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ペシュリカの戦い

 ノイマン皇子軍主力部隊四万とリヨン王国軍六万は、ペシュリカ近郊の山間にある盆地で対峙した。

 ノイマン皇子軍は山間隘路の出口を押さえ高地に巧妙に陣を敷いている。


「ちっ、さすがに地の利は相手にあるか」


 夜明け前で周辺は薄暗い。

ひとまずリヨン王国軍はペシュリカから距離を取ると、開けた牧草地隊に陣を展開した。そしてそこで行われた軍議の席で燭台の炎に照らし出された地図を見たラウルは、そう言って舌打ちした。

 後方には大河のマレー川。唯一の橋架があるペシュリカには、ノイマン皇子に与したレムルシル帝国西方方面騎士団二万がいて、リヨン王国軍はちょうど盆地の中で前後を蓋されて閉じ込められた格好だ。

 兵力では互角。練度においては後方を脅かす西方方面騎士団より優っているだろうが、挟撃という形の上に正面敵主力軍には高地を押さえられいる。

 敵主力を攻めるのにリヨン王国軍は坂を駆け上がっていかねばならず、ノイマン皇子軍はそれを手ぐすね引いて迎え討てば良い。堀を作り、丸太で幾重にも柵を張り巡らせる。そして柵の内側から槍を突き出し、矢衾と攻撃魔法を頭上に降らせば、どれほどの名将が率いた軍であろうと多大な出血を強いられるに違いない。

 さらに後方には二万の軍勢。

 練度に劣るとは言え、二万という数は侮れない。

 後方の防御に兵力を割いた上で、高地に重厚な陣を強いた敵主力を抜く事は至難の業だ。


「高地に布陣した敵を、平地へと引きずり出す。そのためにまずは、ペシュリカに籠もる西方方面騎士団を攻撃する。味方を救うべく我らの背後を叩こうとノイマン皇子軍主力が出てきたら、反転攻勢を仕掛けて一気に敵陣を抜く。これしかないだろう」

「反転攻勢の機を見誤れば、我が軍は挟撃を受けて壊滅の危機となりますな」

「しかし、このまま前後から締め上げられ続けてはジリ貧だ。補給も無く先に音を上げてしまうのは我々だな。まあ、おそらくは本国がこの窮状に気づき来援を寄越すだろうが、そうなれば我々は赤っ恥だ。後世の歴史家に笑われてしまうな」


 ラウルの言葉に、リヨン王国軍の将校達の間からどっと笑いが出た。

 前後を挟撃されかけているというこの状況においても、窮地を脱することができるという自信があるのだ。


「この陣を作ったノイマン皇子の主力部隊は侮れないが、我々が戦うのはレムルシル帝国の真の精鋭部隊である北方、東方の両方面騎士団ではない。練度ではこちらが優っていると俺は確信している。各員の奮闘を期待する!」

「はっ!」


 集まっていた将校たちが各々の部隊へ戻るため散っていく。

 その頼もしい部下達の背中を見送ってから、ラウルは踵を返すと軍議が行われていた天幕の外へと出た。

 空を見ればもう薄っすらと白みが差していた。

 もうすぐ夜明けだ。

 昨夜からの雨のせいで薄っすらと霧が陣地を包み込んでいるが、少し強い風が吹いているので、日が昇る頃には晴れそうだった。

 戦いを前にして少し昂ぶりを覚えていたラウルは、一つ深呼吸をした。すると早朝の冷たい空気が、少しは気の昂ぶりを抑え込んでくれる。 

 ラウルは気持ちが落ち着いたのを自覚してから、隣の天幕へと入っていく。

 わずかな警備兵に守られたそこは、リヨン王国軍内にあってレムルシル帝国の国旗と、帝国皇女コーネリアの御印である桔梗紋の旗が翻っていた。


「間もなく夜が明ける。おそらくは夜明けと同時に戦いが始まるだろう。コーネリア姫。姫には私と共に本陣にいて貰う事になるが、戦場では何が起こるかわからない。何が起きてもすぐに対処できるよう、心構えをしておいてもらいたい」

