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エルツ攻防戦②

「ペシュリカが陥落したか」

「二時間と持たなかったようです」


 淡々と告げるクラウスの言葉に、ジェイドは小さく舌打ちをして嘲笑を浮かべた。


「シュリハーデンめ。コーネリアとリヨンの出しゃばり共を、まとめて差し出してみせると大口を叩いておいてこのざまか。所詮は西部の田舎貴族といったところか。それでペシュリカでの戦果はどのくらいだ?」

「敵勢力の占領下にありますので詳細まではわかりかねます。ただ、死者は三百に足りずといったところかと……」

「少ないな……」


 ジェイドは右手の人差し指を軽く噛んだ。


「陥落までの時間が短すぎました。我が軍の先鋒が降伏した事で、ペシュリカ守備兵と西方方面騎士団の兵士達の士気を著しく下げてしまったのが原因です」

「先鋒部隊が降伏するのは予定のうちだが――」

「少々予定よりも早すぎます。しかし、勇者に剣を向けるというのは抵抗があるらしく、ほぼ無傷で突破されている様子です」

「ラウルめ……。思っていたよりも早く勇者を前線に出してきたな……」


 ジェイドは戦況を表した地図をじっと見つめた。 

 ペシュリカを陥落せしめたリヨン王国軍は、クレナドへと続く山間の街道へ幾重にも構築した陣のうち二つまでもあっさりと突破した。

 レティシアを先頭に立てる事で、兵士達が戦うこと無く降伏していくのである。

 この進撃速度であれば、明日の夜にでもジェイドのいるノイマン皇子軍本陣へと迫るだろう。

 コーネリア第一皇女が皇宮を抜け出してリヨン王宮に姿を現した時点で、レティシアがコーネリアと共にある事をジェイドは想定していた。

 コーネリアの従士隊にはレティシアの師、ウィン・バードがいる。これまでの行動を見ても、レティシアがウィンに同行していないはずがない。

 だがジェイドはレティシアが前線に出てくるとしても、それはもっと後になってからのことだと想定していた。

 勇者が人に対して力を振るう。人の理解を超えた大きな力が自分たちへ向かってくる事もあると知れば、今は称讃と尊敬の念で勇者を讃えている者達は、簡単に畏れと恐怖を勇者に抱くようになるだろう。

 魔王が滅ぼされて以後、全ての国がレティシアの持つ武力が自国に向けられた際にどうするか検討してきた。

 対魔大陸同盟軍という超国家組織ですらどうにもできなかった魔王を倒した、圧倒的武力。

 その武力が戦争において片方の勢力へと加担し、その武力を振るう。

 それが現実にあり得ると思われたら、レムルシル帝国は第二の魔王軍として世界を相手に戦争となりかねない。

 そうなる事を恐れてアルフレッドは、リヨン王国へ向かったコーネリアにレティシアが同行したことを秘密とした。リヨン王国でコーネリアと共にレティシアが姿を見せた時も、リヨン王国側も軍事同盟の調印儀式にレティシアの出席を求めなかった。

 これは民衆だけでなく、他国を刺激しないようにするための配慮だ。

 そうまでしたリヨン王国の王太子ラウルが、レティシアを最前線に出すはずがない。出してきたとしても、戦況が苦しくなってからの事だと思っていた。

 まさか、初戦からレティシアが前線へ積極的に出てくるとは、ジェイドにとっても誤算だった。


「日和見で我が方に味方した貴族共が連れてきた兵士では、勇者に剣を向ける事はできまい。突破されるのは予定のうちだが、こうなると数が足りないな。ふん、そう考えるとシュリハーデンの三百という数は、奴にしてみれば頑張ったと言うべきなのか」

「ジェイド様。兵士達を戦わせるために督戦隊を作ってみてはいかがでしょう?」


 クラウスの言う督戦隊とは、降伏や逃亡を考える兵士達へ矢を射ち込む。死にたくなければ前進し戦えと、自軍の兵士を戦いに駆り立てる部隊の事で、敗戦が濃厚な状況でよく使われる。


「督戦隊は貴族身分、騎士身分にある者達で構成します。彼らならば、勇者と相対しても督戦隊としての役割を存分に果たしてくれるでしょう」

「なるほど。それで勇者の怒りを買ったとしても、味方の兵士達に逆襲されて殺されたとしても、役には立つな。しかし、それでも勝てるようには思えないが?」

「ジェイド様のおっしゃられるように、どのみち勇者を前面に出されて士気の上がらない兵士では、督戦隊を用いても時間を稼ぐのが精一杯と思われます。ですからその敗北の責任を彼ら自身に取ってもらいましょう」

