幕間①
行動は日が落ちてから開始することになった。
旅支度を整えて人目に付かぬよう町の外へと出た人影は七つ。
ウィン、レティシア、コーネリア、ケルヴィン、ロック、ウェッジ、リーノである。
七人は予め森の中に隠していた馬に乗って、街道ではなく馬一頭がやっと通れる森の中の細道を歩いていた。
本来整備の行き届いた街道でも無い枝道。
「レティ、こっちの岩もどけてくれ」
「うん」
先頭を行くウィンが道を塞いでいる岩の前で足を止めると、背後を付いて来るレティシアを振り返って言う。
落石があったのかウィンの背丈よりも大きな岩が細道を完全に塞いでいたが、レティシアが岩に手を添えて呪文を唱えると、サラサラと砂へと変化して崩れてしまった。
夜に馬を進めるのは危険な行為だ。地元の猟師、樵、炭焼き職人くらいしか利用しないこの林道は、今あったような落石だけでなく倒木、崖崩れの痕がそのまま残されている。足場も悪いため、冒険者として活動していたおかげでこうした道に慣れたウィンが先頭を進み、障害物はレティシアが排除する。
そこまでしても夜間に強行軍で移動しているのは、エルツの周辺に残されているであろうノイマン皇子軍の斥候の目を避けるためだった。
「この辺りで休息としましょうか」
危険な道程は、通常の行程よりも疲労度が増す。
全員の疲労を見てケルヴィンが馬の足を止めると、張り詰めていた緊張が一気に緩み、誰もが大きなため息を吐いた。
ケルヴィンが野営に選んだ場所は、小さな沢がある岩場。大きな岩がむき出しとなっているおかげで木が生えておらず、ぽっかりと小さな広場となっていた。
「ふくちょ~、火を熾しますぅ?」
「追跡されている気配もありませんし、ここまでくれば大丈夫でしょう」
「じゃあ俺、薪集めてきます。レティ、手伝ってくれ」
「うん」
ウィンとレティシアが連れ立って茂みの奥へと入っていく。
「ロック君」
ロックがそこらに散らばっていた枯れ葉と小枝などを集めて、手に持った松明から火を移しているとケルヴィンに呼ばれた。
「何ですか、副長」
「リヨンでの任務中、あの二人の関係に何か進展がありましたかね?」
ケルヴィンはウィンとレティシアが歩いていった方をじっと見つめていた。
「どうしてです?」
「いえ……どことなくあの二人の関係がより親密なものに見えたものですから」
「えっとそれなら~、ペシュリカの時に何かあったのかも~」
答えたのは馬に背負わせていた袋の中から、保存食や野営に必要な道具を取り出していたリーノだった。
「ペシュリカの町でレティシア様が貴族の方々に囲まれてた時に、割って入ったウィン君が、レティシア様を強引に連れ出しちゃったんですよ~」
「ほう?」
ケルヴィンが珍しく、細い目を少し見開いた。
「ウィンがレティシア様を連れ出した後は何があったのかは聞いていないんですけど、しばらく二人きりでいたみたいです。その時に何かあったんじゃないかと思ってます」
「そういうことですか」
「ですが副長。よくわかりましたね」
ロックが感心したような目を向けると、ケルヴィンは苦笑を浮かべた。
「何となくでしたけどね。以前のウィンは、騎士として仕事でレティシア様が力を使うことを好まないようでしたが、今は違うように見受けられましたからね。二人の雰囲気が変わったように感じられました」
「へぇ~、ふくちょ~。意外にそういうとこ鋭いんだぁ~」
「リーノ君も御存知の通り、私は既婚者ですからね?」
リーノの言葉にケルヴィンはふっと少し笑い、それから心外そうな顔をした。
「少し観察すればわかるでしょう? 言葉の掛け合いだけでなく呼吸、目線、間合いなどを読み取れば、関係性の変化を窺える兆候は幾らでも見て取れます。全て戦いの中で培った技術ですが、応用すれば実生活の中で対象の人間関係を推察するのにも応用できる技術ですよ」
「き、器用な真似しますね……」
相槌を打ちつつも、ロックは微妙な表情を浮かべた。
「そんなことよりもロック君」
「はい?」
「随分と前の話になってしまいますが、エルツに向かう道中でした話を覚えていますか?」
ケルヴィンに尋ねられてロックは、思い出せないのか「はい?」と首を傾げた。
「ですから以前お話したでしょう? ウィン君を除いた我々従士隊の役割について。我々に期待されている役割は、ウィン君が功績を上げるためのサポート役も期待されていると。どうやら、リヨンではその期待に応えられるだけの功績を無事成し遂げてくれたようですし、先程確認したようにレティシア様との関係も良い方向へ進んでくれたようなのですが……」
ケルヴィンはそこで言葉を切ると、ちらりと馬の世話をしているコーネリアへと目を向ける。帝国で最も高貴な女性であるはずの彼女は、その高貴な身分にも関わらずウェッジと並んで馬を沢まで連れていき水を飲ませていた。ただ、時折その目がウィンとレティシアが歩いて行った方角へ向いている事を、ケルヴィンは気づいていた。
