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ペシュリカ

「風が湿り気を帯びてきたな」

「うん。雨が降り出す前に着くといいんだけど……」


 隣に馬を並べて歩くレティシアにそう答えると、ウィンは空を見上げた。

 灰色の雲が風に吹かれて空を流れている。

 街道沿いに見える遠くの丘では、草を食んでいる羊たちを、羊飼いが追い立てているのが見えた。雨が降りだす前に羊たちを小屋へと入れたいのだろう。

 時折、羊飼いたちが、羊を追う手を休めてこちらの様子を窺っている。彼らが気にするのも当然だろう。

 見渡しの良い丘からならば、巨大な大蛇のように長大な帯となって街道を進む、万を数える軍勢が行進しているのが見えているはずだった。

 強さを増す風に翻る軍旗はリヨン王国軍。

 その軍勢の先頭に程近い場所に、ウィンたちの姿はあった。

 ウィンの主、レムルシル帝国第一皇女コーネリアが乗る馬車を中心に、前方をウィンとレティシアが進み、後方をロック、ウェッジ、リーノの三人が護衛として固めている。

 馬車の中では皇女コーネリアと、駐リヨン王国大使リゼルマン伯爵、そしてリヨン王国が付けてくれた世話役の女性が二人同乗している。

 本来であればレティシアも、コーネリアと同じ待遇を受けられるはずなのだが、ウィンと共に歩きたいということで、この配置である。

 もちろん、その程度のことはリヨン王国軍の大将ラウル・オルト・リヨンもわかりきっていたので、王国軍の行動計画書には最初からそのように計画されていた。


「あれがペシュリカかな?」


 丘の頂に差しかかったところで幅の広い川と、その川に架けられた大きな橋。そしてその先に灰色の城壁に囲まれた町遠くにポツンと見えてきた。


「そうそう。その前に流れているのがマレー川だね。あの川が帝国と王国の国境線だよ。あの橋を渡ったら帝国だよ、お兄ちゃん」


 勇者として旅をしていた頃、レティシアはこの街道を通ったことがある。

 まだラウル、リアラとは出会う前。ティアラと二人旅だった頃の話だ。


「何とか雨が降り出す前に、市壁の中に入れるといいんだけどな」


 しかしリヨン王国軍は、雨が降り出す前にペシュリカへ到着することは無かった。

 軍勢の先頭集団を指揮している将軍の一人から、コーネリアへと急使が送られてきた。そして急使の口からは驚くべき情報が伝えられたのである。


「ペシュリカ領主のシュリハーデン伯爵が率いる領主軍だけでなく、帝国西方面騎士団の軍旗も確認できるとのことです」


 報せを受けたコ―ネリアは思わず絶句した。


(まさかお父様が兄上を賊軍として、討伐の勅令を発した?)


 コーネリアの頭の中で、最悪の事態が思い浮かぶ。

 兄を偽物と断じたノイマンは、帝都シムルグと皇帝アレクセイを押さえている。

 政務に興味を示さないとされるアレクセイは、その評判の通り、このたびの内乱についても何ら反応も示していない。しかし、もしアレクセイが心変わりをして、アルフレッドを偽物として討伐せよと勅命を下せば、帝国軍全軍が敵となってしまうのだ。

 ペシュリカ領主軍と西方面騎士団がここでリヨンから来た援軍と衝突すれば、例え勝利したとしても長期間の足止めを余儀なくされるだろう。

 寡兵で、おそらくはぎりぎりの所で防衛戦を続けているエルツが、陥落してしまいかねない。

 アルフレッドとコーネリアにとって最悪の事態である。

 すぐにリヨン王国軍は様子を見るために行軍停止の命令を出した。それから程なくして、ラウルからの使者がコーネリアの元へとやって来た。


「申し上げます。ペシュリカの町より使者が参られました。町の領主シュリハーデン伯爵が皇女殿下へ挨拶申し上げたいとのこと」


 千騎長の徽章を付けた騎士二名を連れたシュリハーデン伯爵が、リヨンの騎士に案内されてやってきた。

 シュリハーデン伯爵は、ペシュリカの町とその近郊を治める貴族で、西方面騎士団の団長として万騎長の位を持つ将軍だ。

 リヨンの使者から、アルフレッド皇太子軍の援軍としてやってきたリヨン王国軍の中に、コーネリア皇女も同行していると聞き、出迎えの為に軍を待機させていたのだという。


「皇都での騒ぎは、このペシュリカにまで聞こえておりました。ご無事で何よりでございます、殿下。我ら西方面騎士団とペシュリカの民一同、殿下の我が町への御来訪を心より歓迎いたしますぞ」