「責任を取らせる?」

「督戦隊を組織したとしても、ジェイド様のおっしゃられるように最終的には敗れてしまうでしょう。しかし、彼らの命は我々にとって貴重な時間をもたらします。彼らは所詮勝ち馬に乗ろうと日和見で集まった忠誠心の疑わしき者達。ここで使い潰しても何ら問題はございません。後のことは私にお任せ頂けましたなら、レイナードの遺したコンラート・ハイゼンベルクの遺産、必ずや役に立たせてみせましょう」

「面白い。ならばお前に任せる」

「承知しました。それでは早速私は準備へと」


 ジェイドが頷くと、クラウスは深々と一礼してみせた。


「ふん……。もっと血を流すがいいさ。レイムダウを滅ぼした貴様らを守るために死んでいった母、そしてその民達の恨み。貴様らの血で贖わせてもらおう」


 ジェイドの呟きは押さえきれぬ激情と、凍るような冷酷さが込められている。その声を聞きつけたクラウスは部屋の扉に手を掛け仮りそめの主に背を向けたまま、小さく唇を歪めてみせたのだった。



 ◇◆◇◆◇



 ペシュリカとクレナドを繋ぐ街道を塞いだ敵陣を無傷で三つ抜いた所で、リヨン王国軍は足を止めることになった。

 ノイマン皇子軍の四つ目の陣内からレティシアは、これまで抜いてきた陣とは違うただならぬ緊張感が漂漂っていることに気づいた。

 こうした雰囲気に、歳若いながら恐らくは帝国でも最も戦闘経験が豊富なレティシアには心当たりがあった。


「……死兵?」


 対魔大陸同盟軍で、幾度となく感じた雰囲気。

 前方には魔物の大軍。後方には身を守る術のない、逃げ惑う民衆。

 およそ勝ち目の無い戦いで、追い詰められた兵士達は民を逃がすために文字通り死兵となって命を捨てて戦う。

 そうした光景をレティシアは幾度となく目にしてきた。

 今のノイマン軍の兵士達からは、そんな彼らと似た雰囲気を感じ取った。

 しかし、今は帝国内での内戦だ。

 降伏という概念を持たない魔物と違って、人と人との戦争だ。

 兵士達の後方にはまだ大勢の友軍がいて、開戦していない今なら退路が幾らでもある。それにも関わらず、どうしてこんなにも糸が張りつめたような、鬼気迫った緊張感にノイマン皇子軍の兵士達が包まれているのか。


「勇者様。後方へお退きください。どうやら敵は、今までとは少し違っているようです」

「そう……ですね」


 少し唇を噛んで迷ったレティシアだが、リヨン王国軍の前線を預かる指揮官の言葉に素直に頷いた。

 説得できる雰囲気では無さそうだった。

 こうしてレティシアが後方へと下がった所で、ついに両軍が衝突した。

 ラウル達リヨン王国軍の武将達が想定していたように、リヨン王国軍側が坂を駆け上り、それをノイマン皇子軍が木製の柵と堀を張り巡らせた陣地で待ち受けるという形だ。

 坂を駆け上がらなければならないという不利な形勢ながら、リヨン王国軍は士気も高く、何度も突撃を繰り返し、少しずつノイマン皇子軍の陣地を削っていった。

 ノイマン皇子軍の士気は、リヨン王国軍側からも目に見えて下がっていくのがわかった。

 しかし、到底士気が高いように見えないノイマン皇子軍の兵士達は、退く事無く奮戦している。

 何が彼らをそこまで戦いに駆り立てているのか。

 ラウルと彼のそばにいる幕僚たちが不気味な思いに囚われ始めた頃、その疑問が遂に解消された。

 何度も突撃を繰り返して優勢に立っていたリヨン王国軍の一部が、一時的に押し返された。


「督戦隊の存在だと!?」

「はっ、敵軍の背後に弓兵が展開し、逃げ出す兵士達に容赦なく矢を浴びせている模様です」


 士気旺盛なリヨン王国軍の圧力に耐えかねたノイマン皇子軍の一角が崩れ、徐々に後退していた時の事。

 劣勢となって押し込まれていたノイマン皇子軍の兵士達の頭上に、後方味方の陣地から矢が降り注いだのである。


「現在の持ち場を死守せよ! 敵前逃亡は重罪である! 敵に背を向ける者! 逃亡を企てる者は射殺せよとの命も出ている! 逃亡兵にはその係累にも厳罰を持って臨むと心得よ!」