「……えっと、コーネリア様が何か?」
「ウィン君とレティシア様の関係が進みそうなのは、我が帝国にとっても大変喜ばしいことなのですが、コーネリア様との関係はどうなっているのでしょう?」
「ど、どうなっているって……」
ロックが言葉に詰まる。
「ウィンとレティシア様が良い関係になっている以上はその……言い難いんですけど、身を引かれる事にというか何ていうか……」
ごにょごにょと言い淀むロックに対してケルヴィンは「はあ……」と大きなため息を吐いてみせる。それから小さく軽く一度首を横に振ると立ち上がり、沢の傍にいるコーネリアへと歩いて行った。
「失礼します、殿下」
「はい?」
沢の辺りでしゃがみ込んで馬に水を飲ませていたコーネリアが、そのままの姿勢で振り返った。
「不躾な質問で恐縮なのですが、ウィン君と殿下の個人的な関係についてお伺いしたい事が……」
「個人的な関係ですか?」
怪訝そうな表情を浮かべるコーネリアに、ケルヴィンは頭を搔いた後、少し言葉を探すように視線を宙で彷徨わせた。
「ええっとですね……、殿下はウィン君に対して特別な感情を抱かれてらっしゃるという事で間違いないですよね」
単刀直入で問い掛けたケルヴィンに、後を付いてきたロックとリーノが思わず互いの顔を見合わせると驚きの声を上げた。
「ち、ち、ちょっと副長」
「ふくちょ~、いくら何でもそんな質問は……」
慌てた様子を見せる二人に一瞬視線を向けたコーネリアは、勤めて平静な態度を装いつつその場に立ち上がった。
「……ケルヴィンさん。おっしゃられている事の意味がわかりません。私がウィン君に対して特別な感情を抱いているとはどういう事でしょう?」
「そのままの意味ですよ。殿下はウィン君に特別な感情を抱いている。ああ、お断りを入れておきますが、何も私はその事で下世話な勘ぐりをしたいわけではございません。ただ、私達も今後動いていく時の方針として、殿下のお気持ちの確認をとっておきたいのです」
「私とウィン君の個人的関係が、皆様の方針に何か影響するのですか?」
「もちろん。大きく影響しますよ」
ケルヴィンは強く頷いた。
「殿下にもよく心得ておいてもらいたいのですが、殿下とウィン君の個人的関係の行く末は帝国にとっても重大な関心事の一つになるかと思いますよ?」
「て、帝国のって……」
コーネリアは一瞬目を大きく見開いた。
「そんな……ウィン君にはレティシア様という特別な方がいらっしゃいます。例え、私がその……ウィン君に対して特別な感情を抱いていたとしてもです。お二人の間を引き裂くような真似はできません」
特別な感情という言葉を口にした時に、コーネリアは僅かに頬を染めてしまう。それだけで彼女の本心がどうなっているのか、周囲に知らしめているようなものだ。
「ええ、確かにあの二人の間を引き裂くような事は何人たりともできないでしょう。しかし、殿下。そこで殿下に身を引かれては困るのですよ」
「こ、困る……?」
ケルヴィンの話に、コーネリアは途方に暮れたような顔をした。
「あのですね、殿下。ロック君には先程言いましたが、あの二人――ウィン君とレティシア様が良い方向へと進まれることは、大変喜ばしいことなのです。ですが我がレムルシル帝国にとって、それだけではまだまだ不十分。どうやらレティシア様はメイヴィス家という実家に対して執着を持たれておられないご様子ですし、その上ウィン君は養父母のような方こそいらっしゃいますが、家というものを持たない身の上。言ってしまえば、帝国に対してお二人はしっかりと根を張っていない状態なのです」
「ああ、確かに。レティシア様は家を毛嫌いしている感じだものな。子どもの頃はずっとウィンの所に入り浸っていたって話だし……」
「レティシア様のお兄さんと会ってた時も~、態度が余所余所しかったものね~」
ケルヴィンの言葉にロックとリーノが相槌を打った。
「帝国としてはあのお二人を何としても繋ぎ留めたい。他国へと流出するのだけは絶対に避けたい。アルフレッド殿下もそうお考えなのです」
「おっしゃっている事はわかりますが、その事に私とウィン君の個人的な関係がどのように関わってくるのでしょう」
「つまり、殿下にはこれまで以上にウィン君との親密な関係を築き上げて頂き、ウィン君を帝国に繋ぎ止めるための楔となって頂きたいという事ですよ」
「何ていうことを! あなたは私にあのお二人の仲を引き裂けと言われるのですか!」
ケルヴィンの物言いにコーネリアは柳眉を逆立てた。
「いえいえ、お二人の仲を引き裂けとは申しません。レティシア様に負けず、ウィン君と親密な関係を築き上げてもらいたいのです。恐らく、これはアルフレッド殿下も同じお考えだと思いますよ?」
「兄上が?」
疑わしそうに問い直すコーネリアへ、ケルヴィンは頷いてみせた。