「はい、存じております。ラウル殿下」


 コーネリアの返答にラウルは満足げに頷いた。

 それからコーネリアに用意された天幕内を見回す

 外に立つ警備兵を除いてこの天幕に詰めているのは、ウィンを始めとしたコーネリアの従士隊と駐リヨン王国大使のリゼルマン伯爵とその部下達。


「ん? レティは?」

 いつもならウィンのそばにいるはずのレティシアの姿が見当たらない。

 レティシアにもまた、コーネリアと同様ラウルと共に本陣にいてもらわなければならない。

 シュリハーデン伯爵の屋敷を脱出する時もそうだったが、ラウルはレティシアに戦わせるつもりはなかった。

『勇者』であるレティシアは、人に対して剣を振るうような事をしてはならない。

 特に国と国のような戦争においては――。

 レティシアの人知を超えた圧倒的な力。

 その力が人に振るわれれば、いま『勇者』として受けている賞賛と尊敬の念は、簡単に畏れと恐怖へと変わってしまうだろう。

 人の理解を超えた存在は、『勇者』から『化け物』へ――すなわち、新たな『魔王』の誕生となってしまう。

 レティシアが『勇者』だと認知される前、多くの人々がレティシアを化け物じみた人間として白い目で見ていた。

 レティシアの力で生命を救われたことがある者ですら、彼女を人として見る事はできなかった。

 畏怖し、腫れ物に触るかのように彼女へ接していた。

 自らが望んだわけでもないのに、世界を救う旅を強要されながら、世界中の人々から拒絶され孤独を深めていた少女。 

 レティシアと共に旅をしたラウル、ティアラ、リアラはその様子をつぶさに見てきた。

 もう二度と、レティシアに孤独にさせるつもりはない。

 それがレティシアの仲間だった三人の共通した意識。

 レティシアを人と人の争いでは、決して戦わせてはならない。

 もちろん、今のレティシアにはウィンと言う彼女にとって生涯を通じて最大の理解者がいる。

 ウィンさえいれば、レティシアが孤独と感じる事は無いだろう。

 だから、ラウルからするとウィンにもまた、生死を賭けるような戦いには行かせたくなかった。

 幸いな事にウィンはコーネリアの従士。

 本陣に敵が迫って来るような事が無い限り、ウィンがこの戦いで前線に出ることは無い。

 そうなれば、基本ウィンの傍らにいるレティシアが戦うことは無いだろう。

 しかし、今ウィンのそばにいるはずのレティシアの姿が見当たらない。

 もちろん、レティシアだって花を摘みに席を外すこともあるだろう。

 普段ならラウルだってその程度の事には思い至るし、珍しくレティシアの姿が無いからとわざわざ口に出して彼女の行方を確かめるような事はしない。

 だがこの時、ラウルは何となく予感を覚えたのだ。

 ラウルの質問に口を開いたのはウィンだった。

「レティなら――」



 ◇◆◇◆◇



 両軍の姿を隠していた霧は、日が昇る刻限が近づくに連れて風に吹き散らされて晴れていった。

 リヨン王国軍を盆地内に閉じ込めるような形で展開するノイマン皇子軍の将兵は、晴れた霧の向こうで陣地を展開しているリヨン王国軍の出方を窺っていた。

 リヨン王国軍がペシュリカの町にいる西方方面騎士団を攻撃するなら打って出て、味方と挟撃を掛ける。

 逆にノイマン皇子軍主力部隊へと攻撃を仕掛けるならば、強固な陣地内へと籠もって、背後から西方方面騎士団の挟撃を狙う。

 味方陣地は高地にあるため、リヨン王国軍は坂を駆け上らねばならず突撃力は減衰する。反対にノイマン皇子軍が攻勢に出る時は、坂を降る勢いも乗せる事ができるため通常よりも大きな打撃力が期待できる。

 どう動くかはリヨン王国軍の出方次第。

 ノイマン皇子軍の指揮官の予想では、リヨン王国軍はまずペシュリカにいる西方方面騎士団へ攻撃を仕掛けて、ノイマン皇子軍主力部隊を誘い出し、反転攻勢を仕掛けてくるだろうと読んでいた。

 さあ、どう動く?

 ノイマン皇子軍の将兵誰もが固唾を呑んでリヨン王国軍陣地の動きを観察していた。

 その時。

 陣地の中から小さな人影が出てきた。

 真っ直ぐにノイマン皇子軍の陣地を目指して歩いてくる。

 顔は判別できないが、朝霧を吹き飛ばした強風に長い髪が泳いでいた。


「女か……?」


 降伏、あるいは降伏勧告を告げる使者か?

 将兵達の多くはそう思った。

 それとも、戦いの前に何か前口上でも認めた書状でも届けに来たのか。それにしては、その馬にも乗っていない。

 近づくに連れて、人影が判別できるようになってきた。まだ少女と呼んでも良い年齢。そのため前線部隊を預かる千騎長は、少女が弓矢の射程県内に近づいてもその手を下ろすことができなかった。

 大軍に臆すること無く堂々と正面から歩いてきた少女は、ノイマン皇子軍の先頭からわずか二十メートルにも満たない距離で足を止める。

 少女が見える位置に布陣していた将兵たちの間から、ざわめきが広がった。

 ここにいる全ての兵士達が、その顔を見たことはない。

 ただ、話に聞いたことがあるだけだった。

 町の酒場、店先、街角、道端――それこそ、至る所でその噂を聞いたことがあるだけだ。

 少女の髪が朝日で黄金の輝く。

 凛と背を伸ばし、遠目からでもわかるエメラルドの瞳には、強い意思が込められた輝きを放っている。


「な……何でだ?」


 最前線にいる兵士の一人が、ポツリと呟いた。

 その呟きは風に乗って、奇妙な程に周囲にいる騎士、兵士たちの耳へと届いた。


「どうして……勇者様が、敵陣から出てこられるんだ?」


『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィス。

 魔王を倒した英雄。

 レティシアは、ゆっくりと剣を抜き、半身の構えを取って剣を真っ直ぐに突きつけた。


「引きなさい。今ならまだ見逃してあげることができます」


 兵士達はゴクリと唾を飲み込んだ。

 あの勇者が、今自分達の前に立って剣を抜き、突きつけている。

 自分達を敵と見なすと宣言している。

 明確な攻撃の意思。

 射てば矢は間違いなくレティシアへと届く。

 というよりも狙って外すのが難しい距離だ。

 新兵であっても、確実に当てることができるだろう。

 前線にいるだけでも味方の弓兵は数百人はいるはずで、恐らくは少女の正体が『勇者』だと分かる前から狙いをつけていたはずだ。

 だが、誰一人として矢を放つことができない。

 万を数える大軍の将兵が、レティシアたった一人の放つ気に呑み込まれてしまっていた。

 かつて、レティシアは万にも届こうかという魔物大軍を前に、その気を以ってして威圧した事がある。 

 闘争本能しか無いとされる魔物ですら、レティシアの放つ気に怯え、萎縮してしまったのだ。

 並の人間ではレティシアの本気を前にして、気を持ち続けるのは難しい。

 それでも指揮官にある騎士の誰かが攻撃命令を下せば、よく訓練された兵士達は矢を放つことができたかもしれない。

 だが、誰がその攻撃命令を下すことができるだろうか?

『勇者』を殺せ。

 その命令を出したものは間違いなく人類最大の罪を犯した者、歴史的大罪人として名を永久に連ねる事は確実。


「でも、引いてくださらないのなら私は――」


 レティシアの瞳に、悲しみの色が宿る。


「あなたたちと戦わねばなりません」


 俯き震える声で愕然としている兵士達へ告げた。

 それからどのくらいの間が空いたのか。

 レティシアの最後通牒からほんの数秒。しかし、多くの者は数分もの間が空いたような気がした。

 変化はまず、不幸にもレティシアと真正面から対峙することになった兵士から始まった。


「お、俺は……無理だ。勇者様と戦うなんて……できない。できるわけがない!」


 持っていた槍を手放し、その場に膝を落とす。


「俺もだ」

「俺も……」

「俺も……」


 次々と兵士達が手から槍、剣、斧、弓を手放していく。

 膝を折っていく。

 まるで波紋が広がっていくように――。

 レティシアの前に、ノイマン皇子軍の中から千騎長の徽章を付けた騎士が進み出てきた。

 恐らくは、最前線の部隊を預かる指揮官なのだろう。

 彼は馬から降りてレティシアの前へ跪いた。


「剣をお収めください、勇者様。我々は、貴女様がリヨン王国軍と共にあるとは知らされておりませんでした。もしも知らされていたならば、私の部下達は貴女様の行く手を遮るなどという愚かな行為は決してしませんでした。そして我が祖国、帝国が貴女様に手で滅ぼされたとしても、我々は貴女様に対して弓を引く事はできません。それはきっと……神に定められた運命なのでしょうから。この考えは、ここにいる我が部下達全員が同じ気持ちだと思われます」

「そのようなことはいたしません」

「もちろん、貴女様がそのような事をする方とは思っておりません」


 レティシアは千騎長へにっこりと微笑むと、剣を鞘に収めた。


「それで、貴女様のお望みは、この坂をリヨン王国軍が無事に通り抜ける事でよろしいでしょうか?」

「はい」

 千騎長は立ち上がると、さっと右腕を上げた。


 すると兵士達は一斉に柵へと取り付くと、あっという間に解体して、道を開けたのである。


「ありがとう、皆さん。本当に、ありがとうございます」

「どうぞお通りください。勇者レティシア・ヴァン・メイヴィス様。そして許されるならば、我らもまた、貴女様の率いる軍への参列をお許し願いたい」

「私に味方するという事はコーネリア第一皇女へ付くということ。ノイマン皇子を敵に回すということですが、それでもよろしいのですか?」

「構いません」


 周囲の兵士達へレティシアが一礼する。その礼には道を開けてくれた兵士達に対しての、畏敬の念が込められているのが確かに見て取れて、わっと周囲から歓喜の声が上がった。


「勇者メイヴィス、万歳!」


 その声はあっという間に大きく広がっていって、部隊全体に広がっていく。

 レティシアの前に立ってその様子を見ていた千騎長は、レティシアを讃える声が収まるのを待ってから、よく通る声で叫んだ


「良いか! 今この時より我らは勇者メイヴィス様と、コーネリア第一皇女殿下にお味方する。この決定に不満あるものは、直ちに後方の部隊へと合流せよ! 私と行動を共にするのならば、この場にて待機! リヨン王国軍の将兵達と合流する!」



 ◇◆◇◆◇



 レティシアを讃える歓声は遠く離れたリヨン王国軍本陣にまで届いた。


「全く……レティを前にしたら、軍隊が全く意味の無い代物に成り下がってしまうな」

 本陣からは見えないがレティシアがいるであろうノイマン皇子軍の陣地の方へ目を向けたラウルが、呆れたような表情で呟いた。


「勇者様に野心というものが無くて幸いでした。もしもあの方に野心でもあれば、大陸は瞬く間に統一されてしまうでしょう」

「どうやらノイマン皇子軍の先鋒部隊を調略してしまったようだ。彼らの配置を決めなおさねばなるまい」

「まさかこれから行く先々で、勇者様は次々と敵軍を調略するつもりなのでしょうか?」

「あれを調略と呼んでいいものなのだろうか? 勝手にこちら側へ降ったようにしか思えないんだが。まあ、とにかく軍が膨れ上がる以上、補給をこれまで以上に整えなければならない」

「はっ、となりますとペシュリカにある西方方面騎士団が邪魔となりますな」


 ラウルは頷くと、後方に見えるペシュリカの城壁を見つめた。

 固く門を閉ざしているペシュリカの市壁の上では、兵士達の動きが慌ただしい。

 彼らにも聞こえたのかもしれない。

 ノイマン皇子軍の先鋒部隊から聞こえる、レティシアを讃える声を。


「今が好機だな。今なら僅かな時間と労力で、ペシュリカの町を落とせる」


 ラウルの言葉に高官達が一斉に頷いた。

 リヨン王国軍を挟撃するために来援したはずの援軍が、あっさりと寝返ってしまったのだ。

 寝返ったのは先鋒部隊だけで、全てのノイマン皇子軍が寝返ったわけでは無いのだが、その事を町の市壁の中からでは知ることはできないだろう。

 ペシュリカの町に籠もっているシュリハーデン伯爵と、西方方面騎士団、そして西部地方の諸侯達の動揺は大きいはずだ。


「では、予定通りにペシュリカに攻撃を開始せよ。ノイマン皇子軍の先鋒部隊を調略したとは言え、まだまだ敵軍の多くが健在だ。ペシュリカに籠もる敵が動揺しているこの好機を逃すな!」


 ラウルの命令が下されると同時に、リヨン王国軍がペシュリカの町へと攻撃を開始した。

 そして戦闘開始から、わずか二時間余りでペシュリカの市壁の門上に白旗が掲げられた。

 ラウルの読み通りペシュリカの領主リュリハーデン伯爵は、来援したノイマン皇子軍四万全てが降伏したと思い込んだのである。

 友軍が救援に来ない上にその四万の兵力全てがリヨン王国軍に吸収されたのだとしたら、その規模は十万の大軍。西方方面軍二万の五倍である。

 シュリハーデン伯爵にはもはや、降伏するしか道が残されていないように見えたのだった。


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[良い点] 名乗るだけで敵が味方に化ける! こんな気持ちのいいこともありませんね! 大昔の漫画『覇王伝説 タケル』を思い出しました!
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