 実際に後方から矢が降り注ぎ、逃亡を企てた兵士が射殺されるのを見て、ノイマン皇子軍の兵士達は死に物狂いでリヨン王国軍を押し返した。


「何ということを……っ!」

 報せを受けてコーネリアは絶句した。

 興奮の余り用意された椅子から勢い良く立ち上がった。顔が青ざめ強く唇を噛みしめる。そしてそのまま椅子へと力なく崩れるようにして座り込んしまった。

 上体が傾かしいで、彼女の隣りにいたリーノが慌ててその身体を支えた。


「……戦う意志を失った者に投降を許さず、矢を射ち込むなんて」


 今は敵とはいえ彼らも帝国の民達。

 力なく項垂れて憂う帝国の皇女をラウルは痛ましそうに見つつ考え込む。

(しかし腑に落ちんな……。ペシュリカを落としレティの説得で投降する敵部隊が多いとはいえ、戦いはまだ序盤。劣勢とはいえ、今戦っている兵士達は、クライフドルフ候子飼いの兵士達では無いだろう。兵力に物資も余裕はあるはずだ。督戦隊を組織するにはまだ早いはずだが……いたずらに犠牲を増やしてどうするつもりなのだ?)


 まさかノイマン皇子軍を指揮するジェイドが積極的に犠牲者を増やそうと画策しているなど、ラウルにわかるはずもない。

 ただ、常識では考えられない下策を打つノイマン皇子軍の行動に、ラウルは不気味な思いを抱いた。


「自暴自棄となった敵兵に付き合って無用な損害を出す必要はない。一度下がらせろ。ただし、深追いしてきた敵には容赦するな」

「はっ!」

(ちっ……どうも嫌な予感がするな)


 後退を始めたリヨン王国軍に、ノイマン皇子軍が押し込んでくる。ただノイマン皇子軍の勢いは督戦隊の働きによって生じたものでろくに統制が取れておらず、ラウルの優秀な配下の指揮官達は突出した敵前線部隊を散々に打ち破っていき日が沈む頃にはノイマン皇子軍を撤退に追い込む事に成功した。


「奴らの後背を叩くよりも先にエルツへ応援に向かう。全軍、エルステッド領都エルツに進軍するぞ。アルフレッド皇太子と合流を急ぐ!」


 ノイマン皇子軍はゆっくりとクレナド方面へと街道を後退していく。その軍をラウルは追撃をすることもなく見送った。

 味方の指揮官達はラウルの思い描いた通りの見事な働きを見せていて、満足のいくものだった。

 しかし、思うとおりに事が運んでいるにも関わらず、ラウルは心の裡に沸き起こる不安をかき消すことができずにいた。



 ◇◆◇◆◇



 支給された毛布に身を包んでいても、マジルの山から吹き下ろす夜風は湿り気を帯びていて冷たく身に染みる。

 遮る壁の無い市壁の上、エルツの町名物である見張り塔の上ならなおさらだ。

 夜番に当たったエルツの兵士は、市壁の外に目を凝らしつつ手足を擦り合わせて寒さを凌いでいた。

 時折、風の中にツンと鼻をつく悪臭が混じる。

 市壁の外に散乱している戦死者の死体が腐敗し、悪臭を放っているのだ。

 だが、エルツの町は風上に位置しているためまだマシである。風下に陣を構えているノイマン皇子軍では、どれほどの悪臭が漂っているのだろうか。考えたくもないと兵士は頭を振ると、疲労から来る強烈な眠気を飛ばそうと頭を振った。

 戦死者の遺体が腐敗し悪臭が漂っているのには理由がある。

 通常、戦闘が終わって軍が退いた後には、折れた剣や槍、矢、物言わぬ躯が戦場に残される。そして大抵の場合、すぐに近隣の農民達が戦場へとやってくるものだ。

 彼らの目的は、遺体が身に着けている剣や鎧、槍、さらには着衣などの一切合切全てである。

 剣や槍は多くの場合損傷が酷かったりするが、鋳潰して鉄にしてしまえばまた使えるし、衣服だって血糊を洗えばまだ使える。そうやって農民達の手によって遺品を全て剥ぎ取られた後に、遺体は彼らの手で埋葬される事になる。遺体をそのまま放置すれば腐敗が進み、悪臭や疫病の原因にもなりかねないからだ。