「当然でしょう。そうでなければ、殿下の身辺にウィン君を付けるわけがございません。幸い殿下は彼を心憎からず思っているご様子。アルフレッド殿下は殿下の想いに沿う形でレティシア様を帝国へ繋ぎ留めたい。正室、側室、貴族の世界ではよくある話ですよね」
「ウ、ウィン君は平民ですよ?」
あまりな話に動揺の色を浮かべるコーネリア。
「まあ平民と言っても、うちの親父や兄貴は愛人囲ってたりするけど……」
ボソリと呟くロック。
マリーン家の本邸には、ロックの父親の愛妾が三人共に住んでいたりするし、後継者としては認められていないが腹違いの兄弟姉妹もいたりする。
「さすがは帝国でも名だたる大商会のマリーン家といったところですね。そのマリーン家の例をとってもわかるように、平民が二人以上の女性を嫁にすることは珍しいわけではないのです」
「でもふくちょ~。それってコーネリア様とレティシア様のどちらかが愛人さんって事になるんじゃないですか? ウィン君は平民ですよ? 皇族の方、公爵家の方を相手にそんなのって許されるんですか~?」
リーノの質問はもっともな話だ。
レティシアに関しては周囲が許すも何も、彼女に限っては本人の意思を尊重する以外はっきり言ってどうしようもない。
もともとウィンに一途なレティシアは身分違いなど気にも掛けないだろうし、彼女自身は己の意思を貫き通すだけの力を持っている。例え父親のメイヴィス公爵を始めとした親族達が反対した所で、力ずくで彼女の意思を曲げることは不可能。下手をするとさっさと帝国を出てしまいかねない。公爵令嬢という身分に対して、まるで執着を持っていない厄介な人間なのだ。
だが、コーネリアは違う。
コーネリアは帝国第一皇女として、皇位継承権も二位という帝国で最も高貴な女性。
レムルシル帝国の皇族の女性は、他国の王族と違い婚姻相手を選ぶ自由がある。ただ、実際に歴代の皇族の女性達は各々が選んだ相手と結婚をしてきたが、もともと皇女に会えるような人物など高位の貴族の子弟に限られている。そのため、多くの場合は皇女の地位に見合った男性がその伴侶に選ばれていた。
それがコーネリアは、父である皇帝へ我儘を通し騎士学校へ通っていた。そしてその結果、騎士学校でも最も身分の低かったウィンを見染めてしまった。
皇女の選んだ人物が平民だったなど、帝国の長い歴史上でも前例がない。皇族に近しい貴族達でも、さすがにこれは許されないのではないか。
「ええ、リーノが危惧する通りだと思いますよ」
ケルヴィンは頷いた。
「勇者の師匠という肩書を持っていたとはいえ、以前までのウィン君なら認められなかったでしょう。ですがリヨン王国王太子にして『剣聖』ラウル殿下のお墨付きで『剣匠』の称号も視野へと入れ、この度の騒乱の功績も大きく評価される事になります。それこそ貴族として取り立てられてもおかしくないくらいに。そうなればウィン君は、誰はばかること無く皇女と結ばれる事ができます」
「ですから、ウィン君にはレティシア様がいらっしゃいますから!」
「いえいえ、だからこそ殿下にウィン君と親密な関係を築き上げてほしいのです。レティシア様は勇者にしてメイヴィス公爵家令嬢という血筋もこの上ない女性。そのレティシア様に匹敵できる人物は、殿下を於いて他におられないでしょう?」
「…………」
ケルヴィンは笑顔すら浮かべて言い切る。その勢いに押されて、コーネリアは思わず反論の言葉を飲み込んでしまった。
コーネリアの脳裏にはレティシアの、光を撒き散らすかのような美しい金髪、奇跡のように整った容姿、そして勇者としての凛とした佇まいを思い出す。地位に関係なく、女性の目から見ても魅力的なレティシアと対等に付き合える者など、確かに帝国内ではそうそういないと思われた。
コーネリアを除いては。
その事に気づき内心嬉しさを覚えつつも、コーネリアはそれでも否定の言葉を口にした。
「ケルヴィンさん。私にはお二人の中の間に割って入るような気はありませんから……」
「そうですか」
重ねてコーネリアに否定されて、ケルヴィンはここらが頃合いかと引き下がることにした。
「ですが殿下。アルフレッド殿下は恐らく、今私が述べたような未来をお望みになられています。その事をひとつ、心に留め起きくだされば幸いです」
そう言うと、ケルヴィンは微笑を浮かべて小さく一礼をすると沢の辺りを離れて、岩場に
ある焚き火の方へと戻っていた。
皇女を前にして物怖じしないケルヴィンの態度に、ロック、リーノの二人は唖然としつつもその背中を追って行った。
その場には、まだ頭の中が整理できていないコーネリアと、話を聞きつつ馬の世話をしていたウェッジだけが残った。
「ええっと……俺達も戻りましょうか」
そして馬の世話を一通り済ませたウェッジは珍しく口を開き、その場から動けずにいたコーネリアに焚き火まで戻るよう促したのだった。