水浴びするより、断然疲れが取れますよね」

「喜んでもらえて何よりだよ」


 野営地の岩場でも見えた満点の星空がここでも見える。

 棒きれで焚き火を突きながらウィンは、時折空を疾走る流れ星を探していた。


(こうしていると、今が内戦の真っ最中だなんて嘘みたいだ)


 その時ふと、ウィンの目の端にヌラリとした光が映った。


(ん……蛇か)

 見ればお風呂場の出入り口にと天幕を掛けた場所近くに、草むらから少しはみ出したような形で一匹の蛇がとぐろを巻いていた。

 目の端に映った光は、焚き火の明かりが鱗に反射したものだった。

 毒を持つ種類の蛇ではなかったが胴回りがウィンの腕ほどにも太く、結構大きい蛇である。沼に来る大きめのカエルやネズミを獲物としているのだろう。


(危険は無さそうだけど、湯上がりに出くわしたら二人がびっくりしそうだ。追っ払っておくか)


 少し長めの棒を持って立ち上がったウィンは、蛇を追い払おうと棒で突いてやる。すると蛇はチロチロと赤い舌を動かしながら草むらの中へと逃げて行った。

 戻ってこないように草むらの奥の方まで追い払っていると、「きゃっ!」という悲鳴が聞こえた。


「コーネリアさん!?」


 悲鳴はコーネリアのもの。


「あ、や、嫌……こっち来ないでください……っ!」

「待ってて! すぐに助けてあげる!」


 嫌がるコーネリアの声と、焦ったようなレティシアの声。


「どうしたんだ!?」

「上から……あ、嫌! やめてください!」

(上から!? しまった! 上まで見ていなかった!)


 ウィンの脳裏に先程リーノと交わした会話が思い浮かんだ。

 蚊の魔物。

 当然翅がある。そして空から飛来してくる。

 お風呂場には天井はない。

 地上の魔物や獣だけを警戒していて、空から何かが飛んで来ることは頭の中には無かった。

 焦ったウィンは咄嗟に剣を取って出入り口の天幕を跳ね上げて中へと飛び込んだ。


「二人とも、大丈夫か!?」

「え、あ、お兄ちゃん!?」


 ウィンの目に飛び込んできた光景は、全裸のレティシアとコーネリア。そしてお湯で艶やかに濡れたコーネリアの黒髪へ止まろうとしている、一匹の蛾をレティシアが追い払おうとしている所だった。

 蛾の翅を広げた時の大きさは大人の手のひらくらい。確かに大きいがただの昆虫。お風呂場に灯してある明かりに誘われてやって来たのだろうが、もちろん危険な生物では無い。

 突然の事態に決して短くない時間、三人は我に返るまでの間しばしお互いにマジマジと見つめ合い――。

 バシャリという水音を立てて、声も上げず顔を真っ赤に染めたコーネリアが湯船の中にしゃがみ込んだ。


「ご、ごめん!」


 その音にハッと我に返ったウィンはくるりと身体の向きを変えると、外へと中へと入ってきた以上の速さで飛び出して行った。

 そして「わあっ」というウィンの悲鳴。


「お兄ちゃん!?」


 その声に慌ててレティシアとコーネリアが外を覗き見ると、あまりにも慌てたせいかウィンが沼の中へ突っ込んでいるのを見つけたのだった。




 水音とともにクスクスという笑い声が聞こえる。


「そんなに笑うなよ……」

「だって……さっきのお兄ちゃんの格好。本当に面白かったんだもの」

「ウィン君があんなにも焦った姿を見せるなんて珍しいし、ちょっと可愛かったです」


 ウィンをからかうレティシアとコーネリアの二人が、顔を見合わせて頷き合う。

 そんな二人に言い返したいウィンだったが、そうするために振り向けば、湯船から二人の形よく膨らんで柔らかそうな膨らみが作り出す谷間が目の中に飛び込んできてしまい、慌てて再び背中を向ける事になり言い返す機会を逃してしまった。