 戦場の遺物を漁る行為は、身分ある者達から見ると眉をひそめたくなる行為ではあるのだが、戦場に選ばれるのは農地となる場合が多く、田畑へ与えた損害の補填のためとして大抵の場合で目こぼしされる事が多い。

 しかし、エルツの町近郊で起こったアルフレッド皇太子軍とノイマン皇子軍の戦いは、両軍が退いても死者の遺品を漁る農民達の姿は現れなかった。

 近隣にある農村の住人を含めた全ての者がエルツへ逃げ込んでいるからだ。

 そのため、戦死者の遺体がそのまま放置されてしまい、悪臭が漂い始めてしまったのである。




 エルツがノイマン第二皇子の率いるおよそ三万の軍勢に囲まれて、およそひと月近い時が過ぎ去っていた。


(武器も物資も食糧もまだまだ余裕はある。しかし、兵士達の疲労は隠せなくなってきているな)


 エルステッド伯爵邸の一室でアルフレッドは、エルツの市街図を広げて睨みつけていた。

 地図にはエルツを守る兵士達の配置、破られてしまい木材で補強された壁の場所など、町の防衛に関する情報が細々と記されている。そして市壁の外に陣を張るノイマン皇子軍の配置が、わかる限り記されていた。

 その地図から読み取れる情報は、誰がどう見てもエルツの町側が劣勢。陥落も時間の問題としか映らない。 

 しかし、圧倒的な兵力差があるにも関わらずエルツに籠もるアルフレッド皇太子軍は、幾度となく押し寄せるノイマン皇子軍の攻勢を、堅固な市壁を頼りに驚異的な粘りで跳ね返し続けている。

 これは開戦初期にエルツの外に伏せていた、ケルヴィン率いる冒険者達で構成された遊撃部隊の働きが大きい。彼らがノイマン皇子軍の有力な前線指揮官の指揮官を次々と捕らえてしまった事で、諸侯の寄せ集めとなっているノイマン皇子軍は部隊同士の連携が上手く取れていない。

 ノイマン皇子軍は攻勢を重ね、その都度破壊の魔法や投石機による石弾攻撃を繰り返し、何箇所もの市壁を破壊したが詰めが甘く押し切ることができない。せっかく破壊した石壁も、町の職人達の手によって木材で応急処置が施されていた。

 騎士、兵士、エルツに籠もるアルフレッド軍に協力する傭兵、冒険者といった戦いを生業とする者達は、まだ戦えるだけの体力を残している。

 問題は市民達と市民有志からなる兵士達の疲労度だ。

 領主ロイズに対する恩義と忠誠心、そして市壁内の家族を守るため市民達の士気は高いのだが、慣れない戦闘の連続から来る疲労は、士気だけで誤魔化せなくなってきている。夜の見張り当番に当たった市民兵の中には、立ったまま居眠りをしてしまう者も出始めていた。


「……失礼します、殿下。ケルヴィンより連絡が入っております」


 扉を叩く音がして、両手に書類を抱えたロイズが部屋の中へと入って来た。

 ロイズはアルフレッドの前まで歩いてくると、地図が乱雑に置かれた机を見て大きくため息を吐いてみせた。


「……殿下。お食事は口にあいませんでしたか?」

「何?」


 見ればロイズの妻の一人が運んできてくれた夕食が置かれている。運ばれてきた時にはもうもうと湯気を立てていたのだが、見ればもうとっくに冷めきっていた。


「つい先程君の夫人が運んできてくれたばかりなんだが……」

「殿下のおっしゃるつい先程とは、一体どれほど前の事なのでしょうか。もうスープの脂が冷え固まってしまっておりますぞ」

「すまないな。せっかく持ってきてもらった食事を……」 

「殿下。戦場では食べられる時にはしっかりと食べ、眠れる時にはしっかりと眠る。これができなければ満足に戦うことすらできません」

「わかってはいるつもりなんだけどね……」

「指揮官ともなれば、兵士達の前では常に余裕ある態度を見せねばなりません。特にこうした劣勢な状況において指揮官に余裕が見られなければ、兵士達はたちまち不安な思いに駆られてしまいますぞ?」