「感謝を、シュリハーデン伯。そなたの率いる西方面騎士団の事は、兄より聞き及んでいます。我が帝国とリヨンを結ぶ街道の守護神として、とても精強な騎士団であると」

「ありがたきお言葉でございます」


 コーネリアに頭を垂れるシュリハーデン伯爵。

 ひとまずリヨン軍との衝突が無いことがわかり、コーネリアはほっと胸を撫で下ろした。

 シュリハーデン伯爵は、歳が四十を少し過ぎたくらい。

 伊達男を気取っているのか口ひげを生やし、ゆったりとした濃緑色の長衣に赤や黄といった派手な色の帯を結び、その留め金には金や銀の装飾に宝石を散りばめた派手なもので、とても武人とは思えない格好だった。

 腰に帯びた剣も細身のもので、鞘と柄にはこれまた金と宝石を使った細工が施されている。明らかに実戦用の剣ではなく、儀礼用の剣だろう。


(見栄を張ろうとして、盛大に空振りしたって感じだな。あれは……)


 挨拶を受けているコーネリアの後ろに並んで控えていたウィンへ、隣に立っていたロックがボソッと囁く。


(もしかしたら、この辺りの伝統的な民族衣装とかかもしれないじゃないか)

(祭祀に招待したとかじゃないんだぜ? 皇女殿下に拝謁するのに、民族衣装とか普通は着ないだろ? 伯爵か万騎長の礼服を着るのが普通だ。それに民族衣装なら、ペシュリカに来るまでの途中で目にする機会ぐらいあったはずなのに、あんな服を着ている人なんて一人もいなかったぜ?)

(そういえばそうだなぁ)

(ほらぁ、西部の人たちって、いつも東部の人たちから田舎者って馬鹿にされてるから、精一杯着飾ろうとしたんじゃないの~?)


 ウィンとロックの会話にリーノが口を挟んだ。

 リーノの言う西部と東部とは、マジル山脈から帝国を東西に分断して海へと流れ出る大河ルーム川を境としたものだ。

 ルーム川の川沿いから東側には、肥沃な平原と森林が拡がっていて、帝都シムルグ、港湾都市メール、鉱山都市エルツ、学術都市ルドルフといった万を超える人口を誇る都市が多く存在する。

 中には帝国に征服されるまでは、国の都として栄えていた都市も複数あった。そのため、帝国の人口はルーム川から東側に多く集中している。

 一方、西側は山の多い地形で、万を超える都市そのものが少ない。

 西側にある町の多くが帝国によって征服されるまでは、リヨン王国の前身だった都市国家群と同様、どの国にも属さない自由都市の政治形態を取っていた。

 元々平地が少なく農耕には適さない土地柄で、自由都市というよりも開拓民が寄り集まった町と言う方が正しい。

 多くの町で市壁を備えるほどの余裕は無く、西側にも拡大を始めたレムルシル帝国の圧倒的な軍事力を前に、あっという間に呑み込まれてしまう。

 その後、国境の町であるペシュリカや街道沿いの主要な町にこそ、帝国は城壁を建築し整備を行ったが、それ以外の町は市壁も持たない田舎町のままだ。

 帝国東部の出身者が西部の出身者を田舎者として蔑む理由である。


(西方面騎士団と言えば、近衛に入れなかった貴族のぼんぼんが行くという掃き溜めだからな。見ろよ、シュリハーデン伯爵だけがおかしいというわけじゃなさそうだぜ?)