(何でこういう事になってしまったんだ……)


 ブクブクと鼻の下くらいまで湯船に顔を浸けて、心の中で呟く。





 粗相をしてしまい慌てたせいで沼に落ちてしまったウィンは、頭の上からずぶ濡れとなってしまった。

 服を着たままずぶ濡れとなってしまったため、風が吹けば非常に寒い。


「お、お兄ちゃん大丈夫!?」

「あ、ああ、大丈夫大丈夫」


 そう答えを返しながらも、「うああ……」とうめき声を漏らしつつ寒さにガタガタと小刻みに震えるウィン。

 そんなウィンを見てレティシアは、「ああ……うう……」としばらく悩むような素振りを見せる。それからレティシアと同じく身体を隠し顔だけを覗かせているコーネリアを見た。

 するとコーネリアも少し逡巡するかのように視線を彷徨わせたが、寒そうに震えるウィンを見ると、レティシアに頷いてみせた。


「お兄ちゃん。冷えるからお風呂、浸かったほうがいいよ」

「ええっ!?」


 何を言い出したのかわからないという顔をするウィンを見て、意を決したレティシアは、濡れた身体を拭くための布で身体を隠して外へと出るとウィンの腕を引っ張る。


「いいから、来て。濡れたままでいたら風邪引いちゃう」

「待て、ちょっと待てってレティ。それはマズイって」

「いいよ、私達がいいって言ってるんだから」

「まだ帝都まで遠いですし……この辺りには町も村もありませんし……風邪を引いてもし拗らせてしまったりしたら……」


 羞恥に頬を染めつつもコーネリアが小声で呟いている。

 そして二人に押し切られるようにして、ウィンは少女達二人と一緒に湯船を使うことになったのだった。




 湯に浸かると、ずぶ濡れになった所に吹き付ける冷たい風で、すっかり冷え切った身体が温まり身に染みて心地よい。

 ウィンの両隣ではレティシアとコーネリアが、同じように湯に身体を浸けていた。

 この事態を招く原因となった蛾を引き寄せた篝火が湯船の水面に反射しているおかげで、二人の少女の全身は見えない。だが、背を向けてはいるものの、決して広くはない風呂場での事。長い髪が濡れないように髪を纏めているために、艷やかでなまめかしいうなじとほっそりとした肩、そして張りのある白い膨らみの上部など、先程振り向いた際に湯船から覗き見えた二人の少女達の扇情的な姿が頭から離れず、ウィンを落ち着かない気分にさせる。

 その時、レティシアが気持ちよさそうに歌を歌い始めた。彼女の美しい歌声は、土の囲いの中で反響して、しっとりとして落ち着いた穏やかな空間へと変えていく。

 ウィンも、意を決したとはいえやはり恥ずかしいのか、羞恥に身を小さくしていたコーネリアも、レティシアの調べに耳を傾けるうちに落ち着きを取り戻していた。

 歌を聞きながらウィンとコーネリアの二人は頭上を見上げた。

 雲ひとつ見られない夜空には、宝石を散りばめたような星空が広がっていて最高に美しい。


「綺麗ですね……」

「うん」


 目を閉じて歌っていたレティシアが二人をちらりと見たが、再び目を閉じて再び歌い出す。

 静かな時が流れていった。

 この後、順番ではリーノが次にお風呂を使うはずだったのに、先にウィンが使っていた事について野営地の岩場へ戻った時に追求を受けることになるのだが、この時の三人はそんな事になろうとはまったく考えていないのであった。


バレンタインデーだったので。

書いてみたかったのです……。

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確かセリが宿の水汲みを、魔法で出した水でやっていた ような気がする。 エルフと人間の魔法は別物なのかな
[一言] かつてこんなに好ましいハーレムがあっただろうか ハーレムは腐れ外道の所業だと思ってたけどこれは納得できるわ
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