 アルフレッドが言い訳をしようとした所に、ロイズが更に言葉を重ねてアルフレッドの言葉を封じる。


「こんなことではないかと思って、温かいスープを用意させています」

「いや、これでいい。貴重な食糧だからな。それに食欲もあまりない」

「いけません、殿下。きちんとした食事を摂らねば身体を壊してしまいますぞ」


 ロイズが扉の外へと合図をすると、先だってアルフレッドへ食事を持ってきたロイズの妻とは別の女性が、まだ湯気を立てる新しいスープにハム、野菜とパンの入った籠を持ってきた。


「空きっ腹ではいくら考え込んだ所で頭へ血が巡らず、戦いの場で力も湧きません。それに最高指揮官の顔が栄養失調の上に睡眠不足で血色が悪いと来ては、兵士達の士気も上がりませんよ。ここは無理してでもしっかりと食べてください」

「わかったよ」




 スープは鶏肉と葉野菜をたっぷりと使用したものだった。

 スープの表面には鶏肉からにじみ出た油が黄金の油膜を作り、柔らかい葉野菜によく絡む。塩気とピリッとした香辛料が良く利いていて、アルフレッドがひと匙口へスープを運ぶと、あっという間に忘れていた空腹が押し寄せてきた。

 スープを飲んでいる間に、ロイズの妻がパンにチーズと野菜、それからハムを挟んでくれた。

 アルフレッドはパンを受け取ると口に運び、葡萄酒で口を潤した。ロイズは若き主が食事している間中、黙ってその様子を眺めている。

 その落ち着き払ったロイズの態度に、アルフレッドはわずかな悔しさを覚えつつも、畏敬の念を覚えて尋ねた。


「敵の総数はおよそ三万。対してこちら側は三千程度。援軍の当てがあるとはいえ、君はよくこの状況で落ち着いていられるね」

「まあ劣勢ですが……対魔大陸同盟軍に参加していた時は、このくらいの戦力差は常でしたからなあ」

 アルフレッドの問いかけに答えつつ、ロイズが昔を懐かしむ表情を浮かべて苦笑してみせる。

「兵士達、町の者達はよくやってくれています。大丈夫ですよ、殿下。コーネリア殿下が援軍を率いて戻られるまで、我がエルツは持ちこたえてみせます」

「そうか……そうだな」

「ですから食事を召し上がられたら、殿下は御心軽んじてお休みになられてください。今日も敵方は夜襲を仕掛ける余裕はないでしょうから」

「ははは、君らの仕掛けた策がこういうところでも影響を及ぼすとは。クライフドルフ侯も随分と苛ついているだろうな」


 開戦初期にケルヴィンが敵方の実戦経験豊かな指揮官を大方捕らえてしまった事で、ノイマン皇子軍は奇襲策としては最も有効な夜襲を仕掛けることができなくなっていた。

 夜襲は闇に紛れて行動を起こす性質上、灯りを点けて行動するわけにもいかない。その上で目的にまで一糸乱れぬ行動を、また闇の中同士討ちを避けねばならないなどといった高い練度が要求される。

 しかし、その要求を満たすことができる兵士達の指揮官を軒並み失ってしまった事で、ノイマン皇子軍は夜襲を仕掛ける事ができなくなっていた。

 それどころか、少勢とはいえ百戦錬磨のケルヴィン率いる遊撃部隊が、逆に度々夜襲を仕掛けていて少なくない損害をノイマン皇子軍は被っていた。森での行動に習熟した冒険者達で構成された遊撃部隊の行動速度は早く、その神出鬼没さっぷりにノイマン皇子軍は相当手を焼いている様子だと物見からアルフレッドは報告を受けている。

 一方でロイズも魔法を使える者達を用いて、本人曰くささやかではあるが攪乱作戦を行っていた。

 魔法を使うといっても、魔導師と呼ばれる者達が操るような大した魔法ではない。

 強い魔力を用いた破壊の魔法では敵方の魔導師の張る障壁で防がれてしまう。それに、魔導師の数もエルツよりノイマン皇子軍のほうが質も人数も豊富なので、攻撃魔法の撃ち合いでは勝ち目がない。そこで、障壁では防ぐ事ができない魔法を用いて、ロイズはノイマン皇子軍を翻弄する作戦を行った。

 例えば、魔法を使うことができれば誰にでも使える風を起こす簡単な魔法で、野営する敵兵士の陣地近くでガサガサと茂みを揺らしてみせたり、例えばただ大きな音を出すだけの魔法を使うといった程度だ。