 集まった西方面騎士団の面々を労うため歩き出したコーネリアについて、橋を渡ったところで、ロックが並んだ騎士たちを指し示す。

 魔王率いる魔物によって国が滅び、今も魔物が跋扈する帝国東側国境を守る東方面騎士団。

 緊張状態にあるペテルシア王国と睨みあう南方面騎士団。

 海に面するため帝国最大の水軍を要した北方面騎士団。

 これら三方面騎士団と違って西方面騎士団は、帝国軍の中で最も規模も小さく練度が低いとされている。

 その評価を裏付けるごとく、西方面騎士団の騎士たちの多くがウィンたちと同年代か少し年上といった若さだった。

 身に着けている鎧は、ぴかぴかに磨き上げられた鉄製のもので、剣の柄や鞘も、シュリハーデン伯爵と同じように装飾過多のものばかり。

 恐らくは剣も鎧も上等な鉄を用いた品物なのだろうが、剣は細身で、鎧は派手さを追求した物ばかり。

 見たところ、とても実戦では役に立ちそうになかった。

 レムルシル帝国の西方は友好国であるリヨン王国。

 大規模な戦争が起こるはずも無く、騎士団の主な仕事は街道に出没する山賊などの討伐が主な任務だ。

 恐らくは彼らに混じって数人いる年配の騎士が、そうした討伐任務を請け負っているのだろう。 

 ウィンたち、コーネリア皇女の一団とリヨン王国軍の幹部がペシュリカの町へと入り、残りは町の外で天幕を張って野営することとなった。

 遠雷も轟き始め、この町で嵐をやり過ごすのだろう。


「屋根の下で寝られるのは、役得だよな」

「役得なのかな~? どうせあたしたちも、殿下と一緒に伯爵様の宴の席へ招かれるんでしょう? 外で天幕張って、適当にご飯食べてる方が気楽でいいかも……」

「リーノ。以前、宴に出席できるウィンがうらやましいとか言ってなかったか?」

「そうなんだけどさ~。ちょっと思い描いていたのと違っていたのよね。もっとこう、自由に歓談して、美味しいお料理食べて、綺麗なドレスを着て踊ったりしてって思ってたんだけど……」


 ロックとリーノがそんな会話を交わしている。

 従士たちは基本的にコーネリアの傍に控えているため、次々と皇女の下へ挨拶に訪れる者たちへの対応で、宴を楽しむどころではない。

 しかも聞かされる話の大半は、皇女へのお追従ばかり。 

 リーノならずとも疲れてしまうだろう。


「コーネリア様、よくいつもにこにこしてられるよね~」


 コーネリアが乗っている馬車を見て、リーノが嘆息する。


「やっぱり、ああいうのも慣れなのかな?」


 ロックとリーノの話を聞いて、ウィンは隣に歩くレティシアに尋ねる。

 レティシアも宴に招待されれば、挨拶に向かうよりも挨拶をされる立場だ。


「うーん……私はそもそも宴にはあまり出ないし……」

「でも、陛下からの招待とか断りにくい宴なんかもあるだろう?」

「うん。そういう時は、ティアラが代わりに受け答えしてくれてたかな。もちろん、私に挨拶してくる人もいたけど、偉い人が挨拶をし終えたら、大体私は一人になっていた気がする」

「へえ、そうだったんだ」

「でも最近はあの頃と違って、形式的な挨拶が終わった後も、しつこく私をダンスに誘ったり、プレゼントをくれたりするのよね……」


 何でだろう、と小首を傾げるレティシアの横顔にウィンは目線を向けた。

 勇者として旅をしていた頃のレティシアは、まだ十歳程度の幼い少女。それでいて、普段の彼女とは違って、『勇者』のレティシアはどこか侵しがたい気高さを感じさせる。それが、周囲にいる人々を寄せ付けない要因となっていたのだろう。 