 こうした魔法は防御の魔法などで防ぎようもない。

 しかし、これらの嫌がらせのような魔法は、兵士達の精神状態に絶大な効果を及ぼした。

 大軍に包囲されているとはいえ、頑丈な市壁そして住み慣れた土地で戦うエルツの兵士達と違って、ノイマン皇子軍は広大で深い森の合間に陣地を築いている。森の奥には凶暴な肉食の獣、そして魔物がいる。

 つい数年前、勇者によって魔王が倒されるまで人類は、魔王率いる魔物の軍に生命を脅かされていたのだ。その恐怖は大陸に住む全ての者達の脳裏に刻み込まれている。

 風による葉ずれの音、原因不明の物音は兵士達の脳裏に魔物の事を思い出させ、不安と無用な緊張感を強いる。

 そうなってしまえば休息をとってもロクに身体を休めることもできず、数日も経てばノイマン皇子軍の外縁部に陣を張っていた兵士達の多くは憔悴しきってしまい戦力にならなくなってしまっていた。


「こちらは小技に頼るしかありませんからな。敵軍は大勢。敵戦力を少々ばかり削ったところで、敵軍はまだまだ継戦能力があります。一方でこちらは死傷者が出れば出るほど、防衛が困難となっていきますからな」


 たっぷりと肉の付いた顎を撫でつつロイズが言う。


「君なら、エルツをどう落とす?」

「私なら三万の軍を三つくらいに分けて、朝昼晩と休みなく攻め続けさせますね。それだけで町の者は消耗し、過労で死んでしまうでしょう」

「物量では圧倒的な差があるからね。なら、どうして敵はそうしてこないんだと思う?」

「抜け駆けを恐れているのではないかと思われます。己が攻勢の手番で無い時に、他の者にエルツを陥落せしめられて、その功績を独占されてしまってはならない。また我が軍よりも圧倒的大軍で攻め寄せておいて、小細工を弄さねば勝てなかった。そうした風聞が立つとまた、貴族である彼らの誇りを大きく傷つけるからでしょう。私にはわからない誇りですがね、彼らにとっては大変重要な事のようです。まあ、そのおかげで我々は負けずにすんでいるわけですが」

「貴族の誇り……ね」

「それに現状でもエルツ攻略に時間を掛けすぎていますが、彼らは別に負けているわけではありません。以上のことから、このままじっくりと時間を掛けて攻め続ければ、いつかは落とせると考えていたのでしょう」

「考えていた?」

「こちらを」


 ロイズは一枚の小さな紙をアルフレッドに差し出した。


「これは?」

「ケルヴィンからの矢文です」


 ケルヴィンの矢文には、ノイマン皇子軍が大きく配置を変更している事。漏れ聞こえてくる声から、三日以内にエルツへ大規模な攻勢を仕掛けてくる可能性があることが記されていた。


「ふむ……ついにしびれを切らしたという事かな?」

「はい。そして恐らくは先程も申し上げた通り、正面から大軍で押し寄せてくるでしょう」

「正々堂々と、正面から美しく勝つ……か。全く、君が彼らと同じ貴族だとは思えないよ」

「私とて先程も申し上げました通り、大軍が手許にあって、またそれを自在に指揮することが許されるなら正々堂々正面から討ち破る手を用いますよ。ただ残念な事に私が軍を率いる時は、状況がそれを許してくれないのです」


 そう言うと、ロイズは大げさに両手を広げると首を横に振ってみせた。


「そうか。なら、今回の騒乱が解決した際には、君に我が帝国の全ての軍事方面を任せてみようかな」

「私が騎士団の頂点にですか? ははは、ご冗談を。私が騎士団の頂点に立ったなら、宮廷雀達がサロンで噂するように私腹を肥やすやもしれませんよ?」

「なに、そのくらいどうということはないだろうさ。この騒乱で君の成した功績は、少々の恩賞では不足と思えるほどだ。このエルステッド領の皆にも莫大な借りを作ってしまっているしね。それに君に然るべき地位と権力を与えておけば、私腹を肥やしたせいで帝国に与える損害以上の利益をもたらしてくれそうだよ。そう考えれば安いものだ」

「なるほど。殿下の期待に添えるかどうかわかりませんが、ならばその未来で美味しい汁を吸うために、今を頑張ってみましょうか」

 

 そう言って笑うと、ロイズはでっぷりとした腹を揺すって部屋の外へと出ていったのだった。

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