 それから数年が経ち、レティシアは女性として魅力的に成長した。

 際立った美貌はよりいっそう美しくなり、周囲が放って置け無くなったのだろう。

 今もウィンたちを先導して進む若い騎士たちが、チラチラとレティシアの様子を窺っているのがわかる。

 殺気や剣呑な雰囲気には敏感に反応する癖に、自らの美貌と周囲の男性の目に無頓着なレティシアに、ウィンは小さく苦笑を浮かべた。



 ◇◆◇◆◇



 その夜。

 ペシュリカのシュリハーデン伯爵の館にて、ラウルとリヨン軍の高級将校を招いての歓待が行われていた。


「この時勢ですから満足なもてなしとまではいきませぬが、ささやかながら酒と食事を御用意致しました。我が帝国の窮地に駆けつけてくださったラウル殿下を始め、リヨン王国の皆様方にはどうか、当家のもてなしを受けて、英気を養っていただきたい」

「シュリハーデン伯爵のご好意を無にするわけにもいかないだろう。遠慮無くその申し出受けさせていただく」


 本音を言えば、一刻も早くペシュリカの町を通り抜けてエルツへと向かいたい所だったが、ラウルはその申し出を受け入れた。

 ペシュリカからエルツまでの道程はまだ長い。兵士たちの英気をここで養って置くことは悪い話ではない。

 ささやかな酒と食事と言いながらも、シュリハーデン伯爵の用意した席は、かなり豪勢なものだった。ペシュリカ周辺で盛んに飼育されている羊を潰した肉料理に、川魚を使った焼き物など、この辺りの土地でよく食べられる食材を使った料理が卓の上に並べられていた。 

 帝国側の出席者はペシュリカ周辺の土地を治める貴族、それから帝国西方方面騎士団に所属する高級将校と、どうやら貴族籍にある若者たちが招待されていた。

 彼らは豪奢な服とドレスで着飾っていて、まるで夜会の席に出席しているかのような雰囲気である。

 そんな彼らの姿にウィンたちは、冷ややかな視線を送っていた。

 エルツでは今もなお、多くの兵士たちが戦っている。

 アルフレッド、ロイズ、ケルヴィン、そしてウィンたちの依頼でエルツにやってきたシムルグの冒険者仲間たちが、命を掛けて戦っているのだ。

 そもそも帝国内で起きた動乱に、他国の軍へ援軍を請う行為がすでに恥じるべき事なのに、西部の貴族たちにはその危機感をまるで感じられない


「西部の人間が田舎貴族と称されるのも分かる話だな。政治的センスが無いというか……。騎士団の連中にしても、扱いに困ったボンクラ揃いを島流しにする場所として有名だからな」


 取り皿に料理を盛り付けながらロックが言う。


「まあ、俺たちは行軍中に美味い飯にありつけてありがたいけど、コーネリア様は大変そうだ」


 作戦行動中であるリヨン王国軍、そしてウィンたちは軍装に身を包んでこの席へ挑んでいたのだが、皇女であるコーネリアと、文官の代表として同行している帝国の駐リヨン王国大使リゼルマン伯爵たちは、さすがに正装をしていた。

 そしてうら若い皇女の周囲には、やはり貴族の若者たちが周囲を取り囲んでいる。 

 宴席でコーネリアがこうして貴族の青年たちに囲まれる事はいつもの事で、普段のコーネリアであれば、そうした彼らのあしらいには慣れたものなのだ。しかし、敵軍に囲まれたエルツの情勢が気になる中で、貴族の若者たちに向ける笑顔には、憂いの色が浮かんでいた。


「空気を読んであげたらいいのにね~」

「そんな器用な真似ができるなら、あいつらこんな場所に飛ばされてないから」

「そうなんだ。なら私の兄上も、高い評価はされてないのかな」


 ロックとリーノの小声での会話を聞きつけたレティシアが、そう呟いた。


「レティのお兄さん、西方面騎士団に所属してるの?」

「うん。ほら」


 ウィンの質問に頷いたレティシアが、目線だけでウィンの注意を促したところに、


「レティシア! レティシアじゃないか!」


 レティシアは微笑を作ってみせると、声を掛けてきた人物に、丁寧に頭を下げた。


「お久しぶりでございます、兄上」

「ああ、本当に! 随分と久しぶりだね。前に会った時はシムルグを君が旅立つ日だったかな? あの時はまだまだ子どもだったけど、もう立派なレディだな」

「兄上もご壮健で何よりです」


 金色の髪に緑色の瞳。そして整った顔だち。兄妹らしく、どこかレティシアに似通った容姿を持った青年。

 レイルズ・ヴァン・メイヴィスは、貴公子と呼ばれるに相応しい出で立ちをしていた。


「レティシアがコーネリア殿下に同行していたとはね。何も知らされていなかったから、ここで君を見かけて驚いたよ」

「ありがとうございます、兄上。ですが、私がリヨン軍と行動を共にしていることは、公にはされていませんので。そのため、兄上にはご報告が遅れてしまいました。申し訳ございません」

「いいんだいいんだ。父上ですら今、シムルグで蟄居謹慎処分とされているそうだから、君が報告できなかったのも無理は無い。予め報せを寄越してくれていれば、可愛い妹のために兄の僕がこの席に相応しいドレスと宝石を用意してあげたのに。だけど、君はドレスや宝石で着飾らなくても、十分に美しい。これ以上君の魅力を引き立てる装飾品を用意するのに、ペシュリカ程度で都合を付けるのは無理な話だったかな」

「ありがとうございます、兄上。そうですか、お父様が……」


 レティシアはそう言って軽く頭を下げてみせると、憂いた表情を浮かべてみせた。


「あの人がレティシア様のお兄さんなのか? それにしては兄妹って感じがしないな。レティシア様の態度も、どこかよそよそしいし……」

「俺はレティの家族とは会ったことが無いんだよ。小さい頃のレティは、家の事を口にしたことが無かったから。公爵家の令嬢だって知ったのは、騎士学校で再会した時だ。ロックもあの時にいただろう? 世間を賑わす勇者の正体が、実はレティだったって知った時だよ」

「そういえばそうだったな」

「レティがどこか良い所のお嬢様なんだろうな、とは随分前から気づいてはいたんだけど、いつも逃げ出すようにして『渡り鳥の宿り木亭』に来ていたからさ。俺もレティに家のことは聞かなかったんだ」


 ウィンは、今では聞かなくて良かったと思っている。

 もしもレティシアの正体が、メイヴィス公爵家のご令嬢だと知ったなら、例え子ども同士だったとしても、きっとどこか畏れ多い気持ちがして仲良くなれなかっただろう。

 レティシアの出自を知らなかったからこそ、幼馴染みとして深い絆で結ばれたのだ。


「レイルズ殿。そちらの美しい姫君が噂に名高い勇者様であらせられる……」

「ええ。我が妹、レティシアです。皆様、どうぞお見知りおきを」

「やはり、あなたが! 勇者メイヴィス様は、パーティー等が嫌いであるという話を聞き及んでおります。そんな貴女が出席された今日という日にこの身がある幸運。望外の喜びで胸が一杯でございます」

「噂に違わずお美しい……。貴女をこの目で見ることが出来た喜びを、神に感謝いたします」


 レティシアがあっという間に、貴族の若者たちに周囲を囲まれてしまった。


「さすがというか、いつもどおりというか……」

「本当にレティはモテるなぁ」


 レイルズの取り巻きたちに押し出される形となったウィンとロックが、苦笑を浮かべる。


「ま、あの可愛さだし、それに皇位継承権も持つ公爵家の第三公女だ。この地に送られてくるような奴らなら、一部の例外を除けば、ろくな縁談も出会いも無いだろうしな。あいつらも必死にもなるさ」

「必死?」

「ああ。西方面騎士団に配属される貴族騎士は、近衛にも王宮騎士団にも、中央騎士団にも配属できなかったボンクラばかりだ。それでもレティシア様のお兄さんのように、家柄の良い家の長子とかなら良い縁談も舞い込むだろうけど、貴族の次男坊、三男坊といった家を継ぐ目の無いボンボンたちには、そうそう良い縁談なんて無いものなのさ。それでも王都勤務なら良家の子女との出会いも期待できるけど、こんな辺境じゃそれも望めないだろう?」

「それでレティにアピールしてるってこと?」

「そうそう。そうは言っても俺が見たところ、今集まっている奴ら全員、家格が不足だな」

「凄いな。あの人たちの事も知ってるの?」

「面識は無いぞ。ただ、貴族は必ず身に着けている服のどこかに、家の紋章を入れているからな。手袋やカフス、それに胸元なんかに。それを見たら、そいつがどの家の出自なのか程度は勉強しているよ」


 ロックはそう言うと、ウィンに誰がどの家の者なのか教えてくれる。


「あいつはリハル男爵、あっちはサイハーン子爵で――お、手前の奴の家格はなかなかだぞ。ミルバリア伯爵の弟だ」

「伯爵の弟でも、レティには不足なのか」

「伯爵当人でぎりぎりってところだろう。メイヴィス公爵家は皇族に継ぐ家格だからな。よっぽどの相手じゃないと厳しい」


 そう言うと、ロックは感心するように何度も頷いているウィンを見た。しかし、その浮かべている表情に、ある隠された感情も見えてロックは口を開いた。


「……あのな、ウィン」

「何だよ?」

「あれを見てどう思う?」

「どうとは……?」


 ウィンはロックが指し示した、相も変わらず周囲を囲まれているレティシアを見た。


「どこに行ってもレティはモテるな、と思ってるけど……」

「そうじゃない。レティシア様が若い男に言い寄られているのを見て、ウィンはどう思ってるかって聞いているんだ」 


 ウィンは口を開きかけたが、ロックの顔を見て口を閉じた。

 先程まで、レティシアの周囲に集まった貴族たちを、面白おかしく寸評していたロックが、あまりにも真剣な表情をしていたからだ。

 普段から軽口を叩く事が多い親友が、こんな表情をする事は珍しい。

 ウィンが口ごもっていると、ロックは尚も問い詰めるように言ってくる。


「なあ、どうなんだ? あの光景を見て腹が立ったりしないのか?」

「……正直に言えば、いい気はしない」


 ウィンの言葉を聞いて、ロックは大きく息を吐いた。


「だろう? なら、どうしてウィンはレティシア様をあのままにしているんだ?」


 その言葉にウィンは目を白黒させた。


(本気でわかっていないのか!?)


 ロックは苛立ちを込めつつも小声で強くウィンに言い募る。


「あいつら、レティシア様を自分の嫁にしようと言い寄っているんだぞ。そんな連中の中に、レティシア様を放っておいてもいいのかよ?」


 ウィンが再び青年貴族に囲まれたレティシアに目を向ける。

 兄レイルズから次々に紹介されて、レティシアは明らかに疲れの色を見せていた。

 時折、ウィンたちがいる方へちらりと目を向ける。 

 ウィンに助けを求めているのだ。

 いつもならば、そっけない態度で男たちを振り切るであろうレティシア。彼女は公爵家令嬢と『勇者』という肩書が、それだけの無礼行為を働いても許される立場である。

 しかし、今は兄レイルズが知人を紹介している。

 レティシアとしては、兄の面子を潰すわけにもいかず、あの場から動くことができないのだ。


(レティらしいよな)


 傍から見ていても、実の家族とは決して良好な仲には見えないというのに、レティシアはメイヴィス家の人々を、知り合いを切り捨てることができない。


「ふ……ふふふ」


 顔を伏せると、ウィンは笑った。

 

「おい……ウィン?」


 突然笑い始めたウィンに、さっきまでウィンをけしかけようとしていたロックが少し引き気味に声をかけた。

 そのロックにウィンは手に持っていた葡萄酒のグラスを渡す。それから力強い足取りで、ウィンはレティシアの周りを囲む貴族たちの間へと分け入っていく。


(そうだよな……何でレティが言い寄られているのを見ていて、俺が遠慮していなくちゃならないんだ)


 ロックに言われてみてよく分かる。

 レティシアが言い寄られているのを見て、自分はずっと腹を立てていた。だから、レティシアの微妙な表情の変化にも気付いてしまう。彼女の嫌そうな表情を見て安心し、自分の感情を誤魔化していた。

 だが、はっきりと腹が立たないのかと指摘されては、もう誤魔化しきれない。


「なんだ? お前は」

「無礼な! 貴様、いったいどこの家の者だ?」


 押しのけられて喚く貴族達を気にもせず、ウィンはレティシアの下まで行くと彼女の右腕を掴んだ。


「え、あ、お兄ちゃん……?」


 珍しく力強く腕を握られて、レティシアは戸惑ったような表情でウィンの顔を見た。


「誰だね、君は? レティシアは我がメイヴィス家の姫なるぞ。無礼であろう」


 突然乱入してきたウィンを見て、レイルズが不機嫌な表情を浮かべた。


「失礼。ご歓談中のご様子でしたが、少々レティ――レティシアに火急の用件がございまして。レティ、ちょっとこっちに来い。外へ行くぞ」

「何たる無礼か! 我が妹を呼び捨てにするなど。貴様……自分の行為がどれだけ無礼な行いであるか、わかっているのだろうな!」


 レイルズの怒声が響き、その剣幕にホールの中が静まり返った。

 

「師が、弟子を呼び捨てにしても何もおかしいことはないでしょう?」

「シガ? デシ?」


 レイルズは、ウィンの言う『師』と『弟子』という言葉を上手く変換できなかったらしい。


「何を言っているのだ貴様は! レティシアは畏れ多くも皇帝陛下、大神官様とも並ぶ『勇者』。そして先に言ったように我が妹、メイヴィス公爵家の第三公女でもある。騎士とはいえ貴様ごとき平民風情が気軽に口を利けると思うな!」

「自分は勇者の師として、皇帝陛下にも認められています」

「な……陛下にだと?」

「それでも信じられないなら、これだってある」


 ウィンはレイルズと周囲を取り囲む貴族達へ、腰に帯びた剣の柄に結わえた金印を見せつけた。


「ふ、ふん……一応は金でできているようだが、安っぽい細工物だな」

「安っぽい作りか。なら、この俺の持つ金印も安っぽい作りということになるな」

「ラ、ラウル殿下」


 騒ぎに気付いたラウルが騒動を収めようとやってきていたのだ。


「それは俺が持つ『剣聖』の証たる金印と等しくするもの。『剣匠』の金印だ」

「げえ……まさか……それがあの……」

 

 ラウルの持つ金印とウィンが持つ金印を見比べたレイルズが青ざめた。

 ラウルはレティシアの腕を掴んで自分の方へと引き寄せたウィンを見て、自身の手の中にある『剣聖』の金印を弄びつつ楽しそうな表情を浮かべた。


「彼は確かに勇者レティシアの師匠だよ。レティシアと共に旅をした俺からも保証しよう。その師匠が弟子を呼びつけたならば、弟子は万難を排しても駆けつけるのは当然の事だと俺は思うのだが、レイルズ殿はどのように思われる?」

「た、確かに。そういう事であれば全く問題も無く……」

「そうだろう。というわけでレティシア。君の師がお呼びなんだ。さっさと行くといいだろう」

「……ラウルにそう言われるのは何かシャクなんだけど、そうするわ。それでは皆様、師より火急の用件を申し付けられるようなので失礼致します」


 そう言うと、レティシアは丁寧に一礼をした。そしてウィンを振り返る。

 

「後の事は俺に任せておけ」

 

 ラウルがウィンに小声で囁く。

 

「ありがとうございます」


 ウィンも小声でラウルに礼を告げると、唖然として見守る貴族達の間を縫うようにしてレティシアと共にホールの中を進んでいく。途中、けしかけたロックが右手の親指をグッと立て、その後ろでリーノが手を叩いてガッツポーズしているのが見える。

 そして、コーネリアはホールを出て行く二人の後ろ姿を見て、少し寂しげな表情を浮かべたのだった。

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[良い点] コーネリア…… きっといつかいいことが